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「伊藤健壱アニメーション展」と「おわりの風景、またはじまりの風景」展

 久しぶりに広島市現代美術館を訪れる。妻のリクエストで「伊藤健壱アニメーション展:I. TOON CAFE」を見に行くことにしたわけである。
 現代美術館は比治山という小高い山の上にあるのだが、ここは桜の名所でもある。週末ということもあって、たくさんの花見客が車座になっていた。しかし肝心の桜は、肌寒い日が続いたせいでまだ咲き始めという感じ。桜の花より花見客のほうが多かったかもしれない。
 さて、「伊藤健壱アニメーション展」は、NHK教育の人気シリーズ「ニャッキ」の作者であり、また数多くのCMを手がけていることもあって、アニメーションやグラフィックに興味があると思われる若者や家族連れでにぎわっていた。「アニメーション・ビエンナーレ」が開かれる「アニメの街」として広島市を印象づけたい市当局の思惑と、今後の企画のためにも収益をあげておきたいという美術館側の思惑とが透けて見える企画である。
 展示そのものに見るべきものは多くないが、アニメーションの制作過程が、製作段階ごとに使われる素材や道具などとともに細かく示されていて、とりわけそれにかかわる仕事に就きたいと思っている若い人にとっては非常に興味深かったと思われる。作品としてはやはり「ニャッキ」が、小さな虫の視点から見た世界をなかなか見事に構成していて、日常的な世界の別の相貌を楽しませてくれるうえ、子どもの変身や模倣の願望を素直に表現していて面白い。それ以外の作品はやや作り込みすぎている印象を受ける。立体映像を見られるコーナーがあったり、出口の前には、パソコンを使って簡単なアニメーションを制作できるコーナーも設けられたりしていて、かなり幅広い客層が楽しめる展示の構成になっていた。それはそれでたまにはよいのかもしれないが、伊藤健壱というアニメーション作家の作品の現代美術としてのインパクトをどう伝えたいのかは、展示から見えてこない。それをどう伝えるかに、ある意味で現代美術館自身の美術館としての位置づけもかかっていると思うのだが、どうだろうか。
 正直なところ興味深かったのは、この企画展より、所蔵作品で構成された「おわりの風景、またはじまりの風景」のほうだった。とりわけ草間彌生の「よみがえる魂」とギュンター・ユッカーの「灰の人」に惹きつけられた。どちらも灰を作品世界の基本モティーフとしている。前者は、灰そのものが生命を吹き込まれたかのように蠕動するさまを、深い黒の地に描かれた無数の、そしてどれも大きさの異なる白い斑点の配置によって見事に描き出している。例によって画面の次元性を見失わせる襞によって絵画であることを否定しつつ、眩暈を起こさせる仕方で画面をはみ出してゆく生命のうごめきを伝えている。後者は、カンバスを灰で覆ったなかに墜落してゆく人の姿を浮かびあがらせるもの。画面に接着された灰に付けられた筋を見ると、人が灰のなかへ吸い込まれてゆくように思われてくる。ユッカーは、人間そのものが灰のなかに消滅しかねない危機を見ているのかもしれない。

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