Hiroshima Happy New Ear XIIを聴いて

 新しい音楽への耳を開く広島での現代音楽の演奏会シリーズHiroshima Happy New Earの第12回の演奏会には、現代の音楽そのものをリードしてきたと言っても過言ではないアルディッティ弦楽四重奏団が来演した。この弦楽四重奏団の演奏には、CD──ラッヘンマンの弦楽四重奏曲を集めたものは、あらためて凄いと思う──やラジオの放送などで親しんできたのだけれでも、生の演奏に接する機会はどういうわけかこれが初めてのこと。それゆえとても楽しみにしていたのだが、期待にたがわぬ素晴らしい演奏だった。以前にディオティマ弦楽四重奏団の演奏を聴いたときに、これは一つの事件だと人に語ったことがあったが、それを上回る衝撃を受けたと言ってよい。凄まじいまでの凝縮度をもった音の塊が、恐ろしいまでの解像度をもって迫ってくるのだ。
 とくに最後に演奏された、クセナキスのテトラスで聴いた音の凝縮されたエネルギーは、この四重奏団の緊密なアンサンブルによってしか表現されえないものだろう。アリストテレスに因んで言うならば、きわめて質料的な音の素材が、おのずから発展し、凄まじい生命力を発揮していた。同時にそれが緻密な論理にもとづいていることも感じないではいられない。ロゴスに裏打ちされた、ディオニュソス的な音の躍動をアルディッティ弦楽四重奏団は聴かせてくれた。
 とはいえ、今回この弦楽四重奏団の演奏に接して驚かされたのは、音の素材が激しく運動する楽節と、それがぴたりと止んで静まる楽節との対比である。とくに静けさの深さは恐ろしいほどだ。最初に聴いたリゲティの弦楽四重奏曲第2番の演奏で聴かせた静かな響きには、深淵に吸い込まれそうな思いがした。その静けさから湧き上がる音の運動は、リゲティが影響を受けたバルトークの作品以上に、飼い馴らされていない自然の蠢きを感じさせる。
 今回細川俊夫の作品が二曲演奏されたが、まず「沈黙の花」の演奏は、この作品が傑作であることを申し分なく伝える密度の濃い演奏だった。力強く打ち込まれた音が命の花を空間に開きながら、やがて消え去っていくさまが、驚くべき振幅をもって表現されるとともに、その線が擦れていく動きがきわめて緻密に表現されていた。垂直的に打ち込まれ、空間に線を描いていくのがだんだんと静まって消え去っていく、どこか命の儚さを感じさせる曲の推移には、マーラーの交響曲第9番の最終楽章を思い起こさせられる。
 日本初演となった細川の弦楽四重奏のための「書」は六つの短い曲から成るが、その演奏ではとくに最後の二つの曲における息の長い歌が印象的だった。書においては擦れや滲みをなすような動きが、歌う息遣いと深い感情の共鳴として響いていたように思う。なお、最後の曲は、細川のオペラ『班女』のなかの花子のアリアを素材にしているとのことである。
 この夜聴いたアルディッティ弦楽四重奏団の演奏は、曲のテクスチュアを緻密に読み取ることを、崇高なまでの強度をもった現代の音楽の表現と見事に結びつけたものであった。それを聴きながら、アドルノが、技術でもある芸術がそれ自身の論理を尽くした果てに自然との和解がありうることを、思い起こすとともに、そこに至るミメーシスが音楽においては、アルディッティ弦楽四重奏団がしたような優れた演奏をつうじてのみ実現されうるのかもしれないとも考えさせられた。その緻密な解釈と緊密なアンサンブルのなかから、音の運動が、歌う息のめぐらしが、おのずから立ち上ってくるのである。
 そのことと同時に、この夜聴いた鮮烈な表現に至る弦楽四重奏の伝統も感じないではいられなかった。リゲティの作品は明らかにバルトークの弦楽四重奏曲第4番を意識したものであろうし、クセナキスの作品も、ベートーヴェンの後期の弦楽四重奏曲の、断片的なモティーフを展開させる傾向なしには生まれなったのではないか。それに細川の「書」は全体として、例えばヴェーベルンが書いた弦楽四重奏のための楽章を思い起こさせる。アルディッティ四重奏団が、このような弦楽四重奏の伝統を背景に、弦楽四重奏と新しい音楽の可能性をどのように切り開いていくのか、これからも注視していきたい。

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Tremolo Angelos「ホシハ チカニ オドル──Dialogues in the Dark 2011」公演に触れて

