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2010年10月

フランクフルト+バーデン・バーデン旅日記IV

 あっという間に3日が過ぎて、もう帰途に就かなければならない。寝坊しては大変なので、念のためモーニング・コールを頼んだが、気が張っているせいか、早く目が覚めてしまう。朝食を取っていると、ホテルの人が「よい祝日を」と挨拶するので、はて何の祝日だろうと考えたら、今日がドイツ統一の記念日だったことに気づく。今年でちょうど統一から20年になるのだ。実際、新聞にはこの20年をさまざまな角度から分析した記事が載っていた。20年も経てば、壁を知らない統一後の世代も増えてきていよう。その世代は、どのような意識をもって大人になろうとしているのだろうか。
 荷造りし、ホテルをチェック・アウト──その際、観光税のようなものを日割りで払った──して、バスで駅へ向かう。バーデン・バーデンで乗るインターシティでフランクフルトへは直通で行くが、空港までは行かないので、マンハイムで乗り換えてフランクフルト空港へ向かう。ここで遅れたら大変だし、フランクフルトを出るときにも列車の遅れをいくつか耳にしていたので、戦々恐々としていたが、幸いほぼ時間どおりに到着した。飛行機のチェック・インをして、座席を指定する際、係の女性が、オーバー・ブッキングなので、便を替わってくれる人を探している、ついては少し遅くなるが香港経由にしないか、600ユーロ払うから、と便の振り替えを誘ってくるが、帰って広島での仕事へすぐ向かわなければならないので、お断りする。時間があれば少し考えたところだけれども。
 ドイツからの帰国便は速い。往路便と1時間しか違わないのだが、ずっと速い印象を受ける。本をうとうとしながら休み休み読んでいると、すでに韓国の上空に差しかかっていた。それから2時間足らずで、ほぼ定刻どおりに到着して、入国審査と荷物のピック・アップを済ませ、ついでにその間に帰りの関空特急と新幹線を予約したところまではよかったものの、それから広島にたどり着くまでが大変だった。
 まず、駅で切符を受け取ろうとすると、予約した特急は、和歌山地方の大雨の影響で運休になったという。仕方がないので、その次の電車に変更するが、これが阪和線の電車が前方に閊えているせいでノロノロ運転。結局50分近く遅れて新大阪に到着した。そのため変更した新幹線にも乗れず、再度予約を変更しようとするが、駅の窓口にはすでに長蛇の列が出来ている。並んで待っている暇はないので、いちばん早く来た新幹線の自由席に飛び込んだ。席が空いていたのが不幸中の幸いというところだろうか。それにしても、国際空港と大都市を結ぶ電車が、遠くの大雨の影響を受けて大幅に遅れるというのはどういうことなのだろう。それだけでも、国際空港へ乗り入れる電車としては失格なのではないだろうか。それに、こうなると分かっていれば、最初から南海電車を使っていた。これでさらに関西空港の不便な印象はますます増幅された。航空券代に上乗せして払う施設使用料も異常に高いので、今後よほどのことがないかぎり関空を使うことはないだろう。帰国してからの移動で気疲れしてしまったが、午後には仕事があるので、自宅に荷物を放り込んですぐに職場へ向かった。

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フランクフルト+バーデン・バーデン旅日記III

 今日は、今回の旅の目的である、細川俊夫さんの新作のオラトリオ「星のない夜」の初演の日。細川さんに、特別にゲネプロも聴かせていただくことになっているので、朝食を済ませてひと息ついてから、祝祭劇場の楽屋口へ向かう。少し早めに行ってみると、すでに細川さんと、何人かの細川さんと親しい人々が集まっている。細川さんに導かれて、舞台裏を通って客席へ行くと、ドイツで2番目の規模というこの劇場の大きさが実感される。響きもほどよい感じ。ゲネプロは、本番とは反対に、マーラーの交響曲「大地の歌」から始まって、休憩の後で細川さんの「星のない夜」という順番で行なわれた。
 今回初演を担当するのは、ケント・ナガノ指揮のグスタフ・マーラー室内管弦楽団。細川さんの作品のソロを担当する歌手は、サリー・マシューズと藤村美穂子という二人のソプラノで、この作品ではさらにこれに二人のナレーターと合唱が加わる。合唱はケルンの西ドイツ放送合唱団。それから、「大地の歌」のソロは、テノールがミヒャエル・シャーデで、バリトンがミヒャエル・フォレで、今回はアルトのパートを、マーラー自身がオルタナティヴとして示しているように、バリトンが歌うことになる。
