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2005年10月

旅支度の変遷

 今日から一週間足らずベルリンへ出かける。おもに学会に出席したり、本を探して買い集めたり、あるいはわたしが研究しているヴァルター・ベンヤミンという思想家のベルリンでの足跡をたどったりする予定だが、夜は可能なかぎりオペラやコンサートへも足を運ぶつもりである。今ようやく荷造りがひと段落したところ。
 出かける直前の荷造りにあたふたするのは今も、初めて国境を越えて旅した10年前もたいして変わらないが、それに至るまでの旅支度は、すっかり様変わりした。かつては宿ひとつ取るにも、辞書を引き引き予約申し込みの手紙を書いて、それをファクスで送ったり、あるいはしどろもどろのドイツ語で電話してみたりといった感じだったし、一度など先方から予約確認の封書が届いたりもしたものである。それが今は宿もネットで簡単に予約できてしまう。それ以外にも、オペラや演奏会のチケットもネットをつうじて、(もちろん英語が読めることが前提だけれども)比較的容易に手配できてしまうし、ドイツでは鉄道の切符の購入も、特急列車の席の予約もネットで(ということは日本に居ながらにして)済ませられるのだ。鉄道の場合、ドイツ鉄道のサイトで、無料の利用者登録をし、「駅すぱあと」のような感じで適当な時間の列車を探し、禁煙か喫煙かといった席の希望を入力していけばよくて、最終的に切符を郵送してもらうこともできるし、ドイツ国内の路線であれば、「オンライン・チケット」というタイトルのページをプリントし、購入に使ったクレジット・カードと一緒に車掌に提示すれば、切符として通用する。JRの切符もそんな感じで簡単に入手できたら、と思うが、なかなかそうはいかないようだ。ともかく、手足を動かさないままで旅の下準備のほとんどができてしまっていることに、空恐ろしささえ感じているところである。
 今回、特急列車を予約しなければならなかったのは、ベルリンに腰を落ち着けるつもりが、急に日帰りでヴァイマールへ出かけることになったからである。2月中旬までポツダムに滞在していたときに面倒を見てくれたポツダム大学の教授が、ヴァイマールで開催されるフリードリヒ・シラー没後200年記念学会で発表するから聴きに来ないか、と誘ってくれたので、急遽行くことにした次第。朝の6時に出て夜にベルリンへ帰ってくるという強行日程である。美しいと言われるヴァイマールの街を見て回るのは次の機会になりそうだ。
 この旅行のための他の支度はすべてネットで済ませたのだが、このシラーについての学会への参加申し込みだけは、ファクスということになった。ほんとうはネットをつうじても申し込めるのだが、日本の住所を表記するときに用いるハイフンのような記号を、この学会のサイトが受け付けなかったのである。ファクスを送った後、ヴァイマールからすぐにメールが来て、参加料の支払いや資料の受け取り方法などについて少しやり取りしたが、その際、こちらの問い合わせに答える先方の返事の本文の下に引用されている自分のメールのテクストに文法的な誤りを発見して、ちょっと赤面してしまった。

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「起源にあるものの共鳴」──ピレシュ&カストロのシューベルト

