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ひろしま美術館の「プラート美術の至宝展」

 昨日、ひろしま美術館で開催されている「プラート美術の至宝展」を見に行った。フィレンツェから15キロほど離れたトスカーナ地方の小都市プラートの市立美術館に所蔵されている作品を中心に、初期ルネッサンスからバロックまでのおもに宗教画を、街のアイデンティティの象徴となっている「聖母マリアの聖帯」伝説と絡めながら展示するもの。そのため、大きな作品にはそれを図像学的にわかりやすく分析したパネルが添えられていて、絵の構成を読み解きながら観覧できるようになっている。実に親切な仕掛けなのだけれども、多くの来場者が、実際の作品そっちのけでパネルに見入っていた。
 「聖母マリアの聖帯」というのは、マリアの被昇天の際に聖トマスに託されたとされる帯。これをプラートの商人が故郷へ持ち帰り、教会に寄託すると、人びとの信仰を集めるようになり、街の結束の中心になったとのこと。これが今でも街の聖堂に保管されているのだが、その聖堂を飾るのがボッティチェリの師にあたるフィリッポ・リッピの壁画。今回の展示の中心も、このリッピの宗教的な主題の板絵であった。
 リッピの作品は、これまでにもあちこちで目にしていたのだけれども、あまり印象に残っていない。今回あらためてその作品と向きあってみると、たしかに人物像はどこか初期のボッティチェリの人物像を思わせる。おそらくボッティチェリは、リッピのしなやかな曲線による優美な人物表現から多くを学んだのだろう。同じ画僧であったフラ・アンジェリコの描くやや厳めしい人物像にくらべ、リッピの人物像は身体美や感情の温かさを際立たせていて、優しい印象を与える。とはいえ、ボッティチェリらもう少し後の世代の作品にくらべると細部の詰めが甘く、人物表現自体も完成されていない感じがする。こうした過渡期的な画風とそれがもたらす画面の散漫さが、これまでリッピの作品の印象が薄かった原因なのかもしれない。
 今回の展覧会では、リッピとその工房が手がけた大きな作品として、「身につけた聖帯を使徒トマスに授ける聖母および聖グレゴリウス、聖女マルゲリータ、聖アウグスティヌス、トビアスと天使」と「聖ユリアヌスをともなう受胎告知」が展示されていたが、聖母を中心とする華やかな群像画である前者よりも、後者のほうが画面構成が洗練されていて気に入った。人物表現もこちらのほうがはるかに精緻である。
 これらの作品以外で印象に残ったのは、ベルナルド・ダッディによるアルカイックながらも人物の生き生きとした表情が際立つテンペラの板絵と、ドナテッロの作として伝わる小さな聖母子像の彫刻。後者は深沈としながら親密な関係のなかに見る者を引き込む魅力を放っていた。
 それ以外の作品は、小ラファエロと呼びたくなるラッファエッリーノ・デル・ガルボの「聖母子と幼き洗礼者ヨハネ」をはじめ、どれもエピゴーネン的なところを漂わせる作品ばかりで、今ひとつ惹かれない。カラヴァッジョやリベーラの影響が見られる作品も見られたが、どれもこの二人自身の作品にくらべると、鋭さや彫りの深さの点ではるかに劣ると言わざるをえないのだ。
 それにしてもこの展覧会の主題は、リッピを中心とする初期ルネッサンスの宗教画の世界なのだろうか、それとも「聖帯伝説」をめぐるプラートの街の美術史なのだろうか。前者に焦点を絞ったほうが、これまで実際に触れる機会の少なかった板絵の世界に眼を開かれた、という強い印象がもたらされたように思われる。

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