 身体表現者大槻オサムとヴァイオリニスト谷本仰が結成したパフォーマンス・ユニットとも言うべきTremolo Angelosの公演「ホシハ チカニ オドル──Dialogues in the Dark 2011」に接することができた。人工の太陽とも言うべき核エネルギーが発する放射能によって命を奪われた死者をはじめとする、理不尽に死に追いやられたばかりか、歴史から消し去られ、忘却の淵へと葬り去れた死者たちの声を聴き出し、響き出させ、闇のなかに輝かせるとともに、その星座から、この死者たちを抹殺していくのとは別の物語を紡ぎ出させようという試みという。二人の戦慄する天使たちの戦きのなかから、小田実の言う「難死」を強いられた者たちの声の谺がどのように響いてくるのか、期待を胸に会場へ赴いた。
 会場のカフェ・テアトロ・アビエルトの内部は、あちこちに写真が掲げてあったり、ノートパソコンのディスプレイ上でビデオクリップや写真のスライドショーが流れていたりといった具合に、それ自体が一つのインスタレーションのように構成されている。そこに映し出されているのは、チェルノブイリや旧ユーゴスラヴィア、あるいはイラクやガザで、放射能や軍事力によって理不尽な死を強いられた人たちの記憶であったり、沖縄の高江や山口の祝島で、軍隊と資本の暴力に抗して命をつなぐ闘いを続けている人々の記録であったりする。それらのイメージが発する光が闇に包まれて、公演が始まった。
 舞台は、「闇」、「身」、「光」の三つの場で構成されており、最初の「闇」は、一部には「日本の原子力開発の歴史の汚点」とも評される東海村の事故が穿つ「歴史」の闇を見据え、そのなかから事故の犠牲となった死者の声を響き出させるもの。家族に語りかける優しい語り口のなかから、この「歴史」の欺瞞とともに、放射能によって生命体、ないしは有機体としての再生力をもった組成がずたずたにされていくことへの恐怖が抉り出されてくる。その犠牲者が幻視する天使のような白い形姿──人工の太陽を直視した際に網膜に焼き付いたのだろうか──のたゆたうような舞いも胸を締めつける。
 「身」と題された次の場には、ニガヨモギ、すなわちチェルノブイリの森の精が登場する。「身」という文字は、命を抱く身体、とくに妊娠した女性の身体を象徴しているとのことであるが、この森の精の最初の身振りは、死者たちの命の痕跡をかき集めようとするかのようだ。そのような、これまた一人の天使のような精が、分厚いコンクリートの「石棺」のなかに封じ込められた、チェルノブイリ原子力発電所の事故の犠牲者と対話を繰り広げる。その傍らに、化石化した人の顔のような仮面が置かれているのが印象的。その顔に森の精が親しみを込めて語りかける。すると死者の声が聞こえてくるのだ。死者が目覚め、語り残したことを、顔を通して森に響かせる──「人格」を意味するpersonという英語の語は、仮面劇の仮面を意味するラテン語のpersonaを語源としており、その語はさらに「それを通して (per) 」あるものが「響く (sonare) 」ことを意味する──のである。その死者の言葉の一つに、森と一つになりたいという希望を表明するものがあった。森の精によると、その可能性は、劣化したコンクリートの亀裂としてすでに開かれているという。そのひび割れから骨片の一つでも土に落ち、そこから草が生えるなら、その希望は成就するのである。
 事故後のチェルノブイリで植物が自生し、森をなすまでになっていること自体に希望を見る向きがあるようだが、私はそれは違うと思う。そこにあるのは、コンクリートの棺が皮肉な仕方で象徴するように、不朽であろうとする人間の歴史的な営為に、仮借なく腐敗と衰滅をもたらす、自然の生命の営みにほかならない。それが穿つ歴史の亀裂から、核という人工の太陽を生み出し、生命を破壊するのとはまったく別の仕方で、自然と関わり合う可能性の光が漏れ出てくるのである。
 最後の「光」の場は、エピローグのような短い場だが、非常に強い印象を残す。「大地がぼくらに閉じていく」と始まるマフムード・ダルウィーシュの詩が、谷本と大槻のあいだで応唱のように朗読されたのには、心を打たれた。「大地がぼくらに閉じていく」というのは、東海村の犠牲者が夢に見た閉じていく闇に通じるだろうし、「ぼくらの血がオリーヴを植えるのだ」という詩句は、チェルノブイリの死者の森になりたいという希望に連なる。これまで舞台に蘇った死者の記憶が今、イスラエルの圧倒的な軍事的暴力によって「難死」を強いられたパレスチナ人の記憶と応え合うのだ。やがて、大槻は一人の天使のような姿になって、化石の仮面を慈しむように白い布で包んだ後、羽ばたくように舞台上方へ、名残り惜しげに去っていく。すると、生者と死者の記憶を映す会場の展示の光が少しずつ点っていった。その様子はまさに、闇のなかに星たちが光るかのようであった。そのあいだに一つの星座を見て取るなら、今も無数の「難死」者を生み出し続けている歴史とは別の物語を、紡ぎ出せるかもしれない。「光」という文字は、松明を掲げる人の姿を表わすそうだが、そのような文字を冠した最後の場面は、もう一つの物語の可能性を観る者に語りかけるものだったのかもしれない。
 全体を通して、大槻の一つひとつの命への暖かい共感に満ちた身体表現が印象的だった。なかでも、包んだり、かき抱いたりする行為に、慈しみと同時に、遭遇した個としての命を、どこまでも引き受けて生きようとする身振りを見て取ったとき、感動を覚えずにはいられなかった。そこに、イトー・ターリが2009年の冬に広島の原爆ドームの前で見せた身体表現に通じるものを感じたのは、おそらく私だけではなかっただろう。さらに、最後に登場する天使の羽には、星たちが抱かれている。ヴァルター・ベンヤミンが語る「歴史の天使」の羽根が進歩の強風に煽られて、未来へと後ずさりさせられるのに対して、ここに降り立った天使は、無数の命をかき抱いて未来を開こうとするのだ。そのような天使を現出させるに至る大槻の身体表現に呼応する谷本のヴァイオリンも、表現の振幅が大きく、舞台上の世界に奥行きをもたらしていた。電気的な効果を駆使して、激しいリズムや放射能の威力を表現する凄まじいノイズを音にするところも印象的だったが、何よりも心を打ったのは、やや抑えた表現で切々と歌われた哀切な歌である。大槻と谷本の二人の戦慄する天使は、それ自体が応唱によって構成された一つの歌のような舞台に結実する身体的表現の振動のなかから、死者たちの声の谺を歴史の闇のなかに響き出させ、星座のように応え合わせる可能性を、力強く示していたように思う。「ホシハ チカニ オドル」の舞台は、ベンヤミンが述べるように、「敵は勝つことを止めていない」、また「死者たちまでもが安全ではない」今ここの状況において、「難死」した死者たちの一人ひとりと応え合うなかから、「難死」の歴史とは別の物語を紡ぎ、もう一つの世界を想像し、創造する糸口が、歴史の闇のなかに萌していることを、暗示していたのではないだろうか。

