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「ヌヴェール」という地名の符合

 必要があってヴァルター・ベンヤミンの生涯の足跡を調べていたら、「ヌヴェール」という地名にぶつかった。
 1939年、友人たちの度重なる忠告や脱出の誘いがあったにもかかわらず、亡命先のパリにとどまって国立図書館に通い、『パサージュ論』のための仕事を続けていたベンヤミンは、9月に第二次世界大戦が始まると、「敵性外国人」として、フランス政府当局によってまずパリ郊外のコロンブ競輪場に造られた収容所に入れられ、10日後にはさらに「志願労働者キャンプ」という名前のついたニエーヴル県ヌヴェールの収容所に移されている。
 彼は、フランス人の友人たちが力をつくしてくれたおかげで2か月後には解放されるが、それまでの期間彼はヌヴェールの収容所の劣悪な環境のなかで、シガレット三本を報酬とする野外哲学講座を開いたりして過ごしていた。あるいは、外出許可の腕章を得るために、「最高水準の」文芸雑誌の刊行を企てたりもした。これによってベンヤミンは三度目の雑誌の挫折を味わうことになるのだけれども。
 ジャック・デリダが2002年のアドルノ賞受賞記念講演『フィシュ』(逸見龍生訳、白水社)で取り上げることになる、「詩を《fichu》に変えることが問題なのだ」というひと言を含んだグレーテル・アドルノ(アドルノ夫人)宛の手紙をベンヤミンが書くのも、このヌヴェールの収容所でのことである。ともかくヌヴェールでの2か月間は、亡命生活の苦しさによってすでにかなり衰弱していたベンヤミンの身体に深刻なダメージを与えた。そのことを自覚してか、パリに戻ったベンヤミンは、思想的遺言とも言うべき「歴史の概念について」(「歴史哲学テーゼ」)を書き下ろすのである。
 そうしたベンヤミンの生きざまをたどりながら、「ヌヴェール」という地名に既視感をおぼえていた。どこかで聞いたことがあるのだけれども、何の機会だったか。
 しばらくしてふと思い出した。あの女性の出身地ではないか。
 その女性というのは、アラン・レネ監督の映画「ヒロシマ、モナムール」(邦題:「二十四時間の情事」、1959年)の主人公の一人のこと。マルグリット・デュラスの脚本によるこの映画で、日本人の建築家と8月6日の広島での24時間をともに過ごすフランス人の女優が、自分の生まれ育った街として「ヌヴェール」という地名を挙げているのである。
 生まれはフランスのどこか、という問いの答えとしてこの地名を耳にした岡田英次演じる建築家は、「ヌヴェール」の響きがすっかり気に入ってしまい、「ヌヴェール」と何度も繰り返す。すると、それに触発されるように、エマニュエル・リヴァ演じる女優は、ヌヴェールの辛い記憶を思い起こし、それを振り絞るように少しずつ語り始めるのである。その女優は、まだ少女だった第二次世界大戦中に、ヌヴェールに占領軍として駐留していたナチス・ドイツの兵士と恋に落ちてしまった。そして、戦争終結とともにフランスが解放されると、その罪の見せしめに、同胞の女性たちによって髪を切り落とされてしまうのだ。ベンヤミンが収容所に監禁された数年後のことである。
 ちなみに「ヒロシマ、モナムール」を見たのは昨年の11月のことだったが、映画館へ向かう際に路面電車に乗った。その電車は、見るからに年季の入った一台だったが、車内をよく見ると1945年8月6日に被爆した電車とのこと。これも何かとの符合だろうかと、その時はいろいろ思いをめぐらせてしまった。新聞によると、この「被爆電車」もまもなく現役を引退するようだ。歴史の「動く」痕跡が、街から姿を消してゆくわけである。そのことが記憶の退化と符合するものでなければよいのだけれども。

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