ヴィーンへの旅:2012年3月29日

 今日は曇って肌寒い。昨日までの晴天とは対照的だ。朝食の後、美術史美術館へ向かう。朝のうちは絵画のギャラリーは観光客の団体でごった返すので、まず古代エジプトやギリシア、ローマなどの美術品を見る。ギリシアのアンフォラの一つに、オレステスとエレクトラによるアイギストス殺害の場面があったのに目が留まった。ここでもクリムト生誕150周年ということで、彼が手がけた壁画を、特設の橋に上って近くから見られるようになっている。若いクリムトによる古代エジプトからルネサンスまでの各時代および時期の美術の美しい寓意。
 絵画では、まずジョルジョーネによる若い女性の肖像画や謎めいた若い戦士の肖像画の静けさに惹かれる。アルチンボルドによる「水」の寓意画は、彼が事物のモンタージュによって構成した顔のなかで、おそらく最もグロテスクだろう。顔のなかで無数の魚と海獣が口を開けている。カラヴァッジョでは、「薔薇の冠の聖母」のような大規模な作品よりも、ゴリアテの首を摑むダヴィデの像のような中規模の作品に彼らしさが強く表われているように思われる。
 美術館内のカフェで軽い昼食をとった後で見たフランドルとオランダの絵画では、何と言ってもロヒール・ファン・デル・ウェイデンによる十字架の祭壇画が素晴らしい。風景描写、人物の造形、そして哀しみの表現が、どれも研ぎ澄まされて静謐な画面の完璧な構成に結晶している。この祭壇画と並んで、ハンス・メムリンクの慈愛に満ちた祭壇画が置かれていたのが非常に興味深かった。こちらも前者に劣らず魅力的だ。柔らかな光景のなかに、慈しみそのものと言えるような聖母子像が静かに浮かび上がる。事物の質感を醸す細部の緻密な表現も優れている。
 この美術館が誇るブリューゲルのコレクションは、本当に見飽きることがない。共感に満ちた観察眼によって、愚かですらあるような人々の生きざまが躍動する。今回は「農民の結婚式」を描いた一枚がとくに魅力的に思われた。フェルメールの「絵画芸術」の寓意は、ある瞬間を永遠の相の下に描く彼の芸術の完成された姿を示すものの一つだろう。どこまでも緻密に描き込まれた画面のなかで、天使に仕立てられたモデルの服のラピスラズリによる服の青と唇の金色の一点が、窓からの光に映え、画家のアトリエの光景を開く。それと前景の重みのあるカーテンの対照も非常に巧みだ。レンブラントでは、後期の息子ティトゥスの肖像が魅力的だ。今回、万霊節を描いた大規模な作品をはじめとして、デューラーの作品を数多く見られたのも嬉しかった。ヴェネツィアの女性の肖像はとくに傑作と思う。
 部屋で少し休んだ後、夜はコンツェルトハウスにてハーゲン弦楽四重奏団の演奏会を聴く。前半は、ベートーヴェンの第6番の弦楽四重奏曲とヴェルディの歌劇「ルイザ・ミラー」からの数曲を弦楽四重奏に編曲したもの。ベートーヴェンでは、冒頭の楽章でヴァイオリンのルーカス・ハーゲンの音が、音程が定まらないままひっくり返ることが何度かあって、おやと思わされたが、全体的にはこの作品を特徴づける長調と単調の対比を見事に生かした演奏だったと思われる。沈み込むような単調の響きから、生気に満ちた長調の旋律が浮かび上がってくる瞬間の美しいこと。とくにフィナーレは、何度繰り返される沈欝なアダージョと、沸き立つようなリズムのアレグロとの対比が際立って、とても魅力的だった。ヴェルディの弟子というエマヌエーレ・ムズィオなる作曲家による、ヴェルディ中期の「ルイザ・ミラー」のいくつかのナンバーの編曲は、思ったよりも楽しめた。アリアの旋律の魅力と、その伴奏のオーケストレーションのツボを抑えたと言ってよい編曲で、旋律とリズム双方の躍動感がよく引き出されている。ヴェロニカ・ハーゲンのヴィオラの柔らかな音が旋律を担当するとき、とくに曲が魅力的に思われた。
 休憩の後は、モーツァルトの「ホフマイスター」弦楽四重奏曲。ヴァイオリンとヴィオラのための変ロ長調の二重奏曲の変奏曲の旋律に似た、カノン風の旋律の掛け合いが、非常に親密な雰囲気を醸すのと、アダージョで清澄な世界がどこまでも広がるのとの対照が素晴らしく、インティメートな室内楽を掘り下げることで作品の精神に近づこうとするこの四重奏団のアプローチが、見事に生きた演奏だったと思う。澄んだ響きのなかにモーツァルトの音楽の様式性が自然に生きているのも素晴らしい。ハーゲン弦楽四重奏団は、カメラータ・ザルツブルクとともに、モーツァルトの演奏の伝統を、絶えず新しい息を音楽に吹き込みながら今に伝えている、貴重なグループの一つと言えよう。アンコールは、おそらく同じ作曲家によるヴェルディのアリアの編曲もの。これも軽やかな旋律とリズムの躍動が生きた魅力的な作品と演奏だった。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

ヴィーンへの旅:2012年3月28日

 ボッシュの「最後の審判」の祭壇画を見ようと造形芸術アカデミーの美術館へ出かけるが、折悪しくちょうど今日から修復のために見られないとのこと。それ以外の絵はそれほど魅力的ではないが、ライスダールの風景画を、人物像の交じった初期から晩年までいくつか見られたのは嬉しかった。とくに橋のある冬景色の絵は、小さいながらよい作品だと思う。あと見るべきところがあると思われたのは、レンブラントの初期作品くらいだろうか。
 少し南に下って、ナッシュマルクトをのぞいてみるが、オーストリアの人が経営している露店はもうほとんど見られず、トルコ人などが経営する、ファスト・フードを兼ねたものが多い。どうやら観光客向けの市場に変わったようで、客引きの声が煩わしい。オリーブを少し買い求めて出た。昼食は市場のなかの食堂ではなく、近くに見つけたサイゴンというヴェトナム料理屋にて。鶏肉のフォーを食べたが、なかなかよいスープの味。タピオカのデザートも付いて7ユーロ足らずならまずまずだ。
 午後はグラーベンやコールマルクトあたりの街路を散策するが、それにしても観光客が多い。コールマルクトのデーメルで、ザッハートルテを食す。以前は、この甘いケーキにさらに生クリームなんて、と思っていたが、凝縮された甘さのトルテにクリームを付けると、甘味がまろやかになって食べやすい。刺激的なまでに甘いところも一つの魅力ではあるのだけれども。それ以外に、菫の花弁を砂糖漬けにしたものも買い求めた。その後、部屋に帰ってしばらく休んだ。無意識の欲動がじわじわと染み出てくるさまを描くシュニッツラーの掌編を読む。
 夜は国立歌劇場でバレエの公演を見る。演目は、トルストイの『アンナ・カレーニナ』をチャイコフスキーの音楽に乗せてバレエに仕立てたもの。ボリス・エイフマンという人の構成と振り付けによるもので、人物の心理を鋭く抉り出す舞台として、すでに評判で、東京の国立劇場でも取り上げられるとか。チャイコフスキーの音楽からは、弦楽セレナードや「悲愴」や「マンフレッド」の交響曲からの一部、数曲のバレエ音楽などが演奏された。少し粗いところや管楽器のミスが耳に付いたが、オーケストラは迫力のある演奏を聴かせていた。ダンサーのなかでは、アンナと恋に落ちる将校ヴロンスキーを演じた青年が魅力的だったように思う。それにしても、バレエの観客はなぜこうも行儀が悪いのか。カーテンコールで口笛を吹くばかりか、フラッシュをたいて写真を撮る。オペラではそういう客は見かけないのに。
 帰りがけ、劇場の近くのレストランで軽い夕食。焼いたソーセージのほか、ターフェルシュピッツをマリネにした一品を食べるが、これがまずまずの味。店付きの老音楽家がツィンバロンで「さくらさくら」など日本の歌を弾いてくれたが、これは要らないサーヴィスだった。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

