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2006年1月

モーツァルト週間の演奏会における聴衆の高齢化

 ザルツブルクでモーツァルトの生誕250周年を記念して開催された「モーツァルト週間」の演奏会をいくつか訪れた印象を、すでにこの欄で「ザルツブルク旅日記」というかたちで報告した(もう少し詳細な演奏評についてはhttp://homepage.mac.com/nob.kakigi/Mozartwoche_2006.htmを参照されたい)が、その演奏会の会場は、ほとんど金持ちと思われる高齢者によって占められていた。演奏会のチケットを直接注文できるモーツァルテウムのウェブ・サイトにドイツ語版と英語版しかなかったせいか。ドイツ人とイギリス人の多くは単独で来ていて、フランス人、イタリア人、そして日本人の多くはツアーを組んでやって来ていた感じだったのだけれども、そうした聴衆の年齢層が相当に高い。一人でまともに歩けない人が何人もいるばかりか、救急隊員が待機している演奏会さえあった。そのような会場のなかで妻とわたしは、はっきり言って浮いていた。そのせいか、あちこちの国から来たお年寄りに、どこから来たのか、音楽家なのか、などと尋ねられることがしばしばだった。悪い気はしないが、何だか寂しい。
 ちょうど10年前にモーツァルト週間の演奏会を訪れたときには、わたしは「Jugendabonnement」という制度を用いてその演奏会を聴いた。若い人向け予約制度で、どの演奏会を聴けるかは完全に自由には選べないが、かなりの数の演奏会をまとめて、しかも相当に安価で予約できた。おまけに、モーツァルテウムの大ホールでも、祝祭大劇場でも、前の方のかなりいい席で聴けたものである。その席の周りには、金持ちとおぼしきお年寄りや羽振りのよさそうな中年紳士ももちろんいたけれども、若い人びともかなりいたように記憶している。実際、会場のロビーは、当地の学生も含めた若い人びとでにぎわっていた。
 そのような思い出があったので、熟年より年上の人びとで占められた演奏会場のありさまを目のあたりにしたときには、ショックを隠せなかった。何も高齢の人びとが音楽を聴くことを否定するつもりは毛頭ない。しかし、そうした人びとが安らぎや癒しだけを求めて聴きに来るばかりだと、会場が期待感や緊張で張りつめてこないのだ。緩みきった会場の雰囲気のなかで、最上のパフォーマンスを望むことができるだろうか。それに、若い人びとが、高水準の演奏に実際に触れるなかで、今モーツァルトの音楽をどのように聴くことができるのか、あるいはモーツァルトの音楽をどのように解釈し、演奏することができるのか、ということを考えなければ、これから誰がモーツァルトの音楽に新たな生命を吹き込むのだろう。
 たしかに、モーツァルト週間の演奏会をいくつか訪れて、すばらしい内容の演奏にいくつも触れることができたのは幸せだったけれども、他方でモーツァルト生誕250周年の年に、しかもその生誕の場所で、彼の音楽の末期の姿を見せつけられてしまった気もしなくはない。そして、その姿のうちには、クラシック音楽が今抱えている問題が凝縮されたかたちで現われていたのではないだろうか。

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ザルツブルク旅日記:1月26日

 朝早くホテルをチェック・アウトして、行きと同様オーブスでザルツブルクの空港へ向かう。バスでは今回2つの演奏会のチケットを世話してくれた女性とも偶然出くわす。彼女によれば、この日300人におよぶ日本人がザルツブルクに着くとか。中央駅で降りた彼女のその後の苦労はいかばかりか。
 空港に到着し、チェック・インを済ませて外の様子をうかがっていたが、フランクフルトへ向かう飛行機がなかなか来ない。どうもフランクフルトが大雪で、なかなか飛べないようだ。それでも1時間遅れで来てくれてホッとする。それに乗り込んでフランクフルトへ向かい、関西空港行きの飛行機に間に合ったまではよかったのだが、その飛行機のエアコンが壊れてしまい、ロシア上空で今度はミュンヘンへ引き返す羽目になる。どうやら雪のなかでエアコンを酷使したのがたたったようだ。
 ミュンヘンに着いたところで、乗客全員バスに乗せられ、ミュンヘン郊外のシェラトン・アラベラ・ホテルに連れて行かれる。そこで1泊して、翌朝早くに再び関西空港へ向けて飛び立つというわけだ。こちらは翌日そのホテルで寝坊してしまい、空港行きのバスに危うく乗り遅れるところだった。
 ミュンヘンから関西空港行きの飛行機は、今度は無事に飛び立つ。天気に恵まれ、機上からはアルプスの尾根も見える。モーツァルトの250回目の誕生日にあたるわたしたちの3度目の結婚記念日を、アルプス越しにザルツブルクを望みながら、ルフトハンザの機上で祝うことになったわけである。
 機上では、あの分厚い『モーツァルト頌』(白水社)を読了。それを読み終えたときにあらためて脳裏に浮かびあがってくるのは、作曲家としてのモーツァルトが、「ぼくのこと好き」、と問いかけるのに、彼の生前にだれも応えらえれなかったという事実である。たしかに、ハイドンをはじめ彼の音楽を愛していた人びとはいた。しかし、その愛は、彼にこの世の幸せをもたらすに充分なものではなかったのだ。彼がヴィーンで才能を磨り減らし、過労で倒れ、ほぼ無一文の状態で共同墓地に投げ込まれた、という話は、そうした結末に至る筋だけは自分の将来のようで恐ろしい。それはともかく、モーツァルト週間の演奏会場の様子を見るかぎり、彼の音楽はますます聴かれていなくなっているのではないか。むしろ金持ちの自己満足的な消費の対象に成り果ててしまっているのではないだろうか。そういう光景を目のあたりにすると、結局だれも聴く耳をもっていないし、そういうなかで災厄が繰り返されてゆくのだ、と考えざるをえない。パレスチナの総選挙におけるハマスの勝利に対する欧米の対応や、ドイツで移民への侮辱的な尋問が義務づけられつつある状況を報ずる新聞記事を見ていると、そうした思いをますます強くせざるをえないところである。

