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2011年10月

内田光子&ハーゲン弦楽四重奏団演奏会

 ベートーヴェンの14曲目の弦楽四重奏曲の最終楽章で刻まれる、精神の反抗そのものであるような付点のリズムが容赦なく刻まれるのを聴きながら、ハーゲン弦楽四重奏団はこれほどまで厳しい音楽を聴かせるようになったのか、と感嘆せざるをえなかった。厳しさが貫かれるなかからこそ、この楽章のもの一つの主題が、迸り出るように歌い出される。その歌は、内側から湧き上がる喜びに満ちていた。これら二つの主題の素晴らしい表現は、いずれも純度の高い音楽を追求してきたハーゲン弦楽四重奏団の音楽の必然的な帰結であり、このクァルテットが積み重ねてきた室内楽の探究の精華ではないだろうか。サントリーホールの開場25周年を記念するスペシャルステージの一環として行なわれた、内田光子&ハーゲン・クァルテットの第2夜(2011年10月29日)を聴いたが、その前半で聴いたベートーヴェンの弦楽四重奏曲第14番嬰ハ短調の演奏は、このクァルテットの現時点での到達点を示すものだったように思われた。
 自由そのものと言えるような音楽の展開と、その悲劇的な切断との対照。これが、ほの暗くもどこか覚悟したところのある情念によって貫かれた一つの音楽をなしているところが、第13番と並ぶ異形の弦楽四重奏曲である第14番の魅力と言えようが、今夜の演奏では、その魅力が余すところなく表現されていたのではないだろうか。第1楽章のフーガは、非常に濃密な音楽に仕上げられていて、深い息とともにはき出される長いフレーズが、一分の隙もなく折り重ねられていた。だからこそ、それに続くアレグロの楽章のリズムの愉悦が際立つわけだが、その表現がけっして外面的にならず、密やかさによって貫かれているのが、後期ベートーヴェンに相応しい。細かいリタルダンドやテンポ・ルバートも自然で、音楽自体のダイナミズムにもとづくものであった。本当に密やかに音がさざめき合う箇所の響きなど、この世のものとは思えないほどだったが、そのような響きをこそ、後期のベートーヴェンは、みずからの脳裏に浮かぶ音を厳しく研ぎ澄ませて目指したのではなかったか。その厳しさが音楽に表われたかのような箇所も、上述のように素晴らしかったのだが、それ以上に強い印象を残したのが、アンダンテの自由な変奏の楽章。この夜の白眉だったのではないだろうか。憧れに満ちた歌が、静かに、それでいて感興豊かに変奏されていく。
 休憩を挟んで、内田光子のピアノが加わり、ブラームスのピアノ五重奏曲ヘ短調が演奏された。この曲も、ベートーヴェンの作品同様にメランコリックな情念の漲る作品ではあるが、この日の演奏は、しばしば見られるように、それが若さとともに迸り出るのを強調するのではなく、どちらかと言うとブラームスの音楽そのものの展開に軸足を置いたものではあったが、けっして情熱や力強さに欠けることはなく、スケルツォやフィナーレの追い込みは嵐のように凄まじかった。こうしたとき、五人の奏者の奏でる音楽が一つのエネルギーに凝縮されるのだが、そのような境地に達するまでに、内田光子とハーゲン弦楽四重奏団とのアンサンブルは緊密である。ザルツブルクをはじめとする場所で、何度も共演してきた成果であろう。
 マルタ・アルゲリッチとはいくらか対照的に、弦楽四重奏と一体となって一つの音楽を作り上げようとする内田のアプローチが最も生きていたのがアンダンテの楽章だったかもしれない。ブラームスの内気さを表わすかのように、歩き出しては戻ることを繰り返しながら徐々に高まっていくピアノの主題で音楽を導き、弦楽の歌を引き出すのだが、その過程の豊かなこと。また、第二ヴァイオリンとヴィオラによって歌われる主題──その充実したハーモニーも実に印象的だった──にも彩りを添える。そして、最初の主題が弦楽に移ると、それに微妙に変化し続ける陰影を与えるのである。第一楽章では、ダイナミクスの起伏がテンポの変化と結びつくのを、弦楽と一体となって見事に表現していたし、スケルツォでは、暗い情念が深く沈んだところからだんだんと湧き上がってくるのを、内田光子のピアノが見事に表現していた。そのトリオの部分に入る際のピアノによる主題の提示も非常に美しい。