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ヴァイマール、ベルリン、クラクフ旅日記IV

 昨晩の帰りが遅かったこともあって身体が重いが、8時頃に何とか起き出して朝食を取り、身支度を調えて、前から訪れようと思っていたプレツェンゼー記念館を訪れる。地下鉄7番線から、市街の外周を回るSバーン(これは走っている)に乗り換えて、ボイセル通りの駅から運河のほうへ歩くと、10分ほどで記念館が見つかった。ここはナチスの刑務所と処刑場があった場所で、今も刑務所として使われている建物の隣で、処刑場の跡が記念館として公開されている。ナチスの時代、この場所で3000名におよぶ抵抗者たちが命を落としたのだ。通常ギロチンで執行されたという死刑の部屋も公開されていて、赤い旅団のメンバー8名──そのなかの最年少者はまだ17歳だったという──を見せしめのために絞首刑にした首吊り鈎が並ぶ下に、排水口へ向けて緩やかな傾斜のある冷たい床があるのが実に生々しく、ナチスの暴力の凄まじさが薄気味悪く迫ってくる。隣の部屋では、プレツェンゼーの刑務所の歴史と、ナチスによってここで処刑された抵抗者のうち主要な人々とを紹介する展示が行なわれていて、設置されているコンピューターでは、処刑された人々全員の名前を検索することができる。
 プレツェンゼー記念館を出て、ボイセル通りの駅へ戻り、空港と市街を結ぶ急行バスに乗って、ブランデンブルク門近くの「ヨーロッパの虐殺されたユダヤ人のためのメモリアル」へ向かう。ピーター・アイゼンマンの設計による墓碑のようなブロックが立ち並ぶなかに足を踏み入れたことはあったが、地下の情報センターへは入ったことがなかったので、それを見てみようと思ったのだ。ブランデンブルク門に群がる観光客をかき分けて「メモリアル」のある場所にたどり着くと。ナチスの犠牲となった同性愛者たちのための記念碑の案内板が目に入った。「メモリアル」のある広場のちょうど向かい、ティーアガルテンへ少し入ったところにその記念碑は立っている。少しいびつな形をした角形のコンクリートの塊という感じであるが、それには覗き窓のようなものが付いていて、そこへ顔を向けると、内部にある画面で二人の男が口づけを交わしている。その行為自体の名誉を回復しようというものだろうが、少し虚を突かれたような印象も受ける。この同性愛者たちのための記念碑は、向かい側にあるユダヤ人のためのモニュメントに比べればとてもささやかなものではあるが、それがあることの意味はけっして小さいものではない。
 さて、この記念碑を後にして「ヨーロッパの虐殺されたユダヤ人のためのメモリアル」へ向かう。びっしりと立ち並んでいる不揃いな高さのブロックを縫うようにして地下のインフォメーション・センターへの入り口へ向かうと、この虐殺の犠牲者一人ひとりの身に降りかかった出来事の重みがのしかかってくるかのように感じないわけにはいかない。迷路のつもりで駆け回っている若者にぶつかりそうになりながら通って、反対側の地下への入り口にたどり着くと、10人ほどの観光客が並んでいる。入り口で入場者を管理している女性からドイツ語のパンフレットをもらい、それを読みながらしばらく待っていると、5分ほどで入ることができた。地下に入ると、ユダヤ博物館で見かけたようなセキュリティ・チェック。それを通過して中へ入ると、案内と管理を担当しているのも、ユダヤ博物館で見たのとそっくりな若者たちである。ユダヤ系の関係筋を通して同様のシステムを導入したのだろうか。設立母体が異なるはずなので、少々不自然な感じもなくはない。
 展示そのものはかなり工夫されている。最初にポグロムから「最終的解決」に至るユダヤ人迫害の歴史の概要が、写真を交えて説明され、続く部屋には、ナチスの暴力が迫るなかで、あるいは収容所へ移送され、虐殺される直前に書かれた手記が、その翻訳とともに展示されるとともに、部屋の壁には各国ごとの犠牲者の数も掲げられている。こうして犠牲者一人ひとりの生の記録から出来事の全体への展望を開くというのは、過去の出来事の記憶のあり方として注目するべきものを含んでいよう。一人ひとりの個としての経験を消し去ることはできないし、その際に経験された出来事の総体を見つめ直すことも忘れてはならないのだから。ただし、ここでの展示に選ばれているのは、手記や手紙を書き残すことができた犠牲者だけであることも忘れられてはならないだろう。
 次の部屋では、いくつかのユダヤ人家族がヨーロッパ各地で営んでいた生活とその運命が写真や映像を交えて展示されている。それはヨーロッパのユダヤ人の生を、家族の日常から浮き彫りにするとともに、家族の離散と絶滅を具体的に描き出すものと言えよう。さらにその次の部屋では、これまでに歴史的な調査によって突き止められた、犠牲者一人ひとりの名前と、その人が死に至るまでの履歴が読み上げられている。すべて読み上げると、6年と8か月近くかかるという。その長さによって、犠牲の大きさがあらためて浮き彫りになるわけだが、一人ひとりの名前がこうして重視されるところには、ユダヤ的な伝統が介在していることを感じないではいられない。実際、名前と履歴のデータは、イスラエルのホロコースト記念施設ヤド・ヴァシェムの犠牲者記念ファイルにもとづいているという。もちろんヤド・ヴァシェムの調査には心からの敬意を表わしたいと思う。ただし、この施設の紹介が展示のなかでかなり大きなウェイトを占めることには、少し違和感を感じないわけにはいかない。展示の構成に大きく寄与した機関が文字情報のかたちで紹介され、その活動へ訪問者がアクセスできるようにするのは当然のこととしても、あくまで虐殺の歴史を振り返りつつその犠牲者を哀悼するためにあるはずの展示室の空間に、その機関の写真がいくつも掲げられるなら、展示そのもの意味が歪められてしまうのではないだろうか。このほかに、虐殺の舞台となった場所に関する、映像資料と証言の音声による展示もあった。