ヴィーンへの旅:2012年3月27日

 それにしてもよい天気だ。日差しが眩しい。今までヨーロッパで体験したことのない春の陽気である。公園の緑が映え、若者たちが座っておしゃべりを楽しんでいる。今日の午前中は、ベルヴェデーレ宮殿の上宮で、クリムトやシーレの作品を中心に絵を見る。かつて下宮に展示されていた近代絵画や中世の美術がすべて上宮に移ってきたせいだろうか、以前よりもクリムト作品の展示は縮小されていたように思う。彼の生誕150年の記念の年だというのに奇妙なことだ。あの「接吻」だけが赤い特別の壁に掛けられて、展示室の真ん中あたりに据えられていて、そこに観光客の人だかりができている。
 クリムトの作品では、絵画と工芸の融合を成し遂げたいわゆる黄金期の作品よりも、身体の運動性が高まるとともに新たな色彩表現が模索される晩年の作品のほうが魅力的に思われる。「アダムとイヴ」そして未完に終わった「花嫁」あたりは、身体表現と色彩表現が生気を帯びながら融合している。そしてより率直な喜びを感じられる。  昼時に観光客が減ったところで「接吻」をよく見てみると、女性の黄金の衣服の裾から藤の花か下に垂れる木の葉のようなものが垂れ下がっているのが目に付いた。そこに注目しているうちに、この作品が、男女の至福に包まれた瞬間というよりは、自然と人間、そして美術と工芸の結合を象徴しているように思われてくる。もしかするとこれは、ユーゲントスティルそのものの寓意でもあるのかもしれない。同じ部屋には、「水蛇」や「フリッツァ・リードラーの肖像」など、黄金期を代表する作品のほかに、美しい風景画──とくに農家の庭を描いたものなど、花々が実に生き生きとしている──もいくつかあって、それを見ているうちに一つ気がついたことがあった。アッター湖畔の風景を描いたものが一点あったのだが、それを見ると湖畔には木々の緑が豊かに生い茂っている。そうすると、昨日レオポルド美術館で見たアッター湖の水面を描いた絵の緑がかった青は、木の葉の緑が水面に映った色なのかもしれない。それにしても、まさに世紀末に描かれた「ソーニャ・クニプスの肖像」のアウラのような香気は何なのか。
 しかし、今はクリムトよりもシーレの絵のほうに惹かれる。「四本の樹」の日没の表現は、色彩の階層的配置が画面全体の深沈とした雰囲気を醸し出して実に美しい。土に染み込むような夕映えのなかに、シーレが生命の蘇生にも見立てる木々の枝が夕日に黒く映える風景の少し張りつめた静けさ。岩が剝き出しとなった慰めのない光景のなかに人の命の儚さが象徴される「死と乙女」では、すでに石のような死神に捕らえられた少女もまた石化していくかのようだ。最晩年の家族の肖像が示す哀しみに包まれた喜びを前にすると、言葉を失わざるをえない。廂を色彩の配置によって構成しながら壁面の質感を執拗なまでに追究した「家の窓」も魅力的に思われた。これも哀しみに包まれた母子像も、たしかに聖母子像をモデルとしている点に注目するなら瀆神的かもしれないが、神に見放された世界で命をつなぐことの苦悩を切々と伝えて感銘深い。こうした生の苦悩を鋭く抉り出しながら慈しみにも満ちたシーレの表現を前にすると、ココシュカの人物表現などは逆に表面的に思われる。たしかに彼がプラハの風景をパノラマ的に描いた作品など魅力的ではあるのだけれども。
 これら以外には、カスパー=ダフィート・フリードリヒが霧のなかの海や砂岩の山並みを描いた風景画が、無限に続く奥行きを穏やかに示していて美しく思われたし、キルヒナーが山並みの風景を描いた作品も、彼の様式の成熟が画面の魅力に結びついているように感じられた。団体の観光客がぞろぞろと歩いていて騒々しかったので、それ解放されてほとんど誰もいない中世美術の部屋でゴシックの木彫や祭壇画を眺めていると、妙に心が落ち着いた。  ベルヴェデーレを後にして、宮殿のすぐ向かいにある、店の人が言うには「シャロン・ストーンも来た」というシルク製品の工房で、クリムトの「花嫁」の絵をプリントしたスカーフを妻のために買った後、電車を乗り継いで、昨日行ったのと同じアルト・ヴィーンでクラーシュの昼食。牛肉が良く煮込んであって美味しいのだけれど、スープが少し塩辛かった。そこを出て、午後はまずカール広場前の分離派会館を訪れる。地下に据え付けられているクリムトの「ベートーヴェンフリース」を間近で見ることができた。因習に捕らわれる苦悩から解放された生の歓喜を求める憧れが、漆喰の壁面に流動する。金箔を多用したフレスコ画の制作過程を再現したヴィデオも上映されていて、これも非常に興味深かった。
 そこを後にして、今度はカール広場の反対側にあるヴィーン博物館を訪れる。先史時代から現代までのヴィーンという街の歴史を伝える博物館であるが、クリムトやシーレの貴重な作品も展示されている。「愛」の寓意画や芸術の因習に挑みかかるクリムトの「パラス・アテナ」神像、それに美しい「エミーリエ・フレーゲの肖像」なども魅力的だが、ここでもやはりシーレの作品に惹かれる。自画像と向日葵の絵が展示されていたが、向日葵の絵を彼はほかにも何点か描いている。彼にとって向日葵とは何なのだろう。この博物館には、19世紀に天候による劣化から守るために取り外されたシュテファン寺院の外壁の彫刻の14世紀のオリジナルや、同時期のステンドグラスが展示されていて、これも興味深かった。ビーダーマイヤーを代表する作家グリルパルツァーの住まいを再現したコーナーもあったし、1848年の革命の様子を描いた絵とともにその時期を振り返るコーナーでは、最近読んだ革命史が思い出される。
 夜はコンツェルトハウスでカメラータ・ザルツブルクの演奏会。「安らぎなく! Ruhelos!」 ベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲のソロイストを務めたパトリシア・コパツィンスカヤがアンコールで弾いたクルターグの「カフカ断章」の一曲「安らぎなく」を弾いて叫んだこのひと言は、この演奏会で演奏された二つの協奏曲の演奏を図らずも象徴しているように思われる。前半にファジル・サイの独奏でモーツァルトの第21番のピアノ協奏曲(K. 467)が演奏されたが、彼の独奏には嫌悪感すら覚え、聴いていて気持ちが悪くなった。自己顕示的に叩きつけられるフォルテの音は、モーツァルトの書いた楽譜から聴こえるものからはほど遠い。テクニックに長けたサイのことなので、「モーツァルトっぽい」繊細なピアノも弾けなくはないが、明らかに取って付けたようである。彼の恣意だけが聴こえ、モーツァルトは聴こえなかった。いくら即興的であったとしても、かつてのグルダのようにモーツァルトの精神を響かせることができるのだ。アンコールで演奏された「キラキラ星変奏曲」は、サイの自己顕示欲の塊でしかなかった。これほどまでではないにしても、コパツィンスカヤによるベートーヴェンの協奏曲の演奏も、「安らぎ」とともに音楽に身を委せられるにはほど遠かった。恣意的なところが耳について、途中から独奏に耳を傾ける気を失ってしまった。彼女の即興性も、ベートーヴェンの音楽が求めるものからかけ離れているとしか言いようがない。ヴァイオリン自体の響きを生かしたなかに晴朗な世界を現出させるこの協奏曲の音楽を充分に繰り広げるなかに清新な風を吹き込むのなら理解できるが、むしろ作品のダイナミズムを阻害しているところが目立つ。何よりも許容しがたく思われたのは、ベートーヴェンが書いた音を改竄しているところがいくつかあったところ。カデンツァは、ベートーヴェンがこの協奏曲のピアノ協奏曲版のための書いたカデンツァをコパツィンスカヤが編曲したもの。ティンパニのほかに、コンサートマスターのヴァイオリンが掛け合いに加わるが、この日のコンサートミストレスは、コパツィンスカヤのアプローチに同意しているようには見えなかった。「カフカ断章」を含め、アンコールで披露された現代作品の演奏は見事だった。
 多少なりとも安心して耳を傾けられたのは、カメラータ・ザルツブルクの生気に満ちた演奏だった。モーツァルトの音楽が求めるものを、つねに新しい息を吹き込みながら守っていて、いつ聴いても素晴らしく思う。この日の最初に演奏された第28番の交響曲の演奏は、歌の喜びと沸き立つようなリズムの喜びとが共存する見事なものだった。Img_0783


| | コメント (0) | トラックバック (0)