 今最も注目しているピアニストの一人にマリア・ジョアン・ピレシュ(現在は「ピリス」という表記のほうが一般的になったようだ)がいる。澄みきった音で天衣無縫に駆け抜けながら、あるいはゆったりとしたフレーズを慈しむように歌いながら、極限的にまで突きつめられた、裏返すなら音楽的な必然性に漲る音楽を聴かせてくれる彼女のピアニズムに、かれこれ15年近く惹かれているところである。
 というわけで、もう4年前の倉敷でのリサイタル(そのときのシューベルトの最後のソナタの演奏は凄かった)をはじめ、日本国内でのリサイタルは、ここ10年くらい来日ごとに一度は欠かさず(と言っても数えるほどだけれども)聴いているし、新しいアルバムもほぼ欠かさず購入しているのだが、今年の初めに出た彼女の2年ぶりの新しいアルバムを手にしたのは、ようやく先日のことである。おそらくドイツ滞在中にCDショップで一度見かけたのだけれども、荷物が増えるし割高だから、と敬遠し、そのままになってしまったのだと思う。
 さて、そのピレシュの新しいアルバムは、ブラジル出身のピアニストであるリカルド・カストロとの共演によるシューベルトの連弾のための作品を中心にしたシューベルトばかりのアルバムとなっている(Deutsche Grammophon: 00289 477 5233)。曲目の中心になるのは、やはりシューベルト晩年の傑作、連弾のためのヘ短調の幻想曲(D. 940)。それ以外に連弾曲としては、イ長調のロンド(D. 951)と「人生の嵐」という標題の付いた作品(D. 947)が収録されている。それ以外に、ピレシュの弾いたイ長調(第13番:D. 664)のソナタに、カストロの弾いたイ短調(第14番:D. 784)のソナタ。どういうわけか幻想曲以外はどれもイ調の曲である。
 幻想曲の演奏は、楽節ごとにしっかりと間を取りながら、それでいて間然とすることなく、作品の世界の奥行きと連弾の親密さの両方を表現しきった、見事なものである。ピレシュはこの作品を18年ほど前にフセイン・セルメットと組んで録音している(Erato: ECD75469)が、そのときの演奏に比べると、今回の演奏は表現の角が取れ、親密さが際立たせている感じがする。とはいえ微温的になることはなく、落ち着いた、フレーズのフォルムを感じさせる表現によって音楽の奥行きを呈示し、ときに聴き手に深淵を突きつけるのである。ピレシュとカストロの音色も調和している。そうであってこそこの曲にあふれる歌が生きてくるのだ。幻想曲とほぼ同じ規模をもつ「人生の嵐」の演奏は、幻想曲のそれより人懐こいものに仕上がっていて、ところどころ遊びも感じさせるが、それは作品そのものが、幻想曲ほど緊密な構成をもっていないからかもしれない。ロンドの演奏は、最初の一音からして聴き手をシューベルトの歌の世界へ引き込む魅力を放っている。
 イ長調のソナタにおけるピレシュの音楽は、たとえば後期のソナタを彼女が弾くときよりはずっと優しい顔をしている。シューベルトのピアノ・ソナタのなかで最もインティメートな歌に満ちたこの魅力的な作品を、ピレシュは慈しむように、またところどころに彼女らしい閃きをちりばめながら弾いている。先に彼女の音楽は、非常に研ぎ澄まされたものだと述べたけれども、ここでの彼女の演奏は、表現の冴えよりも落ち着いた優しさのほうを際立たせているようだ。むろん、それによって音楽の透明度が落ちるわけではけっしてない。
 イ短調のソナタにおけるカストロの演奏にも好感をもった。終楽章にこそ少し生硬さがあるものの、全体的に落ち着いた歩みのなかでひとつひとつの音を音楽的な必然性をもって聴かせるアプローチは、音楽が沈みがちなこの作品にふさわしいし、また彼の音楽性の懐の深さも感じさせる。けっして悲しみを振りかざすことのない、奥行きの豊かな演奏である。カストロは、1993年のリーズ国際コンクールの優勝者とのこと。
 さて、ここ最近の(と言っても2年くらいに1つしか出ないのだけれども)ピレシュのアルバム同様、ジャケットも凝った造りになっている。今回購入した輸入盤は、紙のジャケットで、表にはピレシュとカストロのモノクロームの写真が載っているが、そこには「起源にあるものの共鳴 (Résonance de l'Originaire) 」というアルバムのタイトルが記され、ライナー・ノートには、同じ表題の、ルイーズ・バービー=コセという精神分析学者の文章が、数枚の写真とともに収められている。共鳴する空間のなかで音楽家はみずからの根源的な傷つきやすさを経験するという観点から、精神分析的にシューベルトの連弾へのこだわりを含んだ作曲活動を解き明かそうとするもの、と言えようか。
 落ち着いた美しさに満ちた演奏によってシューベルトの魅力を凝縮した、魅力的なアルバムである。

