ヴィーンへの旅:2012年3月25日

 今日から妻とヴィーンへの旅。ヴィーンを訪れるのは、新婚旅行のとき以来8年ぶりということになる。7時前に広島空港に着いてチェックイン。成田行きの便がオーストリア航空ともコードシェアしているためだろうか、成田からのヴィーン行きの便も同時にチェックインできて、荷物もスルーで預けられたのはありがたかった。9時半前に成田に着いてみると、南ウィングは、ものすごい人混みでごった返していて、出国審査場に通じる保安検査のゲートの前に長蛇の列ができている。本当は少しゆっくりしたかったが、すぐにこの列に並ばなければならなかった。おそらく今日から学校の春休みで、家族連れや卒業旅行で海外へ出る人々のちょっとした出国ラッシュになっているのだろう。
 オーストリア航空のヴィーン行きの直行便で、11時間のフライト。前回このキャリアを利用したのは、ヴィーン経由でドレスデンへ行った2004年の秋以来ということになるが、以来使っていなかった理由を思い出してきた。機内のエンターテインメントの内容が乏しく、機内食もあまり美味しくなかったのだ。妻は見る映画がないとこぼしていた。ラジオのクラシック音楽のプログラムも3時間ほどのサイクルで同じ曲を繰り返している。機内食は、グリルチキンのグラタン添えか「カツ丼」という「究極の」と言いたくなるような選択肢だった。特別不味いわけではないが、美味しくはない。他のキャリアに比べて全体の量を抑えてあるのと、カイザーゼンメルなどのパンが香ばしいのが嬉しい。機内では、岡田暁生の『楽都ウィーンの光と陰──比類なきオーケストラのたどった道』と良知力の『青きドナウの乱痴気』を読了。前者は、ヴィーン・フィルハーモニーというオーケストラの歴史を掘り起こすことを軸としながら、ヴィーンの音楽文化の発展と凋落と同時に、移民の街であり、そうであるがゆえに同時に人種差別の渦巻く街でもあるヴィーンの姿をも浮き彫りにする。スター指揮者として華々しく登場し、歌劇場やオーケストラをめぐる陰謀に翻弄されたマーラー、そしてプラーターの貧しい移民の家に生まれ育ったシェーンベルクに関する章はことに興味深い。巻末の年表や地図もなかなか有益だと思う。音楽の都としてのヴィーンの歴史は、第一次世界大戦以前の、すなわちハプスブルク帝政期のブルジョワジーの興隆に負っていることとともに、これほどまでにヨハン・シュトラウスがヴィーンを代表をするものとしてこれほどまでに全面に押し出されるのは、その時代へのノスタルジーの表われなのだ。後者は、1848年の3月に始まり、10月の敗北に終わるヴィーン革命の歴史を、歴史に名を残さない人々の声や足跡を記した膨大な資料を渉猟して、革命史の見直しを迫る労作。労働者の権利を求める闘いが、やがてハプスブルク帝国内での民族抗争へ転化していく様子が、ヴィーンの都市生活を文字どおり支えていた人々の声から浮き彫りにされる。革命に立ち上がったヴィーンを皇帝の軍隊から守ろうと最後まで戦い、クロアチア人の部隊を先兵とする皇帝軍によって虐殺されたのが、ボヘミアやポーランドからヴィーンへ流れ込んできた人々であったのは、実に痛ましいが、こうした歴史は今も繰り返されていよう。
 少し早くヴィーンへ到着し、空港からバスで市街へ向かう。バスが到着したシュヴェーデンプラッツの停留所のすぐ前に、かつてゲシュタポの本部が置かれていたところに設けられた記念碑が見えた。「けっして忘れない」と碑文にある。気温が20度を超えて暑かったので、ジェラートを食べてから地下鉄でホテルへ向かう。宿はノイアー・マルクトに隣接するオイローパ。便利な場所にあるが、部屋がケルンテン通りに面しているので、夜騒々しくないか心配だ。
 少し休んだ後、アン・デア・ヴィーン劇場へオッフェンバックのオペレッタ『ホフマン物語』を見に行く。ウィリアム・フリードキンの演出で、リッカルド・フリッツァ指揮のヴィーン交響楽団がピットに入った。劇中のホフマンが思いを寄せるプリマ・ドンナがアンナ役を歌うモーツァルトの『ドン・ジョヴァンニ』の上演を劇中劇のように背景に据えながら、ホフマンの恋の遍歴を、彼のなかの無意識の暗黒面が表われてくるプロセスとして描き出す演出で、ヴィデオを駆使した演出ながら、読み替えを打ち出すのかどうか少し煮え切らない印象で、また後半の運びがやや冗長──ただでさえこの作品の後半は、失恋話の繰り返しなだけに退屈になりやすいだろう──に思われた。最後に作家としての人生に戻るところで、ホフマンはノート・パソコンに向かった。
