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2006年4月

「ホテル・ルワンダ」

 1994年、「フツ族」による「ツチ族」のジェノサイドの嵐が吹き荒れるルワンダの首都キガリで、一人のホテル支配人が、1200人を超える「ツチ族」避難民を自分が経営するホテルに匿い、守り通す。昨日広島市内の映画館で見たテリー・ジョージ監督の映画「ホテル・ルワンダ」は、そのドラマを描き出すばかりではない。その映画は、ヨーロッパの植民地主義的近代がつくり出した「人種」という観念の恐るべき虚しさ、さらには「人種主義」を清算しないままに、ルワンダが地政学的に重要でないことがわかれば、そこで人種主義的ジェノサイドの危険に曝されている人びとをあまりにも簡単に見捨ててしまう、欧米を中心とする国際社会の身勝手さといった重い問題も見る者に突きつけている。そしてそれらの問題は、まだ何ひとつ解決されていない。
 映画は、現在の多数派である「フツ族」側のラジオの不気味な声で始まる。問題の元凶を「ツチ族」に押しつけ、敵意を煽る声。それがやがて100万人とも言われる犠牲者を出すジェノサイドへ一般の「フツ族」市民を駆り立てるプロパガンダの中心となる。とはいえ、もともと「フツ族」と「ツチ族」のあいだに大きな相違があるわけではない。かつての植民者であるベルギー人が、外見上のわずかな、当人たちも判別しがたいほどの差異にもとづいて恣意的に設けた「フツ族」と「ツチ族」の「人種的」な区別が、どちらかへの帰属を記した身分証明書や、政治の主導権をめぐる対立のかたちで反復されているのである。実際、現地に乗り込んだジャーナリストには、両者はまったく区別できない。植民地支配を容易にするために植民者がつくり出した「フツ族」と「ツチ族」を区別するまったく恣意的な見方が、今度は人種主義的ジェノサイドの論理として反復されるのだ。
 さて、「フツ族」と「ツチ族」の和平協定を結んだ大統領が何者かによって暗殺された後、そのジャーナリストは、キガリの街で一般の「ツチ族」市民が、同じく一般の「フツ族」市民を次々と虐殺する場面に遭遇する。その映像をたまたま目のあたりにしてしまったミル・コリン・ホテルの支配人ポール・ルセサバギナは愕然とさせられると同時に、その映像が欧米の国々で流れることにわずかな期待を寄せるのだった。しかしジャーナリストは言った。欧米の人びとは、怖いねと言うだけで、ディナーを続ける。
 事態はその通りだった。自分たちを救いにやって来たと思われたフランスとベルギーの軍隊は、実際には、ルワンダで孤立してしまった外国人を安全に避難させるために来たのである。地政学と暗黙の差別によってルワンダの人びとを見捨てるために、植民者たちが再びやって来たのだ。その軍隊が去った後は、1200人以上の避難民が隠れるホテルが、ほとんど無援の状態で取り残されることになる。そこからポール・ルセサバギナの活躍が本格的に始まる。彼は勇気を狡知を駆使して、つまりはあらゆる虚言と賄賂を使って、家族をはじめホテルに隠れる人びとを、命がけで守り通すのだ。
 そのさまはたしかに、ナチス・ドイツのジェノサイドから数多くのユダヤ人を守ったオスカー・シンドラーを思わせる。この映画が「ルワンダ版『シンドラーのリスト』」と呼ばれるゆえんである。そして、避難民を懸命に守る姿の描き方に、「シンドラーのリスト」と同種の一抹の美化がないわけではない。しかし、見る者が何よりも慎まなければならないのは、ポール・ルセサバギナの生き方を、「愛」といった耳当たりのよい言葉で包んで涙することであろう。むしろ、彼にそうした生き方をさせた背景にある問題を自分に突きつけられた問題として受けとめながら、その生き方の一端に自分自身の可能性を見て取るべきではないだろうか。
 映画の終わり近く、ポール・ルセサバギナは、自分の姪たちを難民キャンプで見つけ出してくれた赤十字職員に対してこう言う。わたしたちのホテルはいつでも開いています。その台詞は、かつて植民地主義を押し進めた欧米諸国と日本の政府の高官や、そこで表向き安寧に生きている者こそが言うべき台詞のようにも思われるのだ。
