« 幸運という名の女性 | トップページ | 管啓次郎と翻訳 »

ユンカーマン監督と「日本国憲法」

 8月6日、被爆60年の日の平和祈念式典が行われた平和公園の川向かいにある中国新聞社へ、ジャン・ユンカーマン監督の映画「日本国憲法」を見に行く。見に来ている人の数は少ない。どういう宣伝の仕方をしたのか、と思うが、広島にいると、東京なら満員御礼になりそうなイベントがガラガラというケースは少なくない。もっともこれが、広島の人びとの憲法と映画への関心の低さをそのまま映し出すものだとすれば由々しき問題だろう。
 映画のなかには、鹿児島で一度その話を聴いたことのあるベアテ・シロタ−ゴードンのような憲法起草に関わった人びと、日高六郎のような憲法発布までのプロセスを見届けた日本人、ジョン・ダワーをはじめ日本の戦後を見つめてきたアメリカの知識人、さらには日本を見つめるアジアの知識人や活動家が出演していた。それぞれの視点から「日本国憲法」を語っていた彼/彼女たちが共通して指摘していたのは、「憲法改正」問題が──「靖国問題」と同様に──けっして日本国内の問題ではない、ということである。憲法第9条は、日本が明治期以来、とりわけ1931年以降1945年まで行なってきた戦争の過ちを認め、もはやそのような戦争を行なう国家にならないことを、世界へ向けて、なかんずくアジアの国々へ向けて宣誓するものだった。それを変えることは、対外的にどのようなことを意味するのか。映画に出演していた人びとの多くが、アジアの人びとの不安をかき立て、アジア地域の緊張を高め、平和を壊す危険を指摘していた。
 さて、ある意味で映画以上に印象的だったのが、上映に引き続いて行なわれたユンカーマン監督の講演だった。彼が「チョムスキー9・11」や「日本国憲法」のようなドキュメンタリーを撮り始めることの出発点にあるのは、ベトナム戦争、とりわけそれに対する反戦運動にコミットした経験であるという。彼はそのことを引き合いに出しながら、「戦争が終わると忘却が始まる」という言葉を引いて、アメリカが30年後にベトナム戦争と同じ過ちをイラクで繰り返していることを批判していたが、その言葉は9条の精神を捨て去ろうとしているわたしたちに向けられたものとして受けとめられなければなるまい。
 さらにユンカーマン監督は、「原爆の図」を描いた丸木位里のことを取材した映画「業火」のことも語ってくれた。丸木は地獄を描いた絵のなかに、ヒトラーや日本の戦時中の権力者ばかりでなく、自分自身も描き込んでいた。それはなぜかと尋ねたユンカーマンに対し、丸木は、自分は戦争を止められなかったから、と答えたという。彼の一連の画業は、彼自身の政治的責任の深い自覚にももとづいていたのだ。そのような丸木の経験を、わたしたちは苦く噛みしめなければならない。歴史的な戦前と決別することなく「戦後」が「戦前」になった今を招き寄せた、自分自身の責任を正視しなければならないのだ。そして、あの9・11に衆議院議員と政権を選ぶわたしたちひとりひとりの政治的責任はきわめて重いと言わなければならない。

|

« 幸運という名の女性 | トップページ | 管啓次郎と翻訳 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/126937/5376202

この記事へのトラックバック一覧です: ユンカーマン監督と「日本国憲法」:

« 幸運という名の女性 | トップページ | 管啓次郎と翻訳 »