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2005年美術展回顧など

 一昨日、東京へ行ったついでに京橋のブリヂストン美術館を久しぶりに再訪した。所蔵作品を用いて「印象派と20世紀の美術」というテーマの展示が行なわれていたが、そのせいか、以前に訪れたときより展示作品が充実しているように感じられる。名高いセザンヌの「サント=ヴィクトワール山」や、以前から好きだったルオーの「郊外のキリスト」もさることながら、今回見たなかで最も惹きつけられたのは、クレーの「島」。一筆書きのような線が入り組むなかに「パルナソス山へ」のように配された色彩の音楽的な運動が、島並をつくったり水面のさざめきをつくったりしているさまが眼を楽しませる。
 さて、今年見た美術展を、日本国内で見たものにかぎって振り返ってみると、まず東京で見たもので最も感銘深かったのはやはり国立西洋美術館の「ジョルジュ・ド・ラトゥール展」である。フェルメールと並んで現存作品数の少ないこの画家の作品をあれほどまとまったかたちで見られただけでも非常に貴重な機会だったが、フェルメールとはまったく異なった静けさに貫かれた画面の闇のなかに極限的にまで研ぎ澄まされた人物像を浮かびあがらせるド・ラトゥールの世界は、今年最大の発見だったと言ってよい。そのなかで人物のフォルムを浮かびあがらせる光は、どこか救いを感じさせる。
 東京ではほかに、国立近代美術館で「ゴッホ展」を、そして東京都美術館では「プーシキン・コレクション展」を見たが、かなりの人混みだったこともあって、「ド・ラトゥール展」ほどの大きな感銘は受けなかった。とはいえ、「ゴッホ展」でオランダのリアルな絵画表現の伝統をわがものとするところから出発して、だんだんと見えるものから見ること自体へと表現の重心を移してゆくゴッホの作風の変遷をたどることができたのは面白かったし、そこではまた「カフェテリア」の絵をはじめ「見る」ことの表現が一つの世界に結晶した美しい絵にも出会うことができた。
 現在住んでいる広島で見た展覧会のなかでは、以前にこの欄でも報告した、広島市現代美術館の「シリン・ネシャット展」とひろしま美術館の「香月泰男展」がとくに感銘深かった。シリン・ネシャットの雄弁でありながらどこか静けさを感じさせる映像作品が、鋭く男性と女性のあいだにある問題を抉り出したり、あるいは両者の協働のユートピア的な可能性を幻想的に描き出したりしているのに触れて、映像と結びつくことの多くなった現代美術の一つの可能性を感じ取ることができたし、またシベリア抑留の極限状態で見た世界を、声高なメッセージで覆い隠すのではなく、みずからの様式を練り上げることで静かに作品世界に結晶させようとする香月泰男の画風も今年の発見の一つである。それから、現代美術館で見た「草間彌生展」も忘れられない。恐ろしいまでに緻密で執拗なドットの配置によって空間を次元性から解放する、眩暈を起こさせるような平面作品も印象的だったが、どこか叙情性を感じさせる仕方で光を鏡面や水面に無限に映すインスタレーションは、これまで知らなかった彼女の一面を告げるものだった。
 来年は、まず神戸で「アムステルダム美術館展」を見る予定。聞けば、ベルンのパウル・クレー・センターの開館を記念して、「クレー展」が国内を巡回するとか。今から楽しみである。
 ところで、今年は夏に久留米の石橋美術館も訪れたので、ブリヂストン財団の美術館を二つとも訪れたことになる。どちらの展示も実に充実していたが、今年は、こうした一定のコレクションを保有する美術館が、開館時間も含めて展示の仕方を工夫したり(夕方5時閉館というのは、美術は有閑マダムの消費財と言っているようなものである)、講演会や演奏会を定期的に催したりすることで、地元の美術ファンに、常設展へ年間を通して何度も足を運んでもらえるようにしたり、若い世代がより気軽に美術を楽しんでもらえるようにしたりすることも、芸術を生活のなかにより深く根づかせるための喫緊の課題であることも、地方都市に住んでいて強く感じさせられた一年でもあった。

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