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広島県立美術館の「エルミタージュ美術館」展

 雪のちらつくなか、広島県立美術館で開催されている「エルミタージュ美術館」展を見に行く。サンクト・ペテルスブルクのエルミタージュ美術館に所蔵されている作品のごく一部をみせるこの展覧会は、「フランドル絵画とヨーロッパ工芸の精華」というサブ・タイトルのとおり、ダフィート・テニールス(子)の風俗画を中心にバロック期のフランドル地方の絵画と、16世紀から19世紀初頭までの陶磁器を中心とする工芸品の数々とを展示するものになっていた。1月に見た兵庫県立美術館における「アムステルダム国立美術館」展のように、絵画のなかに実際に描かれている工芸品を展示するといった仕掛けがなく、絵画と工芸品のつながりを強く感じさせる展示でなかったのは残念だけれども、たとえばナポレオンの妻ジョゼフィーヌのために注文された豪奢な食器セットの絵付けが、フランドルやネーデルランドの風俗画が描くのとまったく同じ画題を、同じような画風で描いているのを見ると、バロックの風俗画が、エルミタージュの基礎を築いたエカテリーナ2世をはじめ各国の王侯貴族によっていかに好まれていたのかを感じ取ることができる。
 正直なところ、展示されている絵画のなかにこれと言って凄い絵があったわけではないが、今回の展覧会が「知られざる巨匠」としてフィーチャーしているテニールスの作品をまとめて見ることができたのは、やはり大きな収穫だった。テニールスは、等身大の庶民、とりわけ農民たちの生きざまを、その風俗も含めて生き生きと描き出すことのできた、ピーテル・ブリューゲル(父)以来の画家であった。とはいえ、ブリューゲルとは異なってテニールスは、時に滑稽であったり、醜悪であったりする人びとの姿に、ことさらに道徳的な意味を込めようとはしていない。むしろひとりひとり異なった表情や身ぶりを、あるいはその身の周りにある細々とした日常の道具類、楽器をはじめ享楽のための小道具を、温かいまなざしをもってありのままに描き出そうとしているように見える。そのようなまなざしが注がれることによって、垢抜けない農民の顔が、あるいは桶のような日々の暮らしの道具が、生き生きと輝き始めるのだ。
 そのようなテニールスの特質が最もすぐれたかたちで発揮されていると思われた作品として、「農民の婚礼」という絵とともに、農村の祭りを描いた2枚の絵を挙げておきたい。それ以外では、やや珍しい集団肖像画である「アントワープ市射手組合」の屋外でのセレモニーを描いた絵は、市民階級の自負とその街への誇りを生き生きと描いているように見えるし、庶民の厨房のなかで世界を構成する「四大元素」が表現できるという発想も、テニールスならではのものと思われた。他方、この画家は自然の風景を描くのはあまり得意でなかったようで、自然の風景を背景としなければならない場合には、時にそれを描くのが得意な他の画家の助力をあおがなければならなかった様子である。
 テニールスの作品以外では、ヤン・ブリューゲルの家族の肖像と推測されているアンソニー・ヴァン・ダイクの肖像画(展覧会の広告にも用いられている一枚)が、よく練られた構図のなかに人の表情に生気をもたらす光のマジックを組み込んでいて、なかなか印象的。ジョルジュ・ド・ラトゥールの「いかさま師」を思い起こさせずにおかない構図で掏摸の場面を描いた「手相占い」も、明暗の対比の際立たせ方までド・ラトゥールに似ていて面白いが、画面はそれほど緊迫感に満ちてはいない。工芸品では、木片の組み合わせでだまし絵のように遠近感をもたらすドイツの寄せ木細工の精巧さに瞠目させられた。
 今回は、学生たちを連れてこの「エルミタージュ美術館展」を身に行ったのだが、美術にこれまで触れるチャンスが少なかった学生も、テニールスの風俗画を楽しんで見ていた様子だった。とくに女性の学生は、小さく描かれたパンケーキをほおばる子どもに「かわいい」と声を上げながら見入っていた。この展覧会は、凄い作品に出会えるわけではないけれども、ネーデルランドの絵画にはない明るさと温かさをもって庶民の等身大の姿を描くテニールスの世界に触れるよいチャンスであることは確かなようである。

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