2006年10月18日 (水)

ベルリン旅日記:10月17日

 今日からベンヤミン・フェスティヴァルが始まる。そこで、まずベルリン・ブランデンブルク科学アカデミーへ行き、参加登録を済ませる。参加料の30ユーロを払うと、すべての講演会に通用するパスとA5判のプログラムが渡された。領収書を書いてもらっているあいだも、いろいろ苦情が舞い込んできて、フェスティヴァルを組織する側はさっそく大変そうである。
 その足で、ブランデンブルク門のすぐ脇のパリ広場にある芸術アカデミーを訪れる。そこで開催されている「ベンヤミンのアルシーヴ」と題された展覧会を見るためである。ベンヤミンのマニュスクリプト、彼が収集した絵葉書、彼が論じた玩具やパリのパサージュの写真などから構成されていたが、マニュスクリプトを見て驚いた。ベンヤミンが書く文字の小ささは噂には聞いていたが、これほどだとは思わなかった。ミネラルウォーターの広告が載ったホテルのメモ用紙と思われる紙に、あるいはレストランの勘定書きの裏面に重要なテクストが、5ミリ四方ほどの文字でびっしりと書き込まれている。また、同様に小さな文字で書かれた読んだ本のリスト、論文の構成に関するメモなどからは、彼の仕事の驚くべき緻密さがうかがえる。ベンヤミンの思考の空間の極微の緻密さに圧倒される展覧会であった。
 芸術アカデミーの本屋で、今となっては貴重と思われるベンヤミンに関する文献を手に入れ、いったんホテルの部屋に戻った後、今度は国立図書館へ行って、展覧会でもそのタイプ稿が展示されていた履歴書で影響を受けたとベンヤミンが語っている、エルンスト・レヴィという言語学者の「老いたゲーテの言語」という論文を読む。共同体のなかで習得した言語から出発しながらそれを独自の仕方で変容させ、「個人の言語」を形成してゆくさまが、ゲーテの『ファウスト』の第二部にそくして示されている。デリダなら「絶対的特有言語」と呼ぶであろうこの「個人の言語」が、また別の言語類型と類似しているのを発見するところに、この言語学者の本領があるのかもしれないが、ベンヤミンは、こうして詩的な言語が独特の仕方で言語そのものを変成させるところに関心をもったのかもしれない。このレヴィの論文以外に、ハイム・シュタインタールという言語学者が編んだフンボルトの言語哲学に関する著作のアンソロジーを借り出し、シュタインタールの序文を読む。フンボルトについて深い洞察を示しているとベンヤミンがショーレムに語っているものである。シュタインタールのフンボルト観が端的に表われているところを書き抜いておいた。
 何か食べようと図書館のカフェテリアに入ると、今日のおすすめということで、ジャガイモとズッキーニの入ったスペイン風オムレツを四角く切ったようなものが出ている。これを「グラタン」というのだそうな。このようなカフェテリアではお約束の厳めしいおばさんにそれを頼むと、巨大な一切れを皿に載せてくれた。すっかり腹一杯になってしまったのは言うまでもない。
 図書館を出て向かいのフィルハーモニーへ行き、当日券を買って、室内楽ホールでフィルハーモニア・クァルテットの演奏会を聴く。今年生誕百周年を迎えるショスタコーヴィチの弦楽四重奏曲を全曲演奏するツィクルスの3回目として開かれたこの日の演奏会では、彼の第9番から第12番までの4曲の弦楽四重奏曲が演奏された。これらの弦楽四重奏曲はいずれも、1962年に初演された第13番の交響曲「バビ・ヤール」と第14番の交響曲「死者の歌」の間に書かれている。キューバ危機、アンドレイ・サハロフやアレクサンダー・ソルジェニツィンの迫害といった出来事によって、フルシチョフ時代の「雪解け」が幻想であったことが露呈しつつあった時期である。その時期にショスタコーヴィチ自身も、「バビ・ヤール」交響曲において、反ユダヤ主義、女性の抑圧、出世主義などを強烈に皮肉ったエフゲニー・イェフトゥシェンコの詩を用いたことで当局の批判を浴び、心身ともに弱っていた。そのようなショスタコーヴィチの苦悩が、これらの弦楽四重奏曲の苦渋と皮肉に満ちた形式に結晶していることは容易に見て取ることができよう。暖かなハーモニーはすぐに色褪せ、社会主義リアリズムを思い起こさせる民謡風の旋律はずたずたに引き裂かれる。
 そのようなショスタコーヴィチの弦楽四重奏曲を、フィルハーモニア・クァルテットは、驚くべき明晰さと充実した響きをもって演奏していた。第10番の弦楽四重奏曲のスケルツォのような荒れ狂う音楽においても、けっして響きが混濁することはない。他方で、亡くなったベートーヴェン・クァルテットのヴァイオリン奏者に捧げられた、ベートーヴェンの第3交響曲の葬送行進曲の主題の断片を自由に展開させたとも言うべき第11番の弦楽四重奏曲のエレジーをはじめ、悲哀に満ちた音楽も、説得力をもって迫ってくる。第1ヴァイオリンのダニエル・スタブラヴァがポーランドで抑圧的な体制を経験したことがショスタコーヴィチの音楽と響きあっているのだろうか。第12番の弦楽四重奏曲の十二音技法を思わせる展開も間然とするところがない。もう少し重苦しさと鋭さがあっても、と思うところもなくはなかったが、これほどの完成度をもってショスタコーヴィチの弦楽四重奏曲が演奏されることは、きわめて稀なことであろう。