フィナーレは、メランコリックな序奏で始まるのだが、それは前半のベートーヴェンのアダージョの楽章を思い起こさせた。それに続くアレグロの主題の提示は、チェロとピアノが見事に呼応していて、きわめて充実していた。豊かで陰影にも富んだクレメンス・ハーゲンのチェロも素晴らしい。また、その主題がひとしきり高まった後に続く、深沈とした一節では、はっとさせられるほど密度が高い表現が聴かれた。そして、この楽章を特徴づける情熱の高揚にあっても、一つひとつの音の粒立ちがけっして失われることがない。だからこそ魂が内側から熱くなるのだ。内田光子とハーゲン弦楽四重奏団による今夜のブラームスの演奏は、音楽そのものの運動を表現しきることで、そこに込められた情念をも引き出した演奏だったのではないだろうか。このような演奏は、できればもう少し小規模の、室内楽用の会場で聴きたかった。音が広がりすぎて、一つひとつの音に入っていけなかったきらいがあったのが少し残念だった。
※以上は、以下のサイトに掲載した記事の抄録です。http://homepage.mac.com/nob.kakigi/Mituko_UchidaHagen_Quartett291011.htm

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金時鐘の詩の朗読ライヴ「四月よ、遠い日よ」に接して

 ヨーロッパ、とくにドイツでは、作家、とりわけ詩人が自作を朗読する夕べをもつことは、かなり頻繁に行なわれているが、日本ではそうした催しは少ない。そうしたなか、詩人の金時鐘が自作の朗読を、ライヴのかたちで聴かせるという。彼の言葉がそこでどのように響くのだろうという思いを抱きながら、上八木のカフェ・テアトロ・アビエルトへ金時鐘の詩の朗読ライヴ「四月よ、遠い日よ」を聴きに行く。
 『失くした季節──金時鐘四時詩集』(藤原書店)のなかから、四時それぞれおおよそ三篇ずつを選び、それを詩人自身が朗読するのを軸としながら、そこにフリー・ジャズの原田依幸の即興演奏と、俳優の水野慶子による『失くした季節』より以前の詩集からの詩編の朗読が挟まれる構成だったが、いきなり原田の演奏に圧倒された。日本語の定型詩の情感に抗う詩の朗読に相応しい、突き刺すような鋭い響きの打ち込みに始まって、飛礫のような音が、内的な必然性を感じさせる連なりをもって、次々と投げつけられる。そのような音によって構成される音楽と、時に轟音に近いようなその強い響きによって、肺腑がわしづかみにされる思いだった。続いて水野慶子が、金時鐘の『化石の夏』からの詩編「ここより遠く」を非常にドラマティックに朗読したが、これは詩人自身が『失くした季節』の詩編を、どちらかというと淡々と朗読するのと好対照をなしていて、作風の違いがより際立ったのではないだろうか。
 『失くした季節』からの詩編を読むに先立ち、金時鐘は、短歌や俳句といった日本の伝統的な定型詩が、東日本大震災における自然の災厄を被った嘆きには、いち早く呼応したものの、福島原発の人災には沈黙したままであることを指摘し、また日本の現代詩も、言葉を失って瓦解しつつあると述べたうえで、原発の人災を含めた東日本大震災に自分の詩がどう向き合うかを、「夜の深さを 共に」というごく最近の詩を朗読して表明した。それは、自然を賛美することで、人間に立ちはだかる自然の猛々しい力を忘却した文明の退廃を衝くとともに、自然に心情を投影する定型詩の情感が、その退廃につながっていることも示唆していた。
 詩人自身の朗読は、先に述べたとおり、無駄な抑揚を廃した、どちらかと言うと淡々とした調子であったが、それによって逆に、水野慶子が朗読した『光州詩片』のなかの「噤む言葉」という詩に表現される、意味の伝達を止めた言葉に極まるような、言葉そのものの、やはり定型詩的な情感に収まらない質感がよく伝わったかもしれない。
 夏、秋と二つの季節の詩の朗読が終わったところで、金時鐘と、今回の朗読ライヴの演出と構成を担当した崔真碩のトークが行なわれたが、その内容も興味深かった。なかでも、詩人が追求する抒情と、日本語の定型詩や唱歌が表現する情感との差異に触れたあたりには、はっとさせられるものがあった。後者の情感に唱歌などを歌って触れると、まさに情にほだされてしまい、とくに自分自身を批評する力が萎えてしまうという。だからこそ、唱歌を歌い、歌を詠んで故郷を思った兵士たちが、無反省に「三光作戦」のような蛮行を実行できたのだ。これに対し抒情の美は、批評を内在させている。抒情は、俗情からの超越によって歌われるのだ。自己完結した、神話的な情感を批判し、その内実を他者に対して開かれた表現によって抉り出すところに抒情が生まれるのであろう。