ヴィーンへの旅:2012年3月26日

 月曜日なので美術館は軒並み休みかと思いきや、ヴィーンではいくつかの美術館が開いていた。午前中はそのなかの一つ、レオポルド美術館を訪れた。世紀転換期のヴィーンの美術シーンを工芸や都市の変化にも視野を広げながら浮かび上がらせる展示に始まり、クリムトが家族などに宛てた相当な数の絵葉書と、彼のアトリエの再現などとを背景としながら、この美術館が所蔵しているいくつかの作品によって、今年生誕150年を迎えるクリムトの生涯と芸術を浮かび上がらせる特別展、それにこの美術館が誇るエゴン・シーレのコレクションを特集した展示と、どれも見ごたえがあった。クリムトの作品では、当然ながらこの美術館のコレクションを代表する「死と生」の色彩も素晴らしかったが、とくに美しく思われたのは、アッター湖の水面を描いた風景画、静かに彼方へ消え入っていくような背景から、緑がかった青の輝きが穏やかに映える。静かにこちらへ近づいてくるその色の配置が絶妙である。シーレの作品のコレクションも素晴らしかったが、そのなかでは、暗い色の岩肌から聖人の姿が徐々に浮かび上がるかのような「顕現」と、日没の風景を描いた作品の深沈とした美しさがとくに印象的だった。家並みを描いた風景画も、クレーの作品に見られるような色彩のリズムが、沈み込むような壁面の色と対照的で面白い。地下のほうでは、シーレの作品からインスピレーションを得た現代の作家のインスタレーションなどが展示されていたが、人間の身体性を鋭く抉り出すシーレの表現は、現代の作家に強く訴えるものがあるにちがいない。
 昼食は、シュテファン寺院の奥の路地を入ったところにあるアルト・ヴィーンというカフェで、この日の定食であるシュニッツェル。値段は、斜向かいにある、シュニッツェルが有名なフィグルミュラーのちょうど半額だった。豚肉のシュニッツェルも香ばしくて美味しいが、付け合わせのじゃがいものサラダがどこか心落ち着く味でよい。催し物のポスターや、ちょっとダダ風の美術作品が飾ってあって、よい雰囲気の店だった。
 午後は、アルベルティーナで印象派とクリムトの素描の特別展を見る。下階の2フロアを使って、マネからセザンヌに至る素描がパステル画などとともに展示してあった。相当な數の作品である。モネがロンドンのテムズに架かる橋を描いたパステル画がまず目を惹く。バレエの踊り子たちを描いたパステル画も美しいし、ロートレックの、あの特定の空間における人物の一瞬の相貌を無駄のない仕方で捉える力は、ことにパステルによる素描で発揮されるように見えた。セザンヌの素描は、彼が事物の形態を構成的に把握する過程を示して興味深い。  上階からは、この美術館の新しい常設展示となった、バルティナー・コレクションによる印象派から晩年のピカソまでの油絵作品が展示されているが、この展示も驚くべき充実ぶりで、これまでデューラーらからの素描や版画によって知られていたこの美術館の新たな魅力をなすものと言えよう。キルヒナーらしさがよく出た女性像があったのも嬉しかったし、ノルデの生命感にあふれる花園の絵もあった。印象的だったのは、ロートレックによる厩の白馬の絵。少し悲しげな表情が心に残る。カンディンスキーの左右に対照的な構成を示した作品やクレーの「逸脱」の一歩を示す作品も見られたのも喜ばしい。シャガールの三点では、どれも彼らしい幻想が画面いっぱいに繰り広げられている。戦後すぐのピカソが描いた、緑の帽子を被った女性の像は、深い哀しみに包まれていて、思わず立ち止まらせられる。
 最後にクリムトのこれまた膨大な素描を見たが。建物の壁面を彩る人物群像や、あるいは金色に包まれた肖像画を創作する前に、彼がいかに多くの素描を繰り返していたかを知ることができる。女性の肢体を捉える眼差しと手つきを完全に自分のものにしてから、彼はそれを大きな画面の造形に生かしていった。そのプロセスを伝える充実した展示だった。
 夜は、楽友協会ホールにて、ズービン・メータ指揮によるヴィーン・フィルハーモニー管弦楽団の定期演奏会を聴く。メータが指揮する演奏を生で聴くのは初めてだが、彼がオーケストラから充実した響きを引き出すのにいかに長けているかを身をもって知ることができた。最初に演奏されたのは、ヒンデミットの交響曲「画家マティス」。メータはこの曲を得意としているのだろうか。落ち着き払った音楽の運びで、密度の濃い演奏を聴かせていた。ことに印象的だったのは、第2楽章の「埋葬」における沈んだ、そして清澄なピアノの響き。フィナーレの「聖アントニウスの誘惑」では、聖性と悪の抗争が力強く描かれた後、圧倒的なコラールで閉じられた。楽器の音が溶け合って壮大なハーモニーが形成されるのは、このオーケストラ、そしてこのホールならではのことであろう。続いて演奏されたのは、リヒャルト・シュトラウスの「四つの最後の歌」。たゆたうようなオーケストラの響きが実に魅力的な一方、ヴィーン国立歌劇場でも歌っているというマルティナ・セラフィンの声は魅力に欠ける。始終叫ぶような歌い方で、あまりにドラマティックに過ぎ、この曲に用いられている詩の細やかな魅力が台無しになった感もなくはない。アイヒェンドルフの「夕映えに」など、詩と声の抒情性が合致してこそ美しいのに。休憩のときに周りのマダム連が、「あの歌手、写真よりもずいぶん老けているわね」などと言っていたが、プログラムの写真そのものが相当古い印象だ。なお、ヘッセの詩による「九月」の終わりだったか、ホルンが実に魅力的なソロを聴かせてくれた。
 休憩を挟んで、この日のメイン・プログラムであるドヴォルザークの「新世界より」の交響曲が演奏された。第1楽章のテンポの運びは、音楽自体のダイナミズムを生かした見事なもので、これとヴィーン・フィルハーモニーの有機的な響きが相俟って、この楽章は素晴らしい演奏に仕上がっていた。再現部でノスタルジックなフルートの旋律をいっぱいに歌わせた後、コーダへ向けて一気にたたみ込むあたりは、聴き手も思わず興奮させられる熱演であった。最後の和音を少し溜めるのが想定外だった楽員が散見されたというハプニングも気にならなかったくらい引き込まれた。第2楽章のラルゴは、メータが取ったテンポが速すぎる感じで据わりが悪い。コーラングレのソロも歌いきれていない印象である。弱音器を付けた弦楽による旋律が高まって、木管楽器の田園的な旋律を引き出すあたりは非常に美しかった。スケルツォの楽章は、申し分のない充実した演奏。オーケストラが一体となった、力感に満ちたリズムが一瞬たりとも無機的なることがない。ここでもメータの巧みなテンポの運びが光る。フィナーレも全体的にきわめて密度の濃い演奏で、聴き応えがあった。唸りを上げる弦楽の刻みに乗って、ピラミッド状の響きで金管楽器が咆哮する。欲を言えば、美しい第二主題をもう少しじっくりと、ダイナミクスを微妙に変えながら聴かせてほしかったところ。ただ、それでも全体としては、おそらく来日公演などではほとんど聴くことのできない、このオーケストラならではの魅力が充分に発揮された演奏だったと思う。会場で思いがけず友人とその家族に出会えたのも嬉しかった。帰りがけ、通りがかったスペイン料理屋で、タパスの軽い夕食を取ってホテルの部屋へ戻った。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