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細川俊夫「開花の時」世界初演

 花を見ることは、現に咲いている花の目に見える美しさを愛でることに終わりがちである。つまり、見る者に安らぎをもたらすような花の形態や色彩にのみ心を奪われてしまい、花が一つの生命の活動を表現していることを忘れてしまうのだ。しかし、一つひとつかけがえのない生命の営みを思う視点に立つならば、一輪の花が開くことは、無数の力の場とも言うべき宇宙のなかで行なわれる、緊張に満ちた運動にほかならない。自然界の葛藤のただなかからこそ、一輪の花は立ち現われ、唯一無二の生命をしばし輝かせるのである。
 このような一輪の花の開花の運動を、けっして外から分割されえない「時」の持続において響かせようとしたのが、細川俊夫の新作「開花の時(Moment of Blooming)」なのかもしれない。この作品は、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団、アムステルダム・コンセルトヘボウ、そしてロンドンのバービカン・センターの共同委嘱作品として書かれ、ベルリン・フィルの首席ホルン奏者シュテファン・ドールに捧げられている。2011年2月10日から12日にかけてサイモン・ラトルの指揮により行なわれたベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の定期演奏会で、この新しいホルン協奏曲は世界初演の「時」を迎えた。その三日目に立ち会うことができた。
 ホルン協奏曲「開花の時」は、独奏ホルンに二管編成のオーケストラ、それに客席上方に配された二本のホルン、それぞれ一本のトランペット、トロンボーンのために書かれている。作曲者自身が初演に寄せたコメントによれば、独奏ホルンは一輪の蓮の花を具現し、金管楽器の響きによってぐるりと囲まれることになるホールは、全体としてその蓮の花が咲く一つの池をなすのだが、実際演奏は、ひっそりとした池のある風景を思い起こさせる密やかな、それでいて瑞々しい静けさとともに始まった。響きと一つになりたくなるような魅惑的なピアニッシモである。そのなかに、日の光を受けて水面が煌めくのを思わせる鈴の音が響き、生命の息吹が通い始める。その息吹を管楽器奏者の息の音が表現しているわけだが、そのなかから独奏ホルンの音がすっと立ち現われてくる。蓮の生命の営みが始まるのだ。
 独奏を担当したシュテファン・ドールは、ホルンという楽器の幅広い表現力を存分に生かして、蓮の茎や葉が、そして蕾が水底の土壌から伸びてくる運動を実に雄弁に表現していた。ただし、一つの池のなかでそのようにして生きる蓮は一本ではありえない。一輪の蓮の花が開こうとするとき、もういくつもの蓮が生い育ちつつある。あたかも一つの生命に呼応するかのように。そのありさまを、客席に配された二本のホルンが、独奏のエコーを響かせるように表現するわけだが、それがまさに蓮の命が通い合うかのように、よく溶け合った音色で響いたのには驚かされた。オーケストラのなかの緊密なアンサンブルが、フィルハーモニーの広大な空間で生きている。
 蓮の茎と葉が土壌のカオスから──作曲者のコメントに、「泥土の混沌なしに花が天空をさして咲くことはけっしてありえないはずだ」という印象的な言葉があった──もがき出てくるのに、さまざまな生命が呼応し、音楽が高まっていくが、池という生命の営まれる場にあるのは、調和ばかりではない。弦楽器の不吉なコル・レーニョが嵐の訪れを告げ、やがて猛烈な強風が、今にも咲きそうな蓮に吹きつける。そして池を囲む山から吹き下ろすかのような全オーケストラの下降音型に抗して、何とか頭を持ち上げて立とうとする蓮を表現する独奏ホルンとの葛藤が繰り広げられるのだ。
 それが頂点に達すると、時の流れが断ち切られたかのように、静寂が訪れる。そして、充実した、垂直的な高さをもった静けさが空間を満たすなか、独奏ホルンが柔らかに響く。そのときあたかも、蓮が茎を天空へ向けてすっくと伸ばしながら、今まさに己の花を咲かせようとする瞬間が、音となって響いているかのようだった。この作品の白眉とも言うべき「開花の時」である。その開花を優しく包むように音楽がしばし高まった後、静かに曲が閉じられると、一輪の花としてみずからを輝かせるに至る生命への共感に、会場全体が包まれたように見えた。
 ところで、細川俊夫はそのような蓮の生命の営みに、人間の生の営みを重ね合わせているようでもある。その生命も自己自身を表現する。そして、世阿弥の『風姿花伝』が示すように、その表現はしばしば花になぞらえられるのだ。この花としての表現が、泥土のなかからもがき出ることを、また激しい嵐のなかでも矜恃を保って初めてみずからを輝かせられることを、蓮の花をモティーフとしたこのホルン協奏曲は暗示しているのかもしれない。その矜恃とは、作曲家としての細川にとっては、自然と人間の今は失われた照応関係を、音楽のうちに求めようとする姿勢にほかならない。それを貫き、自然と一つになろうとする人間の祈り──細川によると、蓮の蕾は祈る人間の手に似ている──を音楽にする独自の語法を細川が完全に花開かせつつあることを、新作「開花の時」は示していよう。そのような作品が、ベルリンの聴衆に温かく受け容れられたことを、まずは心から喜びたい。そして、この作品ができるだけ早く日本で、とくに広島で鳴り響くことを願ってやまない。
 ちなみに、この優れて自己言及的な作品は、一つの約束が29年遅れで果たされたことを示すものでもある。1982年、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団創立百周年を記念する作曲コンクールに、細川は「プレリューディオ」で優勝したが、そのとき優勝者に与えられるはずだった委嘱作品の仕事は、複雑な事情で結局与えられずじまいだったのだ。奇妙なことに、ベルリンのジャーナリズムは、そのことに何ら言及していないようである。昨日の初演は、これから新聞紙上などでどのように報じられ、批評されるのだろうか。

※本記事は、以下のサイトに掲載されているサイモン・ラトル指揮ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の演奏会評の抜粋によって構成されています。
http://homepage.mac.com/nob.kakigi/RattleBPh_12022011.htm

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Hiroshima Happy New Ear第7回演奏会

 生まれて間もない音の世界に開かれる広島の新しい耳を祝福する現代音楽の演奏会シリーズ、Hiroshima Happy New Earの第7回の演奏会が、アステールプラザのオーケストラ等練習場で行なわれた。今回は、パリを中心に世界中で活躍する気鋭のクァルテットであるディオティマ弦楽四重奏団が、このシリーズの音楽監督である細川俊夫の二つの作品と、彼の友人でもあるヘルムート・ラッヘンマンの弦楽四重奏曲第3番「グリド(叫び)」を演奏した。古典的なレパートリーから現代作品まで幅広く手がけ、とくに現代の作品の演奏で高い評価を得ているというこのクァルテットが、これらの作品をどのように響かせるのか、非常に期待されたが、期待に違わぬどころか、それをはるかに超えた衝撃的な演奏だった。
 最初に演奏されたのは、細川俊夫の1998年の作品である「沈黙の花」。張り詰めた静けさのなかに、書の打ち込みのような一撃が時の亀裂をもたらし、その余韻から新たな響きが生成するのを基調としながら、やがて生命のエネルギーが横溢するかのような激しい展開が生じ、それが儚さを感じさせながら細い絹糸のような響きへ昇華されていく曲の流れを、ディオティマ弦楽四重奏団は深い奥行きをもって表現していた。それによって、沈黙を背に咲く花の変化する美が、人間の手では飼い馴らされえない生命の輝きとして、まざまざと立ち現われてくる。そのさまは妖しささえ感じさせるが、そこに同時に研ぎ澄まされた美も感じるのは、このクァルテットの演奏ゆえのことかもしれない。楽器の胴を弓で擦って息のような音を出すといった特殊奏法も、花の変化のただならぬ気配を感じさせ、非常に効果的だったように思うが、それもきわめて高い技術を要求されることは言うまでもないだろう。
 次に演奏されたのは、蓮の花をモティーフにした細川の最近の作品「開花」。変ロの持続音によって表わされる水面の上に蓮が花咲くに至るプロセスを、自己が花開いていく過程として、ゆったりとした、水面にたゆたうかのような時の流れのなかに表現するこの曲のなかには、天空から注ぐ月光に感応して、水底の泥土が蠢き、そこから伸びた蓮が水面から顔をもたげるのを表現した、非常に印象的なシークエンスがある。それをディオティマ弦楽四重奏団は、豊かな歌をもって表現していた。ただし、そこにある歌は、あまりにも人間的な歌ではない。むしろ蓮が天空へ向けて歌うのだ。細川がいわゆる歌に回帰するのではなく、人間ではない者たちにも声を返し与えるような新たな歌を模索していることを、今回の演奏は明快に示していたのではないだろうか。そして、そのような歌のうちに自己というものがあり、かつそれが他のものとの照応のうちにある、いやこの照応のうちにこそ自己が開花するというのが、この曲の主題の一つであろうが、そう考えるとき、「まぎれもない自己の生は〈他者〉との有機的な関係のなかにおいてあらわれるものであり、それは正しく個を越えたものである」という武満徹の言葉が思い出される。
 最後に演奏されたのは、イタリア語で「泣き叫ぶ声」を意味するGridoという語を標題にもつヘルムート・ラッヘンマンの弦楽四重奏曲第3番。泣き叫ぶことが、その際の全身の衝迫、さらには無意識の衝動に至るまで、弦楽器から音を出すあらゆる可能性を駆使して表現し尽くされたかのような凄い作品である。そのように、言わばミクロコスモスとしての一人の嘆きに沈潜することによって、それがマクロコスモスの広がりに連なるのが見いだされることを、ディオティマ弦楽四重奏団は、素晴らしい技術をもって完璧に表現していたと言ってよい。心の軋みのような衝撃から放出されるエネルギーが、まさに宇宙的な広がりのなかに駆け巡るさまを、全身が拉し去られるような速度感をもって響かせるあたり、瞠目させられるほかはない。そして、その運動が突如として停止するときの凄まじい緊張感。深い音響空間のなかで、運動と停止が間然することなく交互するのに、ただただ身を任せるほかはなかった。そして、心のうちにあるものすべてが堰き止められるかのような、暴力的とも言える停止とともに曲が閉じられるとき、全身が震えるかのような衝撃を味わった。
 今回の演奏は、弦楽四重奏という西洋音楽の最も凝縮された演奏形態の一つから、しかもその既成の演奏様式を越えたところから開かれる世界の底知れぬ広がりを体感させる、一つの事件とも言うべき衝撃的な出来事だったのではないだろうか。それに立ち会えたことを心から幸せに思っている。