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ザルツブルク旅日記:1月25日

 午前中はモーツァルテウムの大ホールでユベール・スダーンが指揮するモーツァルテウム管弦楽団の演奏会を聴く。前半にジャンルカ・カシオーリの独奏でモーツァルトのヘ長調のピアノ協奏曲(KV. 459)が演奏された。彼の演奏は、きわめて繊細で、細かな表情の変化を示す。とりわけ転調に対してきわめて敏感に反応する。しかし、たとえばクララ・ハスキルの演奏のように、不健康に胸を締めつけられるような感じを抱かせることはない。健康的な細やかさを示すピアノの演奏と言えようか。それがこの曲に実によくマッチしている。カシオーリの演奏は、両端楽章では天衣無縫の飛翔を聴かせるし、緩徐楽章では晴れやかな音で香気を漂わせるような歌を聴かせてくれる。独奏が非常に細かなルバートを多用するために伴奏がついて行けていない箇所があったのは残念だが、モーツァルトを聴く喜びを素直に味わわせてくれる演奏だったのではないだろうか。今回の旅行中に聴いたモーツァルトのピアノ協奏曲の演奏のなかでは、最もすぐれたものだったと思う。
 休憩後のメンデルスゾーンのイタリア交響曲の演奏は取りたてて強い印象を与えるものではなかったが、たとえばおよそ1年前に京都で聴いたライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団の演奏に較べれば、はるかに明るく、晴れやかな演奏に仕上がっていたのではないだろうか。リズムの切れ味が鋭いが、ところどころ楽節の処理が粗くなってしまったところがあったのは残念。全体としては、引き締まった、どちらかというとザルツブルク的な晴れやかさを示す演奏だった。
 午後、かつての救貧院を用いた、祝祭大劇場近くの玩具博物館を訪れる。とりわけラテルナ・マギカという昔の投影装置の展示が興味深い。映画が登場する以前に別の世界へいざなうものとして、ヴァルター・ベンヤミンのラジオ講演をつうじてのみ知っていたこの装置が、実際いかに造られ、またいかに機能していたのかを見ることができたのは大きな収穫だった。簡単に言えば、万華鏡と蝋燭による投影装置を組み合わせたものと言えようか。ここから、実写の映画とアニメーションの両方に道が開かれている。
 この博物館には、古い玩具以外に多くの古楽器も展示されている。ベルリンの楽器博物館ほどではないが、展示されている楽器の種類はかなり豊富。怪獣の顔をしたコントラファゴットなどとくに微笑ましい。モーツァルトの時代にどのような演奏がおこなわれていたのか、実際の楽器を見ながら想像できるのも、この博物館の展示の魅力であろう。あわせてビーバーをはじめとする、ザルツブルクを代表する作曲家の肖像も展示されているし、たとえば彼の作曲した作品で、展示されているヴィオラ・ダ・モーレがどのように響くのかも、録音で聴くことができる。もしかすると、ザルツブルク市内の博物館のなかではいちばん魅力的かもしれない。訪れる人は少ないけれども。
 夜は、州立劇場でモーツァルトの初期のオペラ・ブッファ「偽の女庭師」を見る。早々に売り切れていたこの公演のチケットも、ザルツブルク在住の女性に手配してもらった。指揮はアイヴァー・ボルトンで、演出は、ベルリンで「コジ・ファン・トゥッテ」や「トゥーランドット」の演出を見たことのあるドリス・デリエ。嫉妬に駆られたある伯爵によって、その伯爵が死んだと思うほどに重傷を負った別の伯爵の令嬢が、庭師になりすましてある代官の許に身を寄せるところから物語が始まるのだが、彼女の演出ではその庭が、郊外によくあるホーム・センターのガーデニングのコーナー。この令嬢は、そこの店員として働くことになった、というわけである。それだけでも、古典的な演出を期待した金持ちの年寄りの神経を逆なでするには十分であろう。日本からモーツァルト生誕250周年のガラ・コンサートを見にやって来た成り金の老夫婦たちは、すっかり出鼻を挫かれた様子だ。こちらとしては、もう笑いがこみ上げてくるのを抑えられない。
 ストーリーは王侯貴族の込み入った色恋沙汰なのだけれども、冷めた目で見ればソープ・ドラマにおける男女の絡みと何ら変わるところはない。そう考えれば、デリエの設定は、この若きモーツァルトのオペラを現代に行かすうえではまことに適切だったと思われるが、同じ手が他の作品にも同様に通用するか、と言われれば、首をかしげざるをえない。とはいえ、登場人物を血だらけにしてしまう食虫植物をはじめ、若い観客を喜ばせる装置は事欠かないし、それに全部値段が付いているあたりも、どれもネット上で売りに出せるものに囲まれている現代の生活を鋭く照らし出していよう。まずは成功した演出なのではないか。
 歌手のなかでは、ヴィオランテを歌ったアレクサンドラ・ラインプレヒトが出色の出来を示していた。ラミーロを歌ったルクサンドラ・ドノーゼの表現も胸を打つ。ヴォオランテに惚れるドン・アンキーゼを歌ったジョン・グラハム=ホールとその小間使いセルペッタを歌ったアドリアンナ・クツェローヴァは実に巧みだが、ベルフィオーレ伯爵を歌ったジョン・マーク・エンスリーとアルミンダを歌ったヴェロニク・ジェンスはやや弱い感じ。アイヴァー・ボルトンの指揮するモーツァルテウム管弦楽団は、午前中に聴いたのと同じオーケストラか、と思うくらい魅力的(実際ほとんど別のメンバー)。とくに弦楽器が、初期のモーツァルトにふさわしい切れ味鋭い表現を聴かせていた。管楽器も実に巧みだが、とくにナチュラル・ホルンとナチュラル・トランペットがミスなく吹いていたのには驚嘆させられる。全体として、初期のモーツァルトの魅力を現代に甦らせる演奏にに仕上がっていたのでないだろうか。

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ザルツブルク旅日記:1月24日

 凄まじい寒さのなか、まずミラベル宮殿のオランジュリーを改装したバロック美術館で少し絵を見る。バロック期の小人の漫画のような版画が特集されていて面白い。リューベンスやティエポロがぽつぽつとあったけれども、正直言って大した絵はない。個人のコレクションを展示しているらしい。
 その後午前中は、モーツァルテウムの大ホールで、アンドラーシュ・シフのピアノを中心とした室内楽の演奏会を聴く。冒頭に彼の独奏で、モーツァルトがグルックのオペラのアリアの主題を用いて作曲した変奏曲(KV. 455)が演奏されたが、これが実に楽しい。しっかりした音で各変奏の表情を明確に描き出しながら、やや即興的に諧謔も加えつつ弾き進めてゆく。これまで聴いてきたのとはひと味ちがったモーツァルトの顔を見せてくれた。続いて、第41番に数えられる変ホ長調のヴァイオリン・ソナタ(KV. 481)とト長調のピアノ・トリオ(KV. 496)が演奏されたが、シフのピアノの音が少し強すぎる気もしなくはない。この2曲では、エーリヒ・ヘブラートの手堅いヴァイオリンの演奏も光る。休憩後には、クラリネットとヴィオラとピアノのための「ケーゲルシュタット・トリオ」(KV. 498)が演奏された。イェルク・ヴィドマンの伸び伸びしたクラリネットが印象的。それに対して塩川悠子のヴィオラの音は、ヴィオラを本職としないせいか、少し弱い。シフが二人をニュアンス豊かな音でサポートしていた。とりわけ日本ではなかなか触れることのできない、親密な雰囲気に満ちた室内楽の演奏会であった。
 午後は、旧市街の美術館めぐり。まず、ザルツブルクの大司教のあまりにも豪華なレジデンツをひととおり回った後、その上にあるギャラリーへ。シュヴェリーンで見た、カレル・ファブリティウスの、祈るハガルのもとに天使が現われる情景を描いた一枚と再会する。祈る姿に焦点を合わせたこの絵はなかなかの作品だと思う。それと彼の師であったレンブラントによる老婆の絵が眼を惹く。それ以外にバロックの風景画や風俗画がかなり数多く展示されていたけれども、ハッとさせられるような凄い作品にはなかなかめぐりあえない。通常の展示に加えて、冬景色を描いた作品を、時代ごとの冬の風俗とともに展示する特集展示があった。アーフェルカンプが氷上の遊びを生き生きと描いていた。
 レジデンツのギャラリーを出た後、いかにも観光客向けと思われるレストランで中途半端な味付けのグラーシュ(ハンガリー風の牛のシチュー)を食べてから、今度はルペルティヌムという現代美術館へ。キルヒナーやクリムトの風景画に加え、ココシュカの絵を見ることができた。とりわけ赤が揺らめくキルヒナーの絵が印象的。それ以外に、生活空間にあふれる映像的イメージによってつくられる現代のヴァーチャルなリアリティを抉り出す、同時代のアーティストたちの作品も特集されていた。写真をモデルに描いた作品のなかには面白いものもいくつかあったが、ゲルハルト・リヒターの作品のように凄いものがあるわけではない。
 夜は、再びモーツァルテウムの大ホールで、マーク・ウィグルスワースの指揮するカメラータ・アカデミカの演奏会を聴く。前半にショスタコーヴィチの弦楽四重奏曲第8番をルドルフ・バルシャイが編曲した室内交響曲が演奏されたが、これが凄かった。澄みきったピアニッシモの音が折り重なってゆくラルゴに続いては、凄まじい音で疾走する激烈なアレグロが続く。ヴァイオリンが6人とはとても思えない音だ。しかもけっして響きが混濁することはない。若いメンバーが多いうえ、アンサンブルがしっかりしているので、澄んだ響きの切れ味鋭いフォルテが聴かれる。それが容赦なく打ち込まれてゆくのだ。ウィグルスワースの音楽の運びも実に手堅い。最後のピアニッシモが消え入った後には会場全体が静寂に包まれた。しばらく後にブラヴォーの声が上がったことは言うまでもない。
 休憩後にはモーツァルトの変ホ長調の交響曲(KV. 543)が演奏された。ピリオド楽器の響き(実際ナチュラル・ホルンとナチュラル・トランペットが用いられていた)を生かしながら手堅く組み立てられた、見事な演奏だったと思う。ウィグルスワースが、音楽自体のダイナミズムを生かすかたちで音楽を運んでいたのがとりわけ好ましい。第1楽章と第2楽章の主題は、晴れやかな響きで柔らかに演奏されていた。第2楽章の響きにもう少し奥行きがあればとも思ったが、木管楽器のメロディがたゆたいながら折り重なってゆくあたりは充分に美しい。第3楽章と第4楽章のリズムも実に生き生きとしている。フィナーレにおける弦楽器の各奏者の力演も光る。全体として、カメラータ・アカデミカの演奏は、一昨日のヴィーン・フィルの演奏よりもはるかにすぐれた出来を示していたのではないだろうか。

