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岡山におけるヴィーン・フィルハーモニー管弦楽団演奏会

 10月8日、妻と岡山へヴィーン・フィルハーモニー管弦楽団の演奏会を聴きに行く。昼過ぎに岡山の街に入り、まずはNTTの裏にある手打ち蕎麦の店「峠」にて腹ごしらえ。久しぶりに江戸の更級を堪能した。ナメコおろしと山菜とろろに天ぷらが一度に楽しめる冷たいそばを試したが、蕎麦の腰がしっかりしていて、実に爽快なのど越し。蕎麦つゆの味も申し分ない。妻は温かい鳥南蛮を食べていたが、こちらは西の人の口にも合うようにか、やや薄味の上品な仕上げ。
 そこから歩いて会場のシンフォニーホールへ向かったが、開演までまだ時間があったので、岡山市立のオリエント美術館を訪れる。ほとんど人がいなかったけれども、展示物はなかなか興味深い。アッシリアの鷲の頭の精霊のレリーフはたしかに貴重なものであろう。これにも惹きつけられたが、それ以上にシリアで発掘されたというモザイクやギリシア語の碑銘を含んだレリーフが、ヘレニズム時代の文化の様相を今に伝えているようで面白い。イランの陶器も、フォルムの曲線とアラビア文字の波打つ動きをマッチさせていて、デザイン的に実に新鮮である。中東やアジアの遺物ばかりでなく、ヨーロッパの古代の遺物も数多く展示されていたが、そのなかではギリシアやエトルリアのアルカイックな彫刻が眼を惹く。展示の仕方をもう少し工夫すれば、見る者の「ヨーロッパ」像を一変させるようなインパクトをもちうるのではないだろうか。
 さて、シンフォニーホールで行われた、本題のヴィーン・フィルハーモニー管弦楽団の演奏会であるが、このところ相性のよさを示していると言われるリッカルド・ムーティの指揮で、オール・シューベルトのプログラム。「ロザムンデ(魔法の竪琴)」の序曲に始まって、次いで「未完成」交響曲、休憩を挟んで最後に、「ザ・グレート」と呼ばれるハ長調の交響曲が演奏された。基本的にはムーティらしく、男性的な、きりっと締まったリズムが躍動するなかからカンタービレの魅力が際立つ演奏。シューベルトのスコアに若々しい情熱を吹き込もうとするアプローチと言えようか。推進力に満ちた音楽の運びがライヴならではの即興性と結びついて、スリリングな感興を呼び起こしていたが、全体的にもう少し静けさと響きの奥行きがほしかったところ。
 「ロザムンデ」の序曲では、アレグロの主題が、かなりゆっくりと始められたのにやや驚かされた。そこからだんだんと速度を上げて、勇壮なトゥッティに達するというわけである。「未完成」交響曲の演奏では、第一楽章の第二主題がぴんと筋の通った息の長い歌になっていたのがとくに印象的。全体として若々しい感情の波がそのまま音楽の起伏に結びついているなかに、静かなアクセントを打ち込むかたちになっていた。「大ハ長調」交響曲の演奏の全体的な性格は、第一楽章の第一主題の勇ましい付点のリズムによって象徴されているように思われる。どちらかと言うとリズムの躍動に力点を置いた演奏で、そのことはフィナーレの高揚感に結びついていたが、他方で響きの奥行きを失わせていた。伴奏のリズムが絶えず強調されると、響きが平面的になり、一本調子な音楽になってしまうのだ。もう少し、シューベルトならではの転調の妙を、歌の彩りとして聴かせるべきではなかったか。
 全体としてややムーティのドライヴが利きすぎて、そのためにシューベルトの音楽になくてはならない静けさが奪われていたような気がする。若々しい情熱を清新な響きで聴かせたい意欲は伝わってくるのだけれども。アンコールとして、期待どおり「ロザムンデ」の音楽からアンダンテの間奏曲が演奏されたが、ここではムーティの手綱が少し緩んで、そのぶん歌の魅力が際立っていた。(この演奏について詳しくは:http://homepage.mac.com/nob.kakigi/Muti_WP_08102005.htm)

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