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アルベルト・ジャコメッティ展

 先日、京都からの帰りがけに神戸に立ち寄り、兵庫県立美術館で開かれていた「アルベルト・ジャコメッティ展──矢内原伊作とともに」を見に行った。展覧会の最終日にようやく間に合ったというところである。
 ジャコメッティを日本に紹介した哲学者矢内原伊作との交友を中心に据えながら、矢内原がジャコメッティの不断の試みとしての芸術のうちに見て取った、「見えるがままに描く」ことの追求を、140点近くの作品によって展望させようとする展覧会であった。一人の人間が現にそこに存在していることそれ自体を極限にまで研ぎ澄まされたかたちで屹立させ、見る者を立ちどまらせずにおかない彫像の数々とともに、そこに至るまでのあまりにも執拗と言うほかない試みの足跡を示すデッサンも数多く出品されていた。個人的には、どちらかというと彫刻作品をもっと数多く見たかった気もしないではないが、これほどの数のジャコメッティの作品を、その創造の過程──そこに矢内原は居合わせることになるのだ──とともに見ることができたのは、得難い機会だったことは間違いない。
 それにしても、ジャコメッティにとって「見える」とはどういうことだったのだろう。それはたとえば、ある人物が「矢内原伊作として」見えているということではないのだろう。それは少なくとも「見たい」ものを見ているということではないはずだ。ジャコメッティは初期に、「不快なもの」の彫像を制作している。昆虫の幼虫のような胴体に、こちらを睨みつけるような眼をもった顔がついた、不気味な生き物。その彫像を敢えて制作するとはどういうことなのだろう。悪夢の残滓を形象化したかに見えるこの作品を、シュルレアリスムの影響の産物と片づけることはできないのではないか。それはむしろ、ジャコメッティにとって「見える」とはどういうことだったのかを暗示してはいないだろうか。ジャコメッティにとって「見える」とは、見たくなくとも、どうしても見えてしまう、眼前に立ち現われてきてしまうということのように思われるのである。
 1947年に制作された、極端に長くとがった「鼻」の彫像も、ジャコメッティにとっての「見える」ことそれ自体を象徴しているように見える。彼にとって「見える」とは同時に、彼を傷つけること、すなわち彼のなかにトラウマを残すことのようにも思われるのだ。トラウマ的な記憶の痕跡から反復衝迫的に産み出されてくる無意志的な記憶の像は、けっして全体的なものではない。だからこそジャコメッティは「頭蓋を欠いた頭部」(1958年頃)を制作することもできたのだろう。また、記憶の像が断片として現われてくるとは、記憶される過去と記憶する現在のあいだに埋めることのできない隔たりがあるということでもある。その絶対的な距離のなかで過去が現前してくることをも、ジャコメッティは形象化しようとしたようだ。彼が制作した極小の彫像の小ささは、その距離を示しているのであろう。
 記憶の像が眼前に立ち現われてくるままに描き取ろうとすること、それは他方でどうしても「見えるがまま」に描くことではなく、現われてくるものを「見える」姿のうちに囲い込むことにならざるをえない。ジャコメッティはそのことも自覚していたように見える。1950年に制作された「檻」は、彼自身の芸術の暴力性を映し出す作品でもあるのではないか。それを自覚しながら、ジャコメッティは、自分を突き刺すように「見える」ことに対して、どこまでも忠実であろうとしたようだ。それは、「見える」さまを見届けるまなざしを研ぎ澄ますことでもあろう。そして彼は、自分を刺すように何かが、あるいは何者かが見えてくることを極限まで突きつめることによって、存在することの精髄に迫ろうとしたのではないだろうか。その厳しい歩みを支えたのが、矢内原であり、弟のディエゴであり、妻のアネットであったのかもしれない。この三人の魅力的な彫像を見ることができたのも、今回の展覧会の収穫の一つであった。

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