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ベルリン放送交響楽団演奏会

 2月7日、岩国駅近くにあるシンフォニア岩国で開催されたベルリン放送交響楽団の演奏会を聴く。指揮は、このオーケストラの音楽監督を務めるマレク・ヤノフスキ。この組み合わせ、今から4年ほど前にベルリンのフィルハーモニーで聴いたことがある。そのときはR・シュトラウスのアルプス交響曲で、フィルハーモニーの舞台を埋め尽くす大編成のオーケストラが見事なアンサンブルを聴かせてくれたのだった。その記憶もあって楽しみに出かけた。
 プログラムはすべてベートーヴェンの中期作品で、最初に演奏されたのは「エグモント」序曲。ヤノフスキは、最近しばしば見られるように、ピリオド楽器での演奏を意識して弦楽器の人数を減らしたり、ピリオド楽器の奏法を取り入れたりはしない。フル編成のオーケストラをしっかりと鳴らしきる。それがむしろ小気味よいくらいだった。序奏部での弦楽器のユニゾンは、各セクションの緊密なアンサンブルと相まって、風圧が伝わってくるような響きで、そう、このような響きを聴きたかったのだ、と思ったくらい。とはいえ、緻密な構成力に定評のあるヤノフスキのこと、けっして豪放さを強調する方向へ走ることはない。バスがどっしりと座ったピラミッド型の音響をベースに、ダイナミクスの違いをきちんと描き分けていたのが印象的だった。そのバスが肺腑をえぐるようにクレッシェンドを主導するのが、この作品にはとくにふさわしく、主部のクライマックスの悲劇性をより深いものにしていたように思う。内声部のリズムの躍動感も素晴らしく、それが音楽に推進力を与えるとともに、壮麗なコーダをより感動的なものにしていたのではないだろうか。一曲目からして聴き応え充分であった。
 次にヴァイオリン協奏曲が演奏されたが、独奏を担当した樫本大進は、第二楽章まではとても小さく見えた。第一楽章では、オーケストラの響きの深さに、樫本の表現が拮抗しえていなかったように見える。独奏が登場する最初の上昇音型のパッセージからして、高音が今ひとつ輝かない。オーケストラがトゥッティで演奏するなかで弾くときなど、自分の音を引き立たせようとすればするほど、表現が縮こまってしまったように見える。細部に工夫の跡が見られるだけに惜しまれる。ようやくカデンツァに入って、解き放たれたかのように、伸びやかな音で素晴らしい技量を聴かせてくれた。第二楽章以降は、オーケストラの響き自体が少し薄くなることもあって、樫本の音は輝かしさを増したように思う。とくにフィナーレは、全体として感興と躍動感に満ちた演奏に仕上がっていた。ただ、緩徐楽章での樫本の表現はいささか表面的に流れた感があり、伴奏のオーソドックスなアプローチと対比して少しちぐはぐな印象を受けた。もしかするとそのあたりが、第一楽章で「小さく」なってしまった要因かもしれない。
 さて、休憩後に演奏されたのは第5交響曲。全体として、フォルテとフォルティッシモの音量を明確に区別しながら、引き締まった響きとテンポで全体を運んでいたが、実際に聴いているあいだは、そのような演奏として対象化されている印象はまったく受けない。あの単純な動機を積み重ねることで構成された音楽に自然に身を委せ、リズムの躍動を肌で感じ、それがクライマックスへ突き進むのに胸を熱くすることができた。そのように音楽そのものが伝わるのは、ヤノフスキとベルリン放送交響楽団の楽員が、このあまりにも知られた作品の内実を共有しているからだろう。両者は特別なことは何ひとつしていない。ただ、書かれている音をこの両者なりに音にしきっているだけである。そのことが、音楽そのものの構成によって生そのものの力強さと一体となったベートーヴェンの音楽として、聴衆の心を動かしうることを、あらためて実感させられた。とりわけ、内声部でリズムを刻む一音一音もおろそかにすることなく弾ききって音楽に献身する姿には心打たれる。また、全曲を通してファゴットが素晴らしい演奏を聴かせてくれた。これを含めたバスの声部が、一歩一歩大地を踏みしめながらクライマックスへとひた走る音楽の推進力とリズムの躍動感を支えていたことはいうまでもない。これほど堅固でありながら、音楽の喜びに満ちたベートーヴェンが聴けることは、めったにあることではないだろう。
 アンコールには、第8交響曲の第2楽章が演奏された。こちらは、先の曲よりも解き放たれた感じで、楽員たちもいっそう伸び伸びと演奏していたように見える。感興に満ちた素晴らしい演奏だった。
 これほどのベートーヴェンが聴けるのに、聴衆が少なかった(前二列くらいごっそり空いていた)のは非常に惜しまれる。また、この会場に海外のオーケストラが来るのは4年半ぶりとのこと。ホールの響きはそう悪くないだけに、これも寂しい気がしてならない。
 