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安部公房『他人の顔』

 機会があって、安部公房の『他人の顔』(新潮文庫)を久しぶりに再読した。主人公自身を含めたさまざまな「他人」たちの視線が集まる「表面」として「顔」を浮かびあがらせ、さらにはその「表面」と「内面」なるものの区別を無意味にすることによって、「自己」というものをその根底から揺さぶる小説である。
 化学研究者として研究所のなかで一定の地位を得ている主人公の男にとって、液体酸素の不意の爆発によって自分の顔にできたケロイド痕は、「蛭の巣」であり、顔に穿たれた「深い洞穴」にほかならなかった。彼はそれを地肌と見まがうほどに精巧な「仮面」で埋めようとする。物語の大部分は、そのための孤独な暗闘を妻へ向けて綴った彼の手記によって構成されているが、安部は、そこに日常的な空間を言わばさっと異境化しながらその骨組みを浮かびあがらせる洞察をちりばめると同時に、主人公が一定のジェンダーを背負った「男」としての自分に囚われ続けていることを、手記のうちにさらけ出させてもいる。
 それにしても、顔の「洞穴」はなぜ「仮面」によって埋められなければならなかったのか。それは何よりも主人公が妻との関係を回復したかったからである。彼が顔に包帯を巻いて生活するようになって以来、妻とのあいだを支配していたのは、「あのこわれた楽器のような沈黙」だったのだ。彼は「自分と他人を結ぶ通路」をもう一度切り開くべく、仮面の制作に没頭する。そして、他人の顔から顔型を取り、柔らかい高分子樹脂の仮面を作りあげ、それを着けて街を出歩くようになると、だんだんと彼の仮面制作を衝き動かしていた欲望が浮かびあがってくるのである。その欲望とは性欲にほかならなかった。彼が回復したいのは妻との性的な関係だったのである。だからこそ仮面の男は、妻の好むような顔つきをした、ちょっとした伊達男でなければならなかったのだ。主人公は、妻を誘惑できる「他人の顔」を身に着けようとしたのである。
 彼は化学者らしくこの「他人の顔」を、一貫して一つの物的な対象として見ている。人間の顔をさまざまな特徴に分解し、それを組み合わせることによって作りあげられた顔とは、あくまで妻との関係を取り戻すための道具にすぎないのである。だからこそ、彼は仮面の顔に引きずられてしまう自分に気づくときに苛立ってしまうのだ。彼は、「他人の顔」を「仮面」として対象化することによって、「化学者」であり、「男」である自分を保持しようとする。そしてそのためには、「仮面」と「自分」との関係はいつか清算されなければならない。彼は、他人との通路としての「顔」の重要性を認めつつも、そこから隔てられたところに「ほんとう」の自分があることを信じてやまないのである。
 しかしながら妻のほうは、そのような「表面」としての「仮面」と、「内面」としてある「自分」との区別を認めていない。仮面の男の誘いに乗った彼女は、「他人の顔」という新しい顔をした夫を、まさに自分の夫として受け容れた。彼女は、新しい顔を見せるところに夫自身の姿を認めたのである。そして、そのことを知らず、妻は仮面の男に誘惑されたのであり、自分は妻に裏切られたのだ、と信じ込んでいる男は、彼女に言わせれば、「顔は人間同士の通路だなどと言いながら、税関の役人みたいに、自分の扉のことしか考えない、巻き貝のようなあなた」、でしかない。
 そのように顔の現われと自己の所在を同一視する彼女の考えを徹底させるなら、「表情」というものが、他者がそれを認め、それに呼応するところで初めてある一つの表情として意味をもつように、ひとりひとりの自己も顔において現われるとともに、それを他者が認めるところに生まれる、ということになるのだろうか。さらには、自己は「内面」に「存在する」のではなく、他者とのあいだに「生成」するのであり、顔とはそのような自己の媒体である、ということにもなるのかもしれない。だとすれば、「顔」はどこに位置づけられるのか。「他者」の哲学者エマニュエル・レヴィナスが述べていたように、それは他者それ自身がその無限の他者性において顕現する場として、どこにも位置づけられないのだろうか。少なくとも主人公の妻にとっては、人工の皮膚をもった顔面でも、その人自身の姿を示す「顔」でありえたのだ。当初劇で用いられる「仮面」を意味し、後に「人格」や神の「位格」を意味するようになった「ペルソナ」という語はそれ自体、「それを通して (per) 」何かが「鳴り響く (sonare) 」ことを意味している。少なくとも、人間の顔の固定された表面としての側面ではなく、「おもて」を示すことで他者に対して鳴り響き、語りかける顔のはたらきに注目しながら、自己のありようを問いなおすべきなのだろう。主人公の手記の後に挿入された妻からの手紙は、そのような問いの契機をもたらすものと考えられる。さらにその後に置かれている、主人公がかつて正視できなかった映画の物語は、ゲーテの『親和力』に挿入されたノヴェレのようであると同時に、ケロイド痕と「広島」という固有名詞を結びつけることによって、「他人の顔」に対する読者のまなざしを問題化してもいる。
 さて、この妻からの手紙を読んだ主人公は、「仮面」の顔ではなしえなかった真の「行為」のために、いったん捨てた仮面を再び被って外へ出る。彼はどのような「顔」で「行為」へ赴こうとしているのだろうか。その「行為」の物語は未だ書かれていない。