 歌手はいずれも高水準の歌唱を聴かせてくれたが、なかでも全曲を通してミューズ/ニクラウスを演じたロクサナ・コンスタンティネスクは、素晴らしかった。オランピアを歌ったマリー・エリクスメンもほぼ完璧な歌唱。主役のホフマンを歌ったクルト・シュトライトも巧みだったが、今ひとつパンチに欠ける印象だった。それ以外の役もほとんど隙がない。フリッツァ指揮のヴィーン交響楽団は、少し垢抜けたところや軽やかなリズム感が欲しいところもあったが、全体には力強く舞台を支えていて、聴き応えがあった。
 帰りがけ、あるバイスルに寄って軽く夕食をと思ったが、その店はもはやなく、結局市電の停留所のインビスでケバブなどを買い求めて宿へ戻る。ヴィーンにはずいぶんケバブを売る店とアメリカ系のファスト・フードのチェーン店が増えている。

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金時鐘の詩の朗読ライヴ「四月よ、遠い日よ」に接して

 ヨーロッパ、とくにドイツでは、作家、とりわけ詩人が自作を朗読する夕べをもつことは、かなり頻繁に行なわれているが、日本ではそうした催しは少ない。そうしたなか、詩人の金時鐘が自作の朗読を、ライヴのかたちで聴かせるという。彼の言葉がそこでどのように響くのだろうという思いを抱きながら、上八木のカフェ・テアトロ・アビエルトへ金時鐘の詩の朗読ライヴ「四月よ、遠い日よ」を聴きに行く。
 『失くした季節──金時鐘四時詩集』(藤原書店)のなかから、四時それぞれおおよそ三篇ずつを選び、それを詩人自身が朗読するのを軸としながら、そこにフリー・ジャズの原田依幸の即興演奏と、俳優の水野慶子による『失くした季節』より以前の詩集からの詩編の朗読が挟まれる構成だったが、いきなり原田の演奏に圧倒された。日本語の定型詩の情感に抗う詩の朗読に相応しい、突き刺すような鋭い響きの打ち込みに始まって、飛礫のような音が、内的な必然性を感じさせる連なりをもって、次々と投げつけられる。そのような音によって構成される音楽と、時に轟音に近いようなその強い響きによって、肺腑がわしづかみにされる思いだった。続いて水野慶子が、金時鐘の『化石の夏』からの詩編「ここより遠く」を非常にドラマティックに朗読したが、これは詩人自身が『失くした季節』の詩編を、どちらかというと淡々と朗読するのと好対照をなしていて、作風の違いがより際立ったのではないだろうか。
 『失くした季節』からの詩編を読むに先立ち、金時鐘は、短歌や俳句といった日本の伝統的な定型詩が、東日本大震災における自然の災厄を被った嘆きには、いち早く呼応したものの、福島原発の人災には沈黙したままであることを指摘し、また日本の現代詩も、言葉を失って瓦解しつつあると述べたうえで、原発の人災を含めた東日本大震災に自分の詩がどう向き合うかを、「夜の深さを 共に」というごく最近の詩を朗読して表明した。それは、自然を賛美することで、人間に立ちはだかる自然の猛々しい力を忘却した文明の退廃を衝くとともに、自然に心情を投影する定型詩の情感が、その退廃につながっていることも示唆していた。
 詩人自身の朗読は、先に述べたとおり、無駄な抑揚を廃した、どちらかと言うと淡々とした調子であったが、それによって逆に、水野慶子が朗読した『光州詩片』のなかの「噤む言葉」という詩に表現される、意味の伝達を止めた言葉に極まるような、言葉そのものの、やはり定型詩的な情感に収まらない質感がよく伝わったかもしれない。
 夏、秋と二つの季節の詩の朗読が終わったところで、金時鐘と、今回の朗読ライヴの演出と構成を担当した崔真碩のトークが行なわれたが、その内容も興味深かった。なかでも、詩人が追求する抒情と、日本語の定型詩や唱歌が表現する情感との差異に触れたあたりには、はっとさせられるものがあった。後者の情感に唱歌などを歌って触れると、まさに情にほだされてしまい、とくに自分自身を批評する力が萎えてしまうという。だからこそ、唱歌を歌い、歌を詠んで故郷を思った兵士たちが、無反省に「三光作戦」のような蛮行を実行できたのだ。これに対し抒情の美は、批評を内在させている。抒情は、俗情からの超越によって歌われるのだ。自己完結した、神話的な情感を批判し、その内実を他者に対して開かれた表現によって抉り出すところに抒情が生まれるのであろう。