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2006年10月16日 (月)

ベルリン旅日記:10月15日

 今日は日曜で図書館が休みなので、久しぶりにポツダムを訪れることにする。目的は、サン・スーシ宮殿のなかの絵画館を見ること。冬のあいだ閉まっているので、一昨年滞在したときには見ることができなかったのである。ポツダム中央駅から695番のバスに乗ってサン・スーシ宮殿の前で降り、宮殿の入り口へ行ってみると、まだそれほど寒くないせいか、たくさんの観光客でごった返している。目につくのはイタリア人と中国人。どういうことなのだろう。
 この絵画館には、カラヴァッジョの作品が1枚ある。1600年頃の作という「不信心のトマス」。イエスの復活を信じることができないトマスが、磔刑の際にイエスが脇腹に負った傷に手を触れる驚愕の瞬間に、鋭い光を投げかける絵である。これ以外に、リューベンスやファン・ダイクの絵がいくつかあるのだが、正直に言ってカラヴァッジョ以外にはほとんど眼を惹く絵がない。むしろこの絵画館において見るべきは、バロック宮殿の絵画展示のありようなのだろう。たしかに、黄金がちりばめられた天井と大理石の床のあいだに所狭しと絵が架けられているさまは、壮観ではある。
 絵画館を出ると、宮殿の丘を降りて、歩いてポツダムの街へ出る。ルイーゼ広場を通ってポツダムの目抜き通りとも言うべきブランデンブルク通りに入ると、一昨年のことを思い出し、何だか懐かしい感じがする。近くにスーパーができるまでバスで通ったスーパーも、全部1ユーロで古本を売る本屋も健在である。いまだに工事中のところもあるが、一昨年滞在したときよりは少し街に活気がある印象である。電車通りになっているエーベルト通りに出て、パン屋の隣のケバプ屋でケバプを食べる。何でもここは、わたしもポツダム滞在時にときどき朝食用のパンを買っていたそのパン屋からパンを仕入れているとか。たしかに普通のケバプ用のパンより噛みごたえがある感じ。食べているとトルコ系の移民の2世か3世と思われる子どもが二人入ってきて、今日だけケバプを2ユーロにまけてくれとせがんでいた。「今日だけだよ」と応じるケバプ屋の主人の姿が少し微笑ましい。
 電車でベルリンへ戻る。急行電車からSバーンへ乗り換えるついでに、ワールドカップに合わせて開業した新しいベルリンの中央駅をのぞいてみるが、他の駅と同じような店ばかり入っていて、あまり代わり映えがしない。乗り換えたSバーンで、博物館島へ向かう。目的は博物館ではなく、その周辺で週末ごとに開かれている蚤の市。ここの市には古本を売る店が多く出ている。掘り出し物はないかと奥の方から見てゆくが、今回は収穫がなかった。