ライプツィヒ&ドレスデン旅日記:11月7日

 朝、目が覚めたら、9時を過ぎていた。疲れて熟睡したのか、目覚ましのアラームも聴こえなかったようだ。危うく寝過ごすところだった。慌てて身繕いをして、朝食を食べにレストランへ下りてみると、どこに泊まっていたのかと思うくらいたくさんの人がビュッフェに群がっている。あまり時間がないので、簡単に取れそうなものだけ取って空いた席を確保した。日本の大きなホテルのようだ。何の気なしに皿に載せたドレスデン名物のアイアーシェッケ(卵をたっぷり使ったケーキ)は、まあまあ美味しかったが、アメリカのホテル・チェーンのせいかコーヒーが薄い。日曜の朝ということもあり、皆ゆっくりと朝食を食べている。
 いそいそと食べ終えて荷造りをし、チェック・アウトしようとすると、これも案の定時間がかかった。出る時間というのは重なるものである。冷たい雨のなか、急いでゼンパーオーパーへ向かい、ロッシーニの『アルジェのイタリア女』を見る。ペーア・ボイゼンの演出は、コミカルであるに徹した今ひとつインパクトに欠けたもの。観光客の眼差しとして浅薄化したオリエンタリズムとそれを内面化した現地住民の虚無性をよく表現していたが、アルジェという地名から喚起されたモティーフは見当たらない。とはいえ、ヘンドリック・ナーナシという若い指揮者の作る音楽がなかなか生き生きとしているし、何よりも歌手たちが粒ぞろいだったので、楽しんで聴くことができた。この劇場には珍しく半分くらいの入りだったが、聴衆も全般的に喜んでいたようだった。歌手のなかでは、リンドーロを歌ったテノールのハビエル・カマレーナの声がとくに素晴らしく、大きな喝采を受けていた。久しぶりに輝かしい声のテノールを聴いた気がする。最近評判のロランド・ビリャソンと同じメキシコ出身とのこと。
 オペラが昼過ぎに跳ねた後、ここも最近改装なったアルベルティーヌムを訪れる。ここに所蔵されているフリードリヒの絵は素晴らしく、それを楽しみに訪れた。有名な「山上の十字架」もさることながら、夕暮れ時の港の風景の静かな美しさも魅力的。墓地の絵は、ライスダールの「ユダヤ人墓地」と並べて考察してみたいと思った。
 フリードリヒ以外では、キルヒナーの二人の裸婦の像やクレーの小さな作品が美しい。オットー・ディクスの「戦争」祭壇は何度見ても衝撃的である。今回はリヒターの絵画作品にも惹かれた。と、絵に見入っているうちに空港へ行く時間が迫って来た。彫刻なども見たかったが、今回はあきらめることにする。ホテルで荷物を引き取って新市街駅へ向かう。小腹が空いたので、駅構内のスタンドでカリーヴルスト(乱切りのソーセージにスパイシーなケチャップ・ソースをかけ、さらにカレー粉をかけたもの)を食べて、空港行きのSバーンに乗り込んだ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

