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ひろしまオペラルネッサンスのプッチーニ「三部作」

 10月1日と2日、広島市のアステールプラザ大ホールで、広島市の文化財団が主催するひろしまオペラルネッサンスの公演が開催され、プッチーニ後期の傑作「三部作」より、「修道女アンジェリカ」と「ジャンニ・スキッキ」が上演された。この公演にかかわった立場上、立ち入った論評は避けたいが、いずれも全国的な注目に値するかなり高い水準にまで仕上がっていたのではと思われる。
 出演した歌手たちは、公演までの数か月間、岩田達宗という類いまれな演出家のもと、「三部作」という第一次世界大戦というヨーロッパに未曾有の破局をもたらした戦争に直面しながらプッチーニが書いた生の讃歌を、今広島で歌い上げることの意味を噛みしめながら、身ぶりと歌唱を、舞台上で聴衆へ向けて歌いかける表現行為へと一体化させる努力を続けてきた。広島でオペラを上演することの意味をこれほどまでに真剣に考えながら情熱的に演技を指導し、またそれでいてけっして音楽を邪魔することのない洗練された舞台をつくる演出家と出会えたことは大きい。彼と歌手たちの努力は、この公演において、広島からの普遍的なメッセージを含んだ歌に結晶していたのではないだろうか。
 それにしても、「修道女アンジェリカ」のタイトル・ロールを歌った二人のソプラノ、乗松恵美と並河寿美をはじめとして、今回の公演の歌手たちも高水準で粒が揃っていた。「ジャンニ・スキッキ」の出演者を含め、歌手たちのなかには、もっと全国的に名を知られてもよい逸材が含まれていよう。そうした歌手たちの歌を情熱的に引き出し、管弦楽とのバランスのなかで響かせることに成功した指揮者の山下一史の仕事も素晴らしい。そして何よりも特筆しなければならないのは、彼に音楽を渡す前に、すべての歌手に自分の声に合った歌をしっかりと覚え込ませたマエストロ・ソスティトゥートの平野満の仕事である。彼のようなほんもののオペラのスペシャリストが広島にいなければ、この公演がこの水準まで仕上がることはありえなかった。
 惜しむらくは、聴衆が客席を埋めつくすまでに至らなかったことと、さまざまな外的な制約のために、「三部作」の第一作である「外套」を割愛せざるをえなかったこと。興行的な問題に関しては、これからメディアの使い方をはじめ、宣伝の戦略を練ることで解決を図らなければならないだろう。もう少し工夫すれば、このオペラの文化を、全国的に発進することも不可能ではあるまい。そうして公演の成果を積むならば、資金の問題をはじめ公演の外的な制約も、おのずと減ってゆくはずである。また近い将来に、今度は満場の客席を前に「三部作」のすべてを上演したい、と考えているのはわたしだけではあるまい。

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