 宿に戻ってひと休みした後、フィルハーモニーへベルリン・ドイツ交響楽団の演奏会を聴きに行く。指揮は、今年生誕百周年を迎える作曲家ショスタコーヴィチの息子であるマキシム・ショスタコーヴィチ。ロッシーニの「ウィリアム・テル」の序曲とそれを引用したショスタコーヴィチの第15番の交響曲のあいだに、モーツァルトの第1番のヴァイオリン協奏曲が挟まるというプログラム。
 最初のロッシーニの序曲は、オーケストラの力量を示すにはうってつけの作品であるが、その演奏においてドイツ交響楽団は、ベルリン・フィルと比べても大きな遜色のない実力のほどを示していた。冒頭のチェロのアンサンブルも、コーラングレとフルートの掛け合いも決まっているし、ギャロップの推進力にもわくわくさせるものがある。あまりにも使い古されたこの曲が、新鮮に響く力強い演奏であった。
 続いて演奏されたモーツァルトの最初のヴァイオリン協奏曲に関しては、正直に言って首をかしげざるをえなかった。マクシム・ショスタコーヴィチが指揮するオーケストラの伴奏の雄弁さに比べて、ヴァイオリン独奏を担当したアラベラ・シュタインバッハーの音楽があまりにも皮相に聴こえたからである。彼女は、ユリア・フィッシャーなどとならぶドイツのヴァイオリン界の期待の新星と聞くが、それにしては音楽に奥行きがない。すぐれた技巧をもっていることは間違いないが、音に深みがなく、音楽づくりにも余裕がないのだ。もしかしたら、この曲をまだものにしていないのかもしれない。アンコールとして演奏されたパガニーニのメドレー風の小品は、実に伸び伸びと弾いていたのだから。どちらかというとロマン派以後の技巧的な作品で実力を発揮できそうな様子である。
 最後に演奏されたショスタコーヴィチの最後の交響曲であるが、これはたしかマクシム・ショスタコーヴィチ自身が初演したのではなかっただろうか。それだけに曲を完全に自分のものにしているようで、間然とするところがない。早めのテンポを基調として、ロッシーニの「ウィリアム・テル」やヴァーグナーの「ヴァルキューレ」の断片をはじめとして、引用された断片が別の音楽によって掻き消されたり、変容したりするさまを説得的に表現していた。悲痛な旋律も感傷に流れることなく、重い硬質の響きで迫ってきたのも、この作品にふさわしいことのように思われる。室内楽的なパッセージ、あるいは第二楽章のチェロの独奏をはじめとする独奏部では、ドイツ交響楽団の各奏者がその実力を発揮していた。とりわけ、チェロとピッコロのソロが印象に残る。シンフォニストであることから、さらには交響曲というジャンルからの別れを告げるような終結部は、シニカルな軽さをもってではなく、その別れの意味を考えさせるような重みをもって響いた。父親の辛酸を知る実の息子ならではの終結部のとらえかたなのかもしれない。聴衆の盛んな喝采──ドイツ交響楽団の聴衆はいつも熱い──に対して、父親が書いたスコアを掲げるマクシム・ショスタコーヴィチの姿が心に残った。

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2006年8月 2日 (水)