 少し割り切れない気持ちで「ヨーロッパの虐殺されたユダヤ人のためのメモリアル」を後にすると、今日までホテルの朝食以外まともな食事をしていないことに気づき、通りがかったヴェトナム料理屋で遅い昼食を取ることにする。食べたのは、日本でいうサービスメニューとして掲げてあった、鶏肉を揚げたもの。まさに炒飯そっくりの焼飯が山盛りになっているのに載っていて、正直途中で飽きてしまった。ヴェトナム人と思われる店員の応対も気に入らない。
 途中のスーパーで買い物をしてからいったんホテルへ戻り、夕方からはベルリン・ドイツ・オペラでヴァーグナーの『タンホイザー』の公演を聴く。ドレスデン版による公演で、指揮はドナルド・ラニクルス。序曲から非常に力のこもった演奏で、期待が高まる。序曲の途中から、合唱が演じるヴェーヌスベルクの女性たちが裸を思わせる(舞台から遠い席で確認できなかったが、薄い肌色の衣装を着けているように見えた)姿で登場し、タンホイザーを誘惑する。そして序曲が終わるとともに、女性たちが誘惑する手を掲げながら奈落へ消えていくという演出。キルステン・ハームスによる演出は、全体として、ベルリン・ドイツ・オペラの上下の移動が自在な舞台を巧みに用い、かつ照明のイリュージョンも非常に効果的に駆使した演出だったが、舞台の上下動の際の騒音が少し気になった。騎士道的な恋愛が花咲く中世の世界を現代の視点から、現代の問題を照射するものとして捉える演出のコンセプトは、それなりに好感がもてるもので、基本的にはシンプルな装置と衣装によって舞台が構成されている。騎士の甲冑と馬を模した乗り物が仰々しすぎたのを除けば、違和感なく見ることができた。蝙蝠のような姿をした、ゴシック様式の教会の外壁に見られるような怪物が、人間の意識下の欲動を具現しているという見方も、説得的に表現されている。演出においてとりわけ興味深かったのは、第3幕でローマへ向かう巡礼の一行が病院のベッドから現われたこと。演出家へのインタヴューによれば、肉体的な快楽の園と言うべきヴェーヌスベルクと、精神的な騎士道的愛の世界であるヴァルトブルクとは、人間そのもののうちにある二つの側面を具現しているとのことだが、そうした見方にとって、身体的なものを否定しながら精神的な救いを集団で追い求める巡礼の姿は、どこか病的に映るのだろうか。ともあれ、幕切れの合唱が、ベッドから起き上がって、かつ女性たちも加わって歌われるのには、身体性の回復と身体を介した人間関係の再発見とを見る思いがした。ハームスは、そこに救済を見届けようとしたのかもしれない。とすれば、男性という同性の集団の巡礼が、タンホイザーを救済へと導くという解釈は否定されることになるし、ともすればナチズムの称揚にもつながりかねない、精神的なイデオロギーへの献身の賛美も斥けられることになろう。むしろ身体的な人間の生が他者との関係において再発見されるところに焦点が当てられることになるはずだ。実際、フィナーレにおいて憔悴したタンホイザーは、生きたエリーザベトの腕に抱かれることになる。
 歌手のなかでは、何とこのエリーザベトとヴェーヌスの二役を演じたペトラ・マリア・シュニッツァーが、この二つのパートを見事に歌いきっていた。体力的に相当困難なはずだが、最後まで声に疲れを見せることなく、美声を劇場全体に響かせていた。表現の振幅の大きさにも瞠目するべきものがある。タイトル・ロールを演じた、ペーター・ザイフェルトも、大きな体格を生かした力強い声と豊かな感情表現で、説得力のあるタンホイザー像を浮き彫りにしていた。とくに第3幕の「ローマ語り」の歌は感動的ですらあった。ヴォルフラムを演じたマルクス・ブリュック、ヘルマン公を演じたラインハルト・ハーゲンをはじめ他の歌手たちの歌唱にもほとんど隙がない。とりわけヴォルフラムの「夕星の歌」は、タンホイザーの「ローマ語り」に比肩しうる出来だった。
 今回の公演でとくに印象的だったのは、合唱の素晴らしさ。息を呑むようなピアニッシモから圧倒的なクライマックスまで、乱れることのないアンサンブルとハーモニーが貫かれていた。『タンホイザー』の出来を左右するのは合唱としばしば言われるが、ベルリン・ドイツ・オペラの合唱は、聴衆の耳を舞台の空気へしっかりと引きつけていた。舞台上の演技にも間然するところがない。指揮のラニクルスは、オーケストラから力強い響きを引き出していた。音楽の運びは手堅いながら、テンポにも推進力があり、バランスの取り方も巧みである。オーケストラも熱のこもった演奏で応えていた。この日の『タンホイザー』の公演では、オーケストラ、合唱、ソロの歌手、そして演出が一体となって、人間がその身体性において救済されるドラマを、きわめて説得的に構成していたのではないだろうか。

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