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ザルツブルク旅日記:1月23日

 午前中はモーツァルテウムの大ホールで内田光子とハーゲン弦楽四重奏団の演奏会を聴く。そこでのモーツァルトのト短調のピアノ四重奏曲(KV. 478)の演奏は、これを聴けただけでもザルツブルクまでやって来た甲斐があった、とさえ思われるほどの素晴らしいものであった。
 何よりも内田光子のピアノの存在感が際立つ。ひとつひとつのフレーズが、いやそれどころかひとつひとつの音が、音楽的な必然性で漲っている。冒頭のトゥッティに続くピアノ独奏によるパッセージからして、聴き手の胸をぐっとつかむ魅力に満ちているのだ。内田はひとつひとつのパッセージを、控えめにペダルを用いつつ、澄んだ音で、また十分に考えられたフレージングで歌い込んでゆくが、それでいて音楽が停滞したりすることはない。第一楽章は、モーツァルトの「歌うアレグロ」のなかに、厳しさと優美さを、ニュアンスの無限の変化をたたえながら交錯させつつ駆け抜けてゆく。第二楽章の歌は、この演奏の白眉を示すもの。澄みきった音で切々と歌われる主題を聴いて涙せずにいられようか。ピアノを支えるハーゲン兄弟の清澄な響きも耳を惹く。フィナーレでは、泣きながらの微笑みとデモーニッシュな情熱が交錯するさまが見事に表現されていた。内田光子のピアノとハーゲン兄弟の掛け合いが、目眩く表情の変化を描き出していたように思われる。
 ハーゲン弦楽四重奏団の演奏においては、前回聴いたときも、ヴィブラートを控えた音による澄んだ響きと研ぎ澄まされた表現が心に残ったが、今回はそうしたこの四重奏団の特徴が、モーツァルトにふさわしいどこか密やかな親密さと、表現の冴えに結びついていたのではないだろうか。最初に演奏された「プロシア王」セットの第1番に数えられる弦楽四重奏曲は、澄んだ響きで軽やかに音楽が運ばれるなかに、冴えた表現を示していた。この曲では、クレメンス・ハーゲンのチェロの堂々とした歌も印象的。彼は以前に較べて(体格的にも?)風格を増しているように思われる。
 休憩を挟んでシューマンのピアノ五重奏曲が演奏されたが、こちらは起伏の激しいドラマティックな演奏に仕上がっていた。内田光子も、モーツァルトとは弾き方を変えて、ロマンティックなスケールの大きさを表現していた。とりわけ第二楽章における、両端の密やかさと中間部の激しさの対照がそうした印象をもたらしていたように思う。ここではヴェロニカ・ハーゲンのヴィオラの真摯な表現が際立っていた。第一楽章では、ブリラントなトゥッティの後にさっと雰囲気が変わって、ピアノに始まる優しい歌が連綿と続いてゆくのが実に魅力的。このように全体的に、ドラマティックな起伏の激しさを示しているが、けっして響きが混濁して音楽が重くなることはない。むしろ、冬のザルツブルクの晴れた日の空を思わせる、澄んだ晴れやかさに貫かれた演奏だった。
 演奏会の後は、旧市街のゲトライデ小路にあるモーツァルトの生家を訪れる。通常の展示に、現代美術のアーティストによるインスタレーションが組み合わせてあったが、ややキッチュな印象は拭えない。ここの展示物も、やや傷んできている感じがする。モーツァルトのオペラの古い演出のための絵や、初演当時のチラシなどは興味深く見ることができた。
 その後、ザルツブルクの大聖堂を見てから、フランツィスカーナー教会へ。ミヒャエル・パッヒャーの温かみのある優しさを放つ聖母子の木彫の像と再会する。教会を出た後は、フェストゥングスバーンというケーブルカーに乗って、ホーエンザルツブルク城塞へ向かう。晴れていたため、城塞からザルツブルク街を見渡せたのはよかった。雪に覆われた街を、日に映えて輝くザルツァッハとともに一望する。しかし寒い。城塞の内部では、妙なトイレの付いた大司教の居室やオーストリア国防軍の兵器などが展示されていたけれども、これといって面白いものはない。正直退屈させられた。
 夜は、軽い食事をとった後、マリオネット劇場を訪れる。フィレンツ・フィリチャイ指揮の名盤を用いて、モーツァルトの「後宮からの誘拐」が上演されていた。太っちょのオスミンを含め人形の身のこなしが妙に軽やかなのが気にならなくもないのだけれども、人形遣いは実に見事。とはいえ、録音に合わせて動く人形の立ち振る舞いだけを見ていると、だんだんと眠くなってしまうのも確かで、ところどころ居眠りしてしまった。これまでの疲れがピークに達していたのかもしれない。

