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藤田嗣治展

 広島空港で東京行きの飛行機に乗り込もうとしたら、通路のあちこちに、現在広島県立美術館で開催されている「藤田嗣治展」の広告がぶら下がっているのが目に入った。広島県が相当に梃入れして宣伝しているということなのだろうか。
 今年は藤田嗣治の生誕120年の記念の年に当たるということで、彼の大規模な回顧展が日本各地を巡回している。それが今広島に来ているというわけなのだが、最初の開催地となった東京では、藤田の画業全体を網羅するほぼ初めての回顧展ということで話題を呼び、かなり多くの観客を集めたようだ。わたしも先日、広島での展覧会を見に行ってきたところである。
 日本初公開の作品を含め、初期から晩年にわたる藤田の作品を、これだけまとまったかたちで見ることができるのは、たしかに貴重な機会だったにちがいない。しかし、正直に言って、これほど絵を見る喜びの少なかった展覧会は珍しい。絵を見たという充実感がまったくなかったのだ。むしろ、何かをなぞっているのを延々と見せつけられたような虚しさだけが残った。
 もちろん、藤田の線描の巧みさは認めなければならない。対象の形態をさっととらえ、猫の毛が波打つさまをも、精緻に、かつ生き生きと描き出す腕は、非凡という以上のものである。しかし、その描線は、どこか見る者が喜ぶであろうものを当て込んで、それをなぞっているように見えるのだ。しかも、格好のよい「フジタ」のそれとして見せようという衒いも、描線から感じないわけにはいかない。
 たとえば、「タピスリーの裸婦」が代表するような藤田の「乳白色の肌」を産むことになる、あの、色と色のあわいを実に細かに見分け、塗り分ける色彩感覚も、たしかにそれはそれで凄いものなのだろう。だが、その感覚にしても、どこか衒いをもって、当時のオリエンタリズム的なまなざしを満足させるであろうものをなぞっているように思われてならない。1930年代に入ると、藤田の画面に強い色彩が導入されてくるが、これは正直なところ、フォーヴや表現主義の平凡な真似事にしか見えなかった。
 こうした藤田の画才と、色や線の試行錯誤を繰り返した画業の集大成が、「アッツ島玉砕」をはじめとする一連の戦争画だったことは、皮肉と言うほかない。これらの死の唯美主義化のうちに、それまでの藤田のすべてがあると言っても過言ではないだろう。そして、そうした死への総動員へ向けた政治の唯美主義化への明白な加担でもあるような作品においても、藤田は、彼の思う「日本人」が見たいであろうものを、相変わらずなぞっているように見えるのだ。
 晩年の一連の宗教画をはじめとする戦後の作品は、絵としてはほとんど見るに堪えなかった。高級少女漫画のような画面から伝わってくるのは、フランスに、そしてカトリックに帰属したいという強烈な欲動である。もしかすると、藤田の「なぞる」手を動かしていたのは、この帰属への欲動だったのかもしれない。彼は、あるアイデンティティに帰属し、安住することを求めて、自分の同胞が望むであろうものをなぞり続けた画家だったのだろうか。
 しかしながら、藤田の手は、晩年になっても同時に、ほかならぬあのダンディな「フジタ」あるいは「藤田」を見せようともしている。そのような衒いは、彼をある一つのアイデンティティに溶かし込むことを、最後まで妨げ続けたにちがいない。藤田は、戦後フランスに帰化し、カトリックに入信してもなお異邦人だったのではないだろうか。とすれば、藤田嗣治という画家を、帰属への欲動とダンディズムのあいだで引き裂かれた異邦人と呼ぶこともできよう。
 それにしても、藤田嗣治が今これほど注目を集めるのはどういうことなのだろう。日本人たちは、心のなかにぽっかりと空いた穴を埋めてくれる何かを求めてさまよう自分自身のロマンティックな似姿を藤田のうちに見て、共感をおぼえているのだろうか。藤田の名が話題を集めていることには、「日本」的なものへの批判を差し挟むことのない、あるいは批判を許さない「好感」が日本列島を覆っていることと重なりあうものがある気がして、薄気味が悪い。

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コメント

これほど心がまったく動かない展覧会も珍しい、と私も思っていました。なぜだかわからないけど。

投稿: | 2006年9月22日 (金) 11時01分

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