 冬の季節の詩から、予定されていた三篇に加えて、「人は散り、つもる」が朗読されたのは嬉しかったが、それに付けられた原田の即興による音楽は、やや美しすぎたかもしれない。「人は散り、つもる」と表現される、他者との別離と、その経験の積み重ねとともに沈澱していく他者の記憶との再会を、例えばかつての「切れて、つながる」といった言葉で表現される経験と対比させるなら、詩人の作風の変遷に多少なりと近づけるような気がする。
 最後に朗読されたのは、やはり春の詩より「四月よ、遠い日よ」。済州島の四・三事件の記憶を、四月を彩る事物から想起しつつ、抑制された調子で歌うこの詩に、詩人が追求してきた「もう一つの」とも形容すべき抒情が極まっている感じがし、またそのことが詩人自身のなかの苦い思いを凝縮させているようにも思われて、朗読を聴きながら胸が熱くなるのを覚えた。
 舞台の背景には、赤い春の花──桜だろうか──が、上田英馬の手によって描かれていた。それは花ばかりでなく、枝も赤い。そう、その樹は、根から死者たちの血を吸い上げて、枝を赤く揺らめかせているのだ。そして、花の赤さも、影を含んでいる。そこに死者の記憶が顔をのぞかせているのかもしれない。そのような自然の姿を拾い上げる、独特で、かつ以前の詩の言葉とは異なった質感を湛えた言葉の肌触りにじかに触れながら、その抒情について深く考えさせられる夕べだった。

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Hiroshima Happy New Ear Xを聴いて

 広島の地に、あるいは広島の地から「新しい耳」を開こうとする現代音楽の演奏会「Hiroshima Happy New Ear」。早いもので今回で10回目を迎える。その第10回の演奏会を10月20日、アステールプラザのオーケストラ等練習場で聴いた。「悠久の時を超えて」と題された今回の演奏会では、笙という楽器の可能性を世界に知らしめた宮田まゆみと、現代リコーダー演奏の第一人者と呼ぶべき鈴木俊哉の二人を迎えて、千年以上にわたって伝承されてきた曲から、ごく最近生まれたばかりの作品まで演奏された。それら演奏された作品のなかで、笙のような楽器を生かしてきた伝統と現代の感性が時を超えて出会うのに立ち会い、笙とリコーダーという生まれた時も場所も大きく隔たった二つの楽器に通底するものにじかに触れることができたように思う。これら二つの楽器を貫くもの、それは世界を満たし、生命を貫く息である。古代ギリシア以来の伝統によれば、ギリシア語で「プネウマ」と呼ばれる、世界に満ちる気息こそ、ギリシア語の「アニマ」、すなわち「魂」とも訳される生命の原理にほかならない。今回の演奏会は、息をして生きているのになかなか気づくことのない、この気息の無限のダイナミズムを、あるいは無数の気息のせめぎ合いをあらためて見直す機会にもなったのではないだろうか。
 最初に演奏されたのは、古典的な雅楽において笙の曲として伝えられてきた「平調調子」。会場は、十分な高さがありながら、さほど広くないので、例えば千席規模の大きな演奏会場で聴くよりも、笙という楽器の音色や、そこにある陰影を捉えやすかったかもしれない。それはヨーロッパのオルガンのように広がりながら空間を満たすのではなく、鳳凰を模した楽器の姿そのままに空間に凛と立つ。しかし、そこには豊かな倍音だけでなく、影のような音も連れ添っていて、そこからたゆたうようなニュアンスの変化が生まれてくるようだ。秋の月のように白く映える響きがすっと退いて、木霊のように遠くから響くのに、一抹の寂しさを感じた。
