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金時鐘の詩の朗読ライヴ「四月よ、遠い日よ」に接して

 ヨーロッパ、とくにドイツでは、作家、とりわけ詩人が自作を朗読する夕べをもつことは、かなり頻繁に行なわれているが、日本ではそうした催しは少ない。そうしたなか、詩人の金時鐘が自作の朗読を、ライヴのかたちで聴かせるという。彼の言葉がそこでどのように響くのだろうという思いを抱きながら、上八木のカフェ・テアトロ・アビエルトへ金時鐘の詩の朗読ライヴ「四月よ、遠い日よ」を聴きに行く。
 『失くした季節──金時鐘四時詩集』(藤原書店)のなかから、四時それぞれおおよそ三篇ずつを選び、それを詩人自身が朗読するのを軸としながら、そこにフリー・ジャズの原田依幸の即興演奏と、俳優の水野慶子による『失くした季節』より以前の詩集からの詩編の朗読が挟まれる構成だったが、いきなり原田の演奏に圧倒された。日本語の定型詩の情感に抗う詩の朗読に相応しい、突き刺すような鋭い響きの打ち込みに始まって、飛礫のような音が、内的な必然性を感じさせる連なりをもって、次々と投げつけられる。そのような音によって構成される音楽と、時に轟音に近いようなその強い響きによって、肺腑がわしづかみにされる思いだった。続いて水野慶子が、金時鐘の『化石の夏』からの詩編「ここより遠く」を非常にドラマティックに朗読したが、これは詩人自身が『失くした季節』の詩編を、どちらかというと淡々と朗読するのと好対照をなしていて、作風の違いがより際立ったのではないだろうか。
 『失くした季節』からの詩編を読むに先立ち、金時鐘は、短歌や俳句といった日本の伝統的な定型詩が、東日本大震災における自然の災厄を被った嘆きには、いち早く呼応したものの、福島原発の人災には沈黙したままであることを指摘し、また日本の現代詩も、言葉を失って瓦解しつつあると述べたうえで、原発の人災を含めた東日本大震災に自分の詩がどう向き合うかを、「夜の深さを 共に」というごく最近の詩を朗読して表明した。それは、自然を賛美することで、人間に立ちはだかる自然の猛々しい力を忘却した文明の退廃を衝くとともに、自然に心情を投影する定型詩の情感が、その退廃につながっていることも示唆していた。
 詩人自身の朗読は、先に述べたとおり、無駄な抑揚を廃した、どちらかと言うと淡々とした調子であったが、それによって逆に、水野慶子が朗読した『光州詩片』のなかの「噤む言葉」という詩に表現される、意味の伝達を止めた言葉に極まるような、言葉そのものの、やはり定型詩的な情感に収まらない質感がよく伝わったかもしれない。
 夏、秋と二つの季節の詩の朗読が終わったところで、金時鐘と、今回の朗読ライヴの演出と構成を担当した崔真碩のトークが行なわれたが、その内容も興味深かった。なかでも、詩人が追求する抒情と、日本語の定型詩や唱歌が表現する情感との差異に触れたあたりには、はっとさせられるものがあった。後者の情感に唱歌などを歌って触れると、まさに情にほだされてしまい、とくに自分自身を批評する力が萎えてしまうという。だからこそ、唱歌を歌い、歌を詠んで故郷を思った兵士たちが、無反省に「三光作戦」のような蛮行を実行できたのだ。これに対し抒情の美は、批評を内在させている。抒情は、俗情からの超越によって歌われるのだ。自己完結した、神話的な情感を批判し、その内実を他者に対して開かれた表現によって抉り出すところに抒情が生まれるのであろう。
 冬の季節の詩から、予定されていた三篇に加えて、「人は散り、つもる」が朗読されたのは嬉しかったが、それに付けられた原田の即興による音楽は、やや美しすぎたかもしれない。「人は散り、つもる」と表現される、他者との別離と、その経験の積み重ねとともに沈澱していく他者の記憶との再会を、例えばかつての「切れて、つながる」といった言葉で表現される経験と対比させるなら、詩人の作風の変遷に多少なりと近づけるような気がする。
 最後に朗読されたのは、やはり春の詩より「四月よ、遠い日よ」。済州島の四・三事件の記憶を、四月を彩る事物から想起しつつ、抑制された調子で歌うこの詩に、詩人が追求してきた「もう一つの」とも形容すべき抒情が極まっている感じがし、またそのことが詩人自身のなかの苦い思いを凝縮させているようにも思われて、朗読を聴きながら胸が熱くなるのを覚えた。
 舞台の背景には、赤い春の花──桜だろうか──が、上田英馬の手によって描かれていた。それは花ばかりでなく、枝も赤い。そう、その樹は、根から死者たちの血を吸い上げて、枝を赤く揺らめかせているのだ。そして、花の赤さも、影を含んでいる。そこに死者の記憶が顔をのぞかせているのかもしれない。そのような自然の姿を拾い上げる、独特で、かつ以前の詩の言葉とは異なった質感を湛えた言葉の肌触りにじかに触れながら、その抒情について深く考えさせられる夕べだった。

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コメント

最近金時鐘さんの詩を知り日夜ネット検索中です。記事は鋭い分析と思います。

投稿: おかざきようこ | 2013年8月10日 (土) 10時46分

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