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岡山におけるヴィーン・フィルハーモニー管弦楽団演奏会

 10月8日、妻と岡山へヴィーン・フィルハーモニー管弦楽団の演奏会を聴きに行く。昼過ぎに岡山の街に入り、まずはNTTの裏にある手打ち蕎麦の店「峠」にて腹ごしらえ。久しぶりに江戸の更級を堪能した。ナメコおろしと山菜とろろに天ぷらが一度に楽しめる冷たいそばを試したが、蕎麦の腰がしっかりしていて、実に爽快なのど越し。蕎麦つゆの味も申し分ない。妻は温かい鳥南蛮を食べていたが、こちらは西の人の口にも合うようにか、やや薄味の上品な仕上げ。
 そこから歩いて会場のシンフォニーホールへ向かったが、開演までまだ時間があったので、岡山市立のオリエント美術館を訪れる。ほとんど人がいなかったけれども、展示物はなかなか興味深い。アッシリアの鷲の頭の精霊のレリーフはたしかに貴重なものであろう。これにも惹きつけられたが、それ以上にシリアで発掘されたというモザイクやギリシア語の碑銘を含んだレリーフが、ヘレニズム時代の文化の様相を今に伝えているようで面白い。イランの陶器も、フォルムの曲線とアラビア文字の波打つ動きをマッチさせていて、デザイン的に実に新鮮である。中東やアジアの遺物ばかりでなく、ヨーロッパの古代の遺物も数多く展示されていたが、そのなかではギリシアやエトルリアのアルカイックな彫刻が眼を惹く。展示の仕方をもう少し工夫すれば、見る者の「ヨーロッパ」像を一変させるようなインパクトをもちうるのではないだろうか。
 さて、シンフォニーホールで行われた、本題のヴィーン・フィルハーモニー管弦楽団の演奏会であるが、このところ相性のよさを示していると言われるリッカルド・ムーティの指揮で、オール・シューベルトのプログラム。「ロザムンデ(魔法の竪琴)」の序曲に始まって、次いで「未完成」交響曲、休憩を挟んで最後に、「ザ・グレート」と呼ばれるハ長調の交響曲が演奏された。基本的にはムーティらしく、男性的な、きりっと締まったリズムが躍動するなかからカンタービレの魅力が際立つ演奏。シューベルトのスコアに若々しい情熱を吹き込もうとするアプローチと言えようか。推進力に満ちた音楽の運びがライヴならではの即興性と結びついて、スリリングな感興を呼び起こしていたが、全体的にもう少し静けさと響きの奥行きがほしかったところ。
 「ロザムンデ」の序曲では、アレグロの主題が、かなりゆっくりと始められたのにやや驚かされた。そこからだんだんと速度を上げて、勇壮なトゥッティに達するというわけである。「未完成」交響曲の演奏では、第一楽章の第二主題がぴんと筋の通った息の長い歌になっていたのがとくに印象的。全体として若々しい感情の波がそのまま音楽の起伏に結びついているなかに、静かなアクセントを打ち込むかたちになっていた。「大ハ長調」交響曲の演奏の全体的な性格は、第一楽章の第一主題の勇ましい付点のリズムによって象徴されているように思われる。どちらかと言うとリズムの躍動に力点を置いた演奏で、そのことはフィナーレの高揚感に結びついていたが、他方で響きの奥行きを失わせていた。伴奏のリズムが絶えず強調されると、響きが平面的になり、一本調子な音楽になってしまうのだ。もう少し、シューベルトならではの転調の妙を、歌の彩りとして聴かせるべきではなかったか。
 全体としてややムーティのドライヴが利きすぎて、そのためにシューベルトの音楽になくてはならない静けさが奪われていたような気がする。若々しい情熱を清新な響きで聴かせたい意欲は伝わってくるのだけれども。アンコールとして、期待どおり「ロザムンデ」の音楽からアンダンテの間奏曲が演奏されたが、ここではムーティの手綱が少し緩んで、そのぶん歌の魅力が際立っていた。(この演奏について詳しくは:http://homepage.mac.com/nob.kakigi/Muti_WP_08102005.htm)

