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ベツレヘムの瓦礫の天使

 先日同僚が天使を見せてくれた。天使と言っても、天使の姿をかたどったオブジェである。ガラス片を金属の輪鉄のようなものでつなぎ止めてあって、ステンドグラスの一部を見るような感じ。同僚から聞いたところによれば、これはパレスチナの人びとのイスラエルの圧制に対するインティファーダに用いられたりなどして砕けたガラス瓶の破片を継ぎ合わせて作られた天使のオブジェで、パレスチナの子どもたちがこれを、アーティストの指導を受けながらで作っているのだという。
 このような活動を組織しているのが、現在ベツレヘムで活躍しているミトリ・ラヘブ牧師。彼はパレスチナのアラブ人であるが、キリスト教徒であり、ルター派のプロテスタントの牧師である。「パレスチナ人のクリスチャン」と言ってもピンと来ないかもしれないが、パレスチナの地では、ユダヤ教徒とムスリムが対立しているばかりでなく、ローマ帝国の時代からずっと、キリスト教のさまざまな宗派も共存してきたのだ。ラヘブ牧師は自分のことを、「四世紀まではパレスチナにおける宗教的マジョリティであった古代のパレスチナのクリスチャン共同体の末裔」と規定している。ちなみに、イエス・キリストの聖誕教会があるベツレヘムでは、クリスマスが12月25日ばかりでなく、1月6日(ギリシア正教会)と1月18日(アルメニア教会)にも祝われるとのことである。
 このラヘブ牧師の著書が1冊日本語に訳されている。『私はパレスチナ人クリスチャン』(山森みか訳、日本キリスト教団出版社)。現在のパレスチナにおける宗教的マイノリティとしての、またキリスト教内部の分裂の痕跡を残した、彼自身の複雑なアイデンティティや、祖父の代以来のルター派のクリスチャンとしての信仰を牧師として人びとに伝えようと決意するに至ったいきさつなどが述べられた後、聖書を今ここに生かそうとする彼の聖書解釈が、パレスチナのアラブ系住民が置かれている現状の分析にもとづいて、力強く語られている。ラヘブ牧師によれば、聖書とは何よりも現在の歴史的なリアリティを語るものであり、しかも「マイノリティについての書物」である。聖書のテクストは、マイノリティの人びとが置かれている現在の歴史的現実を照らし出すとともに、苦境に置かれた人びとに、そこで自分が何をなしうるのかを見つめなおさせるのだ。けっして復讐ではなく、正義、それも異質な、反目しあっている人びとのあいだに実現されるべき、来たるべき正義へ向けて。そのような正義のヴィジョンを、ラヘブ牧師は著書の最後に、「夢」として語っている。
 現在ラヘブ牧師は、イスラエルが建設している分離壁によって閉じ込められ、圧迫されるなかで、パレスチナの子どもたちにその「夢」を与える仕事に取り組んでいるようだ。アーティストと一緒に天使のオブジェを作る活動もその一環であろう。ガラスの天使は、子どもたちの「夢」の結晶でもあるのだ。それは、この世界をつくり変える希望を子どもたちに与えるとともに、ガラスを透して世界を別な可能性を秘めたものとして映し出すのではないだろうか。
 ヴァルター・ベンヤミンは、いわゆる「歴史哲学テーゼ」のなかで、進歩の暴風に煽られながら眼の前で瓦礫が積み上がってゆくのを凝視する「歴史の天使」の像を描いたが、ガラス片から作られた天使のオブジェは、言ってみれば「歴史の天使」が見つめる瓦礫のなかから生まれた天使である。朝日新聞の連載記事「そこにある壁」が浮き彫りにしたように、イスラエル政府が建造している分離壁のみならず、世界のあちこちで人びとのあいだに可視ないし不可視の「壁」が築かれつつある現在の状況のなかで、壁を越えて日本に届いたベツレヘムの瓦礫の天使が、壁を突き抜ける希望を人びとに与え、壁のこちら側とあちら側のあいだにひとすじの回路を開く媒介者として活躍することを願ってやまない。

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