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広島Van弦楽四重奏団第3回演奏会を聴いて

 広島交響楽団の弦楽器奏者で構成される広島Van弦楽四重奏団によるベートーヴェンの弦楽四重奏曲全曲演奏シリーズは、今最も楽しみにしている演奏会の一つである。ベートーヴェンの弦楽四重奏曲が16曲すべて演奏されること自体、きわめて稀なことであるうえ、その実演に接するなかでこそ、作曲家が弦楽四重奏曲という非常に抽象度の高い形式に込めた深い思索を、あるいは情熱やユーモアを、肌で感じることができるのだから。そして、回を追うごとにアンサンブルが成熟していくのに立ち会える喜びも、このシリーズならではのものであろう。
 去る5月18日に行なわれた第3回演奏会では、第4番(ハ短調作品18の4)と第13番(変ロ長調作品130)の二曲が取り上げられたが、とくに後者の変ロ長調の四重奏曲の演奏からは、アンサンブルの成熟が一つの充実した音楽に結実しているのを聴き取ることができた。アレグロの楽章では、後期作品の厳格な形式性を保ちながらリズムが躍動し、緩徐楽章では、豊かな響きのなかに深々とした歌が浮かび上がる。この第13番の演奏によって、四重奏団のベートーヴェンの作品へのアプローチも明確になったのではないだろうか。奇を衒うことなく、ひとつひとつの音をしっかりと響かせることによって、音楽そのものに語らせようとするアプローチ。それによってこそ、ベートーヴェンが弦楽四重奏のために書いた最も美しい楽章と言われるカヴァティーナが深沈と響くし、晩年の彼独特のほろ苦いユーモアも、皮相に流れることがない。
 情熱をもって各フレーズを明確に描き取っていく鄭英徳のヴァイオリンがひときわ印象に残るが、それを支える各声部の充実ぶりにも目を見張らされる。もう一歩踏み込んだ表現を求めたい箇所もないではなかったが、これほど完成度の高いベートーヴェン後期の弦楽四重奏曲の演奏に接することができたことを、まずは率直に喜びたい。また、広響の忙しいスケジュールの合間を縫って、ベートーヴェンの作品に真摯に取り組む四人に、心からの敬意を表したい。弦楽四重奏を志す者が一度は登ってみたいと思う険しく聳え立つ山の頂を、手を携えて目指す四人を応援しながら、16曲の弦楽四重奏曲を聴き通す歩みをこれからも続けようと考えている。

