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ザルツブルク旅日記:1月22日

 午前中はモーツァルテウムの大ホールで、ピアニストのアンドラーシュ・シフが、モーツァルトのピアノ協奏曲の全曲演奏のために編成したカペラ・アンドレア・バルカの演奏会を聴く。どの作品の演奏を聴いても、シフと演奏することに対するメンバーの喜びがストレートに伝わってくる。常時一緒に活動しているグループではないので、一つのセクションが一つの楽器に聴こえるようなアンサンブルの精度は求むべくもないが、ピリオド楽器風の素朴な響きを生かしながら洗練された表現を聴かせるあたりがとくに魅力的なグループ。
 シフとカペラ・アンドレア・バルカのコンビの魅力が最もよく生かされていたのは、シフの弾き振りによるト長調のピアノ協奏曲(KV. 453)の演奏においてであったと思われる。ベーゼンドルファーで弾くシフの独特のやや硬質の音とオーケストラの着飾るところのない響きとが組み合わさって、温かみのある軽やかさが生まれていた。緩徐楽章の演奏は、モーツァルトを聴く喜びをじっくりと味わわせてくれるし、フィナーレの演奏は、個々の局面の表情を明確につけながら一気に聴かせる。全体として、モーツァルトのピアノ協奏曲のなかでもとくにチャーミングなこの曲の新たな魅力を照らし出す演奏だったのではないだろうか。聴衆のアンコールに応えて、フィナーレの最後のプレストの部分が再度演奏された。
 休憩後の「ジュピター」交響曲の演奏も聴かせる。シフは一貫して内声部の動きを強調していたが、そのために響きがけっして弱々しくならないし、またリズムの躍動感も生まれている。力強く晴れやかな響きで感興の高まりを素直に表現した演奏と言えようか。速めのテンポによるフィナーレの演奏のところどころに合奏の綻びがあったのは残念だったが、そのコーダでヴァイオリンの晴れやかなピアノの響きが張りつめるなかにフーガの主題が回帰してきたときには、胸に熱いものがこみ上げてきた。
 演奏会が終わった後、旧市街へ出て、地元の人びとが集っているレストランで昼食をとった。少し辛い味付けの肉の煮込みに、クネーデル(ふすまの大きな団子のようなもの)やスペツェレ(素朴なパスタのようなもの)を付け合わせたものを食べて、妻と二人すっかり腹一杯になってしまったが、その眼の前で一組の母娘が、よりによってダイエット・コークを飲みながら、巨大なシュニッツェル(カツレツ)やザウアーブラーテン(酢漬け牛肉のロースト)を食べ始めたのには驚いた。よけい胃がもたれてきたような気がする。
 その後、ザルツブルク・カード(市内交通乗り放題なうえ博物館などに見せるだけで入れる便利なカード)を手に入れようとするが、日曜日だったためにモーツァルト広場のツーリスト・インフォーメーションも閉まっていて、なかなか手に入らない。ホテル・ブリストルのフロントで何とか手に入れ、その向かいにある青年時代のモーツァルトの住家を訪れる。10年前に訪れたときにくらべ、楽器をはじめ展示物がずいぶん傷んでいるような気がするのは気のせいだろうか。くすんだ展示室と、妙にきらびやかなミュージアム・ショップとの対照が複雑な気持ちにさせる。
 夜は祝祭大劇場で、ニコラウス・アーノンクールが指揮するヴィーン・フィルハーモニー管弦楽団の演奏会を聴く。ハイドンとモーツァルトの作品が2曲ずつ演奏されたが、アーノンクールの、とくにモーツァルトへの辛口のアプローチが際立つ演奏。前半に、第14番に数えられる変ホ長調のピアノ協奏曲(KV. 449)が演奏されたが、通常甘美に響く緩徐楽章冒頭の旋律も、彼の手にかかると、フレーズの襞を際立たせながら、きりっと引き締まった表情を呈する。フィナーレの演奏は、鋭いアクセントで辛口のユーモアを示していた。このように明確な方向性を打ち出すアーノンクールの指揮に対して、この曲で独奏を務めたレイフ・オヴェ・アンスネスのピアノはまったく冴えない。必要以上に軽いタッチでさらさらと弾き進めるが、ひとつひとつの音からまったく必然性が感じられないのだ。休憩後に演奏されたハイドンのト長調のピアノ協奏曲には退屈させられた。
 最後にモーツァルトのト短調の交響曲(KV. 550)が演奏されたが、アーノンクールとヴィーン・フィルの今回の演奏は、この作品のデモーニッシュな劇性を最大限に強調したものと言えよう。かなり速めのテンポで音楽が運ばれるなかに、鋭いアクセントが容赦なく打ち込まれてゆく。両端楽章の展開部や再現部に見られる目まぐるしい転調は、苦しみ悶えるさまを呈しているかのようだった。とはいえ、オーケストラがヴィーン・フィルなので、全体としてニュアンスが豊かで、モーツァルトを聴いているのだ、という気にさせられる。とりわけ、アンダンテの最後の和音は夢のように美しかった。ところどころ、らしからぬ合奏の乱れが聴かれたのは実に残念。もしかしたらまだ練習不足で、アーノンクールの意図がよく浸透していなかったのかもしれない。
 宿に戻って、吉田秀和の『モーツァルトを求めて』(白水社)を読了。この本に収録されている、彼がモーツァルト生誕二百周年の年に書いた論考「モーツァルト──その生涯、その音楽」ほどに、モーツァルトという人間とその音楽の本質を、それにふさわしい形式で叙述した文章を知らない。それから、吉田秀和にとっても、モーツァルトの創作活動の根幹をなすのはピアノ協奏曲というジャンルであり、「ジュノーム」という綽名で知られる変ホ長調のピアノ協奏曲(KV. 271)のうちには、吉田にとってのモーツァルトの原風景があるようだ。今回のザルツブルクへの旅では、ピアノ協奏曲は後もう1曲、ヘ長調のもの(KV. 479)を聴くことになっている。

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