 冬の季節の詩から、予定されていた三篇に加えて、「人は散り、つもる」が朗読されたのは嬉しかったが、それに付けられた原田の即興による音楽は、やや美しすぎたかもしれない。「人は散り、つもる」と表現される、他者との別離と、その経験の積み重ねとともに沈澱していく他者の記憶との再会を、例えばかつての「切れて、つながる」といった言葉で表現される経験と対比させるなら、詩人の作風の変遷に多少なりと近づけるような気がする。
 最後に朗読されたのは、やはり春の詩より「四月よ、遠い日よ」。済州島の四・三事件の記憶を、四月を彩る事物から想起しつつ、抑制された調子で歌うこの詩に、詩人が追求してきた「もう一つの」とも形容すべき抒情が極まっている感じがし、またそのことが詩人自身のなかの苦い思いを凝縮させているようにも思われて、朗読を聴きながら胸が熱くなるのを覚えた。
 舞台の背景には、赤い春の花──桜だろうか──が、上田英馬の手によって描かれていた。それは花ばかりでなく、枝も赤い。そう、その樹は、根から死者たちの血を吸い上げて、枝を赤く揺らめかせているのだ。そして、花の赤さも、影を含んでいる。そこに死者の記憶が顔をのぞかせているのかもしれない。そのような自然の姿を拾い上げる、独特で、かつ以前の詩の言葉とは異なった質感を湛えた言葉の肌触りにじかに触れながら、その抒情について深く考えさせられる夕べだった。

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黄蝶南天舞踏團公演「祝告の器」公演に触れて

 昨晩(2011年8月6日)は、カフェ・テアトロ・アビエルトで黄蝶南天舞踏團の公演「祝告の器」を見た。海辺に打ち上がったかのような遺体の無念さを表わすかのような、逆さ吊りの状態の悶えるような表現から始まり、東アジア各地の葬礼の影響を受けた、死者に歌舞を捧げる台湾の葬礼の伝統に触発される仕方で、死者たちのありえた生きざまを、死者の姿で経めぐる、言わばレヴュー形式の死者に捧げる舞踊である。四人の踊り手たちが、時にアクロバティックに、時に諧謔を交えて踊り狂うさまは、異様な力強さがあって圧倒的だったが、なかでも演出も担当した秦かのこの踊りにはとくに惹きつけられた。一つの場面で、死体を運ぶ桶から這い出して、何か失ったもの、現世に置いて来たものを憧れるような表現を見せたり、また最後近くの場面ではみずからの肉体を慈しむような身体表現を見せたりしたのが強い印象を残した。こうした踊りすべてが、彼女によれば死者との対話であるという。生者と死者の魂が行き交う「器」を生きることになるのだ。まつろわぬ地霊としての死者の魂が乗り移った身体を震わせ、それとの対話を試みるとき、生者は台湾では「霊星」とされる北斗七星を仰ぎ見るという。最後近い一場面で、秦かのこが酒を吹き、桶の水を髪で撒く姿は、身体がその柄杓になったかのようだった。二胡を中心とした音楽も力強かったし、舞台の背景画も非常に美しかった。8月6日に、東北と関東の大震災の死者に捧げられた素晴らしい舞台を見ることができた。

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下鴨車窓『人魚』公演に触れて

 昨日(2011年8月3日)は、アステールプラザの多目的スタジオで行なわれた下鴨車窓の『人魚』の公演を見て、その後この作品の脚本家であり、かつ演出家である田辺剛さんとのアフター・トークに参加させていただいた。この『人魚』という作品は、古来セイレーンやローレライの名で知られる、船乗りたちを歌で魅惑し、海の底へ追い落とす、時代を超えた水の精にまつわる伝承を下敷きにしながらも、人魚を自然の人知を超えた猛々しさを突きつける存在として、かつ従来の美しい人魚像を破壊する生き物として舞台に載せるとともに、それを今日の社会、とりわけ2011年3月11日以後の社会に問いを突きつける寓意像に仕立て上げることに成功した、希有な作品と言えよう。
 ドラマの筋は、村の漁師たちを次々に餌食にしてきた人魚が、多くの犠牲を払いながらもようやく網に捕らえられたが、その後海では魚が獲れなくなるばかりか、好奇心に駆られた村の子どもに続いて、人魚の世話を委されてきた兄妹の妹の恋人と、人魚に近づいた村人も犠牲になるなど、災厄が続くが、そうしたなか、とうとう村そのものが嵐に呑み込まれてしまうという、まったく救いのない物語であるが、それを織りなす小道具の一つひとつが意味深く、作品そのものが寓意像によって織りなされた現代の寓話のようにすら思われてくる。いや、舞台が全体として今ここの寓意なのかもしれない。嵐を前にした廃墟としての村の情景を前にしながら、そのことに思い至るとき、はっとさせられる。
