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オスナブリュック、ミュンスター、デュッセルドルフへの旅:2011年9月28日

 朝オスナブリュックを発って、ミュンスターへ向かう。特急に乗れば30分とかからない、ほとんど隣町である。まず、ミュンスターの旧市街へ向かって、ツーリスト・インフォメーションで市街地図をもらい、いざツヴィンガーへ、と意気込んだが、ほとんど空振りに終わった。下調べが不十分だったと言えばそれまでだけれども。ナチ時代に監獄というか、ほとんど処刑場のように用いられていて、当時のソヴィエト連邦とポーランドから連れて来られたおびただしい人々が殺されたこの場所には、レベッカ・ホルンのインスタレーション「対向する協奏」──原題のDas gegenläufige Konzertは、ひとまずこのように訳せるだろうか──が設置されていて、それをぜひ見たかったのだが、夏のあいだ、日曜の午後にだけ見られるようだ。そもそもこの建物も、日曜にしか公開されていないという。ヴァイマルと同じである。なお、ツヴィンガーの建物自体、ずっしりとのし掛かってくる印象だった。今は崩れかかっているところもあるようだが、分厚い壁で取り囲むかのような円形の石組みのところどころに小さな窓が開いていて、いかにも監獄の造りである。塞がれた入口からは冷たい風が漏れていた。
 肩を落として歩いていたら、いかにも古そうな教会が目に入った。ミュンスターは教会の街と言えるほど、市街中心の大聖堂をはじめ教会が多いが、使徒教会というこの教会はプロテスタントの教会という。しかし、建物そのものはやはり古く、内部空間を含め、初期ゴシック様式をよく残していて美しかった。そこを出て、旧市街を少し歩き回った先にピカソ美術館があったので、冷やかし程度に立ち寄ってみたが、エディ・ノヴァロという、ピカソをはじめ同時代の芸術家の写真を数多く残した写真家の仕事を中心にした特別展の最中という。ノヴァロの写真と、その撮影を機縁として彼に贈られた小品が展示の中核をなしていた。さまざまな芸術家の写真を見られるのは、それはそれで面白かったとはいえ、作品の展示としては貧弱だったと言わざるをえない。展示の最後に、ピカソの版画がわずかながらあった。闘牛など闘いを主題としたもの、愛を主題としたもの、そしてピカソの分身とも言えるミノタウロスを主題としたものに分類されていたが、愛の表現である最後の妻の肖像が印象に残った。
 ツヴィンガー行きが空振りに終わったため、もうしばらく間があったので、大聖堂の傍らの州立芸術・芸術史博物館も訪れてみた。ちょうど新しい建物への立て替えの準備中ということで、倉庫に集められた作品を覗くことができるというのも面白かったが、それ以上に、収蔵作品から選りすぐったものをテーマごとに配置し、時代を距てたなかで対話させるという展示が興味深かった。展示されていた作品のなかでは、何よりもアウグスト・マッケのアトリエを飾っていたという、フランツ・マルクの「楽園」の壁画が素晴らしかった。動物たちが自然の色調のなかに穏やかに溶け込んでいる。壁画は、油絵よりも柔らかな印象だ。他に、流行の服を飾ったショウ・ウィンドウを眺める女性たちを描いたマッケの作品も美しかった。これも柔らかな色彩の音楽を奏でてている。クレーの「聴く人」を見られたのも嬉しかった。聴く行為そのものをユーモラスに描いた小品だ。花が咲き乱れる庭を描いたエミール・ノルデの作品も鮮烈な印象を残した。
 こうした20世紀前半の作品、さらには20世紀後半の作品が、中世の祭壇画や彫刻、そしてルネサンスやバロックの絵画と対話するかたちで展示されている。同じテーマの表現法がどのように変わっているかを見るのも面白かったうえ、古い作品も見応えがあった。また、地元の古い芸術が大切にされているのもよく伝わってきた。このあたり、日本の美術館も学ぶべきではないだろうか。なお、この美術館では、他にエルンスト・マイスターという詩人の絵画作品がまとまったかたちで展示されていたし、ヨハンナ・ライヒという若い作家のヴィデオ・アートもなかなか興味深かった。
 本を少し見て駅へ戻る途中、市庁舎の裏手にある三十年戦争の終結を記念した広場に立ち寄った。その傍らには戦争と暴力の犠牲者に捧げるモニュメントがあった。広場にはまた、「対話による寛容」と題されたエドゥアルト・チリダの彫刻作品も置かれていた。幾何学的な金属の塊が対話するかのように向かい合っている。緊張感のある対話の表現と言えようか。それをつうじてこそ平和が実現されると語りかけるのかもしれない。少なくとも、360年以上前の出来事をたんに歴史化するのではなく、その意味を現代の問題として問おうとする姿勢が伝わる広場の造りと言えよう。それに触れるとき、日本の「平和都市」の公共空間のあり方も再考させられる。

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