« 植民地主義の反復と歴史認識の問題 | トップページ | 辺見庸『自分自身への審問』 »

「ホテル・ルワンダ」

 1994年、「フツ族」による「ツチ族」のジェノサイドの嵐が吹き荒れるルワンダの首都キガリで、一人のホテル支配人が、1200人を超える「ツチ族」避難民を自分が経営するホテルに匿い、守り通す。昨日広島市内の映画館で見たテリー・ジョージ監督の映画「ホテル・ルワンダ」は、そのドラマを描き出すばかりではない。その映画は、ヨーロッパの植民地主義的近代がつくり出した「人種」という観念の恐るべき虚しさ、さらには「人種主義」を清算しないままに、ルワンダが地政学的に重要でないことがわかれば、そこで人種主義的ジェノサイドの危険に曝されている人びとをあまりにも簡単に見捨ててしまう、欧米を中心とする国際社会の身勝手さといった重い問題も見る者に突きつけている。そしてそれらの問題は、まだ何ひとつ解決されていない。
 映画は、現在の多数派である「フツ族」側のラジオの不気味な声で始まる。問題の元凶を「ツチ族」に押しつけ、敵意を煽る声。それがやがて100万人とも言われる犠牲者を出すジェノサイドへ一般の「フツ族」市民を駆り立てるプロパガンダの中心となる。とはいえ、もともと「フツ族」と「ツチ族」のあいだに大きな相違があるわけではない。かつての植民者であるベルギー人が、外見上のわずかな、当人たちも判別しがたいほどの差異にもとづいて恣意的に設けた「フツ族」と「ツチ族」の「人種的」な区別が、どちらかへの帰属を記した身分証明書や、政治の主導権をめぐる対立のかたちで反復されているのである。実際、現地に乗り込んだジャーナリストには、両者はまったく区別できない。植民地支配を容易にするために植民者がつくり出した「フツ族」と「ツチ族」を区別するまったく恣意的な見方が、今度は人種主義的ジェノサイドの論理として反復されるのだ。
 さて、「フツ族」と「ツチ族」の和平協定を結んだ大統領が何者かによって暗殺された後、そのジャーナリストは、キガリの街で一般の「ツチ族」市民が、同じく一般の「フツ族」市民を次々と虐殺する場面に遭遇する。その映像をたまたま目のあたりにしてしまったミル・コリン・ホテルの支配人ポール・ルセサバギナは愕然とさせられると同時に、その映像が欧米の国々で流れることにわずかな期待を寄せるのだった。しかしジャーナリストは言った。欧米の人びとは、怖いねと言うだけで、ディナーを続ける。
 事態はその通りだった。自分たちを救いにやって来たと思われたフランスとベルギーの軍隊は、実際には、ルワンダで孤立してしまった外国人を安全に避難させるために来たのである。地政学と暗黙の差別によってルワンダの人びとを見捨てるために、植民者たちが再びやって来たのだ。その軍隊が去った後は、1200人以上の避難民が隠れるホテルが、ほとんど無援の状態で取り残されることになる。そこからポール・ルセサバギナの活躍が本格的に始まる。彼は勇気を狡知を駆使して、つまりはあらゆる虚言と賄賂を使って、家族をはじめホテルに隠れる人びとを、命がけで守り通すのだ。
 そのさまはたしかに、ナチス・ドイツのジェノサイドから数多くのユダヤ人を守ったオスカー・シンドラーを思わせる。この映画が「ルワンダ版『シンドラーのリスト』」と呼ばれるゆえんである。そして、避難民を懸命に守る姿の描き方に、「シンドラーのリスト」と同種の一抹の美化がないわけではない。しかし、見る者が何よりも慎まなければならないのは、ポール・ルセサバギナの生き方を、「愛」といった耳当たりのよい言葉で包んで涙することであろう。むしろ、彼にそうした生き方をさせた背景にある問題を自分に突きつけられた問題として受けとめながら、その生き方の一端に自分自身の可能性を見て取るべきではないだろうか。
 映画の終わり近く、ポール・ルセサバギナは、自分の姪たちを難民キャンプで見つけ出してくれた赤十字職員に対してこう言う。わたしたちのホテルはいつでも開いています。その台詞は、かつて植民地主義を押し進めた欧米諸国と日本の政府の高官や、そこで表向き安寧に生きている者こそが言うべき台詞のようにも思われるのだ。
 ところで、ひと言だけ映画のつくりについて付け加えると、難民キャンプからタンザニアへ向かう、ポール・ルセサバギナとその家族を乗せたバスが遭遇するツチ族反乱軍の描き方には、これもどこか美化が入っているようで少し引っかかった。
 ちなみに映画「ホテル・ルワンダ」は、日本の映画配給会社の買い手がつかず、日本での公開が危ぶまれていたという。その現状を危惧した人びとが、「『ホテル・ルワンダ』日本公開を求める会」を立ち上げ、懸命な署名活動の結果、公開にこぎ着けたとか。今は「『ホテル・ルワンダ』日本公開を応援する会」と名称を改めたその会の活動に感謝すると同時に、日本の映画配給会社が一つも名乗りをあげなかったことには暗澹とさせられざるをえない。
 「ホテル・ルワンダ」は、過去のドラマを感動的に描く映画ではない。それはむしろ現在の問題を突きつける映画である。それを考えるために、見なければならない。

|

« 植民地主義の反復と歴史認識の問題 | トップページ | 辺見庸『自分自身への審問』 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/126937/9813076

この記事へのトラックバック一覧です: 「ホテル・ルワンダ」:

» 「ホテル・ルワンダ」 [共通テーマ]
「売れそうにないから」との理由で日本公開が見送られ、熱狂的ファンの署名活動により、ようやく公開になったこの映画。あなたの思いを語ってください。 [続きを読む]

受信: 2006年4月30日 (日) 16時08分

« 植民地主義の反復と歴史認識の問題 | トップページ | 辺見庸『自分自身への審問』 »