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ザルツブルク旅日記:1月22日

 午前中はモーツァルテウムの大ホールで、ピアニストのアンドラーシュ・シフが、モーツァルトのピアノ協奏曲の全曲演奏のために編成したカペラ・アンドレア・バルカの演奏会を聴く。どの作品の演奏を聴いても、シフと演奏することに対するメンバーの喜びがストレートに伝わってくる。常時一緒に活動しているグループではないので、一つのセクションが一つの楽器に聴こえるようなアンサンブルの精度は求むべくもないが、ピリオド楽器風の素朴な響きを生かしながら洗練された表現を聴かせるあたりがとくに魅力的なグループ。
 シフとカペラ・アンドレア・バルカのコンビの魅力が最もよく生かされていたのは、シフの弾き振りによるト長調のピアノ協奏曲(KV. 453)の演奏においてであったと思われる。ベーゼンドルファーで弾くシフの独特のやや硬質の音とオーケストラの着飾るところのない響きとが組み合わさって、温かみのある軽やかさが生まれていた。緩徐楽章の演奏は、モーツァルトを聴く喜びをじっくりと味わわせてくれるし、フィナーレの演奏は、個々の局面の表情を明確につけながら一気に聴かせる。全体として、モーツァルトのピアノ協奏曲のなかでもとくにチャーミングなこの曲の新たな魅力を照らし出す演奏だったのではないだろうか。聴衆のアンコールに応えて、フィナーレの最後のプレストの部分が再度演奏された。
 休憩後の「ジュピター」交響曲の演奏も聴かせる。シフは一貫して内声部の動きを強調していたが、そのために響きがけっして弱々しくならないし、またリズムの躍動感も生まれている。力強く晴れやかな響きで感興の高まりを素直に表現した演奏と言えようか。速めのテンポによるフィナーレの演奏のところどころに合奏の綻びがあったのは残念だったが、そのコーダでヴァイオリンの晴れやかなピアノの響きが張りつめるなかにフーガの主題が回帰してきたときには、胸に熱いものがこみ上げてきた。
 演奏会が終わった後、旧市街へ出て、地元の人びとが集っているレストランで昼食をとった。少し辛い味付けの肉の煮込みに、クネーデル(ふすまの大きな団子のようなもの)やスペツェレ(素朴なパスタのようなもの)を付け合わせたものを食べて、妻と二人すっかり腹一杯になってしまったが、その眼の前で一組の母娘が、よりによってダイエット・コークを飲みながら、巨大なシュニッツェル(カツレツ)やザウアーブラーテン(酢漬け牛肉のロースト)を食べ始めたのには驚いた。よけい胃がもたれてきたような気がする。
 その後、ザルツブルク・カード(市内交通乗り放題なうえ博物館などに見せるだけで入れる便利なカード)を手に入れようとするが、日曜日だったためにモーツァルト広場のツーリスト・インフォーメーションも閉まっていて、なかなか手に入らない。ホテル・ブリストルのフロントで何とか手に入れ、その向かいにある青年時代のモーツァルトの住家を訪れる。10年前に訪れたときにくらべ、楽器をはじめ展示物がずいぶん傷んでいるような気がするのは気のせいだろうか。くすんだ展示室と、妙にきらびやかなミュージアム・ショップとの対照が複雑な気持ちにさせる。
 夜は祝祭大劇場で、ニコラウス・アーノンクールが指揮するヴィーン・フィルハーモニー管弦楽団の演奏会を聴く。ハイドンとモーツァルトの作品が2曲ずつ演奏されたが、アーノンクールの、とくにモーツァルトへの辛口のアプローチが際立つ演奏。前半に、第14番に数えられる変ホ長調のピアノ協奏曲(KV. 449)が演奏されたが、通常甘美に響く緩徐楽章冒頭の旋律も、彼の手にかかると、フレーズの襞を際立たせながら、きりっと引き締まった表情を呈する。フィナーレの演奏は、鋭いアクセントで辛口のユーモアを示していた。このように明確な方向性を打ち出すアーノンクールの指揮に対して、この曲で独奏を務めたレイフ・オヴェ・アンスネスのピアノはまったく冴えない。必要以上に軽いタッチでさらさらと弾き進めるが、ひとつひとつの音からまったく必然性が感じられないのだ。休憩後に演奏されたハイドンのト長調のピアノ協奏曲には退屈させられた。
 最後にモーツァルトのト短調の交響曲(KV. 550)が演奏されたが、アーノンクールとヴィーン・フィルの今回の演奏は、この作品のデモーニッシュな劇性を最大限に強調したものと言えよう。かなり速めのテンポで音楽が運ばれるなかに、鋭いアクセントが容赦なく打ち込まれてゆく。両端楽章の展開部や再現部に見られる目まぐるしい転調は、苦しみ悶えるさまを呈しているかのようだった。とはいえ、オーケストラがヴィーン・フィルなので、全体としてニュアンスが豊かで、モーツァルトを聴いているのだ、という気にさせられる。とりわけ、アンダンテの最後の和音は夢のように美しかった。ところどころ、らしからぬ合奏の乱れが聴かれたのは実に残念。もしかしたらまだ練習不足で、アーノンクールの意図がよく浸透していなかったのかもしれない。
 宿に戻って、吉田秀和の『モーツァルトを求めて』(白水社)を読了。この本に収録されている、彼がモーツァルト生誕二百周年の年に書いた論考「モーツァルト──その生涯、その音楽」ほどに、モーツァルトという人間とその音楽の本質を、それにふさわしい形式で叙述した文章を知らない。それから、吉田秀和にとっても、モーツァルトの創作活動の根幹をなすのはピアノ協奏曲というジャンルであり、「ジュノーム」という綽名で知られる変ホ長調のピアノ協奏曲(KV. 271)のうちには、吉田にとってのモーツァルトの原風景があるようだ。今回のザルツブルクへの旅では、ピアノ協奏曲は後もう1曲、ヘ長調のもの(KV. 479)を聴くことになっている。

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ザルツブルク旅日記:1月21日

 夕刻にザルツブルク空港に降り立った。飛行機の窓から見るザルツブルクの街はすでに一面の銀世界。こちらへ向かう飛行機に乗り継いだフランクフルトとは大違いである。アルプスの麓にあるためか、ここはオーストリアのなかでもとくに寒さが厳しいようだ。ちなみにザルツブルクの空港はスキー客でごった返していた。幸いなことに外へ出てもそれほど寒さを感じない。
 オーブスと呼ばれる当地のトロリーバスに乗って、一路ミラベル広場近くのホテルへ。エレベーターをはじめ設備にやや古さを感じさせるが悪くはない。部屋は十分に広いし、書き物ができる机も備わっている。
 荷解きをしたところで、まだ確保できていないモーツァルト週間の二つの演奏会のチケットの手配を依頼している現地在住の女性と連絡を取る。ちなみに彼女は、ザルツブルクで旅行エージェントを営んでいるとのこと。ずっと気になっていた23日の演奏会のチケットは、明日の夕方にホテルに届けてくれるとの話でひと安心する。それから、彼女によれば、東京でずいぶん雪が積もったため、成田からザルツブルクへ向かう予定の旅行客がみな成田で足止めを食らっているようである。なかには明日からモーツァルト週間の演奏会を聴く予定のツアー客もいるとか。とすれば、関西空港から出発したわたしたちは相当に幸運だったわけだ。
 とはいえ、まる一日以上にわたる長旅にはさすがにくたびれてしまった。広島という街のヨーロッパへのアクセスの悪さをまたしても痛感させられたかたちだ。出発する日の朝の始発の新幹線でもフランクフルト行きのフライトには間に合うのだが、広島駅までの公共交通機関が動いていない。というわけで、前の晩に夜行バスに乗って大阪へ向かったのだが、これが身体にこたえたようだ。
 フランクフルトへのフライトのあいだ、吉田秀和が選んで訳した『モーツァルトの手紙』(講談社学術文庫)を読んでいた。一貫して神への篤い信仰が表明されているが、それはモーツァルトが熱心なカトリックであったことよりもむしろ、彼が、たとえどれほど苛酷であろうとも、遭遇した現実を誠実に受けとめようという信念をもっていたことを暗示しているのではないだろうか。そうした彼の誠実さを最も感動的なかたちで示しているのが、パリにおける母の客死を姉たちに報告するあの有名な手紙であろう。ちなみに──俗っぽい言い方をするなら──より神に近いところで神を愛していたモーツァルトにとっては、ザルツブルクの大司教もヴォルテールも我慢ならなかったようだ。
 手紙における楽器や演奏法に関するモーツァルトの評言も、彼の音楽観を生き生きと伝えていて面白いが、最も共感させられたのは、徐々にみずからの才能を自覚し始めたモーツァルトが、それを生かそうと苦闘するさまである。弟子をとらなければ生活できないが、弟子をとれば取るほど作曲に専念できる時間は削られていくと愚痴をこぼしているあたり──才能のことはともかく──身につまされる。とまれ、モーツァルトが青年期以来嫌悪してやまなかったザルツブルクに、彼の作品を聴くために来てしまったわけだ。モーツァルト週間の演奏会のなかで、彼が駆け抜けるように生きた生涯のなかから生まれた作品のうちに、新たな美を発見できるだろうか。

