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幸運という名の女性

  先月末、二度にわたってコロンビア大学のキャロル・グラックの話を聴くことができた。日本近代史を専攻し、日本語を巧みに操る彼女は、一般向けの講演では、日本語で講演したうえ、明確な日本語で会場からの質問に応じていた。そして、広島国際会議場で行われたシンポジウムの折には、これまた明確な英語で、平和へ向けてヒロシマの記憶を普遍化する希望を決然と語りかけていた。そうした彼女の学者としての態度、とりわけどのような質問も真摯に受けとめようとする態度には感銘を受けるとともに、学ばせられた。
 二度にわたる講演のなかで、彼女が一貫して強調していたのは、ヒロシマにまつわる単純化された内向きの「被害者」物語を乗り越え、それを解体して、普遍的に、人類へ向けて平和を呼びかけるようなヒロシマの「パブリック・メモリー」を形成する可能性である。その責任をとりわけ若い世代が引き受けていけるために考慮しなければならない条件を彼女は三つ挙げていた。第一は、戦争や原爆の記憶はその地域を越えなければならない、ということ。第二は、歴史を語る枠組みを広げ、一つの戦争をたの戦争と結びつけること。第三は、ナショナル・メモリーないしナショナル・ヒストリーという制約を乗り越えて、さまざまな記憶が響きあうのを聴き出すこと。
 第二の条件に関して、わたしは、彼女の同僚だったエドワード・サイードが『知識人とは何か』のなかで述べていたことを思い出す。そこで彼は、一つの苦難の出来事を、他の苦難の出来事と結びつけながら、そこに或る問題を人類の問題として提起することの重要性を語っていたのだ。また、第三の条件に関しては、テッサ・モーリス−スズキが語っている「歴史の真摯さ」を思い出す。単純なひと続きの「国民の歴史」を解体して、それが抑圧するさまざまな記憶の配置を、その複雑さを捨象することなく描き出していかなければならない。そうした条件を踏まえながら、「未来を記憶する」こと。キャロル・グラックのこの言い方を、わたしなりにパラフレーズするなら、わたしたちの未来へ向けて、さまざまな記憶の抗争をはじめ歴史的プロセスにまつわる複雑さをけっして捨象することなく、過去の出来事を地域を越えた普遍性へ向けて記憶してゆくこと、そうして世界的な「パブリック・メモリー」を形成すること、ということになると考えられる。それをつうじてこそ、「ヒロシマ」も「ホロコースト(ショアー)」に比肩する普遍性を獲得するのかもしれない。このような彼女の話を聴いたのにもとづいて、「ヒロシマ」を記憶することについて考えてみたことは、以下のURLに掲載しておいた。http://homepage.mac.com/nob.kakigi/Memory_of_Hiroshima.htm
 ところで、講演の後、彼女と個人的にいろいろ話をすることができたのは大きな幸運だった。ヴァルター・ベンヤミンについてのわたしの仕事に大きな関心を示してくれたし。シンポジウムの後でいくつか論文を渡したら喜んでくれた。
 それからしばらくして、彼女からメールが届いた。「このあいだは、あなたの仕事の話も聞けて嬉しかったわ。あなたのハイデガーとベンヤミンについてのエッセイも楽しみにしているのよ」。同封しそこねたその古い論文を探し出して送ったことは言うまでもない。
 ちなみにキャロル・グラックのファミリー・ネームGluckは、もとはドイツ語で「幸運」や「幸せ」を意味する語だろう。幸運という名の女性との出会い、大切に胸に刻んでおかなければならない。

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