誕生日とフランス料理の愉しみ

 何十何回目だかの誕生日を迎えて、また歳を取ってしまった。ゲオルク・ビュヒナーよりも、ノヴァーリスよりも、フランツ・シューベルトよりも、ハインリヒ・フォン・クライストよりも、そして今年生誕250周年を迎えたあのモーツァルトよりも長生きをしてしまったと言えば、何歳になったのかおおかた想像がつくものと思われるが、振り返ってみれば、これまでいったい何をやってきたのかと暗澹とさせられる。バタバタと生き急いで、結局何もできていないではないか。
 とりわけこの1年は慌ただしく過ぎた。慌ただしく感じられるのは、歳を取ったせいなのかもしれないが、実際慌ただしく結果を出すことに追われていたのではないか。それにかまけて、思考を突きつめることを、また思想を表現する言葉を研ぎ澄ますことを、すっかり怠ってはいなかっただろうか。目に見える結果を出すことが求められる趨勢に抗しきれない自分も腹立たしい。
 母に、もう自分の顔をもつ歳だと言われた。そうなのかもしれないが、自分の顔を作れているとはとても思えない。にもかかわらず、音声的な言葉のかたちで、文字のかたちで、あるいは身体的な相貌というかたちで、つねに顔を他者に晒していなければならないし、パブリックに顔を晒さなければならない機会もまたすぐにやってくる。ともかく残された時間で、変に立てなくてもよい顔を作る最大限の努力をするほかないのだろう。
 ところで、誕生日の夜、広島市内の京橋川沿いのフランス料理屋「ア・ターブル」を妻と訪れた。やや古びた建物の2階にあるこぢんまりとしたその店は、フランスのジャズが流れていて、変に気取らない雰囲気が心地よい。とはいえ料理は実にしっかりとしている。
 まず出て来たのが前菜の盛り合わせ。スモークサーモンをパプリカやマンゴーと合わせたもの、アボガドに蟹肉を乗せてオーロラソースをかけたもの、水イカのラグー、ナスをラタトゥイユ風に煮込んだのにアンチョビソースをかけたもの、それに生ハムと実に多彩である。生ハムに添えられた、スイートコーンのペーストを胡麻豆腐のように固めたものは、ゼリー寄せの代わりだろうか。全体的に口当たりのよい味付けながら、ニュアンスに富んだ甘さと辛さのコントラストや食感のちがいを楽しむことができる。落ち着いたなかで食べることの愉悦を味わわせてくれる一皿。とくに気に入ったのはサーモンとマンゴーの組み合わせだった。
 次に出てきたのは、鮮やかなピンク色が印象的なビートの冷製スープ。仄かな酸味が夏にふさわしい爽やかさを醸し出しているが、コクも欠けてはいない。それに続いて、フォアグラのソテーが運ばれてくる。マッシュポテトの上に乗せられた二切れの(もちろん小さな)フォアグラにトリュフのソースのかかった、実に贅沢な一皿である。舌の上で溶けていくかのような味わいを醸し出す、フォアグラとソースの組み合わせを堪能した。
 実は、コースはこれだけでは終わらない。今度は魚介料理ということで、海老のクリーム煮にズッキーニとライスのグラタンを添えたものが出て来た。海老そのものも美味しかったが、まろやかななかに少し辛味を利かせたクリームソースの味も面白い。肉料理は、雲仙豚のソテー。シンプルな味付けの豚肉自体も美味しいが、マスタードとジャムが添えて、さまざまな味のヴァリエーションを楽しめるよう工夫してある。さらに、キャベツとマッシュルームの浅漬けのピクルスも添えてあった。豚肉にコクがあるだけに、さっぱりとした野菜が添えられているのは嬉しい。最後にはしっかりとした甘味のガトーショコラと、オレンジの皮の苦味を生かしたソースでアクセントをつけたシャーベットのデザートも楽しんで、身も心もすっかり満腹となってしまった。年に二度か三度は、このような舌の快楽もお許しいただきたいところである。ちなみにワインは、チリ産のものを注文したが、果実味豊かで、かつどっしりとした味。フォアグラにも豚肉にもよくマッチしていた。値段のほども(料理も含めて)実にリーズナブル。久しぶりによい店を見つけた。
 さて、昨年の誕生日から始まったこの雑記録風Weblogも、今日でちょうど1周年。折々に書き散らした雑文にお付き合いくださったみなさまには、心から感謝申しあげます。