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10年ぶりのザルツブルクへ

 明日から5泊6日の予定でザルツブルクへ出かける。とはいえ、広島に住んでいるため、今晩のうちに出なければならない。そう言えば午後から雪模様との天気予報が出ていた。国内の移動がやや心配である。
 この時期にザルツブルクへ行くのはほかでもない。当地で開催される「モーツァルト週間」の演奏会をいくつか聴くためである。ザルツブルクでは毎年、1月27日のモーツァルトの誕生日を中心に「モーツァルト週間」と銘打った音楽祭が開催されていて、モーツァルトの作品を中心とする充実した内容の演奏会が毎日催されている。オーケストラとしては、ヴィーン・フィルハーモニー管弦楽団と当地のカメラータ・アカデミカやモーツァルテウム管弦楽団が参加し、ハーゲン弦楽四重奏団やピアノの内田光子といった実力のある室内楽団体やソリストも数多く参加する。今年は、モーツァルト生誕250年を祝う記念の年なので、誕生日の27日には名だたるソリストがヴィーン・フィルハーモニーと共演する大規模なガラ・コンサートも企画されているが、これは聴かない。何しろチケットの入手がきわめて困難なうえに、値段も非常に高い。それに金持ちが集うなかに交じってお祭り気分で音楽を聴くなどというのは、とても考えられないことである。
 今年は、アーノンクールが指揮するヴィーン・フィルハーモニーの演奏会や内田光子とハーゲン弦楽四重奏団が共演する室内楽の演奏会をはじめ、7つの演奏会を聴く予定。ピアノでは内田光子以外に、レイフ・オヴェ・アンスネスやアンドラーシュ・シフといったところの演奏を聴くので、聴き較べが楽しみなところ。歌劇「偽の女庭師」をはじめ、なかなか耳にすることのできないモーツァルトの作品に触れられるのも得がたい機会である。親密な雰囲気のなかでの室内楽の演奏も楽しみだ。
 思えば、海外へ旅行するようになったのは、今からちょうど10年前にザルツブルクへ同じ「モーツァルト週間」の演奏会を聴きに行ったのが最初である。そのときは雪が積もっていて、ミラベル庭園が一面の銀世界だった。天気予報によると、滞在中ほとんど雪のようなので、同じ風景を眼にすることになるのかもしれない。ちなみに10年前「モーツァルト週間」を訪れたときには、まだカルロ・マリア・ジュリーニやシャーンドル・ヴェーグが健在だったし、またハーゲン弦楽四重奏団が若々しい演奏を聴かせてもくれた(そのときのことについては、http://homepage.mac.com/nob.kakigi/Mozartwoche_1996.htm を参照)。今回はどんな演奏に出会えるだろうか。モーツァルトの生誕250年の年に、その作品に新たな生命を吹き込む演奏に触れられるのを楽しみにしているところである。

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ベツレヘムの瓦礫の天使

 先日同僚が天使を見せてくれた。天使と言っても、天使の姿をかたどったオブジェである。ガラス片を金属の輪鉄のようなものでつなぎ止めてあって、ステンドグラスの一部を見るような感じ。同僚から聞いたところによれば、これはパレスチナの人びとのイスラエルの圧制に対するインティファーダに用いられたりなどして砕けたガラス瓶の破片を継ぎ合わせて作られた天使のオブジェで、パレスチナの子どもたちがこれを、アーティストの指導を受けながらで作っているのだという。
 このような活動を組織しているのが、現在ベツレヘムで活躍しているミトリ・ラヘブ牧師。彼はパレスチナのアラブ人であるが、キリスト教徒であり、ルター派のプロテスタントの牧師である。「パレスチナ人のクリスチャン」と言ってもピンと来ないかもしれないが、パレスチナの地では、ユダヤ教徒とムスリムが対立しているばかりでなく、ローマ帝国の時代からずっと、キリスト教のさまざまな宗派も共存してきたのだ。ラヘブ牧師は自分のことを、「四世紀まではパレスチナにおける宗教的マジョリティであった古代のパレスチナのクリスチャン共同体の末裔」と規定している。ちなみに、イエス・キリストの聖誕教会があるベツレヘムでは、クリスマスが12月25日ばかりでなく、1月6日(ギリシア正教会)と1月18日(アルメニア教会)にも祝われるとのことである。
 このラヘブ牧師の著書が1冊日本語に訳されている。『私はパレスチナ人クリスチャン』(山森みか訳、日本キリスト教団出版社)。現在のパレスチナにおける宗教的マイノリティとしての、またキリスト教内部の分裂の痕跡を残した、彼自身の複雑なアイデンティティや、祖父の代以来のルター派のクリスチャンとしての信仰を牧師として人びとに伝えようと決意するに至ったいきさつなどが述べられた後、聖書を今ここに生かそうとする彼の聖書解釈が、パレスチナのアラブ系住民が置かれている現状の分析にもとづいて、力強く語られている。ラヘブ牧師によれば、聖書とは何よりも現在の歴史的なリアリティを語るものであり、しかも「マイノリティについての書物」である。聖書のテクストは、マイノリティの人びとが置かれている現在の歴史的現実を照らし出すとともに、苦境に置かれた人びとに、そこで自分が何をなしうるのかを見つめなおさせるのだ。けっして復讐ではなく、正義、それも異質な、反目しあっている人びとのあいだに実現されるべき、来たるべき正義へ向けて。そのような正義のヴィジョンを、ラヘブ牧師は著書の最後に、「夢」として語っている。
 現在ラヘブ牧師は、イスラエルが建設している分離壁によって閉じ込められ、圧迫されるなかで、パレスチナの子どもたちにその「夢」を与える仕事に取り組んでいるようだ。アーティストと一緒に天使のオブジェを作る活動もその一環であろう。ガラスの天使は、子どもたちの「夢」の結晶でもあるのだ。それは、この世界をつくり変える希望を子どもたちに与えるとともに、ガラスを透して世界を別な可能性を秘めたものとして映し出すのではないだろうか。
 ヴァルター・ベンヤミンは、いわゆる「歴史哲学テーゼ」のなかで、進歩の暴風に煽られながら眼の前で瓦礫が積み上がってゆくのを凝視する「歴史の天使」の像を描いたが、ガラス片から作られた天使のオブジェは、言ってみれば「歴史の天使」が見つめる瓦礫のなかから生まれた天使である。朝日新聞の連載記事「そこにある壁」が浮き彫りにしたように、イスラエル政府が建造している分離壁のみならず、世界のあちこちで人びとのあいだに可視ないし不可視の「壁」が築かれつつある現在の状況のなかで、壁を越えて日本に届いたベツレヘムの瓦礫の天使が、壁を突き抜ける希望を人びとに与え、壁のこちら側とあちら側のあいだにひとすじの回路を開く媒介者として活躍することを願ってやまない。

