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ジョルジョ・アガンベンの『開かれ』

 ジョルジョ・アガンベンの『開かれ──人間と動物』(岡田温司+多賀健太郎訳、平凡社)を、遅ればせながら読み終えた。ベンヤミンの思想に関心をもつわたしにとってはとりわけ刺激に富んだ著作であった。
 この『開かれ』においてアガンベンは、あらゆる政治体制のうちに内在化されるかたちで晩年のフーコーが言う「生政治」が全世界を覆いつつある状況の内部に、その「生政治」が機能不全に陥る可能性を探っていると考えられる。つまり、絶えず「人間」と「非人間」を分割し、「人間」であるか、それともたんなる「動物」であるかを決定し、そうして──アガンベンに言わせれば「開かれざるもの」を「開く」ことによって──暴露された「剥き出しの生」を管理し、一定のかたちで生き残らせる、言わば「収容所」を含み込んだ「生権力」の支配が常態化している状況のただなかに、「例外状態」が、その力がおよびえない場所が、ひとつひとつの生そのもののうちに開かれる可能性を探ろうとしているのではないか。そしてその場所の名こそ、「開かれ」にほかならないだろう。
 この「開かれ」についての考察が、ここでのアガンベンの中心的な課題であることは言うまでもないが、このハイデガーが「人間」のうちに見て取り、「動物」に認めなかった世界への「開かれ」の真相が示されるのは、アガンベンによれば、ハイデガーが「形而上学の根本諸概念」についての講義において長大な考察を充てている「倦怠」、それも「深き倦怠」においてである。なすべきことをもたず、気晴らしだけを求める「倦怠」のなかで、人間は存在者の「閉ざされに開かれている」。そのことを指摘するハイデガーは図らずも、彼にしてみれば人間に固有の「開かれ」が、「開かれても閉じられてもいない動物の環境と根源的に異なるようなものを名指すことはない」のに触れているのである。「開かれや存在の自由は、暴露されざるものそのものの顕現であり、開かれを見ないヒバリの宙づりにして生け捕りなのである。動物の放心とは、人間界とその開かれの中心に象嵌された宝石にほかならない。「存在者が存在する」という驚異とは、露顕せざるもののうちに曝されることによって生物のうちに生起する「本質的な震撼」をつかまえることにほかならないのだ。実際、開かれは、この意味で、不合理な説明なのである。つまり、開かれにおいて賭けられている開示は、本質的に閉ざされへの開示であり、開かれをじっと見据える者は、閉ざされていること、見ないことしか見ていないのである」。
 そのように、世界への「開かれ」が実は、存在者の「閉ざされ」に曝されることであり、「人間」と「非人間」の区別が宙づりにされる場面を指し示していることに触れながらも、アガンベンによれば、ハイデガーは「人間」と「動物」の関係の不可能な決定のうちに「民族」の歴史的命運を見るとともに、その命運が芸術作品のうちに示されると語っている。これに対してベンヤミンは、芸術作品のうちに、「おのれ自身へと送り返された」、「いかなる昼も待望することのない」自然の「救出された夜」の表現を見ている。それはハイデガーの言う「露顕せざるもの」を、そのようなものとして救い出す可能性を示しているのだ。さらに、ハイデガーが指摘するように「芸術」と同じ起源をもつ「技術」は、ベンヤミンによると、「人間」が「自然を支配する」ためのものではなく、「自然と人類のあいだの関係を支配する」ものでありうるのだ。アガンベンは、その「関係」のうちに、「人間」と「非人間」を区別する決定を「静止状態」において宙吊りにする「星座」を見て取っている。そして、その「星座」をなす「隙間=戯れ」を、ベンヤミンが「複製技術時代の芸術作品」において語っている「自然と人間の協働=共同遊戯」と重ねあわせたい、という誘惑に駆られるのは、わたしだけだろうか。
 アガンベンが『開かれ』の冒頭で取り上げる、13世紀のヘブライ語聖書の写本に描かれる動物の頭部をもつ義人たちの形象、それは「人間と動物のいずれをも存在外へと存在せしめ、本来的に救うことのできない存在のうちで救済を果たす「大いなる無知」の形象」であるという。その「大いなる無知」が、「生政治」に覆われたこの世界のなかで、具体的にどのようなかたちで実現されうるのか、あるいはそれによってどのような「星座」が形成されうるのか、さらにはそれによって、どのように「生権力」が停止され、「救われざる残余」が救済されうるのか。この点は、アガンベンは明らかにしていない。これを衝いて彼を「修辞的」と批判することもできようが、「大いなる無知」の可能性を考えることに読み手をいざなうだけでも、彼の『開かれ』には大きなインパクトがあると言うべきであろう。

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