 ゲネプロはマーラーから始まったが、最初からマーラー室内管弦楽団の響きの明晰さと、その各奏者の技術の確かさに驚かされる。それぞれの楽章を通した後、細かいダイナミクスやバランスを確認しながらリハーサルが進められていったが、ケント・ナガノの指示に対する反応が素晴らしい。ちょっとしたアンサンブルの乱れがあってもすぐに修正していく。予想したとおり、ケント・ナガノはきっちりとした楷書体のアプローチを示していたが、それも若いメンバーの多いオーケストラの特性に合っているようだ。ただ、若くて腕利きの奏者が明快な指揮にあまりにも鋭敏に反応するので、音楽が前へ前へ進んで、細かいニュアンスがやや乏しくなってしまうのは、致し方ないところか。歌手の二人のうち、テノールはかなり声を抑えていたが、バリトンはおそらく本番とさほど変わらない声で歌っていた。しっかりとした声の持ち主であることがよく分かる。
 休憩の後、細川さんの作品のリハーサル。こちらは最初に、ナレーターのサウンド・チェックを行なった後、おそらくは前日までの練習で不安が、ないしは問題があった箇所をピック・アップして練習した後、全体が通しで演奏された。細川さんも、通して聴くのは初めてとのことだったが、彼とともに、ケント・ナガノが全曲の構造を完全に自分のものにしているという確かな感触を得た。サリー・マシューズは抑え気味に歌っていたので何とも言えないが、藤村美穂子が心からの感動をもって歌っているのは、ひしひしと伝わってくる。そして何よりも合唱団の技術が素晴らしい。この作品には、声を出さずに息だけで歌う箇所がかなりあるのだが、そうした箇所でも歌詞がしっかりと発音されるし、それによって言葉のニュアンスが、声を出したときとは別の仕方で広がる感じがする。よく練習されているし、現代曲の演奏の経験も相当に積んでいる印象だ。オーケストラのメンバーも、共感をもって演奏しているのが、見ていてよく分かる。
 本番の演奏を楽しみにさせてくれるリハーサルが終わって時計を見ると、もう14時過ぎ。何か食べようということになって、劇場の近くの中華料理屋へ細川さんたちと向かう。ケルンで作曲を学んでいるという学生さんが一緒になった。肉や魚の炒め物をつつきながら、今日の演奏のこと、ケルンでの作曲の勉強のことなどを話す。その後、この学生さんと中心街にあるフリーダー・ブルダ美術館へミロの特別展を見に行くことにした。先のゲネプロのときに会った、かつてベルリンの学術院の名司書だったという女性が、美術館の建築とともに絶対見たほうがいいと言っていたし、実際今日見ようと思っていたところだった。
 「詩の色彩」というテーマの掲げられたミロの特別展は、20世紀初頭の初期の作品から、1970年代の晩期の作品まで網羅していて、三つのフロアをフルに用いたかなり大規模なものであった。一階に展示されていた後期の作品から見たが、まずオレンジ色の地に散った緑の飛沫が鮮烈な一枚の絵が印象に残った。それから、やはり「紺碧の黄金」と題された一枚には圧倒される。目を見張るような黄金の上に、闊達な筆遣いが踊る。またそれが全体の静かな調和に結びついているのが、何よりも素晴らしい。赤と白の色の配置だけで「風景」を浮かび上がらせようとする作品も面白かった。色の深みから奥行きのある空間が広がる。
 初期作品に目を向けると、1924年頃にミロが具象的な表現を脱して、彼の独特の作風が確立したことがはっきりと判って興味深い。この時期に、彼のなかで何があったのだろう。この時期の「ワイン瓶」や「絵画」は、その後につながる方向性をはっきりと示しているし、「風景」と題された作品に見られる空間の独特の奥行きも魅力的だ。グラデーションをもって変化する色彩の上にさまざまな形象が、リズミックに浮かび上がる1930年代の作品にも、「赤い太陽」をはじめ、緻密さと即興性を兼ね備えた1940年代後半の作品にも惹かれる。第二次世界大戦末期に、ピカソと同様、闘牛の牛を戦争の暴力を重ねるかのように描いているのも興味深い。
 今回の展覧会において、全体的に最も印象的だったのはミロの青の豊かさ。少し明るみを帯びた夜の深みへ誘ったり、昼の光に満たされた広大な空間を開いたり、あるいは青そのものの変化によって画面にリズムを与えたり、画面上のアクセントになったりと、青が実に多くの場面で重要な役割を果たしているように見える。それに、つねに幾ばくかの明るさを含んだ青に見入っているだけでも満たされる思いがする。
