« ヴァイマール、ベルリン、クラクフ旅日記II | トップページ | ヴァイマール、ベルリン、クラクフ旅日記IV »

ヴァイマール、ベルリン、クラクフ旅日記III

【ホテル・メゾン・オリヴァー・プラッツにて】
 ヴァイマールのホテルをチェック・アウトして、市街中心へ向かう。新美術館が開くのが11時なので、それまでレベッカ・ホルンのインスタレーションの展示場所を下見に行くが、地図に従って歩いて行き着いたのは、錆び付いた骨組みだけになったバスの車体が放置されている廃墟。普段は、市電の車庫だった建物を使って夜に演劇の公演が行なわれたりしているようだが、なかなか魅力的な会場かもしれない。それで、お目当てのインスタレーションはどこにあるのかと探してみると、貼り紙がしてあって、土曜と日曜の午後にしか公開されないとのこと。新美術館の受付の人に聞いても、同じ返事だった。期待していただけに非常に残念だ。
 通りがかりの古本屋をのぞいたりして開館時間を待ってから新美術館へ行き、そこで開催されているフランツ・エーリヒの回顧展を見る。最初に展示されていた、逮捕されて収監されているあいだに制作された水彩画のシリーズが、素朴ながら心を打つ。彼の恋人が差し入れた紙に書かれたとのことだが、その多くは全体的に明るく、穏やかな色調で、ほとんどの作品に鍵と錨がモチーフとして描かれている。鍵は当然ながら自由な世界へ出たいという願いを表わしているのだろうが、錨は何を表わしているのか。魚を魅力的に描いた一枚もあることからすると、広大な海原への憧れを表わしているのかもしれないし、自分の依って立つ足場のようなものを求めているのかもしれない。バウハウスで学んだであろう有機的に構築された画面構成のなかに、柔らかな静けさに満ちた世界が広がっている。
 エーリヒは、ブーヘンヴァルト収容所へ送られた後、インテリア・デザイナーとしてSSに重用されたようで、SSの住居やその家具のために膨大な設計図を残している。展覧会ではその一部が展示されていた。面従腹背のドキュメントと言えようか。もちろん図面を引く際、収容所の支配者の言いなりになってばかりだったわけではないだろう。調度品などの無駄を廃した設計は、バウハウスの精神に基づく抵抗のささやかな表われと言えるかもしれない。その抵抗が最もはっきりと表われているのが、言うまでもなく収容所の門に掲げられる「各人に各々自身のことを(Jedem das Seine)」の文字のタイポグラフィーであろう。展覧会ではヨースト・シュミットのモデルなどにもとづいて、エーリヒが用いた書体の由来が跡づけられるとともに、この箴言の由来も示されていた。それは次のようなローマ法に表われる正義の掟に由来するという。「正直に生きよ。他人を傷つけるなかれ。各人に各々のことを認めよ」。エーリヒの抵抗は、欺瞞の極致として掲げられる言葉を、その本来の意味へ投げ返そうとする試みだというのが、展覧会の主催者側の解釈のようである。
 展覧会ではそのほかに、エーリヒが戦後、東ドイツ時代に設計した放送局の建物を撮影場所に用いたヴィデオ・インスタレーションも展示されていた。インスタレーションは、アンドレイ・タルコフスキーの映画『惑星ソラリス』から着想を得たもので、今は使われていないこの建物を、『惑星ソラリス』に出てくる過去の記憶を体現する「お客」のような女性が徘徊するのをカメラが追うというもの。その際に建物の細部が意味深く映し出されて興味深い。
 さて、ベルリン行きの特急が出る時間までまだしばらくあるので、ゲーテとシラーの像のある国民劇場の広場からほど近いバウハウス博物館を訪れる。バウハウス創立90年を記念してか、常設展はなく、バウハウスの歴史についての短いドキュメンタリー映画の上映と『新しい線(Die neue Linie:この「線」には「路線」、「進路」、身体の「輪郭線」といった意味が込められていよう)』という女性誌に関する特集展示のみ。バウハウス様式の表紙の書体をはじめとして、服のデザイン、インテリア、ライフ・スタイルの発信におけるバウハウスとの密接な関係に焦点が当てられていた。ナチスの支配下で、「自立した女性」から「民族の母」へ誌上の女性像が変貌していくのも興味深いが、正直なところ常設展を見たかった。20分ほどのドキュメンタリー映画も、バウハウスのさほど目新しいもののない紹介。グロピウス自身が話しているのはたしかに面白かったけれども。博物館を出た後は、近くのヘルダー教会を訪れ、クラーナハの祭壇画を見る。壮大な三幅対の絵が、祭壇一面に掲げられていて圧倒される。十字架上のイエスの描写も生々しい。飛び散った血が降りかかるのは聖別の徴か。祭壇の隣には、三つの時期に分けてルターを描いた肖像画もあった。