フランクフルト+バーデン・バーデン旅日記III

 今日は、今回の旅の目的である、細川俊夫さんの新作のオラトリオ「星のない夜」の初演の日。細川さんに、特別にゲネプロも聴かせていただくことになっているので、朝食を済ませてひと息ついてから、祝祭劇場の楽屋口へ向かう。少し早めに行ってみると、すでに細川さんと、何人かの細川さんと親しい人々が集まっている。細川さんに導かれて、舞台裏を通って客席へ行くと、ドイツで2番目の規模というこの劇場の大きさが実感される。響きもほどよい感じ。ゲネプロは、本番とは反対に、マーラーの交響曲「大地の歌」から始まって、休憩の後で細川さんの「星のない夜」という順番で行なわれた。
 今回初演を担当するのは、ケント・ナガノ指揮のグスタフ・マーラー室内管弦楽団。細川さんの作品のソロを担当する歌手は、サリー・マシューズと藤村美穂子という二人のソプラノで、この作品ではさらにこれに二人のナレーターと合唱が加わる。合唱はケルンの西ドイツ放送合唱団。それから、「大地の歌」のソロは、テノールがミヒャエル・シャーデで、バリトンがミヒャエル・フォレで、今回はアルトのパートを、マーラー自身がオルタナティヴとして示しているように、バリトンが歌うことになる。
 ゲネプロはマーラーから始まったが、最初からマーラー室内管弦楽団の響きの明晰さと、その各奏者の技術の確かさに驚かされる。それぞれの楽章を通した後、細かいダイナミクスやバランスを確認しながらリハーサルが進められていったが、ケント・ナガノの指示に対する反応が素晴らしい。ちょっとしたアンサンブルの乱れがあってもすぐに修正していく。予想したとおり、ケント・ナガノはきっちりとした楷書体のアプローチを示していたが、それも若いメンバーの多いオーケストラの特性に合っているようだ。ただ、若くて腕利きの奏者が明快な指揮にあまりにも鋭敏に反応するので、音楽が前へ前へ進んで、細かいニュアンスがやや乏しくなってしまうのは、致し方ないところか。歌手の二人のうち、テノールはかなり声を抑えていたが、バリトンはおそらく本番とさほど変わらない声で歌っていた。しっかりとした声の持ち主であることがよく分かる。
 休憩の後、細川さんの作品のリハーサル。こちらは最初に、ナレーターのサウンド・チェックを行なった後、おそらくは前日までの練習で不安が、ないしは問題があった箇所をピック・アップして練習した後、全体が通しで演奏された。細川さんも、通して聴くのは初めてとのことだったが、彼とともに、ケント・ナガノが全曲の構造を完全に自分のものにしているという確かな感触を得た。サリー・マシューズは抑え気味に歌っていたので何とも言えないが、藤村美穂子が心からの感動をもって歌っているのは、ひしひしと伝わってくる。そして何よりも合唱団の技術が素晴らしい。この作品には、声を出さずに息だけで歌う箇所がかなりあるのだが、そうした箇所でも歌詞がしっかりと発音されるし、それによって言葉のニュアンスが、声を出したときとは別の仕方で広がる感じがする。よく練習されているし、現代曲の演奏の経験も相当に積んでいる印象だ。オーケストラのメンバーも、共感をもって演奏しているのが、見ていてよく分かる。
 本番の演奏を楽しみにさせてくれるリハーサルが終わって時計を見ると、もう14時過ぎ。何か食べようということになって、劇場の近くの中華料理屋へ細川さんたちと向かう。ケルンで作曲を学んでいるという学生さんが一緒になった。肉や魚の炒め物をつつきながら、今日の演奏のこと、ケルンでの作曲の勉強のことなどを話す。その後、この学生さんと中心街にあるフリーダー・ブルダ美術館へミロの特別展を見に行くことにした。先のゲネプロのときに会った、かつてベルリンの学術院の名司書だったという女性が、美術館の建築とともに絶対見たほうがいいと言っていたし、実際今日見ようと思っていたところだった。
 「詩の色彩」というテーマの掲げられたミロの特別展は、20世紀初頭の初期の作品から、1970年代の晩期の作品まで網羅していて、三つのフロアをフルに用いたかなり大規模なものであった。一階に展示されていた後期の作品から見たが、まずオレンジ色の地に散った緑の飛沫が鮮烈な一枚の絵が印象に残った。それから、やはり「紺碧の黄金」と題された一枚には圧倒される。目を見張るような黄金の上に、闊達な筆遣いが踊る。またそれが全体の静かな調和に結びついているのが、何よりも素晴らしい。赤と白の色の配置だけで「風景」を浮かび上がらせようとする作品も面白かった。色の深みから奥行きのある空間が広がる。
 初期作品に目を向けると、1924年頃にミロが具象的な表現を脱して、彼の独特の作風が確立したことがはっきりと判って興味深い。この時期に、彼のなかで何があったのだろう。この時期の「ワイン瓶」や「絵画」は、その後につながる方向性をはっきりと示しているし、「風景」と題された作品に見られる空間の独特の奥行きも魅力的だ。グラデーションをもって変化する色彩の上にさまざまな形象が、リズミックに浮かび上がる1930年代の作品にも、「赤い太陽」をはじめ、緻密さと即興性を兼ね備えた1940年代後半の作品にも惹かれる。第二次世界大戦末期に、ピカソと同様、闘牛の牛を戦争の暴力を重ねるかのように描いているのも興味深い。
 今回の展覧会において、全体的に最も印象的だったのはミロの青の豊かさ。少し明るみを帯びた夜の深みへ誘ったり、昼の光に満たされた広大な空間を開いたり、あるいは青そのものの変化によって画面にリズムを与えたり、画面上のアクセントになったりと、青が実に多くの場面で重要な役割を果たしているように見える。それに、つねに幾ばくかの明るさを含んだ青に見入っているだけでも満たされる思いがする。
 展覧会を見ているうちに夕方になったので、身支度をして祝祭劇場へ向かう。18時から、今回細川さんに「星のない夜」を委嘱したマーラー室内管弦楽団のマネージャーとの対談のかたちで作品へのイントロダクションがあると聞いていたので、最上階のホワイエへ行ってみると、もう席が埋まっている。聴衆の期待のほどがうかがわれる。細川さんは、質問に答えて、日本の伝統にある、自然の季節ごとの移り変わりとの関係を強調し、それを季語を用いる俳句の伝統と結びつけながら、作品の成立の経緯を語り起こしていた。細川さんによると、俳句はあまりにも美しく、自然と調和的に過ぎ、「星のない夜」のテクストには採用できなかった。今回は、四季の風景をそのおぞましさも含めて表現したゲオルク・トラークルの詩をテクストに用いることによって、ドレスデンと広島の出来事を、人の過ちの繰り返される年月の流れのなかに位置づけたかったという。細川さんはさらに、曲の構成も詳しく説明して、聴衆を自分の作品に近づけようと努めてもいた。
 イントロダクションが終わって、知人とおしゃべりしたりしているうち、開演が近づいてきたので客席へ。今回切符を取ったのは、平土間の12列目の向かって右側、もう少し中央寄りがよいのかもしれないが、舞台からの距離は申し分ない。開演の19時が来て、期待感に包まれたなかにオーケストラ、合唱団、そして独唱者と指揮者が登場した。細川さんのオラトリオ「星のない夜」の世界初演が始まりである。
 最初の楽章「冬に」は、冬の空を吹きすさぶ冷たい風の音とともに始まる。それが沈黙のなかから少しずつ聞こえてくるのだ。耳を澄ますと、合唱の各声部が微妙にダイナミクスを変化させながら、息の音で風を表現しているのがわかる。それが折り重なって厚みを増し、凍てついた風景が立ち上がってくると、そこに風鈴の音が、どこか儚さを感じさせる間歇的なリズムで遠くから響いてくる。三連符と五連符の組み合わせからなるこの動機が全曲を貫いていて、さまざまな楽器でダイナミクスを変えながら奏されることになる。やがて管楽器や弦楽器も加わって穏やかならぬ雰囲気が醸されてくると、合唱がゲオルク・トラークルの詩「冬に」を、声を出すことなく歌い始めた。雲が垂れ込め、重く冷たい景色が不気味なほど果てしなく広がるなか、狩りが行なわれ、血を流して倒れた獲物の獣に鴉がばっと群がる、おぞましくさえ感じられる情景を描く詩であるが、その一語一語が含む戦きが合唱からひしひしと伝わってくる。また、その戦きに寄り添うように管弦楽も徐々に高まっていくが、それがテクストの終わりとともに頂点に達するさまは、トラークルの詩がかっと開いた光景を鋭く突きつけるようでもあり、後の破局を予感させるようでもあった。とくにそのような局面において、マーラー室内管弦楽団の表現の鋭敏さには目を見張らされる。
 最初の楽章の音楽が静まると、アタッカで「間奏」と題された第2楽章が続く。この楽章はアルト・フルートの独奏のために書かれていて、沈黙のなかから、戦慄に抗うかのような張り詰めた歌が、息を絞り出すようにして響いてくる。震えと擦れを含んだ線でひと筆で書かれた、細川さんならではの音楽を、フルート奏者は非常に巧みに演奏していたけれども、どちらかというと楽器の響きで豊かに歌うことに傾斜した演奏で、もう少し鋭さやノイズを強調したほうが、曲に相応しかったように思う。
 アルト・フルートの独奏の最後の音にはヴィオラの音が重なって、1945年2月13日のドレスデンに捧げられた第3楽章「ドレスデンの墓標」が始まった。前作のオラトリオとも言える「ヒロシマ、声なき声」の広島の被爆を取り上げた楽章と同様、ナレーターが証言を朗読するなか、音楽の強度が徐々に増し、やがて凄まじい響きのうねりとなる。この曲では、二人のナレーターが舞台の両端に立ってドレスデンの空襲の体験者の証言を朗読し、初めは交互に、はっきりと内容が聞き分けられるように語られる。しかし、後に二つのナレーションが折り重なるようになると、もはや言葉さえ聴き取ることはできない。業火の渦のような圧倒的な響きがうねるなかに、証言の言葉が呑み込まれていくかのようだ。そのように、言葉を聴き取らせることを拒むまでに強い表現を細川さんが採ったのは、いみじくも証言のなかにあるように、ドレスデンの出来事が「あらゆる想像力の彼方にある」ことを突きつけるためだったように思われる。証言の内容を聞き分けることで理解することをも拒む、表象の限界を越えた出来事。それをそのような出来事のままに、しかも詩的に表現するぎりぎりの試みがここにあるのかもしれない。ただし、この作品においてこうした表現の試みは、「ヒロシマ、声なき声」のときより少し遠くから、出来事を歴史として見つめる、どこか天使的な視点から行なわれているようにも思われてならない。実際、証言と証言のあいだには、時に弦楽器の哀悼の歌が挟まれている。
 「けっして忘れられない」という証言の言葉とともに、寒風吹きすさぶ廃墟が現出すると、音楽は第4楽章「春に」に連なっていく。二人のソプラノの重唱のために書かれたこの楽章は、ためらうようにして、まだ寒い初春の風景を開いていく。漂うような弦楽の響きの上で、二人の声が緊密に重なり合いながらトラークルの詩を歌うが、サリー・マシューズと藤村美穂子のアンサンブルは、親密さすら感じさせて美しかった。やがて最初の楽章の鈴の動機が聞こえてくる。それが少し形を変えて、ヴィオラとチェロのソロで歌われるのが、廃墟にスミレが咲き、風景が緑なし始めるというテクストと重なる一節はとくに印象的で、微かな希望さえ感じさせる。
 弦楽の響きが消え入るなかから、今度は静かに合唱が響いてきた。トラークルの「夏に」を合唱が歌う第5楽章の始まりである。この楽章で合唱は、管弦楽が間奏のように差し挟まるなか、ほとんど無伴奏で歌うが、それによって西ドイツ放送合唱団の技術の高さがいっそう際立つ。何よりも一つひとつの言葉が豊かな象徴性をもって響くのが曲に相応しい。トラークルの詩は、雷雨がひたひたと迫るなか、鳥の歌も、虫の音も、部屋の灯りも沈黙のなかへ消え入っていくという内容で、いったん、おそらくは詩の語り手の胸の高鳴り──灯りが消える部屋は、どうやら恋人のそれのようだ──とともに高まった音楽は、徐々に静まっていき、「星のない夜」という、作品全体の表題にも採られた最後の一節は、囁くように、息だけで歌われる。「風の止んだ、星のない夜」、それはどこか広島の夏に来る湿度の高い、雷雨を予感させる凪を思わせなくもない。「星のない夜」にあるのは、どうやら不穏な静けさのようだ。あるいは、「星のない」空は神の不在を示しているのかもしれない。
 しばらくの沈黙の後、打楽器だけのために書かれた第6楽章の「間奏」が静かに始まった。ブラシや手でつねに細かいリズムを刻む打楽器の響きは遠雷のようでもあるが、どちからというとそれよりも物質的で、速度を感じさせる。それが前打音を交えながら高まっていく緊迫感は、各奏者の素晴らしいリズム感と相俟って凄まじかった。
 息を呑むようなクライマックスの後に、打楽器の響きが静まると、音楽は第7楽章「広島の墓標」へ連なっていく。この楽章のテクストに用いられているのは、増西正雄編『原子雲の下で』に収められた、小学校6年生の生徒が書いた被爆証言であるが、それを細川さんはみずからドイツ語に訳して、一つの静かな鎮魂歌の歌詞にしている。チェロの噛み締めるようなピツィカートに乗って歌い出されるその歌は、虚飾がまったくないだけに強く心を打つ。藤村美穂子が、心からの共感をもって切々と歌っていた。絶唱だったと言っても過言ではない、素晴らしい歌唱だったと思う。
 「広島の墓標」の後に、人の営みが破局をもたらす時の流れを中断するかのように、あるいはベンヤミンが「歴史の概念について」で語った「進歩の嵐」を食い止めようとするかのように、第8楽章「天使の歌」が置かれている。テクストに用いられているのは、ベンヤミンが「歴史の概念について」の、まさに「歴史の天使」を語る第9テーゼのエピグラフに一部を掲げる、ゲルショム・ショーレムの詩「天使の挨拶」。ここではその全体がソプラノによって歌われることになる。その歌は、空間を突き抜けるようなトランペットの旋律に先導され、怒りの歌として歌われる。神の懐としての根源へ惹かれながら、一つの街で起きた出来事を、つぶさに眼を満たして見届ける天使の歌。それをトランペットの独奏とともによく聴くと、それが鈴の動機のヴァリアントであることが判る。もしかすると、鈴の動機は、人間の世界で起きる出来事を一つひとつを見ている天使の臨在を象徴しているのかもしれない。さらにトランペットの独奏には、客席の舞台へ向かって左の階上に配された、エコーのトランペットが反響する。それがしっかり決まっていた。これは細川さんによると、ドレスデンの聖母教会での演奏を想定した工夫とのこと。客席を包む空間の広がりを作って、中空に漂う天使の存在を意識させようとする効果があろうが、もしかすると、ソプラノが高いところから歌ったほうがより効果的だったかもしれない。そして、サリー・マシューズの歌は、もっと強く怒れる天使の歌であったほうが、詩と音楽のテクスチュアに合っていたのではないだろうか。やや美しすぎるような印象を受けたのだ。
 最終楽章は、トラークルの詩による「浄められた秋」。木々が実り、静かに満たされた秋の情景が日に映えるさまが合唱によって歌われるなか、さまざまな動機が絡み合い、高まりながら、天上的とも言える安らかで、輝かしい響きへ昇華されていく。何か救いのようなものを感じさせる一瞬が到来するが、それも長くは続かず、美しい想念も「沈黙のなかへ消え去っていく」という詩節とともに、音楽も沈黙へ消え入っていく。鈴の動機が遠ざかっていくなか、最初の楽章の冬の回帰を予感させる風の音が響いてきて、それもだんだんと消え去っていくのだ。そして、すべてが沈黙のなかへ消え入ったところで「星のない夜」の全曲が閉じられる。そのとき、どこかもの悲しい冬の予感を含んだ沈黙によって、会場全体が包み込まれたようだった。
 かなり長い沈黙の後、大きな、感動のこもった喝采が起きた。細川さんが、指揮者やソリストたちとともに何度も呼び出されたことは、今回の初演が成功裡に終わったことの証しだろう。そして、その成功に大きく貢献していたのがケント・ナガノの指揮であることは疑いえない。沈黙に始まり、沈黙に終わる作品全体の構造を捉えたうえで、細川さんの書いた音楽を完全に自分のものにしていたばかりでなく、自分の理解をオーケストラと合唱にしっかりと浸透させて、演奏をまとめ上げていた。音楽の運びにも間然するところがない。ただ、音楽の一貫した流れに重点を置いたために、やや素っ気なく通り過ぎてしまったところや、もう少し間を取ってほしかったところがあったのは惜しまれる。とくに、「広島の墓標」の後には、10秒から15秒の沈黙が指示されているのだが、ケント・ナガノはすぐ次の「天使の歌」に入ってしまっていた。この沈黙は、それまでの時の流れを中断させる重要な沈黙なので、次の演奏の機会からは、この沈黙の指示が守られてほしいと思う。
 休憩後に、マーラーの交響曲「大地の歌」が演奏されたが、細川さんの作品の印象があまりにも強かったので、こちらはあまり印象に残らなかった。ゲネプロで聴いたとおり、速めのテンポを基調とした明確な演奏だったが、ゲネプロよりもニュアンス豊かな演奏に仕上がったのではないだろうか。それでも、もう少し躊躇い気味に進めてほしいところもいくつかあったのだけれど。二人の歌手のうち、テノールのミヒャエル・シャーデは、やや平凡な印象を受けた。もしかすると本調子ではなかったのかもしれない。これに対して、バリトンのミヒャエル・フォレの歌唱は、圧倒されるほど素晴らしいものだった。とくに第4楽章「美について」のなかの、テンポが疾駆するように速くなる難所も完璧に歌っていたし、最終楽章の「告別」も、豊かな声で味わい深く歌っていた。彼の歌は初めて聴いたが、かなりの力量だと思う。注目すべきバリトンだ。
 演奏会が終わって、ベルリン在住の音楽学者と今後の仕事の打ち合わせを兼ねて、食事をする。なかなか開いている店がなくて、結局街の中心にある、やや騒々しいイタリア料理の店に腰を落ち着ける。騒がしくて他人にもよく絡んでくるのは、その音楽学者によれば、ライン風の気質なのだそうな。外で食べているとだんだん冷え込んできた。午前0時過ぎに別れて宿に戻り、あまりにも盛りだくさんの一日がようやく終わった。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