 展覧会を見ているうちに夕方になったので、身支度をして祝祭劇場へ向かう。18時から、今回細川さんに「星のない夜」を委嘱したマーラー室内管弦楽団のマネージャーとの対談のかたちで作品へのイントロダクションがあると聞いていたので、最上階のホワイエへ行ってみると、もう席が埋まっている。聴衆の期待のほどがうかがわれる。細川さんは、質問に答えて、日本の伝統にある、自然の季節ごとの移り変わりとの関係を強調し、それを季語を用いる俳句の伝統と結びつけながら、作品の成立の経緯を語り起こしていた。細川さんによると、俳句はあまりにも美しく、自然と調和的に過ぎ、「星のない夜」のテクストには採用できなかった。今回は、四季の風景をそのおぞましさも含めて表現したゲオルク・トラークルの詩をテクストに用いることによって、ドレスデンと広島の出来事を、人の過ちの繰り返される年月の流れのなかに位置づけたかったという。細川さんはさらに、曲の構成も詳しく説明して、聴衆を自分の作品に近づけようと努めてもいた。
 イントロダクションが終わって、知人とおしゃべりしたりしているうち、開演が近づいてきたので客席へ。今回切符を取ったのは、平土間の12列目の向かって右側、もう少し中央寄りがよいのかもしれないが、舞台からの距離は申し分ない。開演の19時が来て、期待感に包まれたなかにオーケストラ、合唱団、そして独唱者と指揮者が登場した。細川さんのオラトリオ「星のない夜」の世界初演が始まりである。
 最初の楽章「冬に」は、冬の空を吹きすさぶ冷たい風の音とともに始まる。それが沈黙のなかから少しずつ聞こえてくるのだ。耳を澄ますと、合唱の各声部が微妙にダイナミクスを変化させながら、息の音で風を表現しているのがわかる。それが折り重なって厚みを増し、凍てついた風景が立ち上がってくると、そこに風鈴の音が、どこか儚さを感じさせる間歇的なリズムで遠くから響いてくる。三連符と五連符の組み合わせからなるこの動機が全曲を貫いていて、さまざまな楽器でダイナミクスを変えながら奏されることになる。やがて管楽器や弦楽器も加わって穏やかならぬ雰囲気が醸されてくると、合唱がゲオルク・トラークルの詩「冬に」を、声を出すことなく歌い始めた。雲が垂れ込め、重く冷たい景色が不気味なほど果てしなく広がるなか、狩りが行なわれ、血を流して倒れた獲物の獣に鴉がばっと群がる、おぞましくさえ感じられる情景を描く詩であるが、その一語一語が含む戦きが合唱からひしひしと伝わってくる。また、その戦きに寄り添うように管弦楽も徐々に高まっていくが、それがテクストの終わりとともに頂点に達するさまは、トラークルの詩がかっと開いた光景を鋭く突きつけるようでもあり、後の破局を予感させるようでもあった。とくにそのような局面において、マーラー室内管弦楽団の表現の鋭敏さには目を見張らされる。
 最初の楽章の音楽が静まると、アタッカで「間奏」と題された第2楽章が続く。この楽章はアルト・フルートの独奏のために書かれていて、沈黙のなかから、戦慄に抗うかのような張り詰めた歌が、息を絞り出すようにして響いてくる。震えと擦れを含んだ線でひと筆で書かれた、細川さんならではの音楽を、フルート奏者は非常に巧みに演奏していたけれども、どちらかというと楽器の響きで豊かに歌うことに傾斜した演奏で、もう少し鋭さやノイズを強調したほうが、曲に相応しかったように思う。
 アルト・フルートの独奏の最後の音にはヴィオラの音が重なって、1945年2月13日のドレスデンに捧げられた第3楽章「ドレスデンの墓標」が始まった。前作のオラトリオとも言える「ヒロシマ、声なき声」の広島の被爆を取り上げた楽章と同様、ナレーターが証言を朗読するなか、音楽の強度が徐々に増し、やがて凄まじい響きのうねりとなる。この曲では、二人のナレーターが舞台の両端に立ってドレスデンの空襲の体験者の証言を朗読し、初めは交互に、はっきりと内容が聞き分けられるように語られる。しかし、後に二つのナレーションが折り重なるようになると、もはや言葉さえ聴き取ることはできない。業火の渦のような圧倒的な響きがうねるなかに、証言の言葉が呑み込まれていくかのようだ。そのように、言葉を聴き取らせることを拒むまでに強い表現を細川さんが採ったのは、いみじくも証言のなかにあるように、ドレスデンの出来事が「あらゆる想像力の彼方にある」ことを突きつけるためだったように思われる。証言の内容を聞き分けることで理解することをも拒む、表象の限界を越えた出来事。それをそのような出来事のままに、しかも詩的に表現するぎりぎりの試みがここにあるのかもしれない。ただし、この作品においてこうした表現の試みは、「ヒロシマ、声なき声」のときより少し遠くから、出来事を歴史として見つめる、どこか天使的な視点から行なわれているようにも思われてならない。実際、証言と証言のあいだには、時に弦楽器の哀悼の歌が挟まれている。