 ところで、ひと言だけ映画のつくりについて付け加えると、難民キャンプからタンザニアへ向かう、ポール・ルセサバギナとその家族を乗せたバスが遭遇するツチ族反乱軍の描き方には、これもどこか美化が入っているようで少し引っかかった。
 ちなみに映画「ホテル・ルワンダ」は、日本の映画配給会社の買い手がつかず、日本での公開が危ぶまれていたという。その現状を危惧した人びとが、「『ホテル・ルワンダ』日本公開を求める会」を立ち上げ、懸命な署名活動の結果、公開にこぎ着けたとか。今は「『ホテル・ルワンダ』日本公開を応援する会」と名称を改めたその会の活動に感謝すると同時に、日本の映画配給会社が一つも名乗りをあげなかったことには暗澹とさせられざるをえない。
 「ホテル・ルワンダ」は、過去のドラマを感動的に描く映画ではない。それはむしろ現在の問題を突きつける映画である。それを考えるために、見なければならない。

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植民地主義の反復と歴史認識の問題

 「領土」とは言うまでもなく、一定の境界によって囲まれた土地のことである。それはずっと昔なら、城壁の内側のことだったり、あるいは河川や山脈といった自然の城壁によって守られた内部だったりしたのだろう。今は「領土」と言えば、地図上に人為的に引かれた境界線の内側にある陸地のことである。
 ある土地を「領土」と定める境界線を地図上に引くとは、境界線の内側にあるその土地が「われわれ」の生存の場所であると、「われわれ」とは異質な「彼ら」に対して宣言することである。それは同時に境界線の内側にいる人びとに、同類ないし同胞としての「われわれ」のアイデンティティを、異質な「彼ら」との対比において自覚させ、さらにはひとりひとりではなく、「われわれ」なるものの生存の必要を知らしめることでもある。そのような「われわれ」の想像とともに生じるのが「国民国家」の「ナショナリズム」であり、それが排他的なものであるほかはないことは言うまでもない。そして、虚構の「われわれ」の生存の権益のために従来の境界を越えたところに新たな境界線を引き、そこに住んでいる人びとを従属させようとするとき、「ナショナリズム」は「植民地主義」となる。
 現在、日本と韓国のあいだで「領土」をめぐる議論がかまびすしい。韓国側が独島と呼び、日本側が竹島と呼ぶ小島は、いったいどちらのものなのか。日本側が、古くから日本の漁民の寄港地だったことを踏まえて明治期に島根県に編入したことの法的正当性を主張する一方、韓国側はそのことを、同時期に進められていた朝鮮半島の植民地主義的収奪の一環と主張し、双方とも譲らない。しかし、みずからの主張を譲らないなかで、双方とも小さな島の周辺の海域の漁業権益の独占を見すえているならば、双方の主張は「ナショナリズム」のそれであるにとどまらず、「われわれ」の生存の権益を外に求める「植民地主義」の色彩も帯びてくる。そのことに思い至るとき、おびただしい数のアジアの人びとを虐殺し、抑圧しながらアジア全体を戦争に巻き込んでいった近代日本の植民地主義的ナショナリズムが、実に皮肉な仕方で反復されているのを目のあたりにするようで、暗澹とせざるをえない。
 憎しみあう者たちは醜く似かよってくる。小さな島をめぐる憎悪が、植民地主義につながるナショナリズムの反復と応酬につながってしまっているのだ。そのことの最大の原因はやはり、かつて朝鮮半島を植民地支配した日本が、みずからの植民地主義的ナショナリズムを乗り越えるような歴史認識を示しえていないことにある。韓国の大統領も指摘するように、「A級戦犯」を合祀し、植民地主義の戦争を美化する展示物を置く靖国神社を首相が詣でるというのは、本人がいかに内心の問題と弁明しようと、日本が植民地主義の過去を否定しない歴史認識を公にする行為なのである。これが政治家たちの「妄言」とともに繰り返されるなかでは、韓国の側も身構えてしまう。これまでの「謝罪」は嘘なのではないだろうか。現に日本の歴史教科書からは第二次世界大戦における日本の加害責任についての記述は減っているし、憲法改正の動きもあるではないか。韓国大統領が「謝罪に見合う行動を要求する」のも無理のないことである。だからといって、手段を選ばないナショナリズムが正当化されるわけではけっしてないのだけれども。