 小道具のなかでとりわけ印象的だったのが、人魚を繋ぐ綱を結わえた椅子。それが、舞台からは見えない人魚の力で引きずられていくのだが、そのありさまが、人間の作り上げた世界の脆さそのものを映し出しているように思われたのだ。当たり前の世界を構成する何気ない一つの事物が、その世界に潜む綻びを突きつけるそのとき、人魚は海の生き物としての力強さを取り戻しているわけだが、それが陸に上げられると、腐っていかざるをえない。人魚は臭いを放ち、そこに蠅がたかるのだ。蠅のたかる人魚というのも、童話的な美しい人魚像を突き崩す卓抜な表現であろう。それは死にゆく生き物の腐敗を表わしながら、同時に生き物を飼い馴らそうとする社会の腐敗を暗示し、その破局を予感させる。そもそも、人魚を捕らえるばかりか、それを商売の道具にしよう──村の長老たちは、ついには人魚をサーカスに売ろうとまで企てる──というところに、どこか腐ったものが潜んでいるのだ。
 人魚というのは、太古以来の人間の神話的な世界像が投影された、実在することのない半人半魚の水の精であるが、それが人を破滅へ誘うという多くの人魚に共通する特性は、生命の糧となる自然の豊饒さと、その人知を超えた恐ろしさを一つながらに表わしているのかもしれない。今回の舞台では、人魚が人を食らうということが、性愛としての「食べる」行為とも重ねられていたのが興味深かった。そのように、人魚が豊かでありながら恐ろしいことの表現が、抗しがたい魅力をもった歌なのであろう。それは人間の、自然にじかに晒された感受性に直接作用し、人間を揺さぶるばかりか、そのなかに自然の母胎へ回帰したいという欲動さえ引き起こすのだろう。しかし、この資本主義的合理性に毒された漁村にあって、人魚の歌を聴くことができるのは、お払い箱にされつつある占い師だけである。そのことは、合理性の道具になることによって、もしかしたら身体で歌うことも、歌を聴くことさえもできなくなってしまっているかもしれない私たちの姿を浮き彫りにしているのかもしれない。
 おそらく『人魚』という救いのないドラマのなかに一つ未来につながる要素があるとするならば、それはこのように、私たちが生き物としての生のうちにあったものを見失いつつあるのに気づかせるところかもしれない。一つの社会の崩壊の後に、そして放射能という生命の根幹を脅かすもの──これもまた腐った合理性が撒き散らしたものだ──に曝されているなかで、生き物としても生きていく余地をどのように切り開いていけるかを、『人魚』の舞台は問いかけているかもしれない。朽ち果てつつあるこの社会と同様に合理性が支配しつつある漁村の社会に、拭い去りがたい血腥さがあることは、人魚の餌食になった男の血をいくら拭きとろうとしても広がっていくばかりの血糊が生々しく示していよう。そして、この社会は凄まじい嵐のなかに消えていく。では、その恐怖のうちにある予感をどのように受け止めうるのか。『人魚』という予言的な寓話は問いかけているのではないだろうか。
 すでに挙げた細かな表現を含め、演出は非常に洗練された、凝縮度の高いもので、かつ着想──そこにベンヤミンの『ドイツ悲劇の根源』、アドルノとホルクハイマーの『啓蒙の弁証法』などが影を落としているのは疑いえないし、あるいはそこにカフカが書いた「セイレーンの沈黙」も加えることができるかもしれない──の深さを感じさせる。また、俳優たちの渾身の演技も光った。とくに人魚のふてぶてしさと弱さをさまざまに声色を変えて、さらには迫真の咳まで交えて表現した川面千晶の演技は圧巻だった。また、占い師を演じた大熊ねこの声は、地の底から響いて、情景全体を包むようで、一人の声でありながら村の崩壊を見守るコロスか地謡のように思われ、とくに心に残った。

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ベルリン旅日記(2011年7月17日)

 午前中、以前から気になっていたホテル近くのケーテ・コルヴィッツ美術館を訪れる。からりと晴れた素晴らしい天気だったので、11時の開館まで中庭の散策を楽しむことができた。木々の緑と白い紫陽花の花が夏の陽に映えて美しい。美術館は個人の邸宅を改装したもののようで、白壁の美しい縦長の建物だった。