 次に演奏されたのは、ルチアーノ・ベリオがリコーダー独奏のために書いた「ジェスティ」。「ジェスティ」とは身振りであるが、ベリオは、未だ一つの身体に統合されていない、複数の身振りそのものが、偶然の出会いを経て深く結びつくまでを一つの曲に構成しているようである。口から分離した手の動きが表現する、落下を繰り返すような自動運動と、声も混じる変化に富んだ息を吹き込む動きとが、時に遭遇し、また時にすれ違う。そこにある偶然性が、鈴木俊哉の見事な演奏によって、実にスリリングに感じられた。また、聴いていて、口と手の分離とともに、両者の運動そのものが、あたかも人間の意図を離れた自動的なものであるかのように、厳密に構成されているのが伝わってきたのも興味深い。
 ベリオに続いて、細川俊夫の「線Ib」が演奏された。この作品は、本来フルート独奏のために書かれたのを、リコーダーのために編曲したものという。この作品は、彼の作曲の原点にあるものという。あるいはゲーテの言葉を借りて、「原現象」とでも呼ぶべきなのかもしれない。リコーダーという木で出来た楽器でこの曲を聴くと、その後のいくつかの作品の響きが、とりわけ息を伴った響きが思い出されてくる。「線」以来、細川は宇宙的な時空間へのカリグラフィとして作曲行為を自覚するようになるわけだが、リコーダーでこの曲を聴くと、最初の打ち込みが激しい息とともにもたらされることばかりでなく、書道において擦れや滲みを伴う墨の線が、空間を満たす無数の気息とのせめぎ合いのなかから浮かび上がってくることが、非常によく伝わってくる。リコーダーの狭い管のなかに渦巻く気息のエネルギーが、一本の線に結実していく過程が、劇的ですらあった。
 演奏会前半ではもう一曲、川上統の「軍鶏」が演奏された。笙とリコーダーのために書かれたこの若い作曲家の作品は、軍鶏という鳥の猛々しさと滑稽さの両方を描き出そうと、リズミカルな動きどうしの間を巧みに使っていたが、それを聴いていて、二羽の鶏が時にけたたましく存在を誇示し、時に媚態を見せながら戯れ合う、微笑ましい光景が想像された。アニマという生命の気息が軍鶏という生き物、すなわちアニマルの生態に吹き込まれる一曲とでも言えようか。
 休憩を挟んで、徳永崇の「模様の入れ方」が演奏された。笙で演奏可能なすべての和音をランダムに配したのを下地として、そこにリコーダーの音を刺繍するように絡めていく、まさに模様を入れる作曲行為を示すとともに、地と図の境界が揺さぶられるような仕方でハイブリッドな音響を現出させる作品と言えようが、とくに笙の響きがすでにハイブリッドな変化を含んでいて、織物の生地の糸の一本の繊維の光彩の変化のほうに注目させられた感じがする。
 次いで日本古謡の「さくら」を細川俊夫が笙独奏のために編曲したかたちで聴いた。陰影に富んだ響きのなかから、よく知られたペンタトニックな旋律が微かに響き出てくるのだが、そのさまは吐く息が歌となる、つまり息の響く音の高さが上下に動く際の緊張を、そこにある無数の振動を表わしているように思われた。息をして生きる人間が気息に満たされた空間のなかで、みずからの思いを乗せた深い息を吐いて歌うという行為そのものの原像を見た思いがする。
 その次に演奏されたサルヴァトーレ・シャリーノの「風に乗って運ばれた、対蹠地からの手紙」からは、シチリア出身というこの作曲家がもっている風の運動、とりわけその速度に対する独特の感性を感じることができた。海辺に立つと、さまざまな方向からの、それぞれ異なった速度をもった風の動きを体感することがあるが、そこにあるせめぎ合いや、それに伴う海辺の木々の揺らぎ、海鳥たちの動きの変化を顕微鏡で拡大したかのような動きが、リコーダーの演奏技法を最大限に駆使して表現されているのかもしれない。しかも、瞠目すべきことに、きわめて微視的な構成が、広い空間を吹き抜け、人を圧倒するような風の荒々しさにも結びついている。そのことを見事に表現しきった、鈴木俊哉の超絶技巧にも圧倒させられた。
 最後に演奏されたのは、細川俊夫が武満徹の還暦に寄せて書いた「鳥たちへの断章IIIb」。盲学校の子どもたちが手触りと心のなかのイメージを頼りに練り上げた鳥たちの彫塑に触発されて、音に触る行為として作曲そのものを見つめ直しつつ、その鳥たちの自然を、そして自然な生のうちにこそある自由を表現しようと作曲した作品という。自然の母胎を表現したという笙の響きがたゆたうなかから響いてくる低音のリコーダーの音は、おずおずと羽ばたき始める鳥の翼の動きを思わせるが、そこに同時に、例えば森のなかでぞくっとさせられるような生き物の気配のようなものさえ感じられる。やがて、リコーダーによって鳥の自由な動きが、とりわけリコーダーがソプラノに持ち替えられてからは、重力から解き放たれたかのような動きが展開されるのだが、笙の響きも変化を止めることはない。翼の羽ばたきに呼応してゆらめくかのように、彩りを変えていく。こうした笙とリコーダーの音の動きからは、人間によってけっして飼い馴らされることのない自然のダイナミズムと、生命そのものの自由を感じないではいられない。