 では、植民地主義的ナショナリズムを乗り越えるような歴史認識はありうるのだろうか。ありうるとすれば、それはどのような歴史認識なのだろうか。
 この問題を考えるうえで示唆的に思われたのが、講談社『本』別冊『RATIO』第1号に掲載された大澤真幸の論考「「靖国問題」と歴史認識」である。ここで大澤は、山田太一のドラマ「終りに見た街」を巧みに論じながら、「靖国問題」をめぐるいわゆる「右派」と「左派」の主張を見事に腑分けしている。高橋哲哉の『靖国問題』(ちくま新書)とともに、この問題を考えるうえで必ず参照されるべき重要な論考と言うべきであろう。
 大澤によれば、これまで歴史は「最後の審判」の視点から書かれてきた。歴史とは、大澤が「第三者の審級」と呼ぶ超越的な視点、すなわち神の視点を時間の外に設定し、その視点からそれぞれの出来事を意味づける「歴史神学」だったのだ。その「第三者の審級」に「右派」は自分の同胞の死者だけを置き、その期待に同胞たる「われわれ」は応えなければならないと、同胞の死者のみに感情移入する。これに対して「左派」は、「最後の審判」を文字どおりに受け取る。「第三者の審級」は無限の未来に待つ「超越的な救済者」の場なのだ。その「普遍的な正義」の視点から、あらゆる死者が裁きの場に呼び出されうるのでなければならない。したがって、死者を差別するのでなく、すべての死者を追悼の対象とするべきなのである。
 このような二つの立場の違いを明確にしたうえで、大澤は「左派」の主張に含まれる問題点も指摘している。「左派は、「普遍的な正義」の存在を前提にする立場であった。それは、無限の未来に──つまり人類と宇宙の歴史を全体として通覧できる位置に──、「最後の審判」を下す救済者を想定するのと、論理的には同じことに帰する。それに対して、右派は、言ってみれば、不完全な「最後の審判」を想定していることになる。というのも、右派は、全人類・全宇宙を視野に収める神の代わりに、特定の共同体のみを視野に収める死者を置くのであり、それは共同体が歴史的なアイデンティティを持続させる有限の時間幅の中でしか意味をもてないからである。その結果として、右派にとっては、死者=「第三者の審級」は、共同体が伝統的に保持してきた「善」を代表することになる。当然、それを阻害したり、傷つけたりする者は、「悪」であり、「敵」である。左派の「最後の審判」が、これとは異なった真正のものであることの端的な現れは、──戦死者の追悼という問題との関連で見た場合には──敵方の犠牲者をも追悼の対象に含めるべきだ、という主張の内に見て取ることができる。だが、先に示唆したように、敵をも追悼しようとすると、たちどころに困難にぶちあたることにもなる。「普遍的な正義」の中に包摂しようもない、根本的な「悪」が残ってしまうからである」。真正の「審判」を想定する主張も、神が悪を含む世界を創造したのはなぜなのか、という神学的ないし弁神論的難問にぶつかってしまうのである。
 そのことを確認しながら大澤はこう自問している。「歴史の渦中にある生成の契機を掬いだし、敗者を救済することができるような、そんな歴史認識の可能性はあるのか」。たしかに、自分が生きている現在を正当化するために特定の死者だけに感情移入し、「われわれ」の死者が顕彰されるような歴史を物語り、その他者を抑圧する従来の歴史認識ではけっしてなく、むしろ死者たちの記憶をひとつひとつ今に甦らせ、それぞれの出来事を「他でもありえた」可能性を含んだ、未完結の生成の相においてとらえかえし、そうして現在を揺り動かす歴史認識によってこそ、虚構の「われわれ」の自己正当化と深く結びついた植民地主義的ナショナリズムを乗り越えていくことができるにちがいない。だが、そのような歴史認識は、どうしたら可能なのか。神の無限性を想定しても、根本的な悪の問題に突き当たってしまうではないか。そこで大澤は、「全能の神と有限の神との対立」、すなわち「左派と右派」の対立が構成する「デッドロックを乗り越える、第三の立場」を、「神が悪をなしうるということ、したがって神が可謬的であるということ、これらのことを認めるところ」に求めている。「第三者の審級(神)そのものに悪が刻まれており、第三者の審級が破壊的な失敗をなしうるということ、それゆえ、第三者の審級が歴史の生成過程の中に巻き込まれているということ、このことを前提としたとき、歴史がまったく異なった相貌をもって現れるはずだ」。
