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ケバプと「ほんとうのネオナチ」の問題

 ベルリンへ行くと、やはりかならず一度はトルコのケバプのお世話になる。ケバプといっても、鉄串に刺して焼くシシ・ケバプとかではなくて、「デナー・ケバプ」。牛肉や羊肉(他の肉も使われているかもしれない)の肉片をペタペタと鉄の心棒に貼りつけ、その心棒を回転させて(「デナー」の名はこのことに由来するとか)じっくりと炙ったのをナイフでそぎ落とし、野菜と一緒にカリッと焼き上げた厚手のピタパンのようなパンに入れ、ソースをかけたもの。野菜は、タマネギ、トマト、キュウリ、赤キャベツというのが一般的で、ソースにはニンニク、ハーブヨーグルト、チリといった種類がある。1個で満腹感が得られるし、何といっても肉と一緒に野菜をそこそこ食べられるのがいい。日本で「ドネル・ケバプ」という名前で知られているものとほぼ同じものである。そう言えば、東京では1個500円で売っていたが、ベルリンでは日本円にして200円から350円くらいが相場。このあいだの旅行の際には、地下鉄のリヒャルト・ヴァーグナー広場駅近くの店で1個買って、ホテルの部屋へ持ち帰って食べた。
 このデナー・ケバプを売る「インビス」(ファスト・フード店)が、ベルリンにはそれこそ至るところにある。そのほとんどが、トルコからの移民がいとなむ店であるが、辺見庸の『もの食う人びと』(角川文庫)によると、そうしたケバプ屋は東西ドイツの統一後に続々と増えていったという。原因は失業。外国人労働者として働いていたトルコ人たちを、ドイツの企業は、東ドイツ市民を優先的に雇用するため、あるいはそれを口実に外国人を差別し、解雇していった。そうして職を失ったトルコ人たちは、資金的にも技術的にも手っ取り早いケバブ屋経営に飛びついた、というわけである。そして、そこで売る「デナー・ケバプ」は、味もスパイスも控えめにし、「ドイツ化」してあるとか。その歴史は、「ドイツに適応しようとしてきたトルコ人の辛い歴史そのもの」だ、というあるトルコ人の表白を、辺見庸は引いている。
 その「辛い歴史」は今なお続いている。ベルリンを出発する日の朝刊に、ポツダムで政治家を含む市民の対抗デモ(日本で政治家が極右に対する対抗デモに加わることは考えにくいし、それはまたそれで問題である)が、ネオナチの大規模な行進を阻止した、という記事が載っていた。極右的な主張に反対して声を上げる市民たちがいる一方で、辺見庸によればケバプ屋の増大とともにその外国人排斥を表面化させたネオナチもまだまだ暗躍している。そればかりでなく、外国人の締め出しを主張する極右政党が、ザクセン州議会では議席まで獲得しているのだ。そして、最近の景気の慢性的な低迷と、未だ高い水準の失業率は、ドイツにおけるトルコ系移民への風あたりをさらに強めていよう。
 ベルリンを出発する日、バスで市街の北西にある空港へ向かう途中で、モアビットという地区を通った。それまでバスで通ってきた街と明らかに雰囲気の異なる、人通りがまばらで寂れた感じの、やや怪しげな店の建ち並ぶ街路がしばらく続く。そこは、多くの経済的に苦しい状況に追い込まれている移民たちが、肩を寄せ合うように住んでいる地区とのことである。そうしたモアビット地区で、パリの暴動に続くかのように、何台かの車が放火されたという。ベルリンの日刊紙のウェブ版は、パリの暴動に便乗した若者の悪ふざけ、と楽観的な見方を示していたが、おそらくは何よりもまず、一部の(そうであると信じたいが)ドイツ人の差別的なまなざし、あるいは高失業率の責任を押しつけるかのような敵意に満ちた態度に対する不満の噴出を示すものなのではないか。その不満が、ネオナチの暴力と同じかたちをとって現われてしまったのは、非常に残念なことだけれども。
 パリ北部で車に火を点けている若者たちのなかには、近くのシャルル・ド=ゴール空港での仕事を、「9・11」後に「保安」を理由にクビにされたり、あるいは求人に応募しようと電話しても、アラブ系の名前を名乗った瞬間に電話を切られたり、といったことを経験した若者も含まれているという。そして、彼らが求めているのは、まずフランス社会において「人間」として扱われることなのだ。だからこそ、彼らを「クズ」呼ばわりしたサルコジ内相がやり玉に上がっているのである。辺見庸の『もの食う人びと』には、「ほんとうのネオナチっていうのは」、「上流階級のドイツ紳士の心のなかにもあるんじゃないかな」、というトルコ人を恋人にもつドイツ人女性の言葉が引かれている。外国人排斥を黙認し、移民たちが「人間」扱いされない社会の構造を温存しようとする、そして何か事が起こればサルコジ内相のように本音を漏らすようなメンタリティこそが、真にネオナチ的だ、というわけである。夜の路上に立って、「SMS」(携帯電話のショート・メール)で連絡を取りあい、車に火を点けて回る若者たちが問いただしているのは、何よりもまずそうしたネオナチ的メンタリティなのではないか。そして、車に火を点けるというやり方がけっして正当化されえないのは当然だが、そうしてサルコジ内相の発言を指弾する彼らの問いは、その現場から遠く離れた日本にあっても、自分自身への問いかけとして受けとめなければならないものも含んでいるのではないだろうか。
 ところで、パリ北部に始まった移民の若者たちの暴動を報じていた新聞には、何やら腐った肉を売りさばいていた業者に強制捜査が入った、という記事も載っていた。それによると、一部の肉はすでにケバプ店などに売りさばかれていたとか。もしかするとこのあいだ食べたのも、と一瞬背筋が寒くなったが、幸い今のところ腹の具合は悪くない。

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