 笙とリコーダー。この二つの楽器が示しているのは、生命のダイナミックな運動が気息によって貫かれているということである。無数の気息が行き交う空間のなかで一つの生命体が息を発するとき、その気息は振動し、響き出ることがある。もしかすると音として聴いているものの根源を、今回の演奏会で垣間見たのかもしれない。
※以上は、次のサイトに掲載した記事の抄録です。
 http://homepage.mac.com/nob.kakigi/Hiroshima_Happy_New_Ear_X20102011.htm

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宮城県美術館の20世紀日本の絵画

 久しぶりに宮城県美術館を訪れる。たしか2003年以来なので、8年ぶりと思う。館外の展覧会に出品されているためだろうか、お目当てのクレーやカンディンスキーを見られなかったのは残念だったが、小企画展で、これまで知らなかった二人の画家の作品に出会えたのは、大きな収穫だった。その一人は大沼かねよ。宮城に生まれ、東京で学んだ後、山谷の貧しい人々を多く描いたという。そうした作品の一つと思われる「休み」(1930年)にまず惹かれた。生きることに、そのために働くことに疲れ果てながら、なおも生き続けようと休息する労働者の肉体を、その重さにおいて彫り出す作品と言えようが、その重苦しい画面のなかで、命を必死でつなごうとする母親の姿に光が当てられているのに、素直に打たれた。赤子に乳を遣りながら、空いた右手で上の子のためにわずかな食物を冷ましている。同じ大沼の「野良」(1933年)は、「休み」とは対照的に、闊達な筆致で野良仕事の合間の農民の姿を生き生きと描く。無駄なく、自由な田園風景の描写が、人体のそれと見事に調和している。彼女は、自然のなかに生きる農民の生活に軸足を置きながら、都市の労働者の生きざまを、その肉体のなかに押し込められる問題もろとも抉り出そうとしたのだろうか。
 大沼と同じく宮城に生まれた加藤正衛は、東北帝国大学の解剖学教室の画工として出発したという。その経験を生かして、事物の細部の構造を微視的に描き出しながら、世界そのものへ迫ろうとする画風と言えようか。1964年、東京オリンピックの都市に生まれた「失われゆく青空」は、人工的な建造物の部品が褐色の空間を埋め尽くし、青空が失われていくさまを緻密に構成した作品だった。また、ためらいがちに暖かな赤の地に矩形のモティーフがコミカルに組み合わせられた「道化師」からは、静かな諧謔と深いアイロニーが感じられる。そして、1949年の作品という「休息」は、大沼の「休み」とはまったく対照的に、やはり緻密な構成が光る作品である。空間の構成のなかに溶け込んでしまったかのような人物は、もしかすると壁や椅子と一体となるまでに疲れているのかもしれない。それから「庭」(1953年)は、クレー的な遊び心と、暖かな色彩感とが、デューラー的な綿密さと合致した、真の傑作である。
 今回、この二人の作品に出会えたこととともに、松本竣介の作品に出会い直せたのが嬉しかった。まず、1937年の緑に包まれた「郊外」。木々の緑、草の緑が、仙台の豊かな緑をじかに見た後だけに、いっそう印象的に目に飛び込んでくる。しかも松本は、その輝きとゆらめきを静かに描いているのだ。その緑に包まれながら、郊外の白い建物の前で遊び回る子どもたちを、遠くから温かく見守る画家のまなざしも感じないではいられない。今や失われつつある生命の未来への静かな祈りに包まれた作品と言えよう。ちなみに、塊として迫ってくる土の赤さが代表する、爆発寸前までにエネルギーを蓄えた色彩が印象的な萬鉄五郎の「郊外風景」(1918年)も併せて見ると、かつては郊外の風景が美しかったことがわかる。
