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オスナブリュック、ミュンスター、デュッセルドルフへの旅:2011年9月26日

 今日から4泊6日でドイツを訪れる。今回の旅では、とくに三十年戦争終結の場であると同時にナチスの暴力の記憶も刻み込まれている二つの都市、オスナブリュックとミュンスターを訪れて、歴史的な場所や歴史的な記憶が集約された場所に芸術が介入することによって、過去を想起することがどのように喚起されるか、さらには過去を想起すること自体がどのように変化するかを、実際にその場所に足を踏み入れることで可能なかぎり確かめてみたい。それによって、今ここで歴史を紡ぎ出すことをどのように捉え返せるかを考える糸口を探ることができればと思う。
 まず、オスナブリュックでは、ダニエル・リベスキンドが設計したフェリックス・ヌスバウム美術館を訪れる予定である。ベルリンのユダヤ博物館に見られるように、複数の建物を交差させ、それによって作られる「ヴォイド」という空隙をもつ建物のなかに、アウシュヴィッツで虐殺されたこのオスナブリュック出身の画家の作品が数多く展示されているわけだが、そこで建築と美術がどのように共振しているか興味がある。リベスキンドの設計自体、どのようなコンセプトで、それがどのように実現されているのか、それとヌスバウムの絵画が、さらには彼の経験がどのように共鳴しているのか、そしてヌスバウムの絵画自体が、どのような強度をもって迫ってくるのか、見て来たいと思う。オスナブリュックでは、シナゴーグをはじめ、他の歴史的な場所も訪れておきたい。
 ミュンスターは日帰りで立ち寄るだけだが、ツヴィンガーと呼ばれる、かつてナチが政治犯の収容所に使っていたという建物に、現代美術作家のレベッカ・ホルンがインスタレーションを据え付けているのを見ておきたいと考えている。この建物の一室一室に、そこにある石の一つひとつに刻み込まれた、ナチの暴力の犠牲者たちの記憶が、その場でどのように想起されるだろうか。ホルンの作品そのものとともに興味深いところである。ミュンスター市街の各所には、ホルンの作品以外にも、野外の彫刻作品がいくつか置かれているという。そのいくつかも見て、古い街並みが美しいとされる歴史的な街ミュンスターが、アートの介入によってどのように変貌しうるのか、その経験とはどういうものか、考えてみたい。
 日本へ帰る前の日の夜には、デュッセルドルフの隣町に当たるデュイスブルクを訪れ、工場跡を劇場に改造した建物で、ルールトリエンナーレの一環として行なわれる、細川俊夫の『班女』の公演にも接することになっている。これも歴史的な場所で、三島由紀夫の近代能をもとにしたオペラがどのように響くのかも楽しみである。その予習を兼ね、機内ではまず三島の『近代能楽集』を読んだ。伝承されてきた謡曲を土台にしながら、それを巧みに現代のドラマに翻案しながらも、その登場人物に、時空の交錯する夢幻能の世界を現出させる詩的な台詞を語らせる手腕には、やはり唸らせられないではいられない。そのひと言によって、何気ない日常的な場面に、死者とその浮かばれる思いがふと現われたり、正気と狂気、あるいは夢とうつつの境目がぼやけたりするのだ。「班女」もさることながら、「卒塔婆小町」など傑作だと思う。20世紀後半のホーフマンスタールとでも形容したいような三島の一面を示していよう。
 今回、成田からミュンヘンを経由してデュッセルドルフへ行き、そこから鉄道でオスナブリュックへ向かったのだが、ミュンヘン行きの機内ではもう一冊、吉田秀和の『時の流れのなかで』を読む。『音楽芸術』誌に34年にわたって連載されてきた批評を選りすぐったもの。音楽そのものについての深い理解については言うまでもないが、絵画、ひいては芸術そのものへの鋭い洞察も、具体的な展覧会に接したときの経験などをもとに示されている。セザンヌとマネの絵画の経験を土台に、絵画におけるマチエールを、画家の生と結びつけながら重視するあたりは興味深い。さらに、この批評選集に関して特筆すべきは、吉田のしなやかな思考が、芸術の領域だけにとどまっていないことである。チャーチルの「鉄のカーテン」という言葉を例に、歴史を語る言葉について論じた一節など、眼を開かせられる思いで読んだ。日本文化についての批評には、現代にも当てはまるところがいくつも含まれているのではないだろうか。批評としてのエッセイとは何かということを考えるうえで必読の一冊と思われる。
 それにしても、今回の旅では悪霊に取り憑かれたようにうまく事が運ばない。ケチの付き始めは成田空港の滑走路手前で飛行機が急停止したこと。嫌な予感がしたが、案の定タイヤの空気圧不足が判明したとのこと。その整備と給油で1時間ほど成田出発が遅れてしまった。そのためミュンヘンでは、予定していた接続便には乗れず、その次のデュッセルドルフ行きに乗ることになった。それに間に合って、初めて降り立ったデュッセルドルフ空港では、大急ぎで鉄道の駅と空港を結ぶスカイトレインに乗り、何とかデュイスブルクで特急に連絡する電車に乗り込めたまではよかったのだけれども、デュイスブルクの手前で人身事故があったようで、いつまで経っても予約していたハンブルク行きの特急が来ない。おそらく自殺だろう。3時間近く遅れてようやくやって来た特急も、半分はドルトムント止まりとなり、席を予約していた者もみな、後方の車両に乗り換えさせられた。これが事故を起こした当の電車なのかもしれない。結局オスナブリュックに着いたのは、午前2時過ぎ。ドイツ鉄道が発行したタクシー・クーポンを同じ方向の乗客と乗り合いで使い、ホテルまでタクシーで行けたのは、不幸中の幸いだった。移動が丸一日になってしまい、本当に疲れ果ててしまった。

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