 しかしながら、そのように「神=第三者の審級を歴史化し、歴史の渦中に投げ込む」とはどういうことだろう。それはどのような歴史認識のかたちとして現われてくるのだろうか。むしろ、それは歴史を認識する者のほうが、「最後の審判」の地点に立てないことを自覚しながら、ひとつひとつの過去を想起することではないか。そのことは、過去の出来事を現在の視点から完結させず、むしろ生成の相において今に甦らせることにつながるだろうし、またそれは神の可謬性よりは過去と現在の断絶を出発点とすることであるはずだ。人間があまりにも性急に神を歴史の渦中へ投げ込んだところよりは、人間が歴史を完結させることはできないのを胸に刻むところからのほうが、過去をその救済の可能性において想起できるはずである。フランツ・カフカが語ったように、希望はある、しかしそれはわたしたちのためのものではない、ということと、ヴァルター・ベンヤミンの『歴史の概念について』のなかの大澤が引いていない補遺にある「未来のどの瞬間も、メシアがそれを潜り抜けてやってくる可能性のある、小さな門だったのだ」ということとの緊張のなかで、歴史認識は試みられるべきであろう。
 こうした問題点を感じるとはいえ、大澤の論考が歴史認識の可能性を考えるうえで重要であることに変わりはない。そればかりでなく、それが喫緊の問題となる現在を照らし出している点にも注目すべきであろう。ちなみに大澤は、ドラマ「終りに見た街」にもう一度触れながら、論考をこう結んでいる。「主人公は、「終り」に、戦争の後に、つまり──戦争との関連において──最後の審判の立場に、自分はすでにいると思っていた。ところが、「終りに見た街」は、戦争の渦中の自分たち自身の現在(2005年)の街だったのである。超越的な位置から戦争の善・悪を判断していた主人公自身が、戦争の中に降り立っていたのだ」。「共謀罪」による訴追を可能にする法案や「教育基本法改正」案が、賛成の与党が大多数を占める国会に提出されようとしている現在が、「終りに見た街」の現在に急速に近づきつつあることは間違いない。

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吉田秀和『ソロモンの歌・一本の木』

 現在も『レコード芸術』誌に魅力的な文章を寄せたり、NHK-FMの「名曲の楽しみ」でリヒャルト・シュトラウスについて語ったりといった活躍を続けている吉田秀和は、日本における音楽評論の草分けなどとしばしば称されるけれども、けっしていわゆる「音楽評論家」ではない。音楽が彼にとって中心的な芸術であるのは確かだが、彼は「音楽」を消費する文化産業のメカニズム──いわゆる「業界」──に組み込まれたかたちで消費を促進する言説を生産するだけの「評論家」とはまったく異なった次元で音楽を語っている。吉田は、音楽とは何か、それを演奏するとはどういうことなのか、そもそも芸術とは何か、そして芸術が息づく文化とはどのようなものなのか、といった根本的な問いに絶えず向きあいながら、音楽について、そればかりでなく、美術や文学について語っているのだ。そうすることで吉田は、現在も芸術を消費し続けるメカニズムと、それが機能する日本の土壌それ自体を問いただしているのである。そして、このような吉田の批評の位置を伝えるとともに、その批評の言葉が、書くことについての、あるいは文学についての、ひいては言葉それ自体についての深い思索にもとづいていることを知らせてくれるのが、最近講談社文芸文庫の一冊として出たエッセイ集『ソロモンの歌・一本の木』にほかならない。
 「あとがきにかえて」ということで新たに末尾に付された文章のなかで、吉田は、正宗白鳥のエッセイを再読して、「考えはどんなに違っていても、それを突破して読み手を痛撃する力をもつ言葉を書きつけることが可能だという事実を確認せずにはいられなかった」と語り、さらに「この力、こういう言葉を出現さす精神の働き、これこそ「文学」にほかならない」と述べている。吉田は、このような「文学」についての思想を出発点に、読み手を射ぬく力をもった言葉にみずからの「精神の働き」を結晶させることを、今も絶えず追い求めているのではないか。「文学は言葉以外の何物でもないが、それと同時に、これは思想の力の軌跡、あるいは結晶なのである」。もしかすると、吉田の批評の核心をなしているのは、「思想の力」の「結晶」としての「文学」なのかもしれない。そして、こうした意味での「文学」なき批評が、「批評」の名に値しないことも、彼は突きつけているのではないだろうか。