 松本竣介の作品に戻ると、1941年の「画家の像」は、褐色の時代に立ち向かう自分と家族の等身大の姿を、静かで細やかな筆致で描いた作品だが、これを靉光晩年の一連の自画像と対比させる必要があろう。同じ年に描かれた「白い建物」は、時代と同様に閉ざされた風景を、建物を中心に緻密に構成した作品と思われるが、そこでは建物の白と、その上に広がる空の深い青の対比が印象的である。彼の最晩年の「人」(1947年)は、破壊された人間を再構成する道を模索するものと言えようか。
 破壊された人間と言えば、麻生太郎の「人」(1959年)は、背景の赤のなかへボロボロと崩れていきそうな、もろい塊というか土塊としての人間を描いているように見える。これとは対照的に、瑛九の「影」(1950年)は、エネルギーが漲った作品。影をなす光の粒子の運動を、同時多発的な爆発として再構成したもので、こうした作品を見ると、彼の仕事を例えば、ラーズロー・モホイ=ナジの仕事と対比させてみたい誘惑に駆られる。今回宮城県美術館で20世紀日本の絵画を集中的に見て、それを以前よりも広い視野をもって、歴史的かつ批評的に見直す必要を痛感させられた。

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オスナブリュック、ミュンスター、デュッセルドルフ旅日記:2011年9月30日

 デュイスブルクからデュッセルドルフの宿へ帰り着いた後、原稿を書いたり、ベッドで横になって少し仮眠したりといったことを繰り返しているうち、明け方になった。原稿執筆にひと区切りを付けて荷造りの準備をし、朝食に下りた。フランクフルトからの飛行機の機内食まで食べられないことを見越して、昨日より少し多めに食べる。そもそも昨日朝食後に食べたのが、チーズ入りのケバブ(これがなかなか美味しかった)とスーパーで買ったチョコレートだけだったので、腹が減っていたこともあるのだけれども。今回のホテルの朝食はごく普通のものだけれど、パンとチーズに関してはどこへ行ってもあまり外れがない。今日は日本で見るのより少し大ぶりのバナナを余計に食べた。
 朝食を済ませて荷物をまとめ、チェックアウトして中央駅に向かう。空港はドイツ鉄道の急行に乗れば10分ほど。そこからスカイトレインに乗れば、ものの5分でチェックインカウンターの並ぶターミナルに着く。その点は確かに便利だ。デュッセルドルフからフランクフルトまでのフライトは40分ほど。その後、フランクフルトの空港でもシャトルトレインで別のターミナルへ移動し、かなり歩いて、増築された発着所にある東京行きの便のゲートへ。今回は時間に余裕があったので、逆にあまり遠く感じなかった。
 成田行きのルフトハンザは満席。それどころかオーヴァーブッキングになっていたようで、別便で帰る人を募ってもいた。フランクフルトでモーターショーか何かあったために人が多いのだとか。搭乗すると、あの大きなA380の機内がすし詰め状態。そのため機内のサーヴィスも行き届いていなかったように思う。前のほうに席を取ったら、後ろから配っていた機内食の一方が品切れになり、不味い焼鳥丼を食べさせられる羽目になった。おまけにろくに飲み物にもありつけない。今回の旅は、このあたり本当についていない。とにかく、混雑する時期にこの便を使うのは考えものだ。ミュンヘン回りにするか、ANAを使うのが得策かもしれない。
 機内では、デュッセルドルフで手に入れたギュンター・アンダースについてのモノグラフィを読んだり、旅の記録を付けたりして過ごした。アンダースについての本は、彼の芸術観などについて参考になる気もするが、今ひとつ面白みに欠ける印象だった。

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オスナブリュック、ミュンスター、デュッセルドルフ旅日記:2011年9月29日

 デュッセルドルフまで来たからにはライン川を見ておこうと、河岸へ足を向けた。幸い天気が良く、堤防から身を乗り出すと風が心地よい。その足でK20現代美術館へ向かった。巨大な展示空間に、20世紀初頭から21世紀の現代までの美術作品が十分な間隔を取って並んでいる。観覧者も少なく──それはそれで問題ではあるが──、じっくりと見ることができた。