 美術館の内部では、ケーテ・コルヴィッツの生涯と作品が年代順に展示されていて、大きな彫刻作品はそれほど多くはないものの、主要作品に至るプロセスが、素描や書簡、習作として作られた油彩画や塑像によって描き出されている点、興味深い。とりわけ生身の人間の生に対するほとんどエロティックなまでの慈しみのなかから、肩を震わせて戦争に抗うあの彫刻作品群が生み出されていることがよく伝わってくる。その慈しみは、とりわけ第一次世界大戦で戦死した息子ペーターの不在の身体を前にして、いやがうえにも増幅されていたことだろう。ドイツ農民戦争から現在の戦争の凄惨さを照らし出す「戦争」連作も、あらためて味わってみたい。たしかその版画の一部が沖縄の佐喜眞美術館にあったはずだ。
 午後は、ベルリン在住の友人と会ってゆっくりと昼食。行きつけになっているルートヴィヒ教会の前のレストランは、ライン地方のフラメクーヘン(四角いピザのようなオーブン料理で、フランスのアルザス地方にも同様のものがある)を出すようになっていた。試してみると、生地が非常に香ばしい。食後にコーヒーを2杯頼んで話し込んだ。私たちは、風が強くなったこともあって屋内の席へ移動したが、屋外の席に粘っている客もいる。そうして陽光を味わっているのだろうか。
 夕方は、コーミッシェ・オーパーでヴァーグナーの『ニュルンベルクのマイスタージンガー』を見た。実演に接するのは初めてである。シーズン最後の自主公演だからだろうか、客にワインが振る舞われていた。粋な気遣いである。席に着いてみると、椅子の上に字幕を表示する装置が新たに備えつけられている。英語とドイツ語から字幕を選べるようだ。このご時世、すべてドイツ語で通す(この劇場ではどの作品もドイツ語で歌われる)わけにはいかない、ということだろうか。
 今回の公演は、パトリック・ランゲの指揮、アンドレアス・ホモキの演出。若いランゲのきびきびとした音楽の運びを基調としながら、歌うべきところはしっかりと歌わせる指揮が心地よい。ここぞというところで即興的な溜めを作るのに付いて行ききれなかったところがあったとはいえ、オーケストラは実に力強い響きでそれに応えていた。弦楽器と管楽器がよく溶け合った響きの厚みは素晴らしく、この劇場のオーケストラの実力をあらためて実感させられた。この劇場で時折心配になる合唱とのアンサンブルも、今夜は最後まで保たれていて、幕切れ近くのオーケストラと合唱が一体となった響きは圧倒的だった。
 ホモキの演出は、例によって傾斜をかなりきつく作った舞台の上に、おそらくスチロールか何かで作った、ニュルンベルクの建物を模したと思われる、人が入れるくらいの小屋を転がして、場面ごとの秩序や混乱を表現するもの。第二幕の喧嘩の場面の後は、その小屋が倒れて折り重なっていた。それはそれでドラマの進行をよく表現していたように思うが、その小屋自体が何とものっぺりとした感じで、終幕で色づけされても、どうにも舞台が締まらない印象を受けた。登場人物の衣装などは、多少現代風の色づけがなされているが、おおむねオーソドックスなスタイル。ザックスとベックメッサーがはっと顔を見合わせる幕切れは、思わずにやりとさせられる小粋な演出と思う。ザックスとヴァルターの勝利で終わらせないという演出の行き方は、非常に好感がもてる。ちなみに、エヴァはザックスの父性に対して断ちがたい思いを抱き続けているようで、最後はヴァルターはほとんど振られてしまったように見える。
 歌手のなかでは、ザックス役のトマーシュ・トマソンが圧倒的な歌唱を聴かせてくれた。最後の「ドイツの芸術」を讃えるくだりなど感動的ですらあった。ベックメッサー役のトム・エリック・リーの巧みさも印象に残る。ベックメッサーの不器用な生真面目さが、逆に魅力的にも思われた。ヴァルター役のマルコ・イェンチュは当初危なっかしいところも見られたが、肝心の自作の歌を披露するあたりでは、非常に美しい声を聴かせていたと思う。エヴァ役のイーナ・クリンゲルボルンはもう少し存在感を強調してもよかったかもしれない。むしろダフィートとマグダレーネのほうが目立っていた。それが示すように、脇役たちにも隙がなかったのも今回の公演の美点であろう。音楽を聴くだけでも満足度の高い舞台だったように思う。第三幕の重唱など本当に美しかった。
 劇場を出ると雨が強くなっていたので、屋根のあるところを伝うようにしてフリードリヒ通りの駅へ向かう。途中ウェスティン・グランデの喫茶で点いていたテレビを覗くと、サッカーの女性のワールドカップの決勝が延長に入っていた。さて、どうなるかと思いつつホテルに帰ってテレビを点けると、ちょうどPK戦が始まるところで、例のなでしこジャパンが優勝を飾る瞬間を見ることになった。帰りのフランクフルトから成田へ向かう飛行機も、彼女たちと一緒になったようで、成田では消防車の放水と、報道陣のカメラの放列に迎えられることになった。 