フランクフルト+バーデン・バーデン旅日記II

 朝食と荷造りを済ませた後、バーデン・バーデン行きの電車までしばらく時間があったので、徒歩でゲーテハウスを訪れることにする。美術館へ行くには時間が足りないし、フランクフルトへ来たからには一度は見ておこうかと思ったのだ。ミュンヘン通りを欧州中央銀行の近くまで歩き、オペラ・ハウスの脇を通って、ゲーテハウスを目指すが、ミュンヘン通りは完全にトルコ人とアラブ人の街になっている。やや怪しい雰囲気ながら、いろいろ変わった店があって見るのは面白い。ゲーテハウスは、第二次世界大戦中の空襲で破壊されたゲーテの生家を復元して博物館にしたもので、客間やゲーテの仕事部屋、図書室、画廊、家族の部屋などが、疎開によって破壊を免れた当時の家具を用いて復元されている。ここはフランクフルト観光コースの一つであるらしく、韓国や日本の観光客グループ、修学旅行か校外学習と思われる生徒の集団が、ガイドに先導されてぞろぞろと部屋を回っている。これに巻き込まれると厄介なので、縫うように避けながら見て回った。
 たしかに書斎ではゲーテの仕事ぶりが、その他の部屋では、18世紀後半から19世紀初頭にかけてのドイツのブルジョワの生活が偲ばれるが、興味を引く展示物は少ない。少し面白いと思われたのは、ゲーテが愛読していたという当時の本の展示。ホメロスの『イリアス』をドイツ語で語り直したものや、デフォーの『ロビンソン・クルーソー』のドイツ語訳などに混じって、ゲーテの『ファウスト』の土台となる『ファウストゥス博士』の当時の版があった。画廊には、16世紀から17世紀にかけてのネーデルランドの画家たちの画風を真似したとしか思えない、ゲーテ時代のフランクフルトの画家の絵が、所狭しと掛かっている。リューベンスの宗教画、レンブラントの肖像画、ライスダールの風景画、デ・ホーホの風俗画などのエピゴーネンのオン・パレード。あまりにも簡単にそれと判るのが滑稽な感じだが、ゲーテの父親が蒐集していたのだとか。
 ゲーテハウスのミュージアム・ショップとつながっているCD屋を冷やかしてから宿に戻って荷物を受け取り、中央駅へ向かう。弁当代わりにパン屋でブレーツェルとコーヒーを買って、バーデン・バーデンを通るバーゼル行きのインターシティへ向かうが、予約した席がホームのずっと先のほう。発車時間が迫ってきた──ドイツの特急は、発車ベルもなくすっと走り去ってしまう──ので少し焦ったが、何とか間に合って席に落ち着く。
 フランクフルトからバーデン・バーデンまでは、直通のインターシティだと1時間15分くらい。新幹線で広島から博多へ行くくらいの感覚だろうか。もちろん、それよりはずっとゆったりした感じだ。マンハイム、カールスルーエに止まった後、バーデン・バーデン駅に着いたのは13時25分頃。満員のバスに乗り込んで、しばらくすると祝祭劇場が見えてきた。とても大きな建物。バスのアナウンスが「旧駅」とも言うのでよく見ると、昔の駅舎と思われる建物に隣接するかたちで劇場が建てられている。ホテルはその祝祭劇場のすぐ近く。かつての修道院の建物を改築したというラディソンのホテルを取っておいた。チェック・インには少し早いかと思われたが、部屋に通してもらえた。シングルながらかなり広く、ゆったりと使える。ベッドもかなり大きいのはありがたい。荷解きをしてひと息ついて、外へ出ようと階段を下りると、大きな吹き抜けの広間に行き当たった。ぱっと空間が広がった感じで、なかなか見事というほかないが、かつては豪奢な修道院の──何という言葉の組み合わせ──客間だったのだろう。今はそこを、温泉に入ったらしい老夫婦がバスローブ姿でうろうろしている。
 ホテルを出て、今日は開いているというブラームスハウスを訪れようとバスを待っていると、本当に良い天気になってきた。この時期ならではの柔らかな日差しに緑が映える。それにしてもこの街は緑豊かだ、至る所に緑地が整えられているし、遊歩道には花が植わっている場所もある。道沿いにはせせらぎもあって、何だか嘘のようにのどかだ。ドイツの街はどこへ行っても、それぞれに尖ったところが感じられるのだが、ここにはそれがまったくなく、ゆったりとした空気が流れている。ドイツ有数の保養地というだけのことはあるし、数々の文化人が好んで訪れたのも解る気がする。
 バスで中心街を通り過ぎ、しばらく行くとブラームス広場に着く。そこで降りてブラームスハウスはどこかと見回すと、案内板がすぐに目に入った。ブラームスの夏の別荘だったという家は小高いところに建てられている。呼び鈴を押すと、小柄な女性が迎えてくれて、親切に展示物をいろいろ説明してくれたうえ、ドイツ国内の作曲家の博物館の案内までくれた。ブラームスはこの夏の別荘で、第1番のチェロ・ソナタ、ホルン・トリオ、ドイツ・レクイエム、第1番と第2番の交響曲など、重要な作品をいくつも仕上げたという。彼の仕事場だった部屋から外を見ると、教会の建物とともに、緑豊かな山並みの風景が広がっている。あの晴れやかで広やかな第2交響曲は、このような風景を見ながら構想されたのかもしれない。
 博物館には、自筆譜などの一次資料はないものの、写真や当時の演奏会プログラムなどが数多く展示されていて、なかなか興味深い。もとクララ・シューマンが借りていた建物だったこともあって、彼女に関する展示も多い。おばあさんになったクララの写真まである。後で人づてに聞いたところによれば、ひと昔前までは、クララ・シューマンとブラームスが連れ立ってバーデン・バーデンの街を散歩していたのを目にしたという老人がいたとか。ブラームスは、19世紀後半に活躍しただけあって、写真がかなり多い。ヴァイオリニストのヨーゼフ・ヨアヒムなど、彼と関わりのあった同時代の音楽家との写真もある。二重協奏曲がバーデン・バーデンで初めて演奏されたときの写真や、演奏会プログラムを見ていると、ブラームスの作品が初演されていた演奏会の様子が偲ばれる。彼の有名な子守歌の楽譜を、彼自身が紙片に書き付けたものもあった。
 ブラームスハウスを出て、バスで中心街へ戻って少し散歩してみる。緑のなかに豪華なカジノの建物があったり、温泉の周りに高そうなブティックがあったりと、いかにも高級リゾート地という感じだ。ホテルに細川俊夫さんを訪ね、ひとしきり話した後、街へ出て、ちょっとした食事ができそうな場所を探す。結局小さなホテルのレストランに落ち着き、そこでこの辺りの郷土料理であるマウルタッシェを頼む。マウルタッシェというのは、挽肉や野菜、場合によってはチーズなどを詰めた、本当に餃子に似た感じ──ただし大きさは餃子の倍くらいで四角く包んである──の料理で、ここでは塩辛いオニオンスープに入って出てきた。ドイツ風の水餃子という感じか。量もちょうど良いくらい。特別美味しいというわけではないが、食べきれない量の肉やジャガイモが出てくるよりはましで、雰囲気も味わえるというところだろう。腹が落ち着き、暖まったところで店を出ると、かなり冷え込んできている。それに、昼間見られなかった若者たちが街に集まってきている。日中とは違ったバーデン・バーデンの顔を横目に、帰途を急いだ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