 何といってもここのクレーのコレクションは素晴らしい。1920年代の「らくだ」や「宇宙的風景」などももちろん美しかったのだが、今回それら以上に印象的だったのが、黒く太い線が特徴的な後期の作品。「英雄的な薔薇」に見る静かな補色の対照、そして「深い森」に見る穏やかな緑の階調。いずれもじわりと胸が熱くなるような美しさを呈していた。これら以外に印象に残ったのは、まずフランツ・マルクの「猫」。動物たちの密やかな動きと色彩の見事な調和。また、アンリ・マティスの初期の風景画は文句なしに美しい。彼はこのような柔らかな色調の風景画も描くことができるのだ。1920年代の「青に」や1910年代初頭のコンポジションなど、カンディンスキーの作品も印象に残った。二人の街行く女性を描いた作品には、キルヒナーの美質が凝縮されている。
 これら以外にヨーゼフ・ボイスの作品がまとまったかたちで展示されていたのも興味深かった。なかでも、自動車で移動するソヴィエト連邦の原子炉を報じた1964年の新聞記事の写真と、破局を意味するであろう灰色で塗り潰された一角とが赤い矢印で結ばれた作品には、じっと見入るほかはなかった。ゲルハルト・リヒターの作品も印象に残る。展示をひと通り見た後、図書館に立ち寄り、少し調べ物をした後、行きがけに目をつけておいたハイネハウスという文学専門の書店へ行く。古書も置いてあって、日本では手に入りにくくなったギュンター・アンダースの広島と長崎に関する本などを手に入れることができた。
 ホテルの部屋に帰って原稿を書いた後、夕方からはルールトリエンナーレの一環として行なわれる細川俊夫のオペラ「班女」の公演を見るために、隣町のデュイスブルクへ向かう。デュイスブルク中央駅の地下ホームからトラムに乗り、町外れの停留所で降りて公園のなかをしばらく歩くと、巨大な工場跡が見えてくる。太いパイプや高いクレーン、それに煙突が立ち並び、部分的にライト・アップされていた。この地を拠点とした重工業の盛んだった往時が偲ばれる。そのなかの「送風場」としか訳しようのない建物ゲブレーゼハレを会場に、「班女」の公演は行なわれた。巨大なふいごでも置かれていたのだろうか。
 会場に入ると、客席とほとんど仕切られていない舞台は、煙が立ちこめているようでよく見えない。目を凝らすと、舞台中央を鉄道の線路が貫いていて、それに大きな倒木が倒れ込むかたちになっている。その脇には四つほどの四角い穴が開いていて、なかに水が張られていたり、ビニールが詰められたりしている。奥のほうにも同じような穴がいくつも開けられていて、オーケストラはそのなかにセクションごとに分かれて座っている。メンバーは、それぞれの特徴を隠すためであろうか、顔の上半分を白く塗られている。今回の公演の演出家は、カリスト・ビエイト。毎度物議を醸す演出で評判のスペイン出身の演出家が、このような仕掛けを駆使してどのような舞台を見せてくれるか、楽しみになってきた。ちなみに、花子を歌ったのは、スウェーデン出身のソプラノ歌手ケルスティン・アヴェノ。ドイツ出身のメッツォ・ソプラノのウルズラ・ヘッセ・フォン・シュタイネンが実子を歌った。吉雄役はヴィーン出身のゲオルク・ニグル。
 さて、最近の細川の規模の大きな作品でしばしば聴かれるように、息の音が静かに持続するなかに鈴の音が密やかに響き始める。非日常的な独特の空気が醸し出されると同時に、何者かの気配を感じないではいられない。やがて煙った舞台の奥から、線路のレールを伝って花子がふらふらと近づいてくる。いかにも狂女という体の白い衣裳で、よろけながら遠くへ目を凝らし、やがて両手を広げると、衣裳がはだけ、腹部に「愛」の一字が刺青のように書かれているのが見える。その身振りが後で吉雄との再会の場面で繰り返されるとき、観る者はこれが班女の扇を広げる動作であることを知ることになる。ちなみに吉雄のほうは、判読できなかったが、腹部にそれこそ扇のようにいくつもの漢字を書かれていた。
 この刺青を扇に見立てた表現は、最初に見たときは、この作品の鍵になるものとしてはあまりにも直接的に感じられ、正直別の表現の仕方があるのではと感じたが、後になると、身体的な表現にこだわるビエイトなりの意図があるように思われてくる。もしかすると刺青は、トラウマのように身体に刻み込まれた恋人の記憶なのかもしれない。それは花子を捨てたかに見える吉雄のほうが深く、幕切れ近くで暴力的に噴出することになる。男性をはっきりと暴力性において際立たせるやり方は、いかにもビエイトらしいが、これによって、それぞれ異なった世界に生きる二人の女性の関係がくっきりと浮かび上がってくる。
