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宮城県美術館の20世紀日本の絵画

 久しぶりに宮城県美術館を訪れる。たしか2003年以来なので、8年ぶりと思う。館外の展覧会に出品されているためだろうか、お目当てのクレーやカンディンスキーを見られなかったのは残念だったが、小企画展で、これまで知らなかった二人の画家の作品に出会えたのは、大きな収穫だった。その一人は大沼かねよ。宮城に生まれ、東京で学んだ後、山谷の貧しい人々を多く描いたという。そうした作品の一つと思われる「休み」(1930年)にまず惹かれた。生きることに、そのために働くことに疲れ果てながら、なおも生き続けようと休息する労働者の肉体を、その重さにおいて彫り出す作品と言えようが、その重苦しい画面のなかで、命を必死でつなごうとする母親の姿に光が当てられているのに、素直に打たれた。赤子に乳を遣りながら、空いた右手で上の子のためにわずかな食物を冷ましている。同じ大沼の「野良」(1933年)は、「休み」とは対照的に、闊達な筆致で野良仕事の合間の農民の姿を生き生きと描く。無駄なく、自由な田園風景の描写が、人体のそれと見事に調和している。彼女は、自然のなかに生きる農民の生活に軸足を置きながら、都市の労働者の生きざまを、その肉体のなかに押し込められる問題もろとも抉り出そうとしたのだろうか。
 大沼と同じく宮城に生まれた加藤正衛は、東北帝国大学の解剖学教室の画工として出発したという。その経験を生かして、事物の細部の構造を微視的に描き出しながら、世界そのものへ迫ろうとする画風と言えようか。1964年、東京オリンピックの都市に生まれた「失われゆく青空」は、人工的な建造物の部品が褐色の空間を埋め尽くし、青空が失われていくさまを緻密に構成した作品だった。また、ためらいがちに暖かな赤の地に矩形のモティーフがコミカルに組み合わせられた「道化師」からは、静かな諧謔と深いアイロニーが感じられる。そして、1949年の作品という「休息」は、大沼の「休み」とはまったく対照的に、やはり緻密な構成が光る作品である。空間の構成のなかに溶け込んでしまったかのような人物は、もしかすると壁や椅子と一体となるまでに疲れているのかもしれない。それから「庭」(1953年)は、クレー的な遊び心と、暖かな色彩感とが、デューラー的な綿密さと合致した、真の傑作である。
 今回、この二人の作品に出会えたこととともに、松本竣介の作品に出会い直せたのが嬉しかった。まず、1937年の緑に包まれた「郊外」。木々の緑、草の緑が、仙台の豊かな緑をじかに見た後だけに、いっそう印象的に目に飛び込んでくる。しかも松本は、その輝きとゆらめきを静かに描いているのだ。その緑に包まれながら、郊外の白い建物の前で遊び回る子どもたちを、遠くから温かく見守る画家のまなざしも感じないではいられない。今や失われつつある生命の未来への静かな祈りに包まれた作品と言えよう。ちなみに、塊として迫ってくる土の赤さが代表する、爆発寸前までにエネルギーを蓄えた色彩が印象的な萬鉄五郎の「郊外風景」(1918年)も併せて見ると、かつては郊外の風景が美しかったことがわかる。
 松本竣介の作品に戻ると、1941年の「画家の像」は、褐色の時代に立ち向かう自分と家族の等身大の姿を、静かで細やかな筆致で描いた作品だが、これを靉光晩年の一連の自画像と対比させる必要があろう。同じ年に描かれた「白い建物」は、時代と同様に閉ざされた風景を、建物を中心に緻密に構成した作品と思われるが、そこでは建物の白と、その上に広がる空の深い青の対比が印象的である。彼の最晩年の「人」(1947年)は、破壊された人間を再構成する道を模索するものと言えようか。
 破壊された人間と言えば、麻生太郎の「人」(1959年)は、背景の赤のなかへボロボロと崩れていきそうな、もろい塊というか土塊としての人間を描いているように見える。これとは対照的に、瑛九の「影」(1950年)は、エネルギーが漲った作品。影をなす光の粒子の運動を、同時多発的な爆発として再構成したもので、こうした作品を見ると、彼の仕事を例えば、ラーズロー・モホイ=ナジの仕事と対比させてみたい誘惑に駆られる。今回宮城県美術館で20世紀日本の絵画を集中的に見て、それを以前よりも広い視野をもって、歴史的かつ批評的に見直す必要を痛感させられた。

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