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「白バラの祈り」

 マルク・ローテムント監督の映画「白バラの祈り──ゾフィー・ショル、最期の日々」を見る。昨年のベルリン映画祭で銀熊賞に輝いたドイツ映画である。反ナチ抵抗組織「白バラ」の紅一点だったゾフィー・ショルが、無益な戦争を続けるナチス政権の打倒を呼びかけるビラを撒いたのが発覚して逮捕されてから処刑されるまでの5日間のあいだに何を思い、またナチズムで凝り固まった大人たちに何を語りかけたのかを、新しい史料にもとづいて再構成し、力強くかつ細やかに描き出した見ごたえのある作品と言えよう。
 1943年2月18日、当時ミュンヘン大学の学生だった21歳のゾフィー・ショルは、兄のハンスとともに仲間と印刷したビラを大学構内で撒いたところをゲシュタポに捕らえられ、そのたった5日後には人民裁判で反逆罪による死刑の判決が下され、その日のうちに断頭台の露と消えている。逮捕から処刑に至る異常な早さは、当時の政権中枢がナチスの生誕の地であるミュンヘンに若者の抵抗運動が広がることをいかに恐れていたかを如実に物語っているが、その間の事情は長いこと闇に閉ざされていた。1990年代になってようやくかつての東ドイツにあったゲシュタポの捜査と尋問の記録が発見され、ゾフィー・ショルが最期の5日間に何を語ったのかを知り、またそもそも彼女がどのような女性であったのかをうかがい知ることができるようになったのである。
 ローテムント監督の映画「白バラの祈り」は、こうした経緯にもとづいて制作されたものである。この映画も、史料にもとづいて現代史を描く他のドイツ映画同様に手堅い作風を示しているが、この監督が登場人物に向けるまなざしはドイツ現代史を扱う他の監督よりも繊細であるように思われる。たとえば「ヒトラー最期の12日間」のように、人物像がどこかわかりやすく単純化されてしまうことはないのだ。とりわけゾフィー・ショルの多感さと心の揺れ動きを史料から再構成し、彼女の「若さ」として浮かびあがらせることに見事に成功している。そして、最終的に大人たちの前で堂々と自由を主張するに至る彼女の「若さ」を演じきったユリア・イェンチの演技にも、心からの称賛を送りたい。
 ゾフィー・ショルは映画の冒頭では、音楽を愛する若い女性として登場している。お気に入りはビリー・ホリデイの歌とシューベルトのピアノ五重奏曲「ます」。とりわけシューベルトのイ長調の音楽から、彼女は自然の生命の躍動を聴き取り、命が輝き出る春の到来を予感している。彼女は生きることを心から愛していたのだ。そして彼女は生きることを真摯に愛した。だからこそ、ナチズムの恐怖に覆われた状況のなかで自分がいかに生きうるのかという問題に正面から向きあい、自由を切り開くことに身を捧げることを決断できたのではないか。ナチスが「生きるに値しない」と断じた生命もかけがえのないものと愛する彼女にとって、自由は自分だけのものではなかったと思われる。さらにそのような彼女の生命への愛は、一人のプロテスタントとしての信仰とも結びついている。独房の小さな窓から注いでくるドイツの冬には珍しい明るい日差しのなかに彼女は神の姿を求め、自分がまだ生きていることを感謝しながら、押し寄せる不安に打ち勝つ心の強さを願うのである。
 自由に身を捧げることを選んだとはいえ、ゾフィー・ショルは強靱な心を貫いたわけではない。尋問官に対しては当初、ふざけてばらまいてみただけだと、ビラを撒く政治的な意図を否認しているし、即日処刑されることがわかったときには、絶望のあまり叫ぶことしかできないのである。そのような彼女が、自由とは何か、また自由であるために今どうすることが必要かを考え、公の場でその考えを貫くことができたことに、「安全」といったものの名のもとで自由が閉ざされつつある時代のわずかな希望を見たい。人間を虚構のアイデンティティのうちに閉じ込める「品格」だの「武士道」だのではけっしてなく、ゾフィー・ショルの「若さ」をこそ、今自分自身のうちに見いださなければならないはずだ。そのためにも彼女を見なければならない。広島のサロンシネマで「白バラの祈り」が上映されるのは4月28日までである。

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