 教会を出て中央駅へ急ぎ、ブレーツェルと水を買い求めて、ベルリンへ向かう特急列車に乗る。ライプツィヒとドレスデンを往復する列車と違って車両は古く、車内もあまりきれいではない。車内はかなり混み合っていて、立っている人も多い。それをかき分けて予約した座席を見つけ、車掌さんの手を借りて荷物を棚に収めてやっと腰を落ち着けることができた。2時間と少し走り、数分の遅れでベルリンに到着。遅れたために、予定していた乗り継ぎの電車に乗れず、次の電車を探すのにひと苦労だった。Sバーンが走っていればこういうことはないのだけれども。
 ようやくポツダム行きの電車に乗り、シャルロッテンブルクの駅から歩いてホテルへ向かう。10分ほど探してホテルを見つけると、それはかなり古い建物のなかにあった。日本でいう三階がホテルになっているとのことで、そこまでスーツケースを持ち上げるのがひと苦労。ホテルの主人は気のいいおじさんで、部屋は大丈夫かなどといろいろ心配してくれる。部屋はそれほど大きくないが、不自由はない。古い建物ならではの内装も落ち着ける。一つ問題なのはインターネットの接続で、無線LANの電波がほとんど届いていない。メールの送受信とウェブ・サイトの閲覧以外は諦めたほうがいいだろう。荷解きをして、ひと息ついてから、今度はポツダム広場のフィルハーモニーへ向かう。オリヴァー広場からバスに乗り、ツォーロギッシャー・ガルテン駅で乗り換えて地下鉄2番線でポツダム広場へ。20分足らずで到着した。
 フィルハーモニーでは、ベルリン・ドイツ交響楽団の演奏会を聴く。指揮はインゴ・メッツマッハーで、曲目はマーラーの交響曲第3番。最初からしばらく響きにまとまりを欠き、金管楽器のミスも多くて心配したが、第1楽章の終わりあたりから調子に乗ってきた感じだ。とくに楽章のコーダの追い込みは、今まで聴いたなかで最も激しいものだった。第2楽章では、弦楽器の柔らかな響きがとりわけ魅力的。メッツマッハーがメロディを十分に歌わせていたのも好ましかった。第3楽章は、舞台裏からのポストホルンのソロを含め、いくつか危うい箇所があったものの、全体としては軽やかな歌の魅力と、針葉樹の森のように聳え立つ響きの壮大さを兼ね備えた演奏に仕上がっていた。この楽章でも弦楽器の奥行きのある、かつ肌触りの柔らかな響きがマーラーにふさわしい。第4楽章では、アンネ=ゾフィー・フォン・オッターが、ニーチェの「ツァラトゥストラの酔歌」の素晴らしい歌唱を聴かせてくれた。声量が豊かなわけではないが、フィルハーモニーの広い空間のなかにすっと声を浸透させる歌唱力には瞠目させられる。第5楽章では、オルガンの前に陣取った少年合唱がしっかりと訓練されたハーモニーを聴かせてくれたし、女声合唱もそれ自体としてはまとまっていたのだが、オーケストラとのアンサンブルにずれが生じてしまったのが残念。第6楽章では、少しも急ぐことのないテンポで、柔らかなピアノから壮大なクライマックスへ至る大きなクレッシェンドが見事に構築されていた。ヴァイオリンをはじめとする弦楽器の繊細な響きと、豪壮とも言える金管楽器の響きとの対照が実に印象的である。ちょうど10年前に聴いたケント・ナガノ指揮による演奏に比べると、演奏の精度と響きの洗練の度合いは劣るかもしれないが、聴き応えという点ではそれに勝るとも劣らない演奏であった。

|

« ヴァイマール、ベルリン、クラクフ旅日記II | トップページ | ヴァイマール、ベルリン、クラクフ旅日記IV »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/126937/46623747

この記事へのトラックバック一覧です: ヴァイマール、ベルリン、クラクフ旅日記III:

« ヴァイマール、ベルリン、クラクフ旅日記II | トップページ | ヴァイマール、ベルリン、クラクフ旅日記IV »