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芸術史を見つめなおす新書二題

 講義のネタが見つかるかもしれないなどと思いつつ、最近出た芸術史に関する新書を2冊読んでみたが、どちらもなかなか興味深い。1冊は宮下誠の『20世紀絵画──モダニズム美術史を問い直す』(光文社新書)で、もう1冊は岡田暁生の『西洋音楽史──「クラシック」の黄昏』(中公新書)。著者は二人とも、40代半ばの気鋭の芸術史学者である。また、二人の著者はいずれも、21世紀の現在において絵画を、あるいは「クラシック」音楽をとらえなおす自分自身の位置を確かめるべく、20世紀の絵画の歴史へ、そして西欧音楽の歴史へとまなざしを向けている。それゆえ両者とも、客観的な歴史記述を装うことなく、むしろこれらの芸術史が、今ここで自分自身の視点からとらえなおした芸術史であることを前面に押し出している。そのことが、二つの新たな芸術史の叙述をより刺激的なものにしていることは間違いない。とはいえ、二人の著者の歴史の描き方は対照的である。
 まず、宮下誠の『20世紀絵画』は、「絵画とは何か」という本質的な問いに向きあうことから始めている。それによれば、対象を描くとはそれを欲望することであり、絵画とはその欲望の表象である。そして、世界の合理的な記号化が進むにつれ、リアルな「もの」それ自体への欲望が絵画の革新をもたらすようになるという。つまり、20世紀のキュビスムや新即物主義の運動は一面で、そうした欲望を映し出しているのだ。さらに、宮下によれば、20世紀までの絵画を支配してきた遠近法とは、世界を「人間」の視点から解釈する、一つの世界解釈のシステムないし言語であり、遠近法にもとづいて描かれた絵画は、世界を遠近法的に見よ、という命令を含んでいる。しかも、そこにはすでに三次元空間の二次元空間への「抽象」が含まれているのだ。20世紀までの西欧の遠近法的絵画は、ある種の「抽象」にもとづく特殊な「具象画」だったのである。そのリアリティが崩壊したのを前にして、画家たちは新たな世界解釈のシステムを、絵画の言語を産み出すことを迫られる。宮下はそのような視点から、マネ、モネ、セザンヌ、ゴッホ、ピカソ、カンディンスキー、マレーヴィチらの主要な作品を1枚ずつ取り上げ、その魅力も論じつつ、20世紀における「抽象絵画」の成立を描き出している。その描き方には、ところどころ「西洋」と「東洋」の安易な二分法へ傾くきらいもなくはないとはいえ、非常に説得力がある。
 しかしながら、宮下によると「抽象絵画」は20世紀絵画の終着点ではない。「抽象」の模索と同時並行的に、またその成立の後に、「具象」への回帰ないし新たな「具象」の探究が行なわれているのである。宮下はこのことを、ドイツ語圏の20世紀の絵画をおもに取り上げながら描き出している。とりわけわたし自身ライプツィヒの新しい美術館を訪れたときには正直ついて行けなかった旧東ドイツの絵画を論じた部分は、この書の白眉である。宮下によれば、その「わかりやすさ」は「考える」ことを見る者に求めている。「考える」とはおそらく、自分が世界を見るその見方を問いなおすことであろう。もしかすると、もはやそうした思考を抜きに絵画を見ることはできないのかもしれない。
 さて、宮下の絵画史が絵画の20世紀をいくつもの亀裂を含んだまま描き出すのに対して、岡田暁生の『西洋音楽史』は「通史」である。それは、「西洋音楽史」全体を一望する一つの視点を提示するものなのだ。とはいえ、そこにあるのは現在に至る連続的な「音楽史」の流れを教科書的に通覧する叙述ではなく、現在の視点から「中世音楽」とは何か、「ルネサンス音楽」とは何か、「バロック音楽」とは何か、といった問いに正面から向きあうことによって、「クラシック音楽」の歴史にいくつもの断裂線を書き込む叙述である。
 まず、今日「クラシック音楽」と呼ばれている「芸術音楽」の定義が興味深い。岡田によれば、「芸術音楽」とは「書かれた=設計された音楽」のことである。一定の「構成=設計(コンポジション)」にもとづいて書き残されたのが西欧の「芸術音楽」であり、「西洋音楽史」とはその歴史なのだ。岡田はそのように「芸術音楽」とその歴史をとらえる立場から、「中世音楽」、「ルネサンス音楽」、「バロック音楽」などに特有の「構成=設計」のありようを、実にわかりやすく説明している。また、そうした相異なる「構成=設計」が、時代ごとに「音楽」がどのように成立していたか、つまり演奏され受容されていたのか、ということと密接に結びついていることも説得的に描き出している。
 岡田の音楽史の叙述のなかで最も興味深かったのは、彼が専門とする19世紀の矛盾を抉り出している一章である。彼によれば、19世紀には純粋な音楽が追求され、音楽が宗教的な装いさえ帯びるようになる一方で、産業革命とブルジョワ社会の成熟が進むなかで、音楽の通俗化と商品化が進行した。このことが、現在における、消費される「ポピュラー音楽」と芸術的な「クラシック音楽」の分裂、さらには「クラシック」内部における、スター信仰とカルト的探究の分裂を用意したのである。しかしながら、岡田に言わせると、同時に人びとは、「ポピュラー」のうちにも「クラシック」のうちにも、何か宗教的な「カタルシス」を追い求めている。ロマン派の時代同様、音楽が「神なき時代の宗教」であることが求められているのだ。そのような現代の「感動中毒」のうちに、岡田は「現代人が抱えるさまざまな精神的危機の兆候」を見て取っている。おそらくそれは相当に深刻な危機であろうが、どのような危機と岡田は見ているのだろう。
 それはさておき、岡田によれば、さまざまな様式へ分裂しているばかりでなく、繰り返し再演されるというかたちで残ることもない現代音楽の「歴史」を叙述することは難しい。現代音楽は、従来のような「公式」の「芸術音楽」であることをやめて「一種のサブカルチャー」になっているからである。たしかにそうであろう。そして、この「非公式」芸術の歴史を描くためには「通史」を描くのとは別の叙述の仕方が求められるにちがいない。「通史」へのまなざしからこぼれ落ちてしまうものを瓦礫から拾い上げるまなざしが必要なのだ。このような微細なものを「公式」のものに亀裂を穿つアクチュアリティにおいて取り出すまなざしこそが求められていると思うゆえに、個人的に芸術史の描き方としては、岡田の「通史」的な叙述より、宮下のモザイク的な叙述のほうに共感をおぼえる。とはいえ、両者の叙述にはともに──講義のネタになりそうな部分ばかりでなく──新たに学ばされた点やあらためて考えさせる論点が実に豊富に盛り込まれていたのは確かである。

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三宮の中華料理と明石の「玉子焼」

 先にこの欄に、神戸の兵庫県立美術館へ「アムステルダム国立美術館展──オランダ絵画の黄金時代」を見に行った印象を記したが、その際広島から車で泊まりがけで出かけたので、見に行く前の日の夜に三宮で夕食をとることになった。神戸に来たからといって神戸牛だのハイカラな洋食だのに一見の旅行客が手を出したら、値の高いものをつかまされるにちがいないと踏んで、中華料理を試すことにする。神戸には中華街もあるし、それなりに美味しい中華料理屋があるのでは、と思ったわけである。
 そこで入ってみたのが、三宮の東急ハンズに隣接するビルの6階にある「酔坊」なる「中華居酒屋」。店の内部をのぞくことのできないドアを開けて入らなければならないので、敷き居をまたぐのに少し勇気が要ったが、入ってみると中華料理店らしい赤を基調とした装飾豊かな空間が広がっている。とはいえ、派手過ぎることはなく、どちらかというと中華料理店にしては落ち着いた感じ。しかし、「居酒屋」でもあるのは確かのようで、奥の席ではサラリーマンのグループがビールをあおりながら気炎を上げていた。
 お世辞にも愛想がよいとは言えない中国人女性が料理を運んでくれたが、その料理、手ごろな値段(300円足らずの点心から一品料理がある)のわりにはなかなか美味しい。小籠包、鳥肉のカシューナッツ炒め、五目おこげに、(すでに味噌をつけて葱と巻いてある)北京ダックといったところを妻と食べたが、とくにおこげは具が豊富なうえにしっかりとした味付けで気に入った。鳥肉の炒め物も唐辛子の辛味が軽いアクセントとして利いていて、なかなかの味。ニンニクの効いたこの一皿を食しながら、かつて大学の学生食堂で食べたこの料理を思い出した。貧乏学生だったころ、アルバイトの給料が入ったりすると、学生食堂の夜のメニューにある(750円と学食メニューにしてはかなり高い値のついていた)「鳥肉のカシューナッツ炒め定食」を食べていたものである。そう言えば、学食のもかなりニンニクが効いていた。ちなみに小籠包も美味しかったが、「北京ダック」に関しては、この値段でそう贅沢は言えない、というのが結論である。
 さて、神戸からの帰り道に、明石に寄って「明石焼」を食べてみた。玉子の多い生地をたこ焼きのように焼くこの「明石焼」を当地では「玉子焼」と呼ぶようで、今回入った「松竹」という店は「玉子焼専門店」とのことである。明石駅前のあけぼの商店街という商店街のなかにある、こぢんまりとしたお店。
 店に入ると、この「玉子焼」の焼き方にまず驚かされた。羽子板のような鉄板にたこ焼き器のようなくぼみがついていて、そこに相当柔らかい生地を流し込み、片面が適当に焼けたところで、何と菜箸でさっと返すのである。生地が柔らかいと、串や千枚通しよりも箸のほうがひっくり返しやすいのだろう。そうしてしばらくすると、やおら「羽子板」の柄をもって、焼けた「玉子焼」を下駄のような朱塗りの板にバタンと落とすのである。その朱塗りの板、下駄の歯が片方しかなくてすこぶる不安定ではあるが、板を手前に傾けると食べやすいようにできている。
 この「玉子焼」、よく知られているように、ソースではなく、薄味の出し汁をつけて食べるが、この店の薬味は三つ葉。これにも何か理由があるのだろうか。出し汁をつけなくても十分に美味しいが、つけたほうが生地のまろやかさが際立つ感じ。ふんわりとした生地の食感と蛸のこりこりとした食感のコントラストを楽しんだ。

