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「カープを観に行く」

 妻が広島東洋カープのファンなので、年に数回は、妻と広島市民球場を詣でることになる。一昨日も市民球場へ、横浜ベイスターズとの試合を観に行ってきたところ。8月末に阪神タイガースとの試合を見に行って以来、今年二度目である。ちなみに妻は、野球観戦に行くことを、「カープを観に行く」と言う。そう言えばたしかに一昨日妻は、少し早めに球場に着いたのをいいことに、一塁側のベンチ前でカープの先発投手がピッチング練習をしたり、何人かの野手が素振りしたりしているのを、間近で楽しそうに眺めていた。
 そんなわけで、市民球場は何度か訪れているのだが、なかなかよい球場だと思う。何といってもグラウンドが近いのが好ましい。1階席に座れば、選手たちのプレーの様子を、かなりの迫力で楽しむことができる。外野にほど近い内野自由席からでもピッチャーの投げる球の筋が見えるくらいだ。グラウンドとスタンドを仕切る金網が、少し目の邪魔にはなるけれども。この金網さえ取り払ってしまったら、アメリカのスタジアムに近い雰囲気になって、観客と選手の一体感が生まれるのではないかしらん。
 その市民球場、「老朽化」を理由に、広島駅近くの「貨物ヤード跡地」に建て替えることになっているらしいが、まだまだ使えると思われる。たしかにところどころ古さを感じさせるところはあるけれども、そうした箇所さえ改修したら、最近改修された仙台の球場のように、カープの本拠地として十分に機能するはずである。それに、球場へ足を運ぶカープファンの市民球場への愛着は、(とくによそ者であるわたしにとっては)計り知れないものがある。
 にもかかわらず、市民球場の建て替えは「決まったこと」のようだ。広島そごうのすぐ近くにあって、アクセスも、デパ地下で弁当を買って行くのにも便利な現在地での建て替えにこだわってきた地元の財界人も、「ヤード跡地」での建て替え、という市当局の既定路線に折れたかたちだ。それにしても、大規模な建設、いや土建事業で沈滞した景気を浮揚しようといった考え方は、あまりにも時代遅れなのではないだろうか。しかもそれに税金まで注ぎ込むというのだから、頭を抱えてしまう。
 妻をはじめ何人かの広島人から聞いたかぎり、みな「ヤード跡地」になったら「行かない」し、「人も来ない」のだそうな。何よりもアクセスが悪いのだそうだ。とすれば、何年か後には、立ったり座ったりしながらバッターの名前を連呼する独特の応援が続く向こうで、仕事帰りのサラリーマンがデパ地下で買った弁当をつまみながら缶ビールを飲み、家族連れが「100円引き」といったシールの貼られた惣菜のパックを広げる、といった光景は、もう見られなくなるのかもしれない。
 とはいえ、「ヤード跡地」での建て替えは、もう「決まったこと」らしい(そして当局とは、こういう既定路線で物事を決め、税金を使うものらしい)。とすれば、跡地をどうするかがまた問題となる。わたしの希望はただ一つ、音響のよい、クラシック専用の音楽ホールがそこに造られること。そうすれば、本番の会場よりも練習場のほうが音響がよいという、広島交響楽団が現在置かれているいびつな状況も解消されるし、何よりも広島で(これまで広島を素通りしていた)よい音楽がもっと頻繁に聴けるようになるはずである。

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