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「パウル・クレー──創造の物語」展

 祝日の月曜のことだが、佐倉の川村記念美術館で開催されていた「パウル・クレー──創造の物語」展を訪れた。「日本におけるドイツ年」の一環として開催されたこの展覧会は、デュッセルドルフのノルトライン=ヴェストファーレン美術館、ハノーファーのシュプレンゲル美術館、そしてヴッパータールのフォン・デア・ハイト美術館というドイツ北西部の3つの美術館のクレーのコレクションに、日本国内にあるクレーの作品を加えて展示するもの。クレーの故国スイスに並ぶとされるこれら3つの美術館の充実したコレクションを中心に構成されたこの展覧会は、最初期の風刺的なエッチングから、最晩年の、まったく無駄のない画面構成のなかに暖かな静謐さを感じさせる作品まで網羅することによって、画家としてのクレーの仕事を一望させるばかりでなく、5つのテーマのもとに作品を配することによって、クレーの創造の核心にあるものへも迫ろうとしていた。
 「光の絵」と題された第1部は、1910年代までの初期の作品によって、クレーがモノクロームの世界を脱して、光に満ちた世界を色彩的に構成し始めるに至るまでの作風の変遷を描き出していた。それが示すのは、神の世界創造の原理でもある光を、クレーが最初期から追求していることである。風刺的なエッチングに取り組んでいた若きクレーは、黒の描線によって地上の現実を照らし出す光を画面にもたらそうとしていたのだ。その光は、苦い鋭さを放ちながら、人間社会の矛盾を歪んだ寓意像のかたちで抉り出す。世俗の王冠を前に身をかがめる一方で、他人を前にしてはみずからの優位を主張するといった人間の醜悪さをアイロニーとともに浮かびあがらせるクレーの「作品1」の版画集「インヴェンション」は、ゴヤの「ロス・カプリチョス」と比べて見たらどのように映るだろうか。
 そのように苦渋に満ちたまなざしと鋭い黒の描線をもって人間社会の矛盾を照らし出す光を追い求めていたクレーは、1910年代には、光に満ちた世界を、水彩で色彩豊かに、かつ抽象的に構築し始める。ロベール・ドローネーの作風に触れたこと、そしてよく知られているチュニジアでの光の啓示は、人間社会の深奥へ突き入っていたクレーのまなざしを、豊かな光彩と広がりをもった世界へ向けて開いていったようだ。そしてクレーは、線描画家から、そのような世界を画面のうちに色彩をもって再創造する画家に変貌することを決意したのかもしれない。神が世界を創造する光の強烈な放射を、力強い線の動きと一体となった色彩によって描き出そうとする「はじめに光ありき」は、そのマニフェストのようにも見える。
 「自然と抽象」と題された第2部は、クレーにおける経験的な自然の観察と抽象的な画面構成の緊密な関係に焦点を絞るものであった。経験的な世界の要素の幾何学的なものへの抽象ではなく、世界を経験的なものとして成り立たせている世界そのものの躍動を画面上に構成し、可視化するクレーの抽象は、絵画空間のなかに時間的な動きをもたらすにちがいない。クレーの絵に音楽があるのは、一面ではそれが時間を絵にしているからではないだろうか。
 この音楽を一枚の譜面にも見えるようなかたちに構成しているように見えるのが、「駱駝(リズミカルな樹々の風景のなかの)」である。赤を基調とする柔らかで暖かな色彩のなかに駱駝のようで駱駝に見えない動物の姿が溶け込んでゆくなかから、いくつもの声部と拍子をもった音楽を鳴り響かせようとしているかのようだ。また、これも赤を基調とした絵であるが、「バラの庭」においては、ひとつひとつの形態の動きと画面全体の色彩の諧調が見事に結びついていよう。そこでは、石積みの建築物の石の隙間から力強く花を咲かせ、光を放射するようなバラの花が、暖かな光によって照らし出された石の建築物によって覆われた風景に動きを与えている。バラが一輪また一輪と咲くなかで、石の階梯が色の諧調をなしているのである。
 クレーは、このように音楽を聴き出すようにして自然の生命へまなざしを注ぎながらも、同時代の社会的現実からけっしてまなざしを逸らしてはいない。第一次世界大戦による物心両面での破壊の悲惨さを一つの風景に凝縮させたかのような「破壊された街」は、このことを証し立てるものだろう。蝋燭の希望の灯が消えてしまった世界を、真っ赤な太陽がじりじりと照らし、廃墟を剥き出しにするさまを描くこの絵は、慰めなき世界を凝視するクレー自身のまなざしも同時に描いているのかもしれない。これと好対照をなすのが、暖かな光で照らし出された空間のなかに古代ギリシアの円柱を思わせるような建築物の断片を配し、瓦礫から何かが少しずつ造り上げられようとしていることを感じさせる「再構築」だろうか。
 ところで、自然の形態と画面の構成とが見事に結びついた作品として、もう一枚「蛾の踊り」にも触れておきたい。虫とも鳥ともつかない形態を浮かびあがらせ、その羽根の動きを描き出す震える線の動きが、青を基調とする画面全体の色彩の配置と緊密に結びついている。中心に描かれた生き物の踊りが空間を響かせているかのようだ。
 第3部は「エネルギーの造形」と題して、自然の事物が内側から自己を生成させる生命の躍動を画面上に描き出すクレーの創造を作品によって照らし出そうとしている。この第3部では、2枚の対照的なモノクロームの絵に魅かれた。1枚は「螺旋状にねじれた花II」。画面の右上、右下、そして左下から伸びてくる線をたどってゆくと、闇のなかに密やかに咲く花の形態に行き着くが、その花を描き出す螺旋状の線は、別の花ともつながっている。暗闇のなかで静かに応えあう生命のいとなみを描き出すようでいて、画面全体は闇のなかへ沈み込みながら、見る者の心を静め、沈思へと誘う。この闇のなかに沈潜してこそ、自然の生命に耳が開かれるのかもしれない。
 もう1枚のモノクロームの絵とは、死の前年に描かれた「シュユップ」という奇妙な画題をもった作品。魚類や爬虫類の鱗を思わせる形態が画面を覆い、嵐のように渦巻いている。その荒々しい動きは、「皮膚硬化症」と診断されたクレー自身の身体に現われた病魔の動きから見て取られたものであるという。病に苦しみながらも、自分自身の身体を蝕んでゆく自然の動きと対峙し、それを描き取ろうとする画家としてのクレーの姿が、その苦悩とともに伝わってくる作品。
 「イメージの遊び場」と題された第4部に配された作品はどれも、震動しながら既成のさまざまな境界線を揺り動かし、空間のなかに「遊び場」を開くクレーの線の魅力を発揮している。見ていて笑みを浮かべずにいられないような作品が多い。「窓辺のマリオネット」という作品に描き出されているのは、E・T・A・ホフマンの「砂男」に登場する窓辺の自動人形のようだ。柔らかな紫を基調とする色彩の諧調に包まれるなか、人形が涙を流し始めているようにも見える。「赤い鳥の物語」においては、線の動きがさまざまな生き物の形態への想像をかき立てる。画面の右上に描かれた赤い鳥(のような生き物)は、これからどのような生き物と出会うのだろう。鯨だろうか。それとも自分の何倍も大きな鳥だろうか。
 最後の第5部は、晩年のクレーの作品の画面を「物語る風景」として提示している。病魔に冒され、自由が利かなくなったクレーの手が、けっして直線的にではなく、緊張に満ちた震えを孕みつつ、行きつ戻りつしながら、あるいは線と線を縺れ合わせながら描く線。それは空間と時間を多層的に分節しながらイメージを産み出し、見る者に語りかけてくる。それは線が文字を思わせるようなかたちで空間を区切っているからかもしれない。そのような文字がイメージと、さらには画面全体の色彩の諧調と見事に結びついている作品として、「石板の花」を挙げておきたい。薄緑の石に刻まれたさまざまな記号が、花を咲かせるように、赤や青の色を帯びて浮かびあがる。しかし、記号をかたちづくる線そのものは、硬い石のなかへ沈み込んでゆくようにも見える。色と線の緊張。これが画面に独特の静けさをもたらしているのではないか。そして、静けさのなかで有機質の音と無機質の音が応えあっているかのようだ。
 そう、晩年のクレーの作品はどれも静けさによって貫かれている。ただし、その静けさは、冷えきった静けさではない。どこか暖かさを感じさせる静けさである。そして、その暖かさをもたらしているのは、時に生命あるものへの優しいまなざしであったり、時に醜悪な人間の生きざまをアイロニーを交えつつ受けとめようとするまなざしであったりするのだろう。とはいえそのまなざしも、自分自身へ向かうときには、厳しさを増しているように思われる。寓意的な自画像のように見える「忘れっぽい祝宴の席もはててから」の画面においては、晩年のクレーがしばしば手がけた天使像を思わせる形象が、自分自身へと沈潜している。そしてその姿は、寒色を基調とする硬質の静けさのうちに静止している。自分自身を厳しく見すえるクレーの透徹したまなざしを感じさせる作品である。
 最後に置かれていた死の年の「隣の家」は、クレーの現世への別れの挨拶のようにさえ見える。そこでは、隣の家へ遊びに行く子どもとなったクレーが、彼岸への扉を開こうとしているのではないか。落ち着いた緑と茶を基調としながら、微妙にちがった色を格子状のブロックに配することで、家々とその背景を構成する画面は、静かな暖かさに満ちている。クレーは、自分のこれまでの生きざまを受けとめながら、彼岸へ赴こうとしているのだろうか。
 このように、暖かな静けさによって貫かれているのは、もしかすると何も晩年の作品だけではないのかもしれない。振り返ってみると、今回の展覧会で見たクレーの絵のなかに、騒々しく自己主張したり、居丈高になったりするものは一枚もない。何よりもまず静けさによって貫かれているからこそ、クレーの画面は、何かを響かせ、語りかけてくるのではないだろうか。その無調の響きの源にある静けさ。それをもたらしているのは、クレーの透徹した耳をもった眼、生命の囁きを聴き取るまなざしであろう。それは彼の創造の核心をなすものの一つではないだろうか。今回訪れた「パウル・クレー──創造の物語」展は、初期から晩年までのクレーの優れた作品を数多く見せてくれるばかりでなく、このようなクレーの創造の核をなすものにまで思考をいざなう展覧会だったと言えよう(以上、http://homepage.mac.com/nob.kakigi/Paul_Klee_17072006.htmより抄録)。
 ちなみに川村記念美術館は現代美術の充実したコレクションを誇っていて、なかでもマーク・ロスコの作品は独立した部屋を設けて展示してある。底なしに深い黒や赤が塗りこめられた作品が立ち並ぶその部屋に足を踏み入れると、自分を吸い込むものが迫ってくるような感じがして眩暈をおぼえる。クレーの絵を見るのとはまったく対照的な経験であった。それ以外では、シャガールの大きな油絵も印象的。東京の中心からはかなり離れてはいるものの、何か展覧会があるごとに足を運ぶ価値のある美術館の一つである。