 「けっして忘れられない」という証言の言葉とともに、寒風吹きすさぶ廃墟が現出すると、音楽は第4楽章「春に」に連なっていく。二人のソプラノの重唱のために書かれたこの楽章は、ためらうようにして、まだ寒い初春の風景を開いていく。漂うような弦楽の響きの上で、二人の声が緊密に重なり合いながらトラークルの詩を歌うが、サリー・マシューズと藤村美穂子のアンサンブルは、親密さすら感じさせて美しかった。やがて最初の楽章の鈴の動機が聞こえてくる。それが少し形を変えて、ヴィオラとチェロのソロで歌われるのが、廃墟にスミレが咲き、風景が緑なし始めるというテクストと重なる一節はとくに印象的で、微かな希望さえ感じさせる。
 弦楽の響きが消え入るなかから、今度は静かに合唱が響いてきた。トラークルの「夏に」を合唱が歌う第5楽章の始まりである。この楽章で合唱は、管弦楽が間奏のように差し挟まるなか、ほとんど無伴奏で歌うが、それによって西ドイツ放送合唱団の技術の高さがいっそう際立つ。何よりも一つひとつの言葉が豊かな象徴性をもって響くのが曲に相応しい。トラークルの詩は、雷雨がひたひたと迫るなか、鳥の歌も、虫の音も、部屋の灯りも沈黙のなかへ消え入っていくという内容で、いったん、おそらくは詩の語り手の胸の高鳴り──灯りが消える部屋は、どうやら恋人のそれのようだ──とともに高まった音楽は、徐々に静まっていき、「星のない夜」という、作品全体の表題にも採られた最後の一節は、囁くように、息だけで歌われる。「風の止んだ、星のない夜」、それはどこか広島の夏に来る湿度の高い、雷雨を予感させる凪を思わせなくもない。「星のない夜」にあるのは、どうやら不穏な静けさのようだ。あるいは、「星のない」空は神の不在を示しているのかもしれない。
 しばらくの沈黙の後、打楽器だけのために書かれた第6楽章の「間奏」が静かに始まった。ブラシや手でつねに細かいリズムを刻む打楽器の響きは遠雷のようでもあるが、どちからというとそれよりも物質的で、速度を感じさせる。それが前打音を交えながら高まっていく緊迫感は、各奏者の素晴らしいリズム感と相俟って凄まじかった。
 息を呑むようなクライマックスの後に、打楽器の響きが静まると、音楽は第7楽章「広島の墓標」へ連なっていく。この楽章のテクストに用いられているのは、増西正雄編『原子雲の下で』に収められた、小学校6年生の生徒が書いた被爆証言であるが、それを細川さんはみずからドイツ語に訳して、一つの静かな鎮魂歌の歌詞にしている。チェロの噛み締めるようなピツィカートに乗って歌い出されるその歌は、虚飾がまったくないだけに強く心を打つ。藤村美穂子が、心からの共感をもって切々と歌っていた。絶唱だったと言っても過言ではない、素晴らしい歌唱だったと思う。
 「広島の墓標」の後に、人の営みが破局をもたらす時の流れを中断するかのように、あるいはベンヤミンが「歴史の概念について」で語った「進歩の嵐」を食い止めようとするかのように、第8楽章「天使の歌」が置かれている。テクストに用いられているのは、ベンヤミンが「歴史の概念について」の、まさに「歴史の天使」を語る第9テーゼのエピグラフに一部を掲げる、ゲルショム・ショーレムの詩「天使の挨拶」。ここではその全体がソプラノによって歌われることになる。その歌は、空間を突き抜けるようなトランペットの旋律に先導され、怒りの歌として歌われる。神の懐としての根源へ惹かれながら、一つの街で起きた出来事を、つぶさに眼を満たして見届ける天使の歌。それをトランペットの独奏とともによく聴くと、それが鈴の動機のヴァリアントであることが判る。もしかすると、鈴の動機は、人間の世界で起きる出来事を一つひとつを見ている天使の臨在を象徴しているのかもしれない。さらにトランペットの独奏には、客席の舞台へ向かって左の階上に配された、エコーのトランペットが反響する。それがしっかり決まっていた。これは細川さんによると、ドレスデンの聖母教会での演奏を想定した工夫とのこと。客席を包む空間の広がりを作って、中空に漂う天使の存在を意識させようとする効果があろうが、もしかすると、ソプラノが高いところから歌ったほうがより効果的だったかもしれない。そして、サリー・マシューズの歌は、もっと強く怒れる天使の歌であったほうが、詩と音楽のテクスチュアに合っていたのではないだろうか。やや美しすぎるような印象を受けたのだ。
 最終楽章は、トラークルの詩による「浄められた秋」。木々が実り、静かに満たされた秋の情景が日に映えるさまが合唱によって歌われるなか、さまざまな動機が絡み合い、高まりながら、天上的とも言える安らかで、輝かしい響きへ昇華されていく。何か救いのようなものを感じさせる一瞬が到来するが、それも長くは続かず、美しい想念も「沈黙のなかへ消え去っていく」という詩節とともに、音楽も沈黙へ消え入っていく。鈴の動機が遠ざかっていくなか、最初の楽章の冬の回帰を予感させる風の音が響いてきて、それもだんだんと消え去っていくのだ。そして、すべてが沈黙のなかへ消え入ったところで「星のない夜」の全曲が閉じられる。そのとき、どこかもの悲しい冬の予感を含んだ沈黙によって、会場全体が包み込まれたようだった。