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神戸のアムステルダム国立美術館展

 神戸の兵庫県立美術館で開催されている「アムステルダム国立美術館展」を見に行く。「オランダ絵画の黄金時代」と題されたこの展覧会、アムステルダム国立美術館の大規模な改修工事に合わせて企画された、世界を巡回する展覧会で、日本ではここ神戸だけで開催されるとのこと。フェルメールの「恋文」が見られるうえ、オランダへ行くのはいつのことになるのかわからないので、妻と出かけることにしたしだいである。
 「オランダ絵画の黄金時代」ということで考えられているのは、オランダがスペインからの独立を勝ち取ってゆく背後で商業をいとなむ市民階級が台頭し、そのニーズに応じた絵画が花開く17世紀のことである。17世紀のオランダの画家と言えば、先に名前を挙げたフェルメールをはじめ、レンブラント、ハルス、ライスダール、デ・ホーホといったところが思い浮かぶが、彼らの作品をそれぞれ数点含めた17世紀の絵画に同時代の工芸作品を合わせた90点ほどが展示されていた。グラスや銀器など展示されていた工芸作品の多くは、展示されている絵画に実際に登場するもので、静物画や風俗画のなかに描かれる当時の生活のなかで用いられているさまと、300年を超える時を経て残されているさまとを見比べるのは、それはそれで興味深かったのだけれども、個人的にはもう少し多くの絵を見たかった気もしないではない。
 今回見た絵のなかで最も気に入ったのは、ヤーコプ・ファン・ライスダールの「ベントハイム城」。前景に倒木や岩を配して、自然の猛々しさと時の移ろいを演出し、その背後に城郭をそれに抗うかのように屹立させるドラマティックな構図は、彼が描く風車を中心とする風景のように、人力を越えた自然の力、それがもたらす人為的なものの儚さ──同時代の画家たちがしばしば描き出した「世の虚しさ(ヴァニタス)」──をしかと受けとめるとともに、それに押し流されることなく、自然のダイナミズム、時の移ろい、さらにはそれを耐えて存えるものを描き取ることのできる視点を確保しようとする画家の意志を感じさせる。
 フランス・ハルスのタッチの無駄のなさにも、今回あらためて感嘆させられた。当時のオランダの富裕層の夫妻の一対の肖像画において、ハルスは妻のほうを静かに、ただし実に人間的な温かさを感じさせる表情の動きを交えて描く一方、夫のほうは自由闊達な表情の動きの一瞬をとらえるかたちで描いている。こちらを振り向いた一瞬の自信に満ちた表情が、スナップ・ショットさながら、素早く、まったく無駄のないタッチで描き取られているのである。この夫の肖像は、妻のと並べられたとき、夫の自由な市民としての活動力をいっそう際立たせていたにちがいない。
 カレル・ファブリティウスに帰属するとされる「洗礼者ヨハネの斬首」を見られたのも、今回の収穫の一つ。彼の絵とは、昨年1月以来の対面となったが、ヨハネの首を求めるサロメの表情を光のなかに浮かびあがらせる筆遣いに、どこか師のレンブラントとは異なった細やかさを感じる。その師匠のレンブラントの作品のなかでは、「青年期の自画像」が印象的(妻も気に入った1枚)。自画像を、生乾きの絵の具を引っ掻いて髪の質感を出すといった実験の場にしたような絵ではあるが、どこか憂いを漂わせる若さが魅力的に描かれている。
 今回のお目当てであったフェルメールの「恋文」は、実際に眼の前にしてみると、他のフェルメールの作品、とくに初期の作品にくらべて細密さの点で劣るように思われ、いささかもの足りない。とはいえ、周りに配されたデ・ホーホらの作品と並べてみると、この「恋文」が卓越した仕方でオランダの風俗画の伝統に連なろうとしてることが、うすうすと感じ取られる。後期の作品に属する「恋文」は、人物をも画面の一要素に還元し、事物の細部を、その光彩を、どこまでも緻密に描き取って、やや冷たさを感じさせるまでに静かな画面を構成するこれまでの画風を離れ、人物の一瞬の生き生きとした表情をとらえることを、室内の調度の緻密な描写を両立させようとする画風への移行を示す一枚かもしれない。フェルメールはその頃、人間的な温かみを感じさせる、より風俗画にふさわしい様式を──もしかすると経済的な理由もあって──模索していたのではないだろうか。そうして、時間を画面に導入しようとしているように思われるのである。
 17世紀のオランダの絵画はそれより南方の絵画にくらべてもの静かであり、緻密な描写によって貫かれている。オランダの画家たちは、「世の虚しさ」を暗示しようとする静物画家が代表するように、その描写によって仮借なき時の移ろいを表現しようとしていた。17世紀のオランダの絵画における空間と時間の静かな交錯。神戸の「アムステルダム国立美術館展」は、このさらに掘り下げられなければならないテーマを、わたしに与えてくれた。b93
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ひろしま美術館の「プラート美術の至宝展」

 昨日、ひろしま美術館で開催されている「プラート美術の至宝展」を見に行った。フィレンツェから15キロほど離れたトスカーナ地方の小都市プラートの市立美術館に所蔵されている作品を中心に、初期ルネッサンスからバロックまでのおもに宗教画を、街のアイデンティティの象徴となっている「聖母マリアの聖帯」伝説と絡めながら展示するもの。そのため、大きな作品にはそれを図像学的にわかりやすく分析したパネルが添えられていて、絵の構成を読み解きながら観覧できるようになっている。実に親切な仕掛けなのだけれども、多くの来場者が、実際の作品そっちのけでパネルに見入っていた。
 「聖母マリアの聖帯」というのは、マリアの被昇天の際に聖トマスに託されたとされる帯。これをプラートの商人が故郷へ持ち帰り、教会に寄託すると、人びとの信仰を集めるようになり、街の結束の中心になったとのこと。これが今でも街の聖堂に保管されているのだが、その聖堂を飾るのがボッティチェリの師にあたるフィリッポ・リッピの壁画。今回の展示の中心も、このリッピの宗教的な主題の板絵であった。
 リッピの作品は、これまでにもあちこちで目にしていたのだけれども、あまり印象に残っていない。今回あらためてその作品と向きあってみると、たしかに人物像はどこか初期のボッティチェリの人物像を思わせる。おそらくボッティチェリは、リッピのしなやかな曲線による優美な人物表現から多くを学んだのだろう。同じ画僧であったフラ・アンジェリコの描くやや厳めしい人物像にくらべ、リッピの人物像は身体美や感情の温かさを際立たせていて、優しい印象を与える。とはいえ、ボッティチェリらもう少し後の世代の作品にくらべると細部の詰めが甘く、人物表現自体も完成されていない感じがする。こうした過渡期的な画風とそれがもたらす画面の散漫さが、これまでリッピの作品の印象が薄かった原因なのかもしれない。
 今回の展覧会では、リッピとその工房が手がけた大きな作品として、「身につけた聖帯を使徒トマスに授ける聖母および聖グレゴリウス、聖女マルゲリータ、聖アウグスティヌス、トビアスと天使」と「聖ユリアヌスをともなう受胎告知」が展示されていたが、聖母を中心とする華やかな群像画である前者よりも、後者のほうが画面構成が洗練されていて気に入った。人物表現もこちらのほうがはるかに精緻である。
 これらの作品以外で印象に残ったのは、ベルナルド・ダッディによるアルカイックながらも人物の生き生きとした表情が際立つテンペラの板絵と、ドナテッロの作として伝わる小さな聖母子像の彫刻。後者は深沈としながら親密な関係のなかに見る者を引き込む魅力を放っていた。
 それ以外の作品は、小ラファエロと呼びたくなるラッファエッリーノ・デル・ガルボの「聖母子と幼き洗礼者ヨハネ」をはじめ、どれもエピゴーネン的なところを漂わせる作品ばかりで、今ひとつ惹かれない。カラヴァッジョやリベーラの影響が見られる作品も見られたが、どれもこの二人自身の作品にくらべると、鋭さや彫りの深さの点ではるかに劣ると言わざるをえないのだ。
 それにしてもこの展覧会の主題は、リッピを中心とする初期ルネッサンスの宗教画の世界なのだろうか、それとも「聖帯伝説」をめぐるプラートの街の美術史なのだろうか。前者に焦点を絞ったほうが、これまで実際に触れる機会の少なかった板絵の世界に眼を開かれた、という強い印象がもたらされたように思われる。