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「モーツァルト・イヤー」の幕開けに

 昨晩と今晩、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の「ジルヴェスター・コンサート」とヴィーン・フィルハーモニー管弦楽団の「ニューイヤー・コンサート」の両方を、衛星中継で最初から最後まで見てしまった。ほかに取りたてて見るべきものがないとはいえ、暇なことと言うべきか、物好きと言うべきか。
 今年がモーツァルト生誕250年の記念の年だということで、どちらの演奏会でもそれぞれ独自の趣向でモーツァルトの作品が取り上げられていたが、奇しくもと言うべきか、どちらの演奏会でも「フィガロの結婚」の序曲が演奏されていた。ベルリン・フィルの大晦日の演奏会は、日本の時間ではすでに年の明けた深夜に中継されたので、日本でそれを見ていた人にしてみれば、「モーツァルト・イヤー」はサイモン・ラトルの指揮するベルリン・フィルによるこの序曲の演奏をもって幕を開けたことになる。
 ラトルによる「フィガロ」の序曲の解釈は、どちらかというと遅めのテンポのなかで、ピリオド楽器による演奏を思わせる鋭いアクセントや楽譜に印刷されていないダイナミクスの変化を細かくつけて、モダン楽器によってモーツァルトの音楽に清新な息吹をもたらそうとするもの。リズムがきびきびと躍動しているので、遅めのテンポとはいえ音楽はけっして停滞しないし、第二主題も、茶目っ気を醸し出しつつエレガントに歌わせている。しかしながら、こうした委曲をつくした表現が上滑りしてしまっている感も否めない。演奏会の中ほどで取り上げられた「プラハ」交響曲の演奏を聴いたときにも思ったのだが、ラトルの解釈は、モーツァルトの書いた音楽に潜在するダイナミズムや魅力を発見させる箇所も多いのだが、同じように細かくダイナミクスやテンポに変化をつけるアーノンクールやヴェーグの解釈ほどには説得力を感じさせないのだ。オーケストラの編成が大き過ぎて、響きを引き締めきれなかったこともあるのかもしれない。ちなみに、エマニュエル・アックスを独奏に迎えた「ジュノーム」協奏曲の演奏では、凝った伴奏がピアノ独奏の平凡さを引き立てていた。
 これに対して、マリス・ヤンソンスが指揮するヴィーン・フィルによる「フィガロ」の序曲の演奏は、速めのテンポによる正攻法のもの。ヤンソンスは、しっかりと組み立てられた響きのなかでリズムを躍動させ、音楽を前へ前へと運んでゆく。そのように推進力に富んだ音楽の運びは、聴いていて爽快ではあるが、猪突猛進気味の感もなくはない。細かい表情は、ほぼ各奏者の自主性に任されているようで、そのため音楽の優美さは後退していた。ヤンソンスという指揮者は、誠実で質実剛健な音楽の組み立てのなかで躍動感と推進力に富んだ音楽の運びを示し、オーケストラを豪快に響かせるのは実に巧みだけれども、瀟洒なメロディを細やかに歌わせるのはあまり得意ではないのかもしれない。ワルツよりポルカの多い選曲はそのせいかしらん。しかし、今回の「ニューイヤー・コンサート」の選曲が、忘れられていた曲と有名な曲を巧みに織りまぜた、聴き手を楽しませてくれる選曲だったのも確かである。とくにヨーゼフ・ランナーの「モーツァルト党」を聴けたのは嬉しかった。この曲、今年一年アンコール・ピースなどとして世界中でヒットするのではないだろうか。
 それにしても、ラトルとベルリン・フィルによる「フィガロ」の序曲の演奏にしても、ヤンソンスとヴィーン・フィルによる同じ曲の演奏にしても、らしからぬ乱れ(前者では冒頭に奏者の勘違いとおぼしき乱れが、後者では曲の終わりに指揮者の意図とオーケストラの意図のずれが聴かれた)があったのはどういうことだろう。今年一年の多難の予兆でなければよいのだけれども。この「モーツァルト・イヤー」はむしろ、ベルリン・フィルの演奏会で最後に取り上げられた「フィガロ」の最終場面の演奏においてひときわ強調されていた謝罪と赦しが人びとの新たな絆を築き、それがこれまでの苦難を乗り越える礎となる年になってほしいものである。

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2005年演奏会回顧など

 先ほど広島市内の映画館で久しぶりにゴダールの「勝手にしやがれ」を見た。スクリーンで見られるのはこれが最後とのこと。この映画の終わり近く、惹かれあいながらすれ違い続ける二人の心を一瞬通い合わせるかのように流れるのが、モーツァルトのクラリネット協奏曲。そう言えば来年はモーツァルト生誕250年の記念の年である。1年を通していやというくらいモーツァルトの作品を聴くことになるかもしれないが、それに新たな生命を吹き込む演奏に出会えるだろうか。
 さて、今年聴いた演奏会を、日本国内で聴いたものにかぎって振り返ってみると、最も大きな感銘を受けたのは、2月に京都コンサートホールで聴いた、ヘルベルト・ブロムシュテット指揮のライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団の演奏会。このコンビによる最後のツアーということになったが、それまで両者がいかに緊密な関係を築いてきたかを実感させてくれる、説得力あるブルックナーの第7交響曲の演奏を聴かせてくれた。木造りの教会建築の味わいをもった、暖かくてどっしりとしたゲヴァントハウス管弦楽団の響きのなかに、作品の造形を無理のない流れのなかに浮かびあがらせようとするブロムシュテットの解釈が浸透していたように思う。ドレスデン国立管弦楽団との録音(DENON)より雄大なスケールをもちながら、けっして清新さを失うことのない第7交響曲の演奏であった。
 4月にはアクロス福岡で、ブロムシュテットとゲヴァントハウス管弦楽団のコンビとはある意味で好対照をなす、ミシェル・プラッソン指揮のパリ管弦楽団の演奏に触れることができた。とりわけドビュッシーの「海」では、パッセージごとに細かく表情をつけたり、ひと区切りごとにわずかな間を置いたりといった細工が、波の自然なたゆたいやさざめきを感じさせることに見事に結びついていたように感じられる。プラッソンの言わば芸人としての巧みさと、パリ管弦楽団の柔軟さとが呼応しあうなかから、気品ある遊びを含んだ響きが聴こえてくるのに、文字どおり酔わされた。
 秋には、すでにこの欄でも紹介したように、まず9月に倉敷市民会館で、大野和士指揮のベルギー王立歌劇場管弦楽団の演奏会を聴くことができた。大野の最近の充実ぶりを感じさせる、堂に入ったラヴェルとマーラーが印象に残る。10月には、岡山シンフォニーホールでのリッカルド・ムーティ指揮のヴィーン・フィルハーモニー管弦楽団の演奏会も訪れた。引き締まったリズムが躍動するなかから、シューベルトならではの歌が広がってゆく。シューベルトの有名な2つの交響曲に若々しい情熱を吹き込むとともに、最近の両者の相性のよさも印象づける演奏であった。
 広島で聴いた演奏会のなかでは、7月の被爆60年を記念した「未来への追憶」と10月のオペラルネッサンス公演が忘れがたい。前者では、細川俊夫の「ヒロシマ、声なき声」が圧倒的な印象を残した。被爆の凄惨さが新たな音楽言語をもって、言わば内側から抉り出された後に、平和への祈りが自然の静けさと溶けあってゆく。後者では、プッチーニの「三部作」のうち、「修道女アンジェリカ」と「ジャンニ・スキッキ」が取り上げられたが、人間の生をその全幅にわたって舞台上にすくい上げようとする演出と、歌手たちの力演が一体となっていた。いずれも、なぜ今広島でこの作品なのか、という問いに真摯に向きあうなかからつくり出された演奏会だったし、何よりもそのことが成功につながっていたと考えられる。
 モーツァルト生誕250年の年には、まずは、なぜ今モーツァルトのこの作品なのか、という問いに対する何らかの答えを含んだ演奏を聴いてみたい。そうした演奏であってこそ、モーツァルトの音楽に新たな生命を吹き込むことができるのではないだろうか。

