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ベルリン旅日記:11月3日

 夜のうちに雨が降ったようで、道路が濡れていたが、だんだんと晴れてきた。今日は午後にポツダム大学へ行くので、その前にいくつか用事を済ませようとフリードリヒ通りの駅へ向かう。まず、2月までのポツダム滞在の後で完成した、「虐殺されたヨーロッパのユダヤ人追悼記念碑」を訪れる。ブランデンブルク門のすぐ南の、かつて東ドイツの国境警備隊が地雷を敷設していた土地に造られたこのいわゆる「ホロコースト記念碑」は、ジャーナリストのレア・ロッシュが中心になって結成された市民団体が、ベルリン州政府と連邦議会を巻き込むかたちで、また学者、ジャーナリスト、芸術家、政治家の熱い議論の末に、17年をかけて実現させたものとのこと(影書房『前夜』第5号所収の梶村太一郎の論文「つまずきの石」を参照)。今やベルリンの新名所と化している。高さがどれも異なる無数の直方体の石柱がぐにゃぐにゃとした床面の上にひしめいていて、そのような石柱の森のなかに入ると何とも言えない圧迫感に襲われるのだが、子どもたちにとっては絶好のかくれんぼの場所である。走り回る子どもたちがはしゃぐ声と、それを追いかける親の叫び声があちこちで聞こえ、正直なところ静かに、犠牲となったユダヤ人たちが、すでに戦争直前の日常生活でも感じていたであろう圧迫感を身に受ながら、「ヨーロッパのユダヤ人」の虐殺とはいったい何だったのか、と考える雰囲気ではない。地下の展示を見てみようかとも思ったが、並ばないと入れない様子だったので、今回は諦める。それはともかく、この記念碑が国会議事堂の眼の前にあることは、この過去の忘却に重い楔を打ち込むものと言えよう。このような楔を政府の側も引き受けようとしている点は、忘却の進む日本の状況とやはり対照的と言わざるをえない。
 フリードリヒ通りのドゥスマンで本を買い求めた後、電車に乗ってポツダムへ向かう。ポツダム大学に着いて、今年の2月まで世話になった教授と再会し、そのゼミに顔を出した。ゼミとはいえ、ものすごい数の学生で、多くの学生は、近くの教室から椅子を持ち込んで座っていた。ヘーゲルの美学がテーマで、おもにいわゆる「芸術終焉論」を中心に、ヘーゲルによる芸術の歴史的、社会的、さらには哲学的位置づけが問題になっていた。ゼミの後は、同じゼミに出席していた、今年わたしと同じようにポツダム大学で研究している知人と再会し、ドイツでの研究生活などについて大学のカフェテリアで話をする。
 ベルリンへ帰った後、宿に荷物を放り込んでから国立歌劇場へ向かい、「白鳥の湖」の公演を見る。ヴラディミール・マラーホフが見事にジークフリートを踊っていた。堂々としていて、かつしなやかな身のこなしは、貫録さえ感じさせる。ジャンプも高く、衰えをまったく感じさせない。白鳥のオデットと黒鳥のオディーレを踊ったポリーナ・セミオノーヴァもすばらしい。オデットのときには、指先まで使って悲しみを表現していたし、またオディーレのときには実に鮮やかな踊りを見せてくれた。ジークフリートとの、一方はオデットでの、他方はオディーレでのパ・ド・ドゥはこの日の白眉であった。この二人以外の踊り手も、けっして遜色のない踊りを見せていたし、白鳥のアンサンブルも美しい。オーケストラの音色にもう少し繊細さがあれば、と思うところもあったが、重い硬質の響きは、やや粗削りなところもある「白鳥の湖」のスコアにふさわしかったのではないか。ヴァイオリンのソロも大変な力演を聴かせていた。何よりも印象的だったのは、オデットをはじめとする白鳥たちも、ジークフリートも靄に包まれた湖の底へ消えてゆき、後には陰謀を仕組んだ彼の母親の苦悩だけが残るという救いのない結末。それは、それまでの典型的なバレエの世界の華やかさをも否定するかのようであった。

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