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ベルリン旅日記(2010年1月9日)

 どうもよく眠れず、朝早く目覚めてしまう。今日も雪が降っている。ニュースによれば、「デイジー」なる新たな寒波が上陸して、さらに降雪がひどくなるとか。明日のフライトが思いやられる。今日はまずポツダム通りの国立図書館へ。一日しか使わないのに、一月の利用を申し込まなければならない。申込書を書き込んで出すと、三年前の利用の記録があるとのこと。だからといってタダになるわけではない。10ユーロ払って新しい利用券を作ってもらう。中に入って目当ての本を探してみると、何でも建設作業のために出してもらえないとか。これにはがっかり。帰ってから、他の大学の図書館にあるのを急いで取り寄せてもらわないといけない。
 本を読んだり、覚え書き程度の書き物をしたりした後、図書館を出て昨日訪れた書店へ。行ってみると、昨日注文した本がちゃんと届いているではないか。素晴らしい。昨日選んだ二冊と一緒に購入すると、この書店が毎年一冊作って顧客に配っているという、お洒落な造りの冊子を付けてくれた。アガンベンの「友 (l’amico) 」という題の、おそらくは講演録をドイツ語に訳したもの。「友である」ことをアリストテレスの『ニコマコス倫理学』を参照しつつ分析する内容のようだ。そのような冊子を顧客に贈るという気遣いは実に心憎い。
 宿の部屋に戻って荷物を置き、ひと休みした後、フィルハーモニーへ向かう。今日は夕方まずベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の演奏会。ミシェル・プラッソンの後を継いでトゥールーズ・キャピトル管弦楽団の指揮者を務めるトゥガン・ソキエフのベルリン・デビューとなる演奏会とのこと。ハインツ・ホリガーの「リスト・トランスクリプション」に、ラヴェルのピアノ協奏曲、そしてラフマニノフの交響曲第2番というプログラム。ホリガーの作品は緊張感に満ちた、かつ魅力的な響きに仕上がっていて、感心していたのだけれど、ラヴェルはどうもいただけない。バランスを欠いているうえ、管楽器のミスも目立つ。とくに、表に出るべきソロがきちんと聞こえてこないのが気になった。エレーヌ・グリモーが独奏者だったが、どうも一本調子に過ぎる感じがするうえ、オーケストラともあまり噛み合っていない。素晴らしいテクニックの持ち主であることはうかがえたが、本来なら聴かせてくれたであろう冴えを感じ取ることができなかったのは残念だ。何ともしっくりしない雰囲気のまま曲が終わってしまった。休憩後のラフマニノフは、若いソキエフの面目躍如という感じで、曲の旋律性と劇性がともに生かされていたように思う。曲に耽溺しすぎると、よくありがちなように音楽が重く停滞してしまうが、ソキエフの棒は、旋律線に沿ってダイナミクスを巧みに変化させ、曲の流動性を魅力的に表現していた。爽やかな甘さに仕上がったというところだろうが、私はこのラフマニノフ的な甘さ自体について行けないものを感じるので、正直それでも演奏に心から共感できない。聴衆は喜んでいたようだけれども。
 次の演奏会まで2時間近く時間があるので、新ナショナル・ギャラリーで開催されている「イメージの夢想」展を見に行く。ウーラとハイナーのピーチュ夫妻のシュルレアリスムを中心とした膨大なコレクションを展示する展覧会で、マックス・エルンストを筆頭に、ダリ、ミロ、マグリットといったシュルレアリスムの作家たちの作品やポロック、ロスコといったアメリカの抽象表現主義の作家の作品が、150点ほど展示してあった。シュルレアリスムの広がりとその影響の広さを感じ取ることができるし、作品の質が高いのにも瞠目させられる。
 夜は先ほどと同じフィルハーモニーで、ベルリン・ドイツ交響楽団の演奏会。ヘルベルト・ブロムシュテットの指揮で、メンデルスゾーンの珍しいピアノ協奏曲第2番と、これまた演奏される機会の少ないブルックナーの第2交響曲というプログラム。奇しくも二曲ともニ短調という調性。メンデルスゾーンの協奏曲で独奏を担当したのは、若いマルティン・ヘルムヒェンだったが、彼のピアノが本当に素晴らしい。完璧なテクニックと美しい音色で、独奏パートをニュアンス豊かに歌い上げていた。とくに音色の繊細な変化には何度もはっとさせられた。基本的には端正な曲へのアプローチで、小さな無数の真珠がこぼれ落ちるかのような彼の演奏には、力強さが足りないと思う向きもあるかもしれないが、少なくともこの日のメンデルスゾーンには相応しかった。アンコールに弾いた無言歌も、これ以上ないほどの名演奏。例えばシューベルトを弾いたらどうなるのだろう。ブロムシュテットの指揮によるオーケストラのサポートも申し分ない。暗い情熱に沈潜するなかから、ときに華麗に、ときに激しく感情が迸り出るのを、様式館を損なうことなく、落ち着きのある響きで見事に表現していた。
 休憩後に演奏されたブルックナーは、ほとんど忘れられていると言ってもよい初稿での演奏。次の第3交響曲の初稿と同様、部分的には別の曲と言ってもよいくらい、改訂稿とは音楽が異なるし、改訂稿よりも10分以上長い。それに、第2交響曲の場合、楽章の順序も異なっていて、第2楽章にスケルツォが来る。そのような第2交響曲の初稿を、ブロムシュテットとベルリン・ドイツ交響楽団は、ずっしりとした、また温かさのある響きで、ほとんど完璧に演奏していた。ブロムシュテットの指揮による演奏ががつねにそうであるように、それぞれのモティーフが明快に浮かび上がるので、後期の交響曲を形づくる要素の原型のすべてがここにちりばめられているのが手に取るようにわかる。基本的にはきびきびとした音楽の運びも素晴らしく、とくに速いテンポの楽章は躍動感に満ちている。フィナーレのコーダの追い込みには胸が熱くなった。かといって慌てた感じはまったくなく、楽節ごとのゲネラルパウゼは十分に取っているし、緩徐楽章の歌も実に美しい。その響きがけっして弱々しくならず、充実しきっているので、歌が内側から伝わってくるように聞こえる。ブルックナーの初期の交響曲の魅力を十二分に引き出した、80歳のブロムシュテットの演奏だった。指揮ぶりも若々しいし、気力も充実しているように見える。そう言えば、ブロムシュテットは第3交響曲でも素晴らしい演奏を聴かせていた。それと合わせて、この日の第2交響曲の演奏もCDにならないものだろうか。4月にはN響を指揮するために来日するという。これも楽しみである。
 曲が長かったうえ、喝采も長く続いたので、演奏会が終わったのは22時15分頃。雪道を早足で歩いてホテルのレストランへ駆け込むと、まだ料理を注文できるとのこと。グラーシュと黒ビールを頼んだ。しばらくして出てきたスープを一口飲むと、お腹に熱いものが染み渡る。またグラーシュかという感じもするが、冬の寒いときにはこれに限る。

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