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熊野純彦『差異と隔たり』

 まだその一部を拾い読みしたにすぎなかった熊野純彦の論文集『差異と隔たり──他なるものへの倫理』(岩波書店)を再読した。労働の産物のみならず自己の生命も「所有」の対象であり、人間はそれに対する自己決定権を有するという「私的所有論」、歴史とは出来事が終わった後で物語られるものであり、物語る現在の視点から──過去が実際どうであったかにかかわりなく──構成されるところにあるとする反実在論的な「歴史の物語り論」、そして言語とはすでにある記号どうしの差異の体系であり、言葉を話すとはその体系を織りなすコードに従属することにほかならないという「記号論的」で「静態的」な言語論のそれぞれに、レヴィナス他者論の視点から楔を打ち込もうとする熊野の議論は、現在自己の身体と生命、自己の来歴ともなる歴史、そしてみずからが語る言語に関して、それらを手にすることが必然的に孕むはずの他者との関係へのまなざしを欠いた、ある主体の一方的な決定と操作だけがものを言うかのような現在の状況にも切り込もうとするものであるばかりではない。その議論は何よりも、死に抗って生命を自己につなぎ止めること、過ぎ去ったことを想起し、語り出そうとすること、そして言葉を語ることそれ自体のうちに、自己とは絶対的に隔たった他者への回路を穿つことによって、それらのいとなみをより根源的な次元へ立ちかえらせ、そこに他者とのあいだにある倫理を考える余地を切り開こうとするものであるように思われる。
 熊野は「所有する」ことを主題化するにあたり、まず「所有する」ことそれ自体を可能にする原初的な、ある意味では当然至極な条件を浮かびあがらせている。その条件とは、「私は、私にいくらかは近しいが、私そのものではない対象だけを、私のものとして所有することが可能である」、というものである。この「私にいくらかは近しいが、私そのものではない対象」として今日クローズ・アップされているのが「身体」ということになろうが、熊野によれば、「身体を自己所有の対象と考えるとき、ひとはなぜか、身体が病んで、痛みに苦しみ、老い、やがて死んでゆくことを忘れはててしまっているかにおもわれる」。身体が病むときにこそ、それをあらためて自分のものにすることが痛切に問題となるはずなのに。しかも、その身体は、労働においては他者と「間身体的」に機能し、それ自体として他者に触れられる対象である。そればかりか、とくに病に苦しむとき、身体はそのさまざまな欠乏を、他者に配慮してもらわなければならない。
 このような身体の「自己所有」の不可能性が最もラディカルに浮かびあがるのは、やはり自分が死ぬときである。所有とは死を先送りする努力であるが、それは最終的には先送りできない。しかも、その死はけっして「私」に現前することなく、所有を擦り抜けてゆく。「私の死亡をたしかめ、私の生じたいを閉じることができるのは、他者にかぎられる」のである。そして、死の対極にある自己の生誕もまた、所有の彼方にある不可能な「贈与」の出来事なのだ。そのことを見つめなおすとき、身体として存在することに由来するさまざまな欠乏を埋め、死を繰り延べようとする「所有」一般の努力を、またそれをつうじて自分が生き存えることそれ自体を、自分の手をつねに逃れてゆく他者との倫理的な関係において問いなおすことが要請されるのである。
 さて、熊野は、いわゆる「過去の想起説」にもとづく「歴史の物語り論」を検討するに際し、その「想起説」自体のうちに、それが排除しようとする「過去としての過去」がひそかに回帰しているのに着目している。想起が、たんなる想像ではなく、まさに「想起」であると自己を了解するところに、「過ぎ去ったものそれ自体が、亡霊のように」回帰し、「想起が過去を定義する」という主張を侵食しているのである。それゆえ、その始まりにおいて「喪の儀礼そのものとむすんだ〈追憶〉にほかならない」歴史の物語りは、「それ自体としては反復不可能で、現在へと回収不可能な生」であるような過去を繰り返し物語るいとなみであるばかりでなく、そのような過去が、「遙かな差異そのままに、私の現在にかかわってくる」ところから始まるものなのではないだろうか。隔絶した過去がそのようなものとして現在に食い込んでくるところ、またそれに「無関心であることができない」ところに歴史は始まる。とすれば、その物語りはけっして完結することはありえないし、見せかけの完結はつねに欺瞞であろうことになろう。歴史をいくつかの一貫した筋立てに解消しようとするある種の「物語り論」が見すごしかねないこうした論点を、熊野は指摘しているのである。
