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ベルリン音楽日記:2月13日、15日

【2月13日】
 フィルハーモニーの室内楽ホールにて、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団のメンバーによる室内楽の演奏会を聴く。ラトルとベルリン・フィルは、今年没後百周年を迎えるマーラーの交響曲のツィクルスを続けている──実際、来週には交響曲第4番を中心とした定期演奏会が予定されている──が、その一環としてマーラーの楽想の源泉と反響を探ろうとする演奏会と見受けられる。マーラーのピアノ四重奏曲の断章を中心に、シューベルトの弦楽四重奏断章、シェーンベルクの弦楽四重奏曲第2番に室内交響曲第1番を配したプログラム。
 とりわけ印象的だったのが、マーラーのピアノ四重奏曲断章の演奏。ピアノを担当したビシャラ・ハロウニを中心に、若きマーラーの屈折と、瑞々しい感情の発露とを、大きな表現の振幅をもって表現していた。暗く燃え上がる情熱が、歌を求めて迸り出る。これを聴くと、断章であることが、当時の後期ロマン主義の重荷からの出口を探るもののように思えてくる。
 この日演奏されたもう一つの断章、シューベルトの弦楽四重奏断章の演奏もなかなか興味深いものだった。この曲の演奏は、ともすれば情熱を生のままさらけ出したものになりがちだが、この日のベルリン・フィルの若い弦楽器奏者たちによる演奏は、どちらかと言うと、密やかな情熱のゆらめきを細やかに表現することに力点を置いたもの。もう少し歌の喜びがあっても、と思うところもないではないが、ピアニッシモでの細かい動きの表現がことのほか美しかった。
 これに続いて演奏されたのが、シェーンベルクの弦楽四重奏曲第2番。この作品における断片的なモティーフの緊密な絡み合いを、繊細かつ力動的に表現した弦楽四重奏もさることながら、最後の二つの楽章に置かれたデーメルとゲオルゲの詩を歌ったアンナ・プロハスカの声が印象深かった。澄んだリリック・ソプラノの声ながら、深みがあり、かつ妖艶ささえ具わっていて、詩に相応しい。最後に同じシェーンベルクの室内交響曲第1番が演奏されたが、本来指揮するはずだったサイモン・ラトルが病気のためにキャンセルし、ベルリン・フィルのメンバーの一人とおぼしき代役(名前は失念した)が指揮した。例えばヘルマン・シェルヘンの指揮による演奏のような表現主義的な熱さは感じられないものの、各奏者の妙技を生かした、充分すぎるほどダイナミックな演奏だった。

【2月15日】
 ウンター・デン・リンデンの劇場の改装工事のため、西のエルンスト・ロイター広場近くの、そしてライバルであるドイツ・オペラにもほど近いシラー劇場へ移ったベルリン国立歌劇場で、モーツァルトの「後宮からの逃走」が演じられるのに接した。フリードリヒ・ハイダーの指揮で、ミヒャエル・タルハイマーの演出。タルハイマーの演出については、ヤナーチェクの「カーチャ・カバノヴァー」の公演で好印象をもった覚えがある。
 序曲のときから舞台に組まれた、黒い、邸宅の大きな窓にも見える足場の上に、白の上下を着た男が立っている。すぐにこれがスヴェン・レーマン演じるバッサ・セリムとわかるのだが、舞台にも登場人物にもオリエント色がまったくない。ベルモンテを歌ったケネス・ターヴァーも同じような白の上下で客席から現われ、なかなかの美声で最初のアリアを歌った。コンスタンツェは、無垢さを強調するかのような白いドレスをまとっていて、ペドリーロとブロンデは、若者のカップルのような出で立ちだった。当然ながら、バッサ・セリムの家臣オスミンもただの太ったおじさんでしかなく、そうして見ると、原作にあったトルコの太守とスペインの貴族の対立劇が、一つの社会における抗争に置き換えられているのかもしれない。ただ、そうすることでタルハイマーが何を伝えようとしたのか、この舞台では今ひとつよく摑むことができなかった。アリアがしばしば中断されたが、その意図するところも判然としない。ペドリーロとブロンデのあいだに、いわゆるデートDVのようなものも見られ、軟禁された状況からの解放がそのまま救いにならないことは理解できたのだけれども。確かに空々しさの残るバッサ・セリムへの讃歌による幕切れで、原作の大団円に対するアンチテーゼを、研ぎ澄まされた仕方で立てようとしたのかもしれない。舞台装置が簡素で、洗練されていた点には好感をもった。しかし、以前にカリクスト・ビエイトの演出でこの「後宮からの逃走」を見たときほどのインパクトはなかったと言わざるをえない。
 歌手では、先に述べたようにベルモンテを歌ったターヴァーが、澄んだ美声でなかなかの好演。一昨日に続きアンナ・プロハスカが登場して、ブロンデを歌うのを楽しみにしていたが、後半やや疲れが出たようだ。それでもよく通る艶やかな声と確かな技巧を聴かせていた。コンスタンツェを歌ったスーザン・グリットンは、意志の強さを声として強く響かせようとするあまり、ところどころで表現を濁らせてしまっていたのが惜しまれる。ハイダーの指揮は、引き締まったリズムできびきびと音楽を運んでいたし、コンスタンツェのアリアの伴奏などでなかなか迫力のある響きを作り出していたが、現代のモーツァルト演奏としては、もうひと工夫あってもよかったかもしれない。

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