« ヴァイマール、ベルリン、クラクフ旅日記V | トップページ | ヴァイマール、ベルリン、クラクフ旅日記VII »

ヴァイマール、ベルリン、クラクフ旅日記VI

 オシフィエンチムまでの移動の時間を見込んで早めに起き、朝食に降りてみると、レストランには誰もいない。自分でコーヒーを注ぎ、パンやチーズを皿に盛って食べ始めると、ようやくおばさんが一人顔を出したが、食べ終わるまで他人の姿を見たのはそれっきり。不思議な気分で朝食を食べ終えた。ちなみに、コーヒーの味がどうもおかしい。コーヒーと想像するものと違うと言うか、何か代用コーヒーのような味がする。後でベルリンの友人に話を聞くと、ポーランドで普通に飲まれている、スターバックスのようなコーヒーチェーンではない喫茶店やホテルの朝食に出てくるのは、そのような味のコーヒーなのだそうだ。何でもポーランドの人は、この味でないと落ち着かないのだとか。こちらは朝から何とも落ち着かないのだけれども。
 身支度を調え、ペットボトルのミネラルウォーターとベルリンのスーパーで買っておいたチョコレートを鞄に詰めて、バスターミナルへ向かう。ターミナルの窓口でオシフィエンチムまでの往復切符を買おうとすると、運転手から買えとのこと。そして、次のバスは10分後に地下の8番乗り場から出るという。もう20分待たなければならないと思っていたのでありがたい話だが、それまでに調べていた時刻表には載っていない便なので、ターミナルの時刻表を見てみると、確かにそのバスもオシフィエンチムを通るようだ。乗り場へ行ってみると、ワゴン車のようなマイクロバスが止まっている。運転手のおじさんに、博物館には止まるのか、と尋ねてみると、乗れと合図をするので、9ズロチを払って乗り込む。しばらくすると、同じようにオシフィエンチムの博物館を目指す若者が次々と乗り込んできて、バスはすぐに満員となった。
 バスは、いくつかの停留所で止まりながらおよそ1時間半オシフィエンチムへと走った。途中の田舎道では相当飛ばしていたように思う。博物館の駐車場に着くと、運転手が「アウシュヴィッツ・ムゼウム」と大声を出して止まった。降りる際、運転手は親切にも帰りの時刻表まで渡してくれる。博物館の正面から入ってみると、みな窓口で金を払って、オーディオ・ガイドのような首から提げる受信機とヘッドフォンを受け取っている。変だなと思って、入口の係員に一人で来たのだが、と声をかけると、15時まではガイドの案内によるツアーでの参加が義務づけられているとのこと。仕方がないので、待ち時間が最も短い英語のツアーに参加することにして、窓口でチケットを買い求める。映画の料金を含めて33ズロチということは、日本円にすると1500円くらいか。ガイドの人件費を考えるなら高いとは言えない。もちろん日本での感覚からすればの話ではあるが。
 ガイドの声を受信する装置とヘッドフォン、それに英語でのツアーの参加者を示す緑色のシールを受け取って、すぐそばの映画の上映室に入ると、英語による映画の上映がちょうど始まったところだった。映画は、おもに収容所の解放後に連合国軍によって撮影された映像によって構成された20分ほどのもの。導入の役割を果たす啓蒙的なものと言えようか。それが終わると、上映室の横のドアも開いて、収容所の入口へ導かれる。どこかガス室の扉が開かれたような感覚をおぼえた。自分と同じように緑色のシールを胸に着けた集団と一緒になって待っていると、やがて英語のガイドが現われた。25、6人の二つのグループに分かれて出発。一人は若い男性で、私のグループを導くもう一人は、小柄な若い女性。早口ながらはっきりとした英語を話してくれる。混んでいないバラックを見つけながら誘導し、参加者全員が展示を見られるように歩く速さに配慮して先導し、要所要所で立ち止まって説明してくれる。説明も簡にして要を得たもので、好感を持てる。参加者が囚人の生きざまと死にざまを想像できるよう語りかけるとともに、参加者の質問にも丁寧に答えていた。他のグループと同じバラックに入ったときに、同じ場所で渋滞しないよう配慮してくれるのもありがたい。何よりも、アウシュヴィッツで起きたことを語り継ぎ、ここを訪れた人に伝えようとする熱意を感じる。こうした若いガイドが、例えば広島でも、もっともっと育っていくべきではないか。そして、老いを隠せない被爆者に代わって、そしてそのために、広島を訪れる若い人々に語りかけるべきではないだろうか。10名以上の団体には、こうした若いガイドの先導を義務づけるくらいしてもよいはずだ。
 博物館の展示は、当時から残っている遺物や当時の貴重な写真によって、収容所における暴力の歴史が、ひと目で視覚的に理解できるように展示が構成されていて、その点、かなり膨大な文章を読むことを強いるブーヘンヴァルト収容所跡の展示とは対照的である。もちろん、そのぶん事柄が単純化されている感じも否めない。たしかに、よく知られているように、死のバラックと呼ばれた監獄バラックの展示や、囚人から奪われた身の回りのものを集積した展示は衝撃的である。火葬された死者の灰を目の当たりにしたときには息が詰まった。死のバラックでは、身代わりとなって死んだコルベ神父が餓死させられた部屋も見ることができた。ガス室に接続したクレマトリウムは、ブーヘンヴァルト収容所のものよりもさらに大規模である。その下に広がる薄暗いガス室をのぞき込んだときには、その空気の重さに圧倒されるほかはなかった。鉛色の空気が充満している。ただし、そこは暗黒ではない。小さな煙突から地上の光が漏れてくるのだ。ただし、まさにその煙突の穴からツィクロンBの結晶が落とされたのである。
 博物館前の駐車場から出ているシャトルバスに乗って、まさに死の工場として機能したビルケナウ収容所の跡も見ることができた。アウシュヴィッツよりも小さな門をくぐると、バラックとその跡の列が、どこまで続くのか見通せないくらいに広がっている。残されたバラックでは、アウシュヴィッツよりもさらに劣悪な生活条件を実感できたし、ガス室での死か強制労働かへの選別の現場も目の当たりにすることができた。ガス室と火葬場の跡がユダヤ人特務班の蜂起のために破壊されたままになっているのも印象深い。その廃墟の傍らには、抽象的な石碑のメモリアルが設けられている。
 ガイドによるツアーが終わった後は、アウシュヴィッツへ戻り、ツアーで見ることのできなかった展示を見に行く。再びバラックが建ち並ぶなかを歩いていると、午前中は見かけなかった日本人の集団もいて、唯一の日本人公式ガイドである中谷剛さんとおぼしき男性が先導していた。各国ごとの展示では、シンティ=ロマの人々のための展示が最も印象深い。一人ひとりの生と死にも光を当てながら、アウシュヴィッツなどナチスの収容所における虐殺に極まる、ヨーロッパにおけるシンティ=ロマの人々の差別の歴史が、冷静な視線で描かれていたように思う。他の展示ではほとんど触れられることのない人種主義の問題が指摘されているのも興味深い。対照的に、最も古くからあると思われるポーランドの展示は、ゲットーの蜂起を称揚するなどして、ナショナリズムに傾斜している印象が強く、あまり共感できなかった。新しい展示はどれも、最新のテクノロジーを導入したり、現代美術のインスタレーションの手法を取り入れたりするなどして、工夫されている。そして、そうした展示の技法は、ここアウシュヴィッツで起きたことが、けっして過ぎ去ってはいないことを伝えているのだろう。ふと思ったのだが、ここにドイツの展示があったなら、ナチスを生んだ歴史の根底的な検証と、ナチズムに内在するレイシズムに対する心底からの反省と、ひいては犠牲者への真摯な哀悼の場になったのではないか。さらにそれは、現在も続く他者の差別と排除に対する反省の景気を与えるものになりうるのではないだろうか。もし、ソウルに、台北に、南京に、かつてそこで植民地支配の暴力の犠牲となった者が「日本人」と名指す者自身による、その暴力を検証し、反省する展示があったとしたら、と想像してみる。アウシュヴィッツの各国の展示をもう少しゆっくり見て回りたかったが、博物館の閉館時間も、帰りのバスの時間も迫ってきたので、帰りを急がざるをえなかった。
 帰りのバスは、大きな観光バスのようなバスで、ゆったりと座ることができた。クラクフのバスターミナルに着いたのは19時近く。駅の隣に最近できたと思われる、ガレリアというショッピングモールを見ていると、フランスのカルフールが入っていたので、そこで土産物を含めて少し買い物をしてからホテルへいったん戻り、夕食のために再び街へ出る。ガイドブックに載っていた、グルジア料理のチェーン店の一つが比較的リーズナブルな値段だったので、そこに入って、鶏肉を少しスパイシーに焼いたものに、バターで少し炒めたご飯が付いたものを食べる。小さなビールを入れて日本円で600円くらいか。特別美味くはないが、悪くはない。帰ってしばらくすると、身体中がだるい。一日中外を歩き回っていたのと、英語のガイドの説明を聴くのにそれなりに集中力の持続を要したのと、それから何よりも、あまりにも重いアウシュヴィッツとビルケナウの展示とに消耗しきってしまったのだろう。