 けっして現在に回収できない過ぎ去ったものが現在を侵食しているのに遭遇し、それに対して無関心でいられないとき、現在は他者の痕跡の場と化す。熊野によると、その痕跡はけっして癒えることのない「傷痕としての過去」を回帰させるものとして、現在の外部から予測しえないかたちで到来し、現在を、またそのリアリティを構成している来歴の物語を根底から揺さぶるのである。ベンヤミンは、その「物語作者」のうちに「死は、物語作者が報告しうるすべてを承認する」と書きつけるとき、その「承認」のうちにこうした現在の動揺を見て取ってはいなかっただろうか。だからこそ彼は「無意志的記憶」に注目し、現在と過ぎ去ったことが遭遇する恣意的でない瞬間に歴史の構成が始まると述べることができたのではないだろうか。それはさておき、熊野の議論によって、現在が過ぎ去った他者の痕跡の場と化す今こそが歴史そのものの原点であることが明らかになったとすれば、彼が述べているように、そうした他者への「祈り」を含んだ、新たな歴史の物語りのありようが問われなければならないことになろう。熊野は、そのような問題意識を、ここでは言語への問いに接続させている。  熊野は、今日ともすればあまりにも規範的ないし記号論的に取り押さえられがち言語のうちに他者と応えあう回路を開き、言語をめぐる経験の深みを計測するために、まずレヴィナスが取り出した言語における「語ること」と「語られたこと」の区別とも重なるような言語の両義性を指摘している。「言語がこの私よりも前に存在し、私はすでに存在する語と規則を用いてなにごとかを語りだす以上、すべてはかつてすでに繰り返し語られたものである。他方では、私がいま特定の状況で、特定のことばによって、現前する他者にたいしてなにかを伝えようとするかぎり、いっさいはいまだ語られたことがないはずなのだ」。発話の「繰り返し語られたもの」を反復するという側面ばかりを強調するなら、言語がつねに他者へ向けて語られることが見すごされてしまう。そして、この点に注目するなら、「ことばを習いおぼえたばかりの子どもであれ、既成的なコードにほとんど搦めとられてしまっているかにみえるおとなであれ、ひとは、発話の連鎖を継続しようとするそのつど、ことばが生まれようとする現場に立ちあうことができる」ことが確認されるのである。  ここにあるのは、熊野に言わせれば、他者とのあいだにある一般性へ向けた言語の生成である。一個の名詞を言挙げることであっても、言葉を語るとはつねに、他者との関係を更新するような呼びかけと贈与を含んだかたちで、「いまだかつて語られたことのないもの」を語り出すことなのである。そのような経験とともにある言語の本質を体現しているのが、熊野によれば「固有名」にほかならない。「固有名」は、言語が何ごとかを語る前に他者への呼びかけであることを示しているのである。「他者に呼びかけるために、まず発せられる固有名は、その意味では、ことばそのものの原型をかたどっているといわなければならない。呼びかけとしての固有名、特定の他者を呼び止めるための表現は、文法的な品詞としての固有名にさきだって、言語それ自体を可能にしているのである」。このような洞察は、言語の本質を「名」のうちに見て取ったベンヤミンの思考の消息を思い起こさせずにおかない。  熊野によれば、固有名のように呼びかけられる言葉は、同時に「あてどない祈り」である。それが、一つの言葉として他者に届く保証はどこにもないのだ。にもかかわらず、今ここにいる自分は、自分がけっして立つことのできないそこへ言葉を届けようとする。届かなければ届かないほど、その欲望は増大することさえある。それは何よりも、自己と他者のあいだに埋めることのできない隔たりがあるからである。他者はつねに言葉を擦り抜けてゆくし、また言葉を語ろうとするとき、他者がつねに先に呼びかけていて、言葉はそれにけっして追いつくことができないのだ。「世界の移ろいと揺らぎは、なまえを与えられぬままに生起し、ほどなく消え去ってゆく」こと、そして他者の呼びかけに応えようとするときにそこにあるのは、もはや取り戻しようもなく過ぎ去った他者の痕跡でしかないこと。これが言葉を語ることを不可能にしながら可能にし、さらには衝き動かしているのだ。言語をめぐるベンヤミンの思考を「世界の受難史」に応ずるアレゴリーへ差し向けたのとおそらくは同じこのような洞察に、他者に応答し、そして呼びかける言語のありようを問う熊野の思考は達しているのである。そしてその到達点こそ、彼にとっては他者とのあいだにあるべき倫理的関係を主題化する思考の出発点なのであろう。