ベルリン旅日記(2010年1月9日)

 どうもよく眠れず、朝早く目覚めてしまう。今日も雪が降っている。ニュースによれば、「デイジー」なる新たな寒波が上陸して、さらに降雪がひどくなるとか。明日のフライトが思いやられる。今日はまずポツダム通りの国立図書館へ。一日しか使わないのに、一月の利用を申し込まなければならない。申込書を書き込んで出すと、三年前の利用の記録があるとのこと。だからといってタダになるわけではない。10ユーロ払って新しい利用券を作ってもらう。中に入って目当ての本を探してみると、何でも建設作業のために出してもらえないとか。これにはがっかり。帰ってから、他の大学の図書館にあるのを急いで取り寄せてもらわないといけない。
 本を読んだり、覚え書き程度の書き物をしたりした後、図書館を出て昨日訪れた書店へ。行ってみると、昨日注文した本がちゃんと届いているではないか。素晴らしい。昨日選んだ二冊と一緒に購入すると、この書店が毎年一冊作って顧客に配っているという、お洒落な造りの冊子を付けてくれた。アガンベンの「友 (l’amico) 」という題の、おそらくは講演録をドイツ語に訳したもの。「友である」ことをアリストテレスの『ニコマコス倫理学』を参照しつつ分析する内容のようだ。そのような冊子を顧客に贈るという気遣いは実に心憎い。
 宿の部屋に戻って荷物を置き、ひと休みした後、フィルハーモニーへ向かう。今日は夕方まずベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の演奏会。ミシェル・プラッソンの後を継いでトゥールーズ・キャピトル管弦楽団の指揮者を務めるトゥガン・ソキエフのベルリン・デビューとなる演奏会とのこと。ハインツ・ホリガーの「リスト・トランスクリプション」に、ラヴェルのピアノ協奏曲、そしてラフマニノフの交響曲第2番というプログラム。ホリガーの作品は緊張感に満ちた、かつ魅力的な響きに仕上がっていて、感心していたのだけれど、ラヴェルはどうもいただけない。バランスを欠いているうえ、管楽器のミスも目立つ。とくに、表に出るべきソロがきちんと聞こえてこないのが気になった。エレーヌ・グリモーが独奏者だったが、どうも一本調子に過ぎる感じがするうえ、オーケストラともあまり噛み合っていない。素晴らしいテクニックの持ち主であることはうかがえたが、本来なら聴かせてくれたであろう冴えを感じ取ることができなかったのは残念だ。何ともしっくりしない雰囲気のまま曲が終わってしまった。休憩後のラフマニノフは、若いソキエフの面目躍如という感じで、曲の旋律性と劇性がともに生かされていたように思う。曲に耽溺しすぎると、よくありがちなように音楽が重く停滞してしまうが、ソキエフの棒は、旋律線に沿ってダイナミクスを巧みに変化させ、曲の流動性を魅力的に表現していた。爽やかな甘さに仕上がったというところだろうが、私はこのラフマニノフ的な甘さ自体について行けないものを感じるので、正直それでも演奏に心から共感できない。聴衆は喜んでいたようだけれども。
 次の演奏会まで2時間近く時間があるので、新ナショナル・ギャラリーで開催されている「イメージの夢想」展を見に行く。ウーラとハイナーのピーチュ夫妻のシュルレアリスムを中心とした膨大なコレクションを展示する展覧会で、マックス・エルンストを筆頭に、ダリ、ミロ、マグリットといったシュルレアリスムの作家たちの作品やポロック、ロスコといったアメリカの抽象表現主義の作家の作品が、150点ほど展示してあった。シュルレアリスムの広がりとその影響の広さを感じ取ることができるし、作品の質が高いのにも瞠目させられる。
 夜は先ほどと同じフィルハーモニーで、ベルリン・ドイツ交響楽団の演奏会。ヘルベルト・ブロムシュテットの指揮で、メンデルスゾーンの珍しいピアノ協奏曲第2番と、これまた演奏される機会の少ないブルックナーの第2交響曲というプログラム。奇しくも二曲ともニ短調という調性。メンデルスゾーンの協奏曲で独奏を担当したのは、若いマルティン・ヘルムヒェンだったが、彼のピアノが本当に素晴らしい。完璧なテクニックと美しい音色で、独奏パートをニュアンス豊かに歌い上げていた。とくに音色の繊細な変化には何度もはっとさせられた。基本的には端正な曲へのアプローチで、小さな無数の真珠がこぼれ落ちるかのような彼の演奏には、力強さが足りないと思う向きもあるかもしれないが、少なくともこの日のメンデルスゾーンには相応しかった。アンコールに弾いた無言歌も、これ以上ないほどの名演奏。例えばシューベルトを弾いたらどうなるのだろう。ブロムシュテットの指揮によるオーケストラのサポートも申し分ない。暗い情熱に沈潜するなかから、ときに華麗に、ときに激しく感情が迸り出るのを、様式館を損なうことなく、落ち着きのある響きで見事に表現していた。
 休憩後に演奏されたブルックナーは、ほとんど忘れられていると言ってもよい初稿での演奏。次の第3交響曲の初稿と同様、部分的には別の曲と言ってもよいくらい、改訂稿とは音楽が異なるし、改訂稿よりも10分以上長い。それに、第2交響曲の場合、楽章の順序も異なっていて、第2楽章にスケルツォが来る。そのような第2交響曲の初稿を、ブロムシュテットとベルリン・ドイツ交響楽団は、ずっしりとした、また温かさのある響きで、ほとんど完璧に演奏していた。ブロムシュテットの指揮による演奏ががつねにそうであるように、それぞれのモティーフが明快に浮かび上がるので、後期の交響曲を形づくる要素の原型のすべてがここにちりばめられているのが手に取るようにわかる。基本的にはきびきびとした音楽の運びも素晴らしく、とくに速いテンポの楽章は躍動感に満ちている。フィナーレのコーダの追い込みには胸が熱くなった。かといって慌てた感じはまったくなく、楽節ごとのゲネラルパウゼは十分に取っているし、緩徐楽章の歌も実に美しい。その響きがけっして弱々しくならず、充実しきっているので、歌が内側から伝わってくるように聞こえる。ブルックナーの初期の交響曲の魅力を十二分に引き出した、80歳のブロムシュテットの演奏だった。指揮ぶりも若々しいし、気力も充実しているように見える。そう言えば、ブロムシュテットは第3交響曲でも素晴らしい演奏を聴かせていた。それと合わせて、この日の第2交響曲の演奏もCDにならないものだろうか。4月にはN響を指揮するために来日するという。これも楽しみである。
 曲が長かったうえ、喝采も長く続いたので、演奏会が終わったのは22時15分頃。雪道を早足で歩いてホテルのレストランへ駆け込むと、まだ料理を注文できるとのこと。グラーシュと黒ビールを頼んだ。しばらくして出てきたスープを一口飲むと、お腹に熱いものが染み渡る。またグラーシュかという感じもするが、冬の寒いときにはこれに限る。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