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ベルリン旅日記(2011年7月16日)

 疲れを取る意味もあり、寝坊してから少し遅めに朝食へ降りると、朝食会場のサロンは満席。これほどの観光客が泊まっていたのか、と思う。やはり観光シーズンであることを実感させられる。しばらく部屋で待って出直しても席は空かない。週末ということもあり、みなゆっくりと朝食を楽しんでいるのだろう。結局相席させてもらうことになった。
 今日は夕方に国立歌劇場で細川俊夫さんの『松風』の公演を見ることになっているが、それまでは空いている。そのあいだ絵を見たいと思って、ポツダム広場へ向かった。地下鉄に乗る前に、札を小銭に替えたいこともあって、近くの文学館内の書店に立ち寄り、アライダ・アスマンの記憶と歴史の関係を扱った一冊を買い求めた。いつもどおり地下鉄2番線に乗り換えてポツダム広場へ行こうとしたが、途中が工事中で、いったん12番線に乗り換えることに。いつもの倍の時間がかかった。
 新国立美術館をのぞいてみると、ドイツ語で»Moderne Zeiten«というテーマの特別展示があり、面白そうな印象を受けたので、見ることにする。どうやら、ベルリンでのチャップリン全作品の上映とも関連した収蔵作品展のようで、実際会場のなかで『モダン・タイムス』、すなわち»Moderne Zeiten«の一部も上映されていた。20世紀前半の絵画と同時代(Moderne Zeiten)との関わりに光を当てた展示で、都市、技術文明、貧困などの社会問題、戦争などと絵画の関わりを、テーマごとに探るもので、展示そのものは非常に興味深く、この時代のとくにドイツの絵画が、いかに同時代の動きに鋭く感応していたかが、ひしひしと伝わってくる。なかでも印象的だったのは、やはり「ポツダム広場」をはじめとするキルヒナーの作品。今回は、水浴に訪れた避暑地で、裸体の女性を自然の風景のなかに溶け込ませ、その身体性を自然の生命の力強さと一体化させている絵画が心に残った。同様のテーマでは、ブリュッケの一員だったミュラーの作品も、キルヒナーとは違った繊細さを示していて美しい。戦争や大戦間期の社会問題に踏み込んだものとしては、やはりディクスの作品が凄い。きわめて伝統的な手法が、戦争の無残さを、人間の醜さを、これでもかと抉り出している。他にクレーの美しい作品がいくつかあった。それもまた技術文明の発展に感応しながら夢想された世界を繰り広げるものだった。
 美術館を出た後、地下鉄は時間がかかるので、フィルハーモニーの裏からバスを乗り継いでホテルへ戻り、ひと休みした後、シラー劇場を間借り中の国立歌劇場へ向かう。ザヴィニー広場の駅をくぐって北上すれば、歩いて10分強で行ける距離である。そこで細川俊夫さんの新作のオペラ『松風』の公演を見たわけだが、これは能の名曲「松風」をオペラへ翻案したものである。ベルリン国立歌劇場で行なわれたそのベルリン初演の今日は中日だった。
 「松風」のような夢幻能において表現されるのは、過去が浸透した時間とひとまず言えようが、そのような時間が、今回の公演では緊張感に満ちた音楽と多彩な身体表現をもって説得的に表現されていた。とりわけ、死者と生者が共存する時間が自然の風景のなかにあることが強調されていたことが、『松風』の世界を豊かにしていたように思われる。なお本作品は、5月初旬にブリュッセルのモネ劇場で世界初演された後、すでにワルシャワとルクセンブルクで上演されている。とくに今回の公演では、一人のダンサーが、無数の黒い糸によって織りなされた網のような壁を少しずつ手前に引いてくることによって、夜の帳が降り、死者の魂が現われる世界が開けるのが表現されていた。深沈とした音楽に乗って、夜闇がだんだんと迫ってくる。そしてその奥からは、謡曲でも歌われるとおり、満月が顔をのぞかせている情景は、今回の演出において最も魅力的であった。また、その網のような壁を伝って降りてくる松風と村雨の姉妹の魂の二重唱は、『松風』の音楽の白眉だったように思われる。