Img_0397
Img_0405
Img_0407_2
Img_0414

|

« ヴァイマール、ベルリン、クラクフ旅日記V | トップページ | ヴァイマール、ベルリン、クラクフ旅日記VII »

コメント

はじめまして!オシフィエンチムのことで
検索していてこちらに辿り着きました。
実は先日、こちらの博物館に行ったのですが、
ネットやガイドブック等には無料と書いて
あったのに、現地では同じようにガイド付き
でないと入れない、嫌なら15時から来てと
いわれたのでアレ???と・・・
でも、結果的にこのガイドツアーが大正解
でした!本当に同じことを感じました!!!
そして世界で唯一の被爆国であるわが国のこと
について考えずにはいられませんでした・・・

時間的にブジェジンカに行けなかったので、
いつか必ずまた訪れたいと思っています。
ちなみに我々も英語ガイドだったのですが、
シールは黄色でした。他の方々はみんな緑で
我々家族だけ・・・これも??でした。^^;

投稿: coniglia | 2010年5月 9日 (日) 12時08分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/126937/46623805

この記事へのトラックバック一覧です: ヴァイマール、ベルリン、クラクフ旅日記VI:

« ヴァイマール、ベルリン、クラクフ旅日記V | トップページ | ヴァイマール、ベルリン、クラクフ旅日記VII »