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2006年1月 9日 (月)

三宮の中華料理と明石の「玉子焼」

 先にこの欄に、神戸の兵庫県立美術館へ「アムステルダム国立美術館展──オランダ絵画の黄金時代」を見に行った印象を記したが、その際広島から車で泊まりがけで出かけたので、見に行く前の日の夜に三宮で夕食をとることになった。神戸に来たからといって神戸牛だのハイカラな洋食だのに一見の旅行客が手を出したら、値の高いものをつかまされるにちがいないと踏んで、中華料理を試すことにする。神戸には中華街もあるし、それなりに美味しい中華料理屋があるのでは、と思ったわけである。
 そこで入ってみたのが、三宮の東急ハンズに隣接するビルの6階にある「酔坊」なる「中華居酒屋」。店の内部をのぞくことのできないドアを開けて入らなければならないので、敷き居をまたぐのに少し勇気が要ったが、入ってみると中華料理店らしい赤を基調とした装飾豊かな空間が広がっている。とはいえ、派手過ぎることはなく、どちらかというと中華料理店にしては落ち着いた感じ。しかし、「居酒屋」でもあるのは確かのようで、奥の席ではサラリーマンのグループがビールをあおりながら気炎を上げていた。
 お世辞にも愛想がよいとは言えない中国人女性が料理を運んでくれたが、その料理、手ごろな値段(300円足らずの点心から一品料理がある)のわりにはなかなか美味しい。小籠包、鳥肉のカシューナッツ炒め、五目おこげに、(すでに味噌をつけて葱と巻いてある)北京ダックといったところを妻と食べたが、とくにおこげは具が豊富なうえにしっかりとした味付けで気に入った。鳥肉の炒め物も唐辛子の辛味が軽いアクセントとして利いていて、なかなかの味。ニンニクの効いたこの一皿を食しながら、かつて大学の学生食堂で食べたこの料理を思い出した。貧乏学生だったころ、アルバイトの給料が入ったりすると、学生食堂の夜のメニューにある(750円と学食メニューにしてはかなり高い値のついていた)「鳥肉のカシューナッツ炒め定食」を食べていたものである。そう言えば、学食のもかなりニンニクが効いていた。ちなみに小籠包も美味しかったが、「北京ダック」に関しては、この値段でそう贅沢は言えない、というのが結論である。
 さて、神戸からの帰り道に、明石に寄って「明石焼」を食べてみた。玉子の多い生地をたこ焼きのように焼くこの「明石焼」を当地では「玉子焼」と呼ぶようで、今回入った「松竹」という店は「玉子焼専門店」とのことである。明石駅前のあけぼの商店街という商店街のなかにある、こぢんまりとしたお店。
 店に入ると、この「玉子焼」の焼き方にまず驚かされた。羽子板のような鉄板にたこ焼き器のようなくぼみがついていて、そこに相当柔らかい生地を流し込み、片面が適当に焼けたところで、何と菜箸でさっと返すのである。生地が柔らかいと、串や千枚通しよりも箸のほうがひっくり返しやすいのだろう。そうしてしばらくすると、やおら「羽子板」の柄をもって、焼けた「玉子焼」を下駄のような朱塗りの板にバタンと落とすのである。その朱塗りの板、下駄の歯が片方しかなくてすこぶる不安定ではあるが、板を手前に傾けると食べやすいようにできている。
 この「玉子焼」、よく知られているように、ソースではなく、薄味の出し汁をつけて食べるが、この店の薬味は三つ葉。これにも何か理由があるのだろうか。出し汁をつけなくても十分に美味しいが、つけたほうが生地のまろやかさが際立つ感じ。ふんわりとした生地の食感と蛸のこりこりとした食感のコントラストを楽しんだ。

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2005年11月11日 (金)