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ひろしまオペラルネッサンスのプッチーニ「三部作」

 10月1日と2日、広島市のアステールプラザ大ホールで、広島市の文化財団が主催するひろしまオペラルネッサンスの公演が開催され、プッチーニ後期の傑作「三部作」より、「修道女アンジェリカ」と「ジャンニ・スキッキ」が上演された。この公演にかかわった立場上、立ち入った論評は避けたいが、いずれも全国的な注目に値するかなり高い水準にまで仕上がっていたのではと思われる。
 出演した歌手たちは、公演までの数か月間、岩田達宗という類いまれな演出家のもと、「三部作」という第一次世界大戦というヨーロッパに未曾有の破局をもたらした戦争に直面しながらプッチーニが書いた生の讃歌を、今広島で歌い上げることの意味を噛みしめながら、身ぶりと歌唱を、舞台上で聴衆へ向けて歌いかける表現行為へと一体化させる努力を続けてきた。広島でオペラを上演することの意味をこれほどまでに真剣に考えながら情熱的に演技を指導し、またそれでいてけっして音楽を邪魔することのない洗練された舞台をつくる演出家と出会えたことは大きい。彼と歌手たちの努力は、この公演において、広島からの普遍的なメッセージを含んだ歌に結晶していたのではないだろうか。
 それにしても、「修道女アンジェリカ」のタイトル・ロールを歌った二人のソプラノ、乗松恵美と並河寿美をはじめとして、今回の公演の歌手たちも高水準で粒が揃っていた。「ジャンニ・スキッキ」の出演者を含め、歌手たちのなかには、もっと全国的に名を知られてもよい逸材が含まれていよう。そうした歌手たちの歌を情熱的に引き出し、管弦楽とのバランスのなかで響かせることに成功した指揮者の山下一史の仕事も素晴らしい。そして何よりも特筆しなければならないのは、彼に音楽を渡す前に、すべての歌手に自分の声に合った歌をしっかりと覚え込ませたマエストロ・ソスティトゥートの平野満の仕事である。彼のようなほんもののオペラのスペシャリストが広島にいなければ、この公演がこの水準まで仕上がることはありえなかった。
 惜しむらくは、聴衆が客席を埋めつくすまでに至らなかったことと、さまざまな外的な制約のために、「三部作」の第一作である「外套」を割愛せざるをえなかったこと。興行的な問題に関しては、これからメディアの使い方をはじめ、宣伝の戦略を練ることで解決を図らなければならないだろう。もう少し工夫すれば、このオペラの文化を、全国的に発進することも不可能ではあるまい。そうして公演の成果を積むならば、資金の問題をはじめ公演の外的な制約も、おのずと減ってゆくはずである。また近い将来に、今度は満場の客席を前に「三部作」のすべてを上演したい、と考えているのはわたしだけではあるまい。