 かなり長い沈黙の後、大きな、感動のこもった喝采が起きた。細川さんが、指揮者やソリストたちとともに何度も呼び出されたことは、今回の初演が成功裡に終わったことの証しだろう。そして、その成功に大きく貢献していたのがケント・ナガノの指揮であることは疑いえない。沈黙に始まり、沈黙に終わる作品全体の構造を捉えたうえで、細川さんの書いた音楽を完全に自分のものにしていたばかりでなく、自分の理解をオーケストラと合唱にしっかりと浸透させて、演奏をまとめ上げていた。音楽の運びにも間然するところがない。ただ、音楽の一貫した流れに重点を置いたために、やや素っ気なく通り過ぎてしまったところや、もう少し間を取ってほしかったところがあったのは惜しまれる。とくに、「広島の墓標」の後には、10秒から15秒の沈黙が指示されているのだが、ケント・ナガノはすぐ次の「天使の歌」に入ってしまっていた。この沈黙は、それまでの時の流れを中断させる重要な沈黙なので、次の演奏の機会からは、この沈黙の指示が守られてほしいと思う。
 休憩後に、マーラーの交響曲「大地の歌」が演奏されたが、細川さんの作品の印象があまりにも強かったので、こちらはあまり印象に残らなかった。ゲネプロで聴いたとおり、速めのテンポを基調とした明確な演奏だったが、ゲネプロよりもニュアンス豊かな演奏に仕上がったのではないだろうか。それでも、もう少し躊躇い気味に進めてほしいところもいくつかあったのだけれど。二人の歌手のうち、テノールのミヒャエル・シャーデは、やや平凡な印象を受けた。もしかすると本調子ではなかったのかもしれない。これに対して、バリトンのミヒャエル・フォレの歌唱は、圧倒されるほど素晴らしいものだった。とくに第4楽章「美について」のなかの、テンポが疾駆するように速くなる難所も完璧に歌っていたし、最終楽章の「告別」も、豊かな声で味わい深く歌っていた。彼の歌は初めて聴いたが、かなりの力量だと思う。注目すべきバリトンだ。
 演奏会が終わって、ベルリン在住の音楽学者と今後の仕事の打ち合わせを兼ねて、食事をする。なかなか開いている店がなくて、結局街の中心にある、やや騒々しいイタリア料理の店に腰を落ち着ける。騒がしくて他人にもよく絡んでくるのは、その音楽学者によれば、ライン風の気質なのだそうな。外で食べているとだんだん冷え込んできた。午前0時過ぎに別れて宿に戻り、あまりにも盛りだくさんの一日がようやく終わった。

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フランクフルト+バーデン・バーデン旅日記II

 朝食と荷造りを済ませた後、バーデン・バーデン行きの電車までしばらく時間があったので、徒歩でゲーテハウスを訪れることにする。美術館へ行くには時間が足りないし、フランクフルトへ来たからには一度は見ておこうかと思ったのだ。ミュンヘン通りを欧州中央銀行の近くまで歩き、オペラ・ハウスの脇を通って、ゲーテハウスを目指すが、ミュンヘン通りは完全にトルコ人とアラブ人の街になっている。やや怪しい雰囲気ながら、いろいろ変わった店があって見るのは面白い。ゲーテハウスは、第二次世界大戦中の空襲で破壊されたゲーテの生家を復元して博物館にしたもので、客間やゲーテの仕事部屋、図書室、画廊、家族の部屋などが、疎開によって破壊を免れた当時の家具を用いて復元されている。ここはフランクフルト観光コースの一つであるらしく、韓国や日本の観光客グループ、修学旅行か校外学習と思われる生徒の集団が、ガイドに先導されてぞろぞろと部屋を回っている。これに巻き込まれると厄介なので、縫うように避けながら見て回った。
 たしかに書斎ではゲーテの仕事ぶりが、その他の部屋では、18世紀後半から19世紀初頭にかけてのドイツのブルジョワの生活が偲ばれるが、興味を引く展示物は少ない。少し面白いと思われたのは、ゲーテが愛読していたという当時の本の展示。ホメロスの『イリアス』をドイツ語で語り直したものや、デフォーの『ロビンソン・クルーソー』のドイツ語訳などに混じって、ゲーテの『ファウスト』の土台となる『ファウストゥス博士』の当時の版があった。画廊には、16世紀から17世紀にかけてのネーデルランドの画家たちの画風を真似したとしか思えない、ゲーテ時代のフランクフルトの画家の絵が、所狭しと掛かっている。リューベンスの宗教画、レンブラントの肖像画、ライスダールの風景画、デ・ホーホの風俗画などのエピゴーネンのオン・パレード。あまりにも簡単にそれと判るのが滑稽な感じだが、ゲーテの父親が蒐集していたのだとか。