 吉田の「読み手を痛撃する力をもつ言葉」への情熱に火を点けたのが、若き日の中原中也、吉田一穂といった詩人との邂逅であったことも、『ソロモンの歌・一本の木』の冒頭に収められたいくつかのエッセイは教えてくれる。言葉の正確さとそこから生まれる鋭さ、これを吉田秀和はもしかすると酒に酔った中原中也の喧嘩ぶりを見ることからも学んでいるのかもしれない。それについて吉田はこう書いている。「そういう彼が、また、喧嘩をするとすさまじかった。私のいうのは口喧嘩である。目の前の相手を、一語一語、肺腑をつくように正確に攻撃する。その烈しさは、意地の悪さなんてものを通りこしていた」。その一方で吉田は、そのような中原の喧嘩が、実は「無限に対する「生」の主張の一つの形式」であることも見て取っていた。それをつうじて中原は、「宇宙との交感」を目指していたという。それも死に限りなく近いところで。吉田に言わせれば、中原は「生きている時に自分の死を見てしまった人間」なのである。
 吉田は、詩人たちとの交流をつうじて言葉を研ぎ澄ますばかりでなく、小説を読むことによって芸術をめぐる思索を深めてもいる。そうした経験の場として吉田が最も重要視しているのが、プルーストの『失われた時を求めて』のようである。それを読む経験について彼はこう書いている。「私は『失われし時を求めて』の中で、自分の生きてきた時間を溯り、溯る間にはじめて時間の流れを自覚的に捉える。私は自分に再会し、自分を意識する。この本に出てくる事件は空間的拡がりをもっており、それはまた私を拡げもするのだけれども、私がここで本当に知るのは、この《時間》の中であり、そこで私は《自分になる》のである。こういう《時》がなければ──時が流れ、私が私でないものに流れこみ、私でないものが私の中に流れ込んでくるのでなければ、私は永久に私に再会することはなく、自分になることもないだろう」。そして、表題作の一つ「ソロモンの歌」は、吉田がそのようにプルーストを読むなかで「私」が「自分になる」経験を、記憶が甦るその「時」をとらえるすぐれてプルースト的な「文学」に結晶させえたことを示している。吉田はそこで、引っ越しの日の朝の目覚めを思い起こすところから幼年期の記憶を甦らせ、それをつうじて「自己革命」の継続のただなかにある日本の現在を照らし出すとともに、芸術を息づかせるような文化の生命を取り戻すべく、今ここで「自分を根本的に検討し、再組織する必要」を語りかけているのである。そうした言葉が、「ソロモンの歌」が書かれてから35年以上が経った現在の日本にも光を投げかけていることは言うまでもない。
 吉田秀和の「批評」を構成するものとして、文学の経験と並んでもう一つ忘れてはならないのが、美術の経験である。『ソロモンの歌・一本の木』には、クレーの音楽性とでも言うべきものを見事に解き明かした、「クレーの跡」というエッセイが収められている。そこで吉田は、クレーの絵が「有機的に成長する」過程のうちに、無調の音楽が「非常な自由さと組織性」のバランスを保ちながらかたちづくられてくるプロセスに呼応するものを見て取ることによって、クレーの20世紀的な音楽性を照射すると同時に、その成長過程が「彼の好んだモーツァルトの音楽におけるように」、「線が天使に」なってゆくプロセスであることも示しているのだ。そして吉田は、クレーの天使たちが第二次世界大戦の始まる年に数多く生まれていることも忘れていない。「哀れな人間たちは、忘れっぽい天使が、ついうっかりしている間に、大変なことをおっぱじめ、幾千万という同類たちを殺戮しだしたのである」。