 全体的に今回のビエイトの演出は、リブレットと音楽をよく読み込んだうえで、場所の特質を生かす、非常に説得的なものだった。そもそも線路を中心に据えた装置は、花子が井の頭線の駅で吉雄を待ち続けるのと、実子が花子を旅に連れ出そうとすることの両方に対応するし、舞台中程の倒木は敷居に見立てられる。それに、この線路がかつて工場だった空間によくマッチしているのだ。それに、歌手にかなりの無理を強いる──例えば花子がレールの上に立った不安定な状態で歌うことは、狂気の表現としてよく考えられているが、歌手にとっては大変だろう──場面もあるとはいえ、演技と音楽の起伏が非常によく合致しているように思われた。
 「班女」における細川の音楽は、夢と現実、狂気と正気のあわいにあるものが凝縮された能の世界に相応しい緊張を一貫させながら、その上に花子の歌を夢幻の世界に浮遊させ、他方で身体の奥底から湧き上がる実子の愛憎の感情を浮き彫りにするものと言えようが、今回上演に接して、花子への愛情と吉雄への嫉妬のあいだで揺れ動く実子の感情の表現がことに印象に残った。井の頭線の駅で吉雄を待ち続ける花子のことを新聞に書かれたときの燃えるような嫉妬──実際舞台上では火が燃やされ、新聞紙の燃えがらが黒い雪として降った──と、その裏返しとしてある花子への妖しいまでの愛情との振幅を、ヘッセ・フォン・シュタイネンの歌唱は、見事に表現していた。とくに、レチタティーヴォのような語りから歌へ移行するときなど、妖艶とも言えるような表情を見せていたし、逆に歌から語りへ移行した瞬間は言葉がよく立っていた。
 他方、花子を歌ったアヴェノは、端正な歌唱で別の世界に生きる女を演じきっていた。無駄な表情がそぎ落とされている分、正気の人間の生身の感情との落差が際立つ。この点が、吉雄と再会した場面では非常に効果的だった。お前は吉雄ではなく、毎日駅を行き交う骸骨のような人々と同じように死んでいるという言葉が、どちらかと言うと淡々と、しかしそうであるがゆえに決定的な宣告として響くのだ。それを聞いた吉雄は、カフカの「判決」の世界を見るかのように、水溜まりに身を投げたのだった。吉雄を演じたニグルも、筋の通った明快な歌唱を聴かせてくれたが、そうであるがゆえに吉雄の暴力性が凝縮されて際立っていた。この点は、ビエイトの意図する吉雄像に合致していたのではないだろうか。
 このように、三人の歌手たちはそれぞれの登場人物の特性を見事に浮き彫りにしていたのだが、それ以上に感心させられたのが、ゲリー・ウォーカー指揮するムジークファブリークの演奏だった。舞台の各所に奏者が分散せざるをえない条件下でありながら、緊密なアンサンブルを聴かせ、どの瞬間を取っても間然するところがない。何よりも、各奏者が明確な主張をもってあらゆるパッセージに生気を吹き込んでいるのが好ましく思われた。豊かな空気をはらんだ弦楽器のメロディックなパッセージなど、背筋がぞくっとするほど妖しい美しさを放っていたし、吉雄が登場するときの音楽は凄まじいまでの迫力だった。間奏的なヴィオラのソロは、和楽器演奏で言う障りも取り入れて、細川の音楽に相応しい見事な演奏だったと思う。
 「班女」というドラマの解決なき解決──吉雄が去った後、花子と実子はお互いを認めてはいるものの、失った愛を待つ者と、未だ愛されたことのない者との隔たりは埋まることがない──の後、夕闇のなかに花子と実子が静かに歩み去って行く幕切れは、細川の音楽と相俟って、こう言うと失礼かもしれないが、ビエイトの舞台とは思えないほど本当に美しかった。複数の生の静かな、そして確かな肯定がそこにはあった。「班女」という作品のテクスチュアを工場だった空間のなかで見事に生かした演出と、確かな技術に裏打ちされた振幅豊かな音楽の表現が見事に合致した、この場所ならではのきわめて説得的な「班女」の公演だった。その印象を、会場で出会った人たちと語り合いながら、再びデュイスブルクの変わったトラムで帰途に就いた。

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