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「起源にあるものの共鳴」──ピレシュ&カストロのシューベルト

 今最も注目しているピアニストの一人にマリア・ジョアン・ピレシュ(現在は「ピリス」という表記のほうが一般的になったようだ)がいる。澄みきった音で天衣無縫に駆け抜けながら、あるいはゆったりとしたフレーズを慈しむように歌いながら、極限的にまで突きつめられた、裏返すなら音楽的な必然性に漲る音楽を聴かせてくれる彼女のピアニズムに、かれこれ15年近く惹かれているところである。
 というわけで、もう4年前の倉敷でのリサイタル(そのときのシューベルトの最後のソナタの演奏は凄かった)をはじめ、日本国内でのリサイタルは、ここ10年くらい来日ごとに一度は欠かさず(と言っても数えるほどだけれども)聴いているし、新しいアルバムもほぼ欠かさず購入しているのだが、今年の初めに出た彼女の2年ぶりの新しいアルバムを手にしたのは、ようやく先日のことである。おそらくドイツ滞在中にCDショップで一度見かけたのだけれども、荷物が増えるし割高だから、と敬遠し、そのままになってしまったのだと思う。
 さて、そのピレシュの新しいアルバムは、ブラジル出身のピアニストであるリカルド・カストロとの共演によるシューベルトの連弾のための作品を中心にしたシューベルトばかりのアルバムとなっている(Deutsche Grammophon: 00289 477 5233)。曲目の中心になるのは、やはりシューベルト晩年の傑作、連弾のためのヘ短調の幻想曲(D. 940)。それ以外に連弾曲としては、イ長調のロンド(D. 951)と「人生の嵐」という標題の付いた作品(D. 947)が収録されている。それ以外に、ピレシュの弾いたイ長調(第13番:D. 664)のソナタに、カストロの弾いたイ短調(第14番:D. 784)のソナタ。どういうわけか幻想曲以外はどれもイ調の曲である。
 幻想曲の演奏は、楽節ごとにしっかりと間を取りながら、それでいて間然とすることなく、作品の世界の奥行きと連弾の親密さの両方を表現しきった、見事なものである。ピレシュはこの作品を18年ほど前にフセイン・セルメットと組んで録音している(Erato: ECD75469)が、そのときの演奏に比べると、今回の演奏は表現の角が取れ、親密さが際立たせている感じがする。とはいえ微温的になることはなく、落ち着いた、フレーズのフォルムを感じさせる表現によって音楽の奥行きを呈示し、ときに聴き手に深淵を突きつけるのである。ピレシュとカストロの音色も調和している。そうであってこそこの曲にあふれる歌が生きてくるのだ。幻想曲とほぼ同じ規模をもつ「人生の嵐」の演奏は、幻想曲のそれより人懐こいものに仕上がっていて、ところどころ遊びも感じさせるが、それは作品そのものが、幻想曲ほど緊密な構成をもっていないからかもしれない。ロンドの演奏は、最初の一音からして聴き手をシューベルトの歌の世界へ引き込む魅力を放っている。
 イ長調のソナタにおけるピレシュの音楽は、たとえば後期のソナタを彼女が弾くときよりはずっと優しい顔をしている。シューベルトのピアノ・ソナタのなかで最もインティメートな歌に満ちたこの魅力的な作品を、ピレシュは慈しむように、またところどころに彼女らしい閃きをちりばめながら弾いている。先に彼女の音楽は、非常に研ぎ澄まされたものだと述べたけれども、ここでの彼女の演奏は、表現の冴えよりも落ち着いた優しさのほうを際立たせているようだ。むろん、それによって音楽の透明度が落ちるわけではけっしてない。
 イ短調のソナタにおけるカストロの演奏にも好感をもった。終楽章にこそ少し生硬さがあるものの、全体的に落ち着いた歩みのなかでひとつひとつの音を音楽的な必然性をもって聴かせるアプローチは、音楽が沈みがちなこの作品にふさわしいし、また彼の音楽性の懐の深さも感じさせる。けっして悲しみを振りかざすことのない、奥行きの豊かな演奏である。カストロは、1993年のリーズ国際コンクールの優勝者とのこと。
 さて、ここ最近の(と言っても2年くらいに1つしか出ないのだけれども)ピレシュのアルバム同様、ジャケットも凝った造りになっている。今回購入した輸入盤は、紙のジャケットで、表にはピレシュとカストロのモノクロームの写真が載っているが、そこには「起源にあるものの共鳴 (Résonance de l'Originaire) 」というアルバムのタイトルが記され、ライナー・ノートには、同じ表題の、ルイーズ・バービー=コセという精神分析学者の文章が、数枚の写真とともに収められている。共鳴する空間のなかで音楽家はみずからの根源的な傷つきやすさを経験するという観点から、精神分析的にシューベルトの連弾へのこだわりを含んだ作曲活動を解き明かそうとするもの、と言えようか。
 落ち着いた美しさに満ちた演奏によってシューベルトの魅力を凝縮した、魅力的なアルバムである。

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