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音楽書二題:ベルリン歌劇場史とショスタコーヴィチの評伝

 最近読んでみて面白かった音楽書を2冊紹介しておきたい。1冊は、菅原透の『ベルリン三大歌劇場──激動の公演史』で、もう1冊は、ローレル・E・ファーイの『ショスタコーヴィチ──ある生涯』(藤岡啓介/佐々木千恵訳)。どちらも、アルファベータという音楽書を中心に重要な文献をいくつも世に送り出している出版社の「叢書・20世紀の芸術と文学」シリーズの中の1冊である。2冊ともかなりの大部で(とくにファーイの『ショスタコーヴィチ』は、本文が2段組みで350ページ以上ある)読むのに骨が折れたが、その労に見合う読みごたえがあったのも確かである。
 現在ベルリンでは、ウンター・デン・リンデンの州立歌劇場、ドイツ・オペラ、コーミッシェ・オーパーという三つの歌劇場が競い合っているが、菅原透の『ベルリン三大歌劇場』は、ドイツ・オペラの前身である市立オペラ、もしくは今は失われた、コーミッシェ・オーパーのモデルとなった二つの歌劇場、当初王立だったリンデン・オーパー、そして今はその伝説だけが残っているクロル・オーパーの、それらが第二次世界大戦末期の空襲で焼失するまでに至るおもに20世紀の激動の公演史を、詳細に、また生き生きと描き出した好著である。やや歴史小説風の語り口には好みが分かれようが、舞台上でどのような公演が繰り広げられ、またその裏でどのような綱引きがあったのか、実に小気味よく描かれている。1929年頃にベルリンのイタリア大使館で撮影されたとされる、ブルーノ・ヴァルター、アルトゥーロ・トスカニーニ、エーリヒ・クライバー、オットー・クレンペラー、ヴィルヘルム・フルトヴェングラーという5人の、今となっては伝説的な指揮者が顔を揃えた写真があるが、当時ベルリンでこの5人が、リンデン・オーパーで、市立オペラで、クロル・オーパーで、あるいは一大ブームを巻き起こしたイタリアからの客演者として、実際にどのように活躍していたのかが、膨大な資料を駆使してドラマティックに浮かびあがっているし、またその裏でリヒャルト・シュトラウスが、作曲家として、また指揮者として、いかに巧みに立ち回っていたのかも細かく記されている。当時の公演プログラムやポスターの図版、そして舞台写真を交えながら、これらの指揮者と協働した演出家や舞台美術家の演出のありようが、生き生きと描かれているし、今やそのほとんどが忘れ去れてしまった戦前の重要な歌手たちの活躍ぶりが、写真を交えて描かれているのも、資料として実に貴重である。とはいえ何よりも興味深かったのは、斬新な舞台で当時賛否両論の渦を巻き起こし、アドルノも擁護の評を寄せた「フィデリオ」の公演で知られる、クロル・オーパーの公演史である。今は跡形もないが、1920年代の終わりには、当時の新しい芸術運動の一大拠点であったこの歌劇場の苦難の歴史が、当時その音楽監督だったクレンペラーの活躍を中心に詳細に描き出されているのに、初めて触れることができた。その歴史は、新しい芸術運動を発信する媒体としてオペラを考えようとするとき、つねに参照されなければならないはずである。
 ところで、2006年に生誕100年を迎えることになる作曲家ショスタコーヴィチの新しい評伝、ファーイの『ある生涯』は、同時代人の自伝や手記、語録、書簡など、集められるだけの資料を駆使して、多角的な視点からショスタコーヴィチの生涯の各局面をつぶさに描き出している。それによってファーイの評伝は、たとえばソロモン・ヴォルコフの『証言』が浮かびあがらせるように「反ソヴィエト的」であるとかいった、強いイデオロギー的色彩をもったショスタコーヴィチ像が突出させるのを避けることができているばかりでなく、彼がソヴィエト政権時代を生き抜くことを可能にした、彼の多面性をまんべんなく浮かびあがらせることにも成功している。また、彼がムラヴィンスキー、オイストラフ、ロストロポーヴィチといった音楽家たちとどのように交わり、作品の初演を準備したか、あるいは第4交響曲の場合のように、初演を取り下げたか、といったことが細かく描かれているのも興味深い。今挙げた第4交響曲が代表するように、ショスタコーヴィチは、一面で交響曲をはじめとする既成のジャンルを限界にまで追いつめるアヴァンギャルドであり続けようとした。しかし、同時に他面では、けっしてそうしたジャンルも、それをメロディによって構成することも、けっして放棄しなかったし、十二音技法にも反対し続けた。そうしたショスタコーヴィチ自身の両面が、1930年代と40年代に訪れた危機が代表するように、彼をソヴィエト政権と衝突させたし、政権の求める作品を書いてこれらの危機を切り抜けることも可能にしたのだ。そのように、彼が二枚舌であったが、それでも同時に一枚舌でもあり続けたことを、ファーイは、同時代人にも証言させながら、多角的にかつ一本筋の通った仕方で描き出している。そのことがこの評伝に、ずしりとした読みごたえをもたらしているのだろう。もちろんそこに時代の重いドキュメントが詰まっていることも間違いない。
 さて、ここに紹介した2冊の音楽書、巻末の資料も実に充実している。菅原透の『ベルリン三大歌劇場』には、クロル・オーパー、市立オペラ、リンデン・オーパーの詳細な公演記録が収められているし、ファーイの『ある生涯』(ただし改訂新版のみ)には、評伝に登場した人物を紹介した人名事典が収められている。これらの資料にも、これからたびたび教えられることがあるにちがいない。

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