 第二次世界大戦を経験し、深い絶望のなかでなお創造し続けた芸術家として、吉田はもう一人、永井荷風を取り上げている。荷風の絶望は、近代日本への絶望である。明治期にフランスとアメリカへ渡り、人間ひとりひとりが「個」であることのうちに西欧文明の本質を見た荷風は、帰国後に日本人がその本質を何ひとつ学び取っていないことに直面させられるのである。そして第二次世界大戦の経験は、そうした日本への絶望を決定的なものにしたのだった。「現代の西洋文明輸入は皮相に止り、其の深き内容に至っては、日本人は決して西洋思想を喜ぶものではない」という言葉をはじめ、そうした絶望のなかから絞り出された荷風の言葉から、吉田は、日本の「西洋文明」をモデルにした「自己革命」と、それをつうじてヨーロッパの芸術を「芸術」として日本に根づかせることへの根本的な問いかけを聴き取っている。そして、「技術第一」の日本の音楽教育の問題を指摘するところから音楽について、芸術そのものについて、そしてそれが生きる場としての都市について徹底的に問い抜こうとしているのだ。吉田の「荷風を読んで」は、日本に生きる者、とりわけそこで芸術に携わる者に、「自分を根本的に検討し、再組織する必要」に目覚めさせるインパクトをもった芸術論ないし文学論として、最も重要なものの一つであろう。
 ところで吉田は、「荷風を読んで」のなかで「日本人」についてこう述べている。「日本人の最大の特徴は、外国の文物思想の浅薄な模倣をよろこぶ気持と、深いところに潜在する排外思想との間の緊張ではあるまいか。その間に調和を求めるものは、どこかに逃避しなければならない」。荷風は、「日本人」であろうとする者たちの根本的な「排外思想」を前に逃避した一人であったかもしれない。しかし、吉田はそうではないはずだ。彼の研ぎ澄まされた、それでいて居丈高なところは少しもない言葉づかいは、彼が批評を開かれたものととらえていること、さらには批評をつうじて芸術をめぐる対話の空間を開こうとしていることを示していよう。新たな耳で音楽を聴くことにいざなう吉田秀和の優しい言葉のうちに、芸術の開かれた場を「日本人」のあいだに切り開くことを目指す彼の不断の闘いを見て取らなければならないのかもしれない。

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ピリオド楽器のブルックナー

 作曲者自身が「ロマンティック」と名づけたブルックナーの第4交響曲の注目すべき録音が、ここのところ立て続けにリリースされている。緊張感で漲る巨大な音の塊を蠕動させることでこの曲を壮大に歌い上げるとともに、そこに潜む悲しみを掘り下げたクラウス・テンシュテットとロンドン・フィルハーモニー管弦楽団の東京でのライヴ録音(TDK-OC21)、そして深い呼吸のもたらす悠揚迫らぬ音楽の運びと、峻厳ささえ感じさせる響きの構築とによって宇宙の広がりさえ感じさせるような音世界を現出させる、言わば純粋音楽としてのこの作品の巨大さを究めたクルト・ザンデルリンクとバイエルン放送交響楽団のライヴ録音(Profil: PH05020)である。
 どちらの演奏も非常に説得力があるのだけれども、ブルックナーのこの曲を聴くときに求めてしまう、日の差し込んでくる森のなかを時にゆっくりと歩んだり、時に駆け抜けたりするときの爽やかさを感じさせるものではない。最初に愛聴していたのがラファエル・クーベリックとバイエルン放送交響楽団の演奏だったせいだろうか、曲の冒頭を聴くと、鬱蒼とした森の奥から日の光を頼りに見晴らしのよい草原へ歩み出て行くさまをどうしても想像してしまうのだ。
 そんなどこか「ロマンティック」な想像の喜びを、これまでにない爽やかさをもった響きで味わわせてくれる演奏に今日出会うことができた。フィリップ・ヘレヴェッヘとシャンゼリゼ管弦楽団のピリオド楽器による演奏(Harmonia Mundi France: 901921)である。新緑の響きと呼びたくなるほど瑞々しい響きで、ブルックナーの第4交響曲の清新な姿を浮かびあがらせている。とりわけ見とおしのよい晴れやかさを示すフォルテの響きが印象的だが。それもけっして皮相になることはない。むしろ奥深い森の空気のような香気さえ漂わせている。