ベルリン旅日記(2010年1月8日)

 朝食を済ませて外に出てみるとやはり非常に寒い。ホテルからツォー駅まで歩くが、雪が踏み固められて凍りついた足下が滑りやすいので、おそらく普段の倍近く時間がかかってしまう。ツォー駅からSバーンで中央駅まで行って降り立つと、歩く人が少ないせいか、歩道がさらに雪深い。そのような道をしばらく歩いて、ヴァルター・ベンヤミン・アルヒーフへ向かう。見ればシュプレーの河面もところどころ凍っている。このような気候は、ポツダムが最も寒かったとき以来だろうか。
 ヴァルター・ベンヤミン・アルヒーフに着くと、訪問申し込みのメールに返事をくれた職員の方が温かく迎えてくれた。会議中にもかかわらず、少し時間を割いてデータベースの使い方を説明してくれる。備え付けのコンピューターには、全集、書簡全集、自筆の草稿、関連の資料の類がすべてPDFのファイルで収められていて、これを自由に見られるという仕組み。全集各巻の巻末に関連資料として収録されている手書きの草稿のもとの姿は、じかに眼にする機会の少ないものだし、それがさらに現在刊行中の新全集の基になっているだけに非常に興味深いが、やはりなかなか判読は困難。それでも、晩年の歴史哲学に関する草稿を見てみると、他人からの手紙の便箋の裏側などにびっしりと書き込まれている。書くことすらもきわめて困難な状況のなかで、最終的に「歴史の概念について」の20のテーゼに結晶する思想が紡ぎ出されていたことが偲ばれる。
 アルヒーフにはベンヤミンに関する研究書の類も集められていて、日本にいてはなかなか現物に触れることのできない二次文献も手に取ることができる。主にドイツ語にものだが、これほど多くの研究書がベンヤミンについて書かれているのかとあらためて驚かされる。そのいくつかを手に取って拾い読みしたり、全集のデータベースで検索をかけたりしてみた。ベンヤミンの全集は、アドルノの全集のようにデータベースが市販されていないので、ここのコンピューターを使えることは、行く行くは便利にちがいない。それと持ち込んだパソコンとを使いながら、これから書く原稿の構想を練って午後まで過ごす。そうこうするうち、何人もの人が閲覧室に入ってきて、それぞれ机に陣取って仕事に取り組んでいる。ベンヤミン研究の相変わらずの活況を示しているのだろうか。
 アルヒーフを辞して宿に戻ろうとすると、職員の方が呼び止めて、日本語の訳書をはじめダブって在庫のある書籍があるから持って行かないか、とのこと。ありがたい申し出なので倉庫へ連れて行ってもらうと、これまた膨大な在庫。そのなかの一角にそうした書籍があったが、残念ながらほとんど手許にあるものばかり。テーマごとのアンソロジーは持っていなかったので、それだけ少しもらって行く。アルヒーフを使わせてもらったうえにお土産までいただいた格好で恐縮なことだ。ともあれ、今後の研究滞在で使わせてもらうのにもよいきっかけになったのではないだろうか。
 宿へ帰って友人と落ち合い、書店を案内してもらう。連れて行ってもらった近くの店は、思想と文学を専門とする書店で、狭いながらも非常に充実した品揃え。店の主人に、ベンヤミン・アルヒーフで面白く思った一冊の研究書のことを尋ねると、現在在庫はないが、注文すれば明日の朝には届くという。ドイツの書籍流通のシステムの便利さにも驚かされる。それを注文して、明日他の書籍と一緒に引き取ることにした。
 大きな書店に寄って新刊をひと通り見て回った後、シュヴァーベン地方の料理を出すレストランで夕食。シュペツレという当地のパスタを七面鳥の肉やチーズと一緒にグラタン風に焼いた料理をリースリングの赤とともに。朝食の後何も食べていないので、熱いソースが腹に浸みる。さまざまな話に花が咲いて、閉店まで居座ってしまった。帰り道にはさらにうっすらと雪が降り積もっていた。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

ベルリン旅日記(2010年1月7日)

 前回ベルリンを訪れたのが昨年の9月の末だったので、およそ3か月でまた舞い戻ってくることになる。前回あまり時間が取れず、仕事のための本を読んだり、書店を物色したりすることができなかったので、今回は図書館と書店へ行くために来たようなもの。3泊4日の短い滞在である。その間に、ヴァルター・ベンヤミン・アルヒーフや国立図書館にこもったり、友人に書店を案内してもらったりする予定。
 ヨーロッパは寒波が覆っているということで、飛行機の遅れが心配されたが、定刻通りに飛んでくれた。飛行機のなかで寝ておこうと思ったのだが、思うように眠れない。そのようななか読んだのが、小沼純一の編集による『武満徹エッセイ選』(ちくま学芸文庫)。個とその根底にある悲しみから響き出て他者へ向かう音についての省察が、生と死についての深い洞察や、国家権力に対する鋭い批判に結びついている点にあらためて感銘を受ける。手荷物の鞄に入れておいてよかったと思う。
 飛行機がヨーロッパの上空に入って機内が明るくなったので窓を開けてみる。いつもは通路側の席を取るのだが、今回は窓側しか取れなかった。窓には雪の結晶が付着している。それを見て、初めてヨーロッパへ旅行に出たときのことを思い出した。そのときも窓側の席に座って、シベリアの上空を飛ぶ飛行機の窓に付いた雪の結晶を、その無数の形を飽かず眺めていたのだった。乗り継ぎ地点であるフランクフルトへ近づくと、眼下には一面の銀世界が広がっている。寒いところへやって来たものだ。
 ますます迷宮のようなフランクフルトでベルリン行きの飛行機へ乗り継いで、ベルリンに着いたのは19時過ぎ。バスに乗って、クアフュルステンダムの途中の停留所で降りて少し歩いたら、ホテルがすぐに見えた。通りには雪が積もっていて歩きにくいし、当然ながらかなり肌寒い。明日からのことが思いやられる。宿はとくに特筆するべきことのない中級クラスのホテルだが、無線LANが無料で使えるのが嬉しい。予約に付いていた、カレーソーセージのクーポンをもらったので、部屋で荷解きをしてから、夕食にそれを食べにレストランへ。フライドポテト付きのそれを食べてみると、ケチャップソースのトマト味が利きすぎて、カレーソーセージと言うよりは、トマトソーセージに近い。これに関しては屋台で食べるに限るということだろうか。部屋へ戻ってシャワーを浴びると、疲れと眠気が襲ってきた。

| | コメント (0) | トラックバック (0)