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ベルリン旅日記:11月5日

 午前中から夕方にかけて、「美的経験の諸言語」というテーマの学会に参加する。日本の科学研究費補助金のように補助金の出る「特別研究領域」の年次集会として開催された学会である。会場は、フィルハーモニーの隣の楽器博物館のなかにあるクルト・ザックス・ホール。午前中に聴いたのは、1920年代の演劇におけるアヴァンギャルドな演劇、とりわけその舞台における台本のテクストと、マルチ・メディア的な舞台設計との結びつきを論じた発表、新聞をはじめとするマス・メディアにおける造形芸術の批評の動向と、それが自己検閲的に判断力を失っていることを批判する発表、そして音楽におけるポピュラーとクラシックの二項対立を脱構築することで現代音楽におけるアドルノの言説のヘゲモニーを打ち破ろうとする発表である。午後には、20世紀の建築史における、文学の動向や芸術運動のさまざまなマニュフェストと建築の関係について論じた講演に続いて、テクストとして書かれた舞台の理想を実際の演出において実現させようとする現代演劇の試みを論じた発表、シェーンベルク以後の音楽における、音楽の語法の設計としての作曲家の言語的なプログラムとその音楽的な実現の関係を論じた発表、そして現代のいわゆる芸術映画がさまざまな禁忌を自己検閲的に掲げるプログラムによって、芸術としての権威を獲得していることを暴き出す発表を聴いた。いずれも、芸術作品の制作とその批評の両方における、美的な経験と、テクストとして書かれる言語との関係の具体的な様相についての歴史的な記述としては興味深かったものの、理論的な掘り下げという点ではもの足りない。それにしても、批評を論じてベンヤミンの名前に一度も触れないというのはどういうことだろうか。
 学会の昼休みに、会場の近くにある新ナショナル・ギャラリーへピカソ展を見に行く。パリのピカソ美術館に所蔵されている主要な作品が展示されているということで、かなり混雑していた。実際、初期の絵から晩年の作品に至るまで、かなりの数の作品が展示されていた。「青の時代」の自画像をはじめ有名な作品も多かったが、今まで知らなかったピカソの一面を示す作品も展示されている。彼が点描を試みたことがあったとは知らなかった。具象的に人間像を彫りだす初期の作品から、過剰なまでに身体の豊饒さを強調する晩年の作品まで、ピカソの創作の足どりをたどって気づくのは、やはり彼が人間、とりわけ女性の身体を、その野生の豊かさにおいて描き出そうという試みを生涯にわたって続けていることである。20世紀を迎えてすぐにピカソは、従来の具象的な人間像が、もはや人間の身体性を表現しえなくなっていることに気づいたようだ。その後彼は、面を組み合わせることで、あるいは肉の塊を構成することで、自分が惹かれ続けた身体の「野生」に近づこうとするのである。女性の肖像画としては1920年代にピカソの妻であったオルガの肖像が印象的。あまりに美しく書かれた彼女の姿の傍らに見られる無造作な書き込みは、この絵が具象的な完結性をみずから否定しようとする身ぶりのように見える。朝鮮戦争中の1951年1月にあった虐殺事件を、ゴヤを思わせる手つきで描き残そうとする絵も忘れがたい。
 夜はコーミッシェ・オーパーへヤナーチェクのオペラ「イェヌーファ」の公演を見に行く。この作品の上演に接するのは初めてだが、今年の2月に国立歌劇場で見た「カーチャ・カバノヴァー」に続いて、歌と語りが交錯するなかで、ひとつのメロディとしての完結が絶えず否定されるヤナーチェクの音楽の緊迫感に惹きつけられる。ベルクの音楽と並んでオペラにおける、いや「オペラ」を越える音楽の可能性を示すものと言えよう。ヴィリー・デッカーの演出は、二人の男に翻弄されるなかで最初の子どもを失い、やがて新たな愛に目覚めるイェヌーファの生きざまと並んで、彼女の子どもを殺してしまう継母が強さと弱さの両方を示すさまにも光を当てている。荒涼としてシンプルな舞台のデザインも作品にふさわしいと思われる。キリル・ペトレンコの指揮するオーケストラは、実に力のこもった演奏で、心の底からの叫びと情景描写が一体となるかのような響きを聴かせていた。フォルティッシモの凄まじい強度とピアニッシモの緊張感。重要なヴァイオリンの独奏も力強い。それにしてもペトレンコという指揮者の実力は、もっと広く認められてもよいだろう。歌手のなかでは、イェヌーファを歌ったシネアド・ムルハイムと、イェヌーファの継母役を歌った、ヘドヴィヒ・ファスベンダー(ブリギッテ・ファスベンダーと関係があるのだろうか)が印象的。とりわけ後者は、継母の両面を見事に表現しきって、大きな喝采を浴びていた。ヤナーチェクのオペラの重要性を再確認できたことは、今回のベルリン滞在の大きな収穫であった。

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