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厳島神社の舞楽

 昨日、妻と宮島の厳島神社へ初詣でにではなく、舞楽を見に行った。厳島神社の平舞台では折々に舞楽が演じられるが、昨日も「二日祭」にちなんで二曲の舞楽が「奉奏」されていた。宮島までたどり着くのに思いのほか時間がかかってしまったため、一曲目の「萬歳楽」は見られなかったが、二曲目の「延喜楽」は何とか見ることができた。
 厳島神社の舞楽に初めて触れたのは、昨年の秋のことだった。アメリカ人の知人に誘われて出かけたのだが、身近なところにあるものには、えてしてそのように気づかされるものである。以来、バレエを趣味とする妻は舞楽独特の所作に興味をもった様子で、昨日も見に行くことになったしだいである。
 笙と笛を中心とする奏楽が、ミニマル・ミュージックを思わせる仕方でゆったりと繰り返されるなかに太鼓の音が響くと、さまざまな飾りをつけた華やかな衣裳を着けて、踊り手たちが順に平舞台へしずしずと上がってゆく。そこで独特の規則性をもったステップを踏みながら、また時に両足を踏ん張っての揃いのポーズでアクセントをつけながら、平安時代から伝わるとされる曲が舞われるわけである。そのさまは欧米人のエキゾティシズムを喚起したばかりでなく、舞踊家と作曲家をはじめ、多くの芸術家にインスピレーションを与えてきたのだろう。わたしには黛敏郎が作曲した「BUGAKU」くらいしか思い浮かばないが、舞楽を紹介してくれた知人によれば、舞踊家のジョージ・バランシーンは、ニューヨーク・バレエで舞楽の所作を取り入れた「BUGAKU」なる作品をつくったとか。
 舞楽の上演に接しながら、わたしはどちらかというとガムランを思わせるところもなくはない奏楽のほうに耳を惹かれる。聞けば、踊りやそのための衣裳や仮面には、中国ばかりでなくインドに端を発するものもあるという。どうやら舞楽は、「日本」独特の「伝統文化」と言うより、むしろ古代の人びとの海を越えての移動がもたらした文化の混淆の産物と言えそうである。それは他のさまざまな場所とつながりをもちながら、その場所での独自性をかたちづくる、文化そのものの雑種的な生成を体現しているのかもしれない。
 昨日の舞楽は、緑を基調とした衣裳が日に映えるさまは美しかったものの、四人の踊り手のアンサンブルが今ひとつで舞台が締まらない感じ。日が暮れてから、松明の明かりのなかで仮面を着けての舞いを見たほうが楽しめるにちがいない、というのが妻とわたしの率直な感想である。

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「モーツァルト・イヤー」の幕開けに

 昨晩と今晩、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の「ジルヴェスター・コンサート」とヴィーン・フィルハーモニー管弦楽団の「ニューイヤー・コンサート」の両方を、衛星中継で最初から最後まで見てしまった。ほかに取りたてて見るべきものがないとはいえ、暇なことと言うべきか、物好きと言うべきか。
 今年がモーツァルト生誕250年の記念の年だということで、どちらの演奏会でもそれぞれ独自の趣向でモーツァルトの作品が取り上げられていたが、奇しくもと言うべきか、どちらの演奏会でも「フィガロの結婚」の序曲が演奏されていた。ベルリン・フィルの大晦日の演奏会は、日本の時間ではすでに年の明けた深夜に中継されたので、日本でそれを見ていた人にしてみれば、「モーツァルト・イヤー」はサイモン・ラトルの指揮するベルリン・フィルによるこの序曲の演奏をもって幕を開けたことになる。
 ラトルによる「フィガロ」の序曲の解釈は、どちらかというと遅めのテンポのなかで、ピリオド楽器による演奏を思わせる鋭いアクセントや楽譜に印刷されていないダイナミクスの変化を細かくつけて、モダン楽器によってモーツァルトの音楽に清新な息吹をもたらそうとするもの。リズムがきびきびと躍動しているので、遅めのテンポとはいえ音楽はけっして停滞しないし、第二主題も、茶目っ気を醸し出しつつエレガントに歌わせている。しかしながら、こうした委曲をつくした表現が上滑りしてしまっている感も否めない。演奏会の中ほどで取り上げられた「プラハ」交響曲の演奏を聴いたときにも思ったのだが、ラトルの解釈は、モーツァルトの書いた音楽に潜在するダイナミズムや魅力を発見させる箇所も多いのだが、同じように細かくダイナミクスやテンポに変化をつけるアーノンクールやヴェーグの解釈ほどには説得力を感じさせないのだ。オーケストラの編成が大き過ぎて、響きを引き締めきれなかったこともあるのかもしれない。ちなみに、エマニュエル・アックスを独奏に迎えた「ジュノーム」協奏曲の演奏では、凝った伴奏がピアノ独奏の平凡さを引き立てていた。
 これに対して、マリス・ヤンソンスが指揮するヴィーン・フィルによる「フィガロ」の序曲の演奏は、速めのテンポによる正攻法のもの。ヤンソンスは、しっかりと組み立てられた響きのなかでリズムを躍動させ、音楽を前へ前へと運んでゆく。そのように推進力に富んだ音楽の運びは、聴いていて爽快ではあるが、猪突猛進気味の感もなくはない。細かい表情は、ほぼ各奏者の自主性に任されているようで、そのため音楽の優美さは後退していた。ヤンソンスという指揮者は、誠実で質実剛健な音楽の組み立てのなかで躍動感と推進力に富んだ音楽の運びを示し、オーケストラを豪快に響かせるのは実に巧みだけれども、瀟洒なメロディを細やかに歌わせるのはあまり得意ではないのかもしれない。ワルツよりポルカの多い選曲はそのせいかしらん。しかし、今回の「ニューイヤー・コンサート」の選曲が、忘れられていた曲と有名な曲を巧みに織りまぜた、聴き手を楽しませてくれる選曲だったのも確かである。とくにヨーゼフ・ランナーの「モーツァルト党」を聴けたのは嬉しかった。この曲、今年一年アンコール・ピースなどとして世界中でヒットするのではないだろうか。
 それにしても、ラトルとベルリン・フィルによる「フィガロ」の序曲の演奏にしても、ヤンソンスとヴィーン・フィルによる同じ曲の演奏にしても、らしからぬ乱れ(前者では冒頭に奏者の勘違いとおぼしき乱れが、後者では曲の終わりに指揮者の意図とオーケストラの意図のずれが聴かれた)があったのはどういうことだろう。今年一年の多難の予兆でなければよいのだけれども。この「モーツァルト・イヤー」はむしろ、ベルリン・フィルの演奏会で最後に取り上げられた「フィガロ」の最終場面の演奏においてひときわ強調されていた謝罪と赦しが人びとの新たな絆を築き、それがこれまでの苦難を乗り越える礎となる年になってほしいものである。

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