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大原美術館と倉敷の大野和士

 9月29日、大野和士とベルギー王立歌劇場(モネ劇場)管弦楽団の演奏会を聴くために妻と倉敷を訪れた。そのついでに、大原美術館を久しぶりに再訪する。モディリアニをはじめいくつか重要な作品が、宮城でのこの美術館の名品展のために貸し出されていたが、何よりもエル・グレコの「受胎告知」に再会できたのは嬉しかった。
 スペインのバロック期の絵画において特徴的なのは、明暗の鋭い対照のなかに人間像が仮借なく抉り出されてくるところであり、その魅力は、たとえば東京の西洋美術館にあるリベーラの哲学者の肖像などで味わうことができるのだけれども、エル・グレコの作品は、明と暗を分かつ動きそれ自体を表現しながら、その瞬間にあるドラマを劇的に描き出している。こちらへ迫ってくる鳩は、闇を切り裂きながら、明暗の鋭いコントラストのうちに「受胎告知」の場面を開くかのようだ。イエス・キリストの受胎を告げる天使のまなざしとマリアのまなざしとの呼応が産み出す場景の緊張感が、最小限のタッチで表現されているあたりにもやはり瞠目させられる。
 グレコの作品以外では、クレーのいくつかの作品とともに、抽象的な表現のうちに音楽的な躍動をこれ以上はないと思わせるほどの洗練のうちに取り出してくるカンディンスキーの「尖端」が印象的。あとは、ミロとロートレックの作品が眼を惹く。
 ところで、夜は倉敷の市民会館で、大野和士とモネ劇場のオーケストラの演奏会を聴いたが、とりわけラヴェルの「ラ・ヴァルス」で、オーケストラの美質と大野の精緻な音楽性がマッチしていたように思う。メイン・プログラムであったマーラーの第5交響曲の演奏は、響きの重さと奥行きには不足していたものの、この演奏でも随所で大野の精密なスコアの読みと絶妙のバランス感覚が、細やかな歌に結びついていた箇所もあった。とくにスケルツォとアダージェットの楽章が印象的だった。フィナーレにもう少し表現の振幅と勢いがあれば、インパクトのある名演に仕上がっていたのではないだろうか。(この演奏会について詳しくは:http://homepage.mac.com/nob.kakigi/Ono_Monnaie_290905.htm)
 この夜の大野の指揮ぶりを見て思ったのは、スコアの精緻な読みを音楽的な表現、とりわけ自然な息づかいをもった歌に結びつける手腕に関して、彼の右に出る指揮者はほとんどいないのでは、ということである。少なくともこの点で、現在活躍している日本人指揮者のすべてを凌駕していよう。しかし、まだ大野は彼自身の読みにまだとらわれているのではないか。自分の頭のなかで構築したバランスをつくることに気を取られてはいないだろうか。とりわけ大野が振るマーラーを聴くとき、まだ彼自身が音楽と一体化しきれていないように思われるのだ。しかし、大野とモネ劇場のオーケストラの親密な協働を見るかぎり、彼の読みと表現を一体化させることも不可能ではあるまい。この夜の演奏は、その期待を抱かせるものであったように思われる。

 最後に演奏会場であった倉敷市民会館についてひと言。かなり古い建物であるが、そのホールの天井はすべて木造りのうえ、それに木彫の装飾まで施されていて、ちょっと贅沢な造り。そのため音響は、よいとは言えないにしてもけっして悪くはない。客席の奥行きがそれほどなく、会場全体の一体感を生みやすい点も好ましい。この市民会館のホールと芸文館のホール、それから大原美術館を会場に、倉敷では、現在わたしが住んでいる広島よりも頻繁に質の高い演奏会が催されている。その背景には、地元の企業の、おそらくは社会的な責任に対する感覚にもとづく財政的な支援があるようだ。たしかに倉敷独特の企業人たちの結びつきが作用しているのかもしれないが、企業が芸術的な活動を支援し、芸術の受け手も含めた将来の都市文化の担い手を育てなければ、企業が生きていくための環境そのものが荒廃してゆくのは間違いない。自己保存に汲々としている広島の企業に不足しているのは、そのことに対する危機感と、何よりも文化的な土壌づくりを含めた社会構築に対する責任感であろう。

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