ケバプと「ほんとうのネオナチ」の問題

 ベルリンへ行くと、やはりかならず一度はトルコのケバプのお世話になる。ケバプといっても、鉄串に刺して焼くシシ・ケバプとかではなくて、「デナー・ケバプ」。牛肉や羊肉(他の肉も使われているかもしれない)の肉片をペタペタと鉄の心棒に貼りつけ、その心棒を回転させて(「デナー」の名はこのことに由来するとか)じっくりと炙ったのをナイフでそぎ落とし、野菜と一緒にカリッと焼き上げた厚手のピタパンのようなパンに入れ、ソースをかけたもの。野菜は、タマネギ、トマト、キュウリ、赤キャベツというのが一般的で、ソースにはニンニク、ハーブヨーグルト、チリといった種類がある。1個で満腹感が得られるし、何といっても肉と一緒に野菜をそこそこ食べられるのがいい。日本で「ドネル・ケバプ」という名前で知られているものとほぼ同じものである。そう言えば、東京では1個500円で売っていたが、ベルリンでは日本円にして200円から350円くらいが相場。このあいだの旅行の際には、地下鉄のリヒャルト・ヴァーグナー広場駅近くの店で1個買って、ホテルの部屋へ持ち帰って食べた。
 このデナー・ケバプを売る「インビス」(ファスト・フード店)が、ベルリンにはそれこそ至るところにある。そのほとんどが、トルコからの移民がいとなむ店であるが、辺見庸の『もの食う人びと』(角川文庫)によると、そうしたケバプ屋は東西ドイツの統一後に続々と増えていったという。原因は失業。外国人労働者として働いていたトルコ人たちを、ドイツの企業は、東ドイツ市民を優先的に雇用するため、あるいはそれを口実に外国人を差別し、解雇していった。そうして職を失ったトルコ人たちは、資金的にも技術的にも手っ取り早いケバブ屋経営に飛びついた、というわけである。そして、そこで売る「デナー・ケバプ」は、味もスパイスも控えめにし、「ドイツ化」してあるとか。その歴史は、「ドイツに適応しようとしてきたトルコ人の辛い歴史そのもの」だ、というあるトルコ人の表白を、辺見庸は引いている。
 その「辛い歴史」は今なお続いている。ベルリンを出発する日の朝刊に、ポツダムで政治家を含む市民の対抗デモ(日本で政治家が極右に対する対抗デモに加わることは考えにくいし、それはまたそれで問題である)が、ネオナチの大規模な行進を阻止した、という記事が載っていた。極右的な主張に反対して声を上げる市民たちがいる一方で、辺見庸によればケバプ屋の増大とともにその外国人排斥を表面化させたネオナチもまだまだ暗躍している。そればかりでなく、外国人の締め出しを主張する極右政党が、ザクセン州議会では議席まで獲得しているのだ。そして、最近の景気の慢性的な低迷と、未だ高い水準の失業率は、ドイツにおけるトルコ系移民への風あたりをさらに強めていよう。
 ベルリンを出発する日、バスで市街の北西にある空港へ向かう途中で、モアビットという地区を通った。それまでバスで通ってきた街と明らかに雰囲気の異なる、人通りがまばらで寂れた感じの、やや怪しげな店の建ち並ぶ街路がしばらく続く。そこは、多くの経済的に苦しい状況に追い込まれている移民たちが、肩を寄せ合うように住んでいる地区とのことである。そうしたモアビット地区で、パリの暴動に続くかのように、何台かの車が放火されたという。ベルリンの日刊紙のウェブ版は、パリの暴動に便乗した若者の悪ふざけ、と楽観的な見方を示していたが、おそらくは何よりもまず、一部の(そうであると信じたいが)ドイツ人の差別的なまなざし、あるいは高失業率の責任を押しつけるかのような敵意に満ちた態度に対する不満の噴出を示すものなのではないか。その不満が、ネオナチの暴力と同じかたちをとって現われてしまったのは、非常に残念なことだけれども。
 パリ北部で車に火を点けている若者たちのなかには、近くのシャルル・ド=ゴール空港での仕事を、「9・11」後に「保安」を理由にクビにされたり、あるいは求人に応募しようと電話しても、アラブ系の名前を名乗った瞬間に電話を切られたり、といったことを経験した若者も含まれているという。そして、彼らが求めているのは、まずフランス社会において「人間」として扱われることなのだ。だからこそ、彼らを「クズ」呼ばわりしたサルコジ内相がやり玉に上がっているのである。辺見庸の『もの食う人びと』には、「ほんとうのネオナチっていうのは」、「上流階級のドイツ紳士の心のなかにもあるんじゃないかな」、というトルコ人を恋人にもつドイツ人女性の言葉が引かれている。外国人排斥を黙認し、移民たちが「人間」扱いされない社会の構造を温存しようとする、そして何か事が起こればサルコジ内相のように本音を漏らすようなメンタリティこそが、真にネオナチ的だ、というわけである。夜の路上に立って、「SMS」(携帯電話のショート・メール)で連絡を取りあい、車に火を点けて回る若者たちが問いただしているのは、何よりもまずそうしたネオナチ的メンタリティなのではないか。そして、車に火を点けるというやり方がけっして正当化されえないのは当然だが、そうしてサルコジ内相の発言を指弾する彼らの問いは、その現場から遠く離れた日本にあっても、自分自身への問いかけとして受けとめなければならないものも含んでいるのではないだろうか。
 ところで、パリ北部に始まった移民の若者たちの暴動を報じていた新聞には、何やら腐った肉を売りさばいていた業者に強制捜査が入った、という記事も載っていた。それによると、一部の肉はすでにケバプ店などに売りさばかれていたとか。もしかするとこのあいだ食べたのも、と一瞬背筋が寒くなったが、幸い今のところ腹の具合は悪くない。