 ゲーテハウスのミュージアム・ショップとつながっているCD屋を冷やかしてから宿に戻って荷物を受け取り、中央駅へ向かう。弁当代わりにパン屋でブレーツェルとコーヒーを買って、バーデン・バーデンを通るバーゼル行きのインターシティへ向かうが、予約した席がホームのずっと先のほう。発車時間が迫ってきた──ドイツの特急は、発車ベルもなくすっと走り去ってしまう──ので少し焦ったが、何とか間に合って席に落ち着く。
 フランクフルトからバーデン・バーデンまでは、直通のインターシティだと1時間15分くらい。新幹線で広島から博多へ行くくらいの感覚だろうか。もちろん、それよりはずっとゆったりした感じだ。マンハイム、カールスルーエに止まった後、バーデン・バーデン駅に着いたのは13時25分頃。満員のバスに乗り込んで、しばらくすると祝祭劇場が見えてきた。とても大きな建物。バスのアナウンスが「旧駅」とも言うのでよく見ると、昔の駅舎と思われる建物に隣接するかたちで劇場が建てられている。ホテルはその祝祭劇場のすぐ近く。かつての修道院の建物を改築したというラディソンのホテルを取っておいた。チェック・インには少し早いかと思われたが、部屋に通してもらえた。シングルながらかなり広く、ゆったりと使える。ベッドもかなり大きいのはありがたい。荷解きをしてひと息ついて、外へ出ようと階段を下りると、大きな吹き抜けの広間に行き当たった。ぱっと空間が広がった感じで、なかなか見事というほかないが、かつては豪奢な修道院の──何という言葉の組み合わせ──客間だったのだろう。今はそこを、温泉に入ったらしい老夫婦がバスローブ姿でうろうろしている。
 ホテルを出て、今日は開いているというブラームスハウスを訪れようとバスを待っていると、本当に良い天気になってきた。この時期ならではの柔らかな日差しに緑が映える。それにしてもこの街は緑豊かだ、至る所に緑地が整えられているし、遊歩道には花が植わっている場所もある。道沿いにはせせらぎもあって、何だか嘘のようにのどかだ。ドイツの街はどこへ行っても、それぞれに尖ったところが感じられるのだが、ここにはそれがまったくなく、ゆったりとした空気が流れている。ドイツ有数の保養地というだけのことはあるし、数々の文化人が好んで訪れたのも解る気がする。
 バスで中心街を通り過ぎ、しばらく行くとブラームス広場に着く。そこで降りてブラームスハウスはどこかと見回すと、案内板がすぐに目に入った。ブラームスの夏の別荘だったという家は小高いところに建てられている。呼び鈴を押すと、小柄な女性が迎えてくれて、親切に展示物をいろいろ説明してくれたうえ、ドイツ国内の作曲家の博物館の案内までくれた。ブラームスはこの夏の別荘で、第1番のチェロ・ソナタ、ホルン・トリオ、ドイツ・レクイエム、第1番と第2番の交響曲など、重要な作品をいくつも仕上げたという。彼の仕事場だった部屋から外を見ると、教会の建物とともに、緑豊かな山並みの風景が広がっている。あの晴れやかで広やかな第2交響曲は、このような風景を見ながら構想されたのかもしれない。
 博物館には、自筆譜などの一次資料はないものの、写真や当時の演奏会プログラムなどが数多く展示されていて、なかなか興味深い。もとクララ・シューマンが借りていた建物だったこともあって、彼女に関する展示も多い。おばあさんになったクララの写真まである。後で人づてに聞いたところによれば、ひと昔前までは、クララ・シューマンとブラームスが連れ立ってバーデン・バーデンの街を散歩していたのを目にしたという老人がいたとか。ブラームスは、19世紀後半に活躍しただけあって、写真がかなり多い。ヴァイオリニストのヨーゼフ・ヨアヒムなど、彼と関わりのあった同時代の音楽家との写真もある。二重協奏曲がバーデン・バーデンで初めて演奏されたときの写真や、演奏会プログラムを見ていると、ブラームスの作品が初演されていた演奏会の様子が偲ばれる。彼の有名な子守歌の楽譜を、彼自身が紙片に書き付けたものもあった。
 ブラームスハウスを出て、バスで中心街へ戻って少し散歩してみる。緑のなかに豪華なカジノの建物があったり、温泉の周りに高そうなブティックがあったりと、いかにも高級リゾート地という感じだ。ホテルに細川俊夫さんを訪ね、ひとしきり話した後、街へ出て、ちょっとした食事ができそうな場所を探す。結局小さなホテルのレストランに落ち着き、そこでこの辺りの郷土料理であるマウルタッシェを頼む。マウルタッシェというのは、挽肉や野菜、場合によってはチーズなどを詰めた、本当に餃子に似た感じ──ただし大きさは餃子の倍くらいで四角く包んである──の料理で、ここでは塩辛いオニオンスープに入って出てきた。ドイツ風の水餃子という感じか。量もちょうど良いくらい。特別美味しいというわけではないが、食べきれない量の肉やジャガイモが出てくるよりはましで、雰囲気も味わえるというところだろう。腹が落ち着き、暖まったところで店を出ると、かなり冷え込んできている。それに、昼間見られなかった若者たちが街に集まってきている。日中とは違ったバーデン・バーデンの顔を横目に、帰途を急いだ。