 ヘレヴェッヘとシャンゼリゼ管弦楽団はすでに第7交響曲も録音している。こちらの演奏でも耳を惹いたピリオド楽器ならではの音の素朴さとフレージングの自然さがここでも生きている。ヴィブラートを控えた弦楽のハーモニーは、ブルックナーの未知の素朴さとでも言うべきものを感じさせるし、またヘレヴェッヘが指揮するバッハの声楽作品を聴くときにも感じるのだが、どこまでも自然な息づかいと音楽の運びに身を委せていると、内からじわじわと感動が沸き起こってくるのだ。いつの間にか作品の世界に没入させてしまう説得力をもった自然さが、ヘレヴェッヘのフレージングにはあると思われる。たとえば朝比奈隆の演奏を聴き慣れた耳には呼吸が浅く感じられるかもしれないが、ヘレヴェッヘの呼吸は、彼の呼吸とは異質の奥行きをもった世界を現出させるものであろう。そして、ブルックナーの第4交響曲においてヘレヴェッヘの息づかいは、緑の広がる晴れやかな世界を浮かびあがらせている。
 この曲のヘレヴェッヘとシャンゼリゼ管弦楽団の演奏に関してもう一つ特筆すべきは、楽器のバランスのよさである。金管のハーモニーが他の楽器群を圧することはないし、ふつうの演奏では聴き取ることのできないパッセージも生き生きと聴こえてくる。柔らかな空気のなか、生命あるものたちがそれぞれの光彩をもって輝き出てくるかのような世界を聴く者の前に浮かびあがらせるピリオド楽器によるブルックナーの第4交響曲の録音。晴れた春の日に聴くに相応しい1枚と言うべきであろう。

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「白バラの祈り」

 マルク・ローテムント監督の映画「白バラの祈り──ゾフィー・ショル、最期の日々」を見る。昨年のベルリン映画祭で銀熊賞に輝いたドイツ映画である。反ナチ抵抗組織「白バラ」の紅一点だったゾフィー・ショルが、無益な戦争を続けるナチス政権の打倒を呼びかけるビラを撒いたのが発覚して逮捕されてから処刑されるまでの5日間のあいだに何を思い、またナチズムで凝り固まった大人たちに何を語りかけたのかを、新しい史料にもとづいて再構成し、力強くかつ細やかに描き出した見ごたえのある作品と言えよう。
 1943年2月18日、当時ミュンヘン大学の学生だった21歳のゾフィー・ショルは、兄のハンスとともに仲間と印刷したビラを大学構内で撒いたところをゲシュタポに捕らえられ、そのたった5日後には人民裁判で反逆罪による死刑の判決が下され、その日のうちに断頭台の露と消えている。逮捕から処刑に至る異常な早さは、当時の政権中枢がナチスの生誕の地であるミュンヘンに若者の抵抗運動が広がることをいかに恐れていたかを如実に物語っているが、その間の事情は長いこと闇に閉ざされていた。1990年代になってようやくかつての東ドイツにあったゲシュタポの捜査と尋問の記録が発見され、ゾフィー・ショルが最期の5日間に何を語ったのかを知り、またそもそも彼女がどのような女性であったのかをうかがい知ることができるようになったのである。
 ローテムント監督の映画「白バラの祈り」は、こうした経緯にもとづいて制作されたものである。この映画も、史料にもとづいて現代史を描く他のドイツ映画同様に手堅い作風を示しているが、この監督が登場人物に向けるまなざしはドイツ現代史を扱う他の監督よりも繊細であるように思われる。たとえば「ヒトラー最期の12日間」のように、人物像がどこかわかりやすく単純化されてしまうことはないのだ。とりわけゾフィー・ショルの多感さと心の揺れ動きを史料から再構成し、彼女の「若さ」として浮かびあがらせることに見事に成功している。そして、最終的に大人たちの前で堂々と自由を主張するに至る彼女の「若さ」を演じきったユリア・イェンチの演技にも、心からの称賛を送りたい。
 ゾフィー・ショルは映画の冒頭では、音楽を愛する若い女性として登場している。お気に入りはビリー・ホリデイの歌とシューベルトのピアノ五重奏曲「ます」。とりわけシューベルトのイ長調の音楽から、彼女は自然の生命の躍動を聴き取り、命が輝き出る春の到来を予感している。彼女は生きることを心から愛していたのだ。そして彼女は生きることを真摯に愛した。だからこそ、ナチズムの恐怖に覆われた状況のなかで自分がいかに生きうるのかという問題に正面から向きあい、自由を切り開くことに身を捧げることを決断できたのではないか。ナチスが「生きるに値しない」と断じた生命もかけがえのないものと愛する彼女にとって、自由は自分だけのものではなかったと思われる。さらにそのような彼女の生命への愛は、一人のプロテスタントとしての信仰とも結びついている。独房の小さな窓から注いでくるドイツの冬には珍しい明るい日差しのなかに彼女は神の姿を求め、自分がまだ生きていることを感謝しながら、押し寄せる不安に打ち勝つ心の強さを願うのである。