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2005年10月11日 (火)

岡山におけるヴィーン・フィルハーモニー管弦楽団演奏会

 10月8日、妻と岡山へヴィーン・フィルハーモニー管弦楽団の演奏会を聴きに行く。昼過ぎに岡山の街に入り、まずはNTTの裏にある手打ち蕎麦の店「峠」にて腹ごしらえ。久しぶりに江戸の更級を堪能した。ナメコおろしと山菜とろろに天ぷらが一度に楽しめる冷たいそばを試したが、蕎麦の腰がしっかりしていて、実に爽快なのど越し。蕎麦つゆの味も申し分ない。妻は温かい鳥南蛮を食べていたが、こちらは西の人の口にも合うようにか、やや薄味の上品な仕上げ。
 そこから歩いて会場のシンフォニーホールへ向かったが、開演までまだ時間があったので、岡山市立のオリエント美術館を訪れる。ほとんど人がいなかったけれども、展示物はなかなか興味深い。アッシリアの鷲の頭の精霊のレリーフはたしかに貴重なものであろう。これにも惹きつけられたが、それ以上にシリアで発掘されたというモザイクやギリシア語の碑銘を含んだレリーフが、ヘレニズム時代の文化の様相を今に伝えているようで面白い。イランの陶器も、フォルムの曲線とアラビア文字の波打つ動きをマッチさせていて、デザイン的に実に新鮮である。中東やアジアの遺物ばかりでなく、ヨーロッパの古代の遺物も数多く展示されていたが、そのなかではギリシアやエトルリアのアルカイックな彫刻が眼を惹く。展示の仕方をもう少し工夫すれば、見る者の「ヨーロッパ」像を一変させるようなインパクトをもちうるのではないだろうか。
 さて、シンフォニーホールで行われた、本題のヴィーン・フィルハーモニー管弦楽団の演奏会であるが、このところ相性のよさを示していると言われるリッカルド・ムーティの指揮で、オール・シューベルトのプログラム。「ロザムンデ(魔法の竪琴)」の序曲に始まって、次いで「未完成」交響曲、休憩を挟んで最後に、「ザ・グレート」と呼ばれるハ長調の交響曲が演奏された。基本的にはムーティらしく、男性的な、きりっと締まったリズムが躍動するなかからカンタービレの魅力が際立つ演奏。シューベルトのスコアに若々しい情熱を吹き込もうとするアプローチと言えようか。推進力に満ちた音楽の運びがライヴならではの即興性と結びついて、スリリングな感興を呼び起こしていたが、全体的にもう少し静けさと響きの奥行きがほしかったところ。
 「ロザムンデ」の序曲では、アレグロの主題が、かなりゆっくりと始められたのにやや驚かされた。そこからだんだんと速度を上げて、勇壮なトゥッティに達するというわけである。「未完成」交響曲の演奏では、第一楽章の第二主題がぴんと筋の通った息の長い歌になっていたのがとくに印象的。全体として若々しい感情の波がそのまま音楽の起伏に結びついているなかに、静かなアクセントを打ち込むかたちになっていた。「大ハ長調」交響曲の演奏の全体的な性格は、第一楽章の第一主題の勇ましい付点のリズムによって象徴されているように思われる。どちらかと言うとリズムの躍動に力点を置いた演奏で、そのことはフィナーレの高揚感に結びついていたが、他方で響きの奥行きを失わせていた。伴奏のリズムが絶えず強調されると、響きが平面的になり、一本調子な音楽になってしまうのだ。もう少し、シューベルトならではの転調の妙を、歌の彩りとして聴かせるべきではなかったか。
 全体としてややムーティのドライヴが利きすぎて、そのためにシューベルトの音楽になくてはならない静けさが奪われていたような気がする。若々しい情熱を清新な響きで聴かせたい意欲は伝わってくるのだけれども。アンコールとして、期待どおり「ロザムンデ」の音楽からアンダンテの間奏曲が演奏されたが、ここではムーティの手綱が少し緩んで、そのぶん歌の魅力が際立っていた。(この演奏について詳しくは:http://homepage.mac.com/nob.kakigi/Muti_WP_08102005.htm)

