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黄蝶南天舞踏團公演「祝告の器」公演に触れて

 昨晩(2011年8月6日)は、カフェ・テアトロ・アビエルトで黄蝶南天舞踏團の公演「祝告の器」を見た。海辺に打ち上がったかのような遺体の無念さを表わすかのような、逆さ吊りの状態の悶えるような表現から始まり、東アジア各地の葬礼の影響を受けた、死者に歌舞を捧げる台湾の葬礼の伝統に触発される仕方で、死者たちのありえた生きざまを、死者の姿で経めぐる、言わばレヴュー形式の死者に捧げる舞踊である。四人の踊り手たちが、時にアクロバティックに、時に諧謔を交えて踊り狂うさまは、異様な力強さがあって圧倒的だったが、なかでも演出も担当した秦かのこの踊りにはとくに惹きつけられた。一つの場面で、死体を運ぶ桶から這い出して、何か失ったもの、現世に置いて来たものを憧れるような表現を見せたり、また最後近くの場面ではみずからの肉体を慈しむような身体表現を見せたりしたのが強い印象を残した。こうした踊りすべてが、彼女によれば死者との対話であるという。生者と死者の魂が行き交う「器」を生きることになるのだ。まつろわぬ地霊としての死者の魂が乗り移った身体を震わせ、それとの対話を試みるとき、生者は台湾では「霊星」とされる北斗七星を仰ぎ見るという。最後近い一場面で、秦かのこが酒を吹き、桶の水を髪で撒く姿は、身体がその柄杓になったかのようだった。二胡を中心とした音楽も力強かったし、舞台の背景画も非常に美しかった。8月6日に、東北と関東の大震災の死者に捧げられた素晴らしい舞台を見ることができた。

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