 自由に身を捧げることを選んだとはいえ、ゾフィー・ショルは強靱な心を貫いたわけではない。尋問官に対しては当初、ふざけてばらまいてみただけだと、ビラを撒く政治的な意図を否認しているし、即日処刑されることがわかったときには、絶望のあまり叫ぶことしかできないのである。そのような彼女が、自由とは何か、また自由であるために今どうすることが必要かを考え、公の場でその考えを貫くことができたことに、「安全」といったものの名のもとで自由が閉ざされつつある時代のわずかな希望を見たい。人間を虚構のアイデンティティのうちに閉じ込める「品格」だの「武士道」だのではけっしてなく、ゾフィー・ショルの「若さ」をこそ、今自分自身のうちに見いださなければならないはずだ。そのためにも彼女を見なければならない。広島のサロンシネマで「白バラの祈り」が上映されるのは4月28日までである。

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「伊藤健壱アニメーション展」と「おわりの風景、またはじまりの風景」展

 久しぶりに広島市現代美術館を訪れる。妻のリクエストで「伊藤健壱アニメーション展:I. TOON CAFE」を見に行くことにしたわけである。
 現代美術館は比治山という小高い山の上にあるのだが、ここは桜の名所でもある。週末ということもあって、たくさんの花見客が車座になっていた。しかし肝心の桜は、肌寒い日が続いたせいでまだ咲き始めという感じ。桜の花より花見客のほうが多かったかもしれない。
 さて、「伊藤健壱アニメーション展」は、NHK教育の人気シリーズ「ニャッキ」の作者であり、また数多くのCMを手がけていることもあって、アニメーションやグラフィックに興味があると思われる若者や家族連れでにぎわっていた。「アニメーション・ビエンナーレ」が開かれる「アニメの街」として広島市を印象づけたい市当局の思惑と、今後の企画のためにも収益をあげておきたいという美術館側の思惑とが透けて見える企画である。
 展示そのものに見るべきものは多くないが、アニメーションの制作過程が、製作段階ごとに使われる素材や道具などとともに細かく示されていて、とりわけそれにかかわる仕事に就きたいと思っている若い人にとっては非常に興味深かったと思われる。作品としてはやはり「ニャッキ」が、小さな虫の視点から見た世界をなかなか見事に構成していて、日常的な世界の別の相貌を楽しませてくれるうえ、子どもの変身や模倣の願望を素直に表現していて面白い。それ以外の作品はやや作り込みすぎている印象を受ける。立体映像を見られるコーナーがあったり、出口の前には、パソコンを使って簡単なアニメーションを制作できるコーナーも設けられたりしていて、かなり幅広い客層が楽しめる展示の構成になっていた。それはそれでたまにはよいのかもしれないが、伊藤健壱というアニメーション作家の作品の現代美術としてのインパクトをどう伝えたいのかは、展示から見えてこない。それをどう伝えるかに、ある意味で現代美術館自身の美術館としての位置づけもかかっていると思うのだが、どうだろうか。
 正直なところ興味深かったのは、この企画展より、所蔵作品で構成された「おわりの風景、またはじまりの風景」のほうだった。とりわけ草間彌生の「よみがえる魂」とギュンター・ユッカーの「灰の人」に惹きつけられた。どちらも灰を作品世界の基本モティーフとしている。前者は、灰そのものが生命を吹き込まれたかのように蠕動するさまを、深い黒の地に描かれた無数の、そしてどれも大きさの異なる白い斑点の配置によって見事に描き出している。例によって画面の次元性を見失わせる襞によって絵画であることを否定しつつ、眩暈を起こさせる仕方で画面をはみ出してゆく生命のうごめきを伝えている。後者は、カンバスを灰で覆ったなかに墜落してゆく人の姿を浮かびあがらせるもの。画面に接着された灰に付けられた筋を見ると、人が灰のなかへ吸い込まれてゆくように思われてくる。ユッカーは、人間そのものが灰のなかに消滅しかねない危機を見ているのかもしれない。

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