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2005年8月 3日 (水)

二つの青葉の交響

 広島の中心街にほど近い幟町というところにあるそのフランス料理店を初めて訪れたのは、二年前の誕生日のことだった。すっきりとしたなかにアクセントの利いた魚料理が印象的だったのだが、以来なかなか訪れることができずにいた。気になってはいたのだけれども。
 その店を、今夜誕生日のディナーのために久しぶりに訪れることができたのだった。基本的にあっさりとしたなかでさまざまなアクセントを楽しませる料理を妻と堪能したところである。
 今夜の白眉もやはり魚料理。夏野菜のラタトゥイユにゴマの香りのするイサキのポアレが載った一皿の味がとりわけ印象に残ったのである。
 そこには二種類のソースが添えられていて、一種類はカラメル、もう一種類は青葉の緑のソース。その両者の味をゴマの香ばしさと対照させて楽しむこともできれば、非常にあっさりしたイサキの味のアクセントとしても楽しむことができる。とりわけ面白かったのが青葉のソース。何でも大葉とバジルで作ったとか。そう言われればたしかに、二つの香りのあいだで微妙に揺れ動くかのような香りが漂う。これが実に柔らかなアクセントとして利いていたのだ。
 それを楽しみながら、わが家の庭にも大葉とバジルが茂っているのを思い出した。この両者をミキサーにかけて和風ジェノベーゼのようなパスタを作ったら、この二種類の青葉はどのように交響するのかしらん。
 和風といえば、この魚料理の前に供された冷製のコーンポタージュ、清涼感とこくの共存する一品だったが、どこか和風の味わいも感じとらずにはいられなかった。このレストランのシェフの味づくりは、旬の素材を生かすためだろうか、和風の味にいくぶん傾いている感じはする。
 すっきりとした味を基調としながら、そのなかでさまざまなアクセントも楽しませてくれるこの幟町のフランス料理店、名前は内緒にしておこう。そうした味づくりとの関係を感じさせる名前であることだけは言い添えておきたい。

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