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誕生日とフランス料理の愉しみ

 何十何回目だかの誕生日を迎えて、また歳を取ってしまった。ゲオルク・ビュヒナーよりも、ノヴァーリスよりも、フランツ・シューベルトよりも、ハインリヒ・フォン・クライストよりも、そして今年生誕250周年を迎えたあのモーツァルトよりも長生きをしてしまったと言えば、何歳になったのかおおかた想像がつくものと思われるが、振り返ってみれば、これまでいったい何をやってきたのかと暗澹とさせられる。バタバタと生き急いで、結局何もできていないではないか。
 とりわけこの1年は慌ただしく過ぎた。慌ただしく感じられるのは、歳を取ったせいなのかもしれないが、実際慌ただしく結果を出すことに追われていたのではないか。それにかまけて、思考を突きつめることを、また思想を表現する言葉を研ぎ澄ますことを、すっかり怠ってはいなかっただろうか。目に見える結果を出すことが求められる趨勢に抗しきれない自分も腹立たしい。
 母に、もう自分の顔をもつ歳だと言われた。そうなのかもしれないが、自分の顔を作れているとはとても思えない。にもかかわらず、音声的な言葉のかたちで、文字のかたちで、あるいは身体的な相貌というかたちで、つねに顔を他者に晒していなければならないし、パブリックに顔を晒さなければならない機会もまたすぐにやってくる。ともかく残された時間で、変に立てなくてもよい顔を作る最大限の努力をするほかないのだろう。
 ところで、誕生日の夜、広島市内の京橋川沿いのフランス料理屋「ア・ターブル」を妻と訪れた。やや古びた建物の2階にあるこぢんまりとしたその店は、フランスのジャズが流れていて、変に気取らない雰囲気が心地よい。とはいえ料理は実にしっかりとしている。
 まず出て来たのが前菜の盛り合わせ。スモークサーモンをパプリカやマンゴーと合わせたもの、アボガドに蟹肉を乗せてオーロラソースをかけたもの、水イカのラグー、ナスをラタトゥイユ風に煮込んだのにアンチョビソースをかけたもの、それに生ハムと実に多彩である。生ハムに添えられた、スイートコーンのペーストを胡麻豆腐のように固めたものは、ゼリー寄せの代わりだろうか。全体的に口当たりのよい味付けながら、ニュアンスに富んだ甘さと辛さのコントラストや食感のちがいを楽しむことができる。落ち着いたなかで食べることの愉悦を味わわせてくれる一皿。とくに気に入ったのはサーモンとマンゴーの組み合わせだった。
 次に出てきたのは、鮮やかなピンク色が印象的なビートの冷製スープ。仄かな酸味が夏にふさわしい爽やかさを醸し出しているが、コクも欠けてはいない。それに続いて、フォアグラのソテーが運ばれてくる。マッシュポテトの上に乗せられた二切れの(もちろん小さな)フォアグラにトリュフのソースのかかった、実に贅沢な一皿である。舌の上で溶けていくかのような味わいを醸し出す、フォアグラとソースの組み合わせを堪能した。
 実は、コースはこれだけでは終わらない。今度は魚介料理ということで、海老のクリーム煮にズッキーニとライスのグラタンを添えたものが出て来た。海老そのものも美味しかったが、まろやかななかに少し辛味を利かせたクリームソースの味も面白い。肉料理は、雲仙豚のソテー。シンプルな味付けの豚肉自体も美味しいが、マスタードとジャムが添えて、さまざまな味のヴァリエーションを楽しめるよう工夫してある。さらに、キャベツとマッシュルームの浅漬けのピクルスも添えてあった。豚肉にコクがあるだけに、さっぱりとした野菜が添えられているのは嬉しい。最後にはしっかりとした甘味のガトーショコラと、オレンジの皮の苦味を生かしたソースでアクセントをつけたシャーベットのデザートも楽しんで、身も心もすっかり満腹となってしまった。年に二度か三度は、このような舌の快楽もお許しいただきたいところである。ちなみにワインは、チリ産のものを注文したが、果実味豊かで、かつどっしりとした味。フォアグラにも豚肉にもよくマッチしていた。値段のほども(料理も含めて)実にリーズナブル。久しぶりによい店を見つけた。
 さて、昨年の誕生日から始まったこの雑記録風Weblogも、今日でちょうど1周年。折々に書き散らした雑文にお付き合いくださったみなさまには、心から感謝申しあげます。

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