 微かに響き始める波打ち際の水音で始まり、地謡のような合唱が、朝日を湛えた村雨の露の残る松のあいだを潮風が吹き抜ける風景を静かに歌うなか、息の音で表現される風の音が徐々に静まって幕切れを迎える『松風』は、どこか前作のオラトリオ「星のない夜」を思わせる。こちらの作品は、けっして美しいだけではない、どこかおぞましくさえある季節の廻りが予感させる、いつまでも続くかのように思われる、忘れっぽい人間の暴力の歴史の連続のなかで起きた、1945年の二つの凄惨な出来事、すなわちドレスデンの空襲と広島への原子爆弾の投下を想起するとともに、これらの犠牲者の魂の救済を祈る場がやはり自然の風景のなかにあることを暗示するものであったとするならば、新しいオペラ『松風』は、祈りの場が自然のなかにあるのはなぜかを示すものと言えよう。須磨の浦のような自然の風景のなかに、その振動に生者の身体が共振するなかに、死者の魂は回帰してくる。そのとき、その魂は現世への断ちがたい思いを抱いているのだ。立ち止まって、風のそよぎに耳を澄ますとき、そうした魂の奥底からの叫びが聞こえるかもしれない。須磨を訪れた僧のように静かに佇むこと、そうして自然と自分の身体が触れ合うばかりか、両者が相互に浸透し合っているのを感じ取るとき、自分のなかに死者の魂がふと姿を現わすのかもしれない。そして、3月11日の後の今こそ、そのような経験をつうじて、死者の声が聴き届けられなければならないのではないだろうか(本公演について詳しくは以下を参照されたい:http://homepage.mac.com/nob.kakigi/Matsukaze_Berliner_Staatsoper_16072011.htm)。そうした思いを抱きながら、夜遅くホテルへ戻った。

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Tremolo Angelos「ホシハ チカニ オドル──Dialogues in the Dark 2011」公演に触れて

 身体表現者大槻オサムとヴァイオリニスト谷本仰が結成したパフォーマンス・ユニットとも言うべきTremolo Angelosの公演「ホシハ チカニ オドル──Dialogues in the Dark 2011」に接することができた。人工の太陽とも言うべき核エネルギーが発する放射能によって命を奪われた死者をはじめとする、理不尽に死に追いやられたばかりか、歴史から消し去られ、忘却の淵へと葬り去れた死者たちの声を聴き出し、響き出させ、闇のなかに輝かせるとともに、その星座から、この死者たちを抹殺していくのとは別の物語を紡ぎ出させようという試みという。二人の戦慄する天使たちの戦きのなかから、小田実の言う「難死」を強いられた者たちの声の谺がどのように響いてくるのか、期待を胸に会場へ赴いた。
 会場のカフェ・テアトロ・アビエルトの内部は、あちこちに写真が掲げてあったり、ノートパソコンのディスプレイ上でビデオクリップや写真のスライドショーが流れていたりといった具合に、それ自体が一つのインスタレーションのように構成されている。そこに映し出されているのは、チェルノブイリや旧ユーゴスラヴィア、あるいはイラクやガザで、放射能や軍事力によって理不尽な死を強いられた人たちの記憶であったり、沖縄の高江や山口の祝島で、軍隊と資本の暴力に抗して命をつなぐ闘いを続けている人々の記録であったりする。それらのイメージが発する光が闇に包まれて、公演が始まった。
 舞台は、「闇」、「身」、「光」の三つの場で構成されており、最初の「闇」は、一部には「日本の原子力開発の歴史の汚点」とも評される東海村の事故が穿つ「歴史」の闇を見据え、そのなかから事故の犠牲となった死者の声を響き出させるもの。家族に語りかける優しい語り口のなかから、この「歴史」の欺瞞とともに、放射能によって生命体、ないしは有機体としての再生力をもった組成がずたずたにされていくことへの恐怖が抉り出されてくる。その犠牲者が幻視する天使のような白い形姿──人工の太陽を直視した際に網膜に焼き付いたのだろうか──のたゆたうような舞いも胸を締めつける。
 「身」と題された次の場には、ニガヨモギ、すなわちチェルノブイリの森の精が登場する。「身」という文字は、命を抱く身体、とくに妊娠した女性の身体を象徴しているとのことであるが、この森の精の最初の身振りは、死者たちの命の痕跡をかき集めようとするかのようだ。そのような、これまた一人の天使のような精が、分厚いコンクリートの「石棺」のなかに封じ込められた、チェルノブイリ原子力発電所の事故の犠牲者と対話を繰り広げる。その傍らに、化石化した人の顔のような仮面が置かれているのが印象的。その顔に森の精が親しみを込めて語りかける。すると死者の声が聞こえてくるのだ。死者が目覚め、語り残したことを、顔を通して森に響かせる──「人格」を意味するpersonという英語の語は、仮面劇の仮面を意味するラテン語のpersonaを語源としており、その語はさらに「それを通して (per) 」あるものが「響く (sonare) 」ことを意味する──のである。その死者の言葉の一つに、森と一つになりたいという希望を表明するものがあった。森の精によると、その可能性は、劣化したコンクリートの亀裂としてすでに開かれているという。そのひび割れから骨片の一つでも土に落ち、そこから草が生えるなら、その希望は成就するのである。
 事故後のチェルノブイリで植物が自生し、森をなすまでになっていること自体に希望を見る向きがあるようだが、私はそれは違うと思う。そこにあるのは、コンクリートの棺が皮肉な仕方で象徴するように、不朽であろうとする人間の歴史的な営為に、仮借なく腐敗と衰滅をもたらす、自然の生命の営みにほかならない。それが穿つ歴史の亀裂から、核という人工の太陽を生み出し、生命を破壊するのとはまったく別の仕方で、自然と関わり合う可能性の光が漏れ出てくるのである。
 最後の「光」の場は、エピローグのような短い場だが、非常に強い印象を残す。「大地がぼくらに閉じていく」と始まるマフムード・ダルウィーシュの詩が、谷本と大槻のあいだで応唱のように朗読されたのには、心を打たれた。「大地がぼくらに閉じていく」というのは、東海村の犠牲者が夢に見た閉じていく闇に通じるだろうし、「ぼくらの血がオリーヴを植えるのだ」という詩句は、チェルノブイリの死者の森になりたいという希望に連なる。これまで舞台に蘇った死者の記憶が今、イスラエルの圧倒的な軍事的暴力によって「難死」を強いられたパレスチナ人の記憶と応え合うのだ。やがて、大槻は一人の天使のような姿になって、化石の仮面を慈しむように白い布で包んだ後、羽ばたくように舞台上方へ、名残り惜しげに去っていく。すると、生者と死者の記憶を映す会場の展示の光が少しずつ点っていった。その様子はまさに、闇のなかに星たちが光るかのようであった。そのあいだに一つの星座を見て取るなら、今も無数の「難死」者を生み出し続けている歴史とは別の物語を、紡ぎ出せるかもしれない。「光」という文字は、松明を掲げる人の姿を表わすそうだが、そのような文字を冠した最後の場面は、もう一つの物語の可能性を観る者に語りかけるものだったのかもしれない。
 全体を通して、大槻の一つひとつの命への暖かい共感に満ちた身体表現が印象的だった。なかでも、包んだり、かき抱いたりする行為に、慈しみと同時に、遭遇した個としての命を、どこまでも引き受けて生きようとする身振りを見て取ったとき、感動を覚えずにはいられなかった。そこに、イトー・ターリが2009年の冬に広島の原爆ドームの前で見せた身体表現に通じるものを感じたのは、おそらく私だけではなかっただろう。さらに、最後に登場する天使の羽には、星たちが抱かれている。ヴァルター・ベンヤミンが語る「歴史の天使」の羽根が進歩の強風に煽られて、未来へと後ずさりさせられるのに対して、ここに降り立った天使は、無数の命をかき抱いて未来を開こうとするのだ。そのような天使を現出させるに至る大槻の身体表現に呼応する谷本のヴァイオリンも、表現の振幅が大きく、舞台上の世界に奥行きをもたらしていた。電気的な効果を駆使して、激しいリズムや放射能の威力を表現する凄まじいノイズを音にするところも印象的だったが、何よりも心を打ったのは、やや抑えた表現で切々と歌われた哀切な歌である。大槻と谷本の二人の戦慄する天使は、それ自体が応唱によって構成された一つの歌のような舞台に結実する身体的表現の振動のなかから、死者たちの声の谺を歴史の闇のなかに響き出させ、星座のように応え合わせる可能性を、力強く示していたように思う。「ホシハ チカニ オドル」の舞台は、ベンヤミンが述べるように、「敵は勝つことを止めていない」、また「死者たちまでもが安全ではない」今ここの状況において、「難死」した死者たちの一人ひとりと応え合うなかから、「難死」の歴史とは別の物語を紡ぎ、もう一つの世界を想像し、創造する糸口が、歴史の闇のなかに萌していることを、暗示していたのではないだろうか。

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