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フランクフルト+バーデン・バーデン旅日記I

 航路の気候が良かった──実際飛行機はほとんど揺れなかった──せいか、飛行機は定刻より30分近く早くフランクフルト空港に到着した。フランクフルトは曇っていて、小雨も降っている様子だ。荷物を受け取って出ようとすると、税関に呼び止められて、スーツケースを開ける羽目に。のっけから気分が悪い。スーツケースが大きいのが目に付いたのだろうか。滞在期間は4日だと告げると、税関職員は目を丸くしていたが、要るものはあるのだ。当然ながらお咎めなしで外へ出て、電車で中央駅へ向かう。フランクフルトでは最近も何度も飛行機を乗り継いでいるが、市街に降り立つのは7年ぶりだろうか。数分で中央駅に着き、宿へ向かう。駅前のホテルはすぐに見つかった。通された部屋は、何も特筆すべきことのない、よくあるごく普通のツインの部屋。これに朝食が付いて5000円そこらなら、立地からしても文句は言えまい。
 駅の地下街のコンビニともドラッグ・ストアともつかない店で水などを買い込み、部屋でひと休みした後、アルテ・オーパーへ向かう。今夜はそこで、トレヴァー・ピノックが指揮するヨーロッパ室内管弦楽団の演奏会を聴いた。
 最初に演奏されたのは、メンデルスゾーンの「美しきメルジーネの娘」序曲。初めのうちオーケストラが鳴っていないために、そよ風に水面がさざめくような動機が今ひとつ判然としないが、騎士の動機が現われるあたりからだんだんと響きが生気を帯びてきた。この動機がフォルティッシモに高まるあたりなど、若いメンバーの多いオーケストラの優れたアンサンブルと相まって、推進力に富んだ音楽が生まれていたように思う。ピリオド楽器演奏出身のピノックの指揮は、音楽のきびきびとした流れを重視していて、音楽が少しも停滞するところがない。この作品でとくに重要と言える管楽器どうしの動機の受け渡しも上手くいっていて、そのおかげで一貫した流れが作られたのではないだろうか。しかし、ピノックの作る音楽は、水平的な流れが流麗である一方で、垂直的な奥行きに欠ける。そのために、メルジーネの娘の動機と騎士の動機が葛藤を繰り広げる展開に、あまり緊張感が感じられないのだ。それに、ナチュラル・トランペットを導入しているにもかかわらず、ピリオド楽器演奏のアプローチで曲の新たな姿を浮き彫りにしようとするのか、それとも従来の演奏習慣に従いながらロマン主義的な美に迫ろうとするのか、ピノックの態度は今ひとつはっきりしない。
 同様の問題は、休憩後に演奏されたシューベルトのロ短調の交響曲、いわゆる「未完成」でいっそう浮き彫りになった。たしかに第1楽章では、展開部の頂点などで清新な響きが聴かれたものの、それ以外のところでは、フレージングにしても、ダイナミクスの作り方──最後の和音をディミヌエンドで終えるところまで──従来の習慣に従って、どちらかというと無難に組み立てられた音楽が平板に流れてしまって、この曲の命とも言える深い奥行きが感じられない。ピノックにこのような音楽を求めるべくもないのかもしれないが、深淵の上で震えるような歌が響いてこないのだ。当然ながら、演奏の技術的な完成度は申し分なく、表面的な流麗さと若々しい躍動感は保たれていただけに、第1楽章では曲に入っていけないもどかしさを強く感じた。
 第2楽章のアンダンテ・コン・モートでは、ピノックは速めのテンポを基調としながら、弦楽器のノン・ヴィブラートの弱音をなかなか効果的に使いつつ、第1楽章よりも振幅の大きい音楽を作っていたように思う。ダイナミクスの幅をもう少し取ってもよいのでは、と思う箇所はあったものの、繊細な歌と、激しい感情の爆発との対比が、新鮮な響きのなかで浮き彫りになっていたのではないだろうか。
 アンコールに、シューベルトの交響曲第3番のフィナーレが演奏されたが、その演奏が沸き立つような躍動感と愉悦に満ちたもので、聴衆から大喝采を浴びていた。これを聴くと、ピノックがなぜシューベルトの後期の交響曲やメンデルスゾーンの序曲をプログラムに組み込んだのか、ますます分からなくなる。
