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Hiroshima Happy New Ear XIIを聴いて

 新しい音楽への耳を開く広島での現代音楽の演奏会シリーズHiroshima Happy New Earの第12回の演奏会には、現代の音楽そのものをリードしてきたと言っても過言ではないアルディッティ弦楽四重奏団が来演した。この弦楽四重奏団の演奏には、CD──ラッヘンマンの弦楽四重奏曲を集めたものは、あらためて凄いと思う──やラジオの放送などで親しんできたのだけれでも、生の演奏に接する機会はどういうわけかこれが初めてのこと。それゆえとても楽しみにしていたのだが、期待にたがわぬ素晴らしい演奏だった。以前にディオティマ弦楽四重奏団の演奏を聴いたときに、これは一つの事件だと人に語ったことがあったが、それを上回る衝撃を受けたと言ってよい。凄まじいまでの凝縮度をもった音の塊が、恐ろしいまでの解像度をもって迫ってくるのだ。
 とくに最後に演奏された、クセナキスのテトラスで聴いた音の凝縮されたエネルギーは、この四重奏団の緊密なアンサンブルによってしか表現されえないものだろう。アリストテレスに因んで言うならば、きわめて質料的な音の素材が、おのずから発展し、凄まじい生命力を発揮していた。同時にそれが緻密な論理にもとづいていることも感じないではいられない。ロゴスに裏打ちされた、ディオニュソス的な音の躍動をアルディッティ弦楽四重奏団は聴かせてくれた。
 とはいえ、今回この弦楽四重奏団の演奏に接して驚かされたのは、音の素材が激しく運動する楽節と、それがぴたりと止んで静まる楽節との対比である。とくに静けさの深さは恐ろしいほどだ。最初に聴いたリゲティの弦楽四重奏曲第2番の演奏で聴かせた静かな響きには、深淵に吸い込まれそうな思いがした。その静けさから湧き上がる音の運動は、リゲティが影響を受けたバルトークの作品以上に、飼い馴らされていない自然の蠢きを感じさせる。
 今回細川俊夫の作品が二曲演奏されたが、まず「沈黙の花」の演奏は、この作品が傑作であることを申し分なく伝える密度の濃い演奏だった。力強く打ち込まれた音が命の花を空間に開きながら、やがて消え去っていくさまが、驚くべき振幅をもって表現されるとともに、その線が擦れていく動きがきわめて緻密に表現されていた。垂直的に打ち込まれ、空間に線を描いていくのがだんだんと静まって消え去っていく、どこか命の儚さを感じさせる曲の推移には、マーラーの交響曲第9番の最終楽章を思い起こさせられる。
 日本初演となった細川の弦楽四重奏のための「書」は六つの短い曲から成るが、その演奏ではとくに最後の二つの曲における息の長い歌が印象的だった。書においては擦れや滲みをなすような動きが、歌う息遣いと深い感情の共鳴として響いていたように思う。なお、最後の曲は、細川のオペラ『班女』のなかの花子のアリアを素材にしているとのことである。
 この夜聴いたアルディッティ弦楽四重奏団の演奏は、曲のテクスチュアを緻密に読み取ることを、崇高なまでの強度をもった現代の音楽の表現と見事に結びつけたものであった。それを聴きながら、アドルノが、技術でもある芸術がそれ自身の論理を尽くした果てに自然との和解がありうることを、思い起こすとともに、そこに至るミメーシスが音楽においては、アルディッティ弦楽四重奏団がしたような優れた演奏をつうじてのみ実現されうるのかもしれないとも考えさせられた。その緻密な解釈と緊密なアンサンブルのなかから、音の運動が、歌う息のめぐらしが、おのずから立ち上ってくるのである。
 そのことと同時に、この夜聴いた鮮烈な表現に至る弦楽四重奏の伝統も感じないではいられなかった。リゲティの作品は明らかにバルトークの弦楽四重奏曲第4番を意識したものであろうし、クセナキスの作品も、ベートーヴェンの後期の弦楽四重奏曲の、断片的なモティーフを展開させる傾向なしには生まれなったのではないか。それに細川の「書」は全体として、例えばヴェーベルンが書いた弦楽四重奏のための楽章を思い起こさせる。アルディッティ四重奏団が、このような弦楽四重奏の伝統を背景に、弦楽四重奏と新しい音楽の可能性をどのように切り開いていくのか、これからも注視していきたい。

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