 ピノックの音楽性は、やはり古典的な形式とコンパクトさを兼ね備えた作品でこそ生きるはずだ。そう確信させられたのは、休憩前に演奏されたモーツァルトの変ロ長調のピアノ協奏曲の演奏においてである。冒頭からオーケストラの響きが、水を得た魚のように生き生きとしている。しかし、このモーツァルト最後のピアノ協奏曲で聴くべきだったのは、やはりマリア・ジョアン・ピレシュのピアノであった。今夜の彼女の独奏は、彼女の新たな境地を垣間見せるものですらあったのではないだろうか。第1楽章でピレシュは、比較的速めのテンポのなかで、冒頭から澄んだ歌を、全身から沸き上がる歌として聴かせてくれるが、それが伴奏と相まって非常に若々しい。この協奏曲はたしかにモーツァルト晩年の作品であるが、その時彼がまだ若かったことを強く感じさせる春の息吹に満ちた音楽を、ピレシュは聴かせようとしていたのではないだろうか。実際、十六分音符の動機がだんだんと高まっていくパッセージで、彼女は左手のリズムをかなり──もしかすると自分を奮い立たせるように──強調していた。それが伴奏の響きと調和して、若々しい生気に溢れた響きが生まれていたのだ。それ以外のパッセージも、天衣無縫と言ってよいくらい自在に聴かせるが、歌心に満ちていて、一音たりとも無駄がない。そして、演奏全体に若々しさと同時に、どこか落ち着きを感じたが、それが音楽全体に奥行きをもたらしていたのではないだろうか。
 第2楽章のアンダンテは、ピアノの独奏で始まるが、ピレシュが弾き始めると、ざわついていた客席が水を打ったかのように静まった。研ぎ澄まされた音で、細やかな歌が静かに紡がれ始めたのだ。それとともに、深い奥行きのある空間がさっと開かれた。この楽章におけるピレシュの音楽は、地上のものとは思えないほどの透明感に満ちていた。しかし、けっして若々しい生命を失うことがなく、停滞することがない。時に再び左手のリズムを強調しながら、喜びに満ちたフレーズを飛翔させる。また、短調に転じる箇所の劇性も見事で、はっとさせられた。そして何よりも、音楽が繊細で澄み切っていながら、けっして神経質にならないのが素晴らしい。何の衒いもなく、ピレシュの全身から率直に歌が紡ぎ出されていたように思うのだ。さらにそこに、音楽を包む優しさのようなものを、今回感じることができた。そのようなことは、今まで──最近神戸でショパンを聴いたり、ロンドンでベートーヴェンを聴いたりしたときも──なかったのではないだろうか。
 第3楽章は、歌曲「春への憧れ」と同じメロディを主題とするが、それを弾くピレシュのピアノは、繊細でありながら優しさに満ちている。躍動感溢れる伴奏と相まって、春を求める生命の息吹が、愉悦に満ちたかたちで歌に結実していることと、それを包む優しさが同時に感じられる演奏で、香気が立ち上るようですらあった。全曲を通して、伴奏の響きに若々しさとともに温かみがあって、ピレシュの独奏とよく調和していたように思う。とくに木管の響きは素晴らしかった。これほど自然な喜びに満ちた、それでいて落ち着きのある、モーツァルトの変ロ長調協奏曲の演奏は、これまであっただろうか。澄み切った歌と音楽を包む優しさがどこまでも率直に涌き出るピレシュの境地を、完成度の高い伴奏で聴くことができたのも、心から嬉しかった。
 協奏曲のアンコールに、この日はピアノ演奏も達者なピノックとの連弾で、モーツァルトの四手のための作品が二曲演奏された。ピノックがテンポに乗れずにやり直すハプニングもあったが、親密な雰囲気から対話の愉しさが溢れてくる演奏で、聴衆も喜んでいた。最も喜んでいたのはピノックのような気もするけれども。
 この日はもう一曲、シューベルトの「未完成」交響曲の前に、モーツァルトのヴァイオリンと管弦楽のためのロンドが演奏された。独奏を担当したのは、ヨーロッパ室内管弦楽団のコンサート・ミストレスであるロレンツァ・ボッラーニ。ややくすんだ感じの音色ながら、歌心豊かな音楽を聴かせるし、確かな技術も感じさせる。演奏の即興性にも欠けておらず、このロンドの演奏は、率直に楽しむことができた。
 長い曲がないので演奏会は早く終わるかと思ったが、終わったときにはもう22時を15分くらい回っていた。地下鉄で中央駅へ戻り、地下道を通って宿へ戻るが、怪しげな人々がたむろしたり、座り込んだりしている。よくある駅周辺の光景とはいえ、あまり雰囲気の良いものではない。帰り着いたのは、22時半過ぎか。テレビを点けると、ベルリンの州立歌劇場を会場に、何と懐メロショーのような番組をやっていて、誰かがブレヒトとヴァイルのオペラ『三文オペラ』のなかの「大砲の歌」を歌っていた。ちょっと